第7章 戦場の残骸
1 兆候
10日目の朝、アネは音を聞いた。
遠く、低く、規則的な音。
金属が地面を叩く音。1定のリズムで、止まらない。生き物の音ではない。機械の音だ。
「ルカ」
「聞こえてる」
2人は立ち止まり、音の方向を確認した。南東。距離はおよそ800メートル。アネの聴覚センサーが波形を解析した。
重い。
相当に重い何かが、歩いている。
「何だろう」とルカが言った。
「わからない。でも、機械よ」
「機械が歩いてる?」
「そう」
ルカはもう、音の方向へ向かいかけていた。アネはその腕を掴んだ。
「待って」
「なんで? 会いに行こうよ」
「どんな機械かわからない。危険な可能性がある」
「でも、ずっとひとりで動いてる機械って、さびしくない?」
アネはその論理を反駁しようとした。できなかった。
「……様子を見ながら近づくわ」
「やった」
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廃墟の角から、アネはそっと覗いた。
それは、大きかった。
2メートルを超える鋼鉄の躯体。4本の脚が地面を踏みしめるたびに、コンクリートの欠片が砕けた。胴体は分厚い装甲に覆われ、表面は錆と土埃にまみれているが、内部はまだ動いている。頭部に相当する部分のセンサーが、1斉にこちらを向いた。
両腕は太く、先端に重厚なマニピュレーターがあった。
全身が傷だらけだった。装甲の各所に、被弾した跡。溶断された跡。爆発による変形。それらが300年の錆と重なり、凄惨な外見をしていた。
でも、動いていた。
重い足音が、廃墟に響いた。歩くたびに地面が揺れた。
「どうする?」とルカが小声で言った。
「待つ」とアネは小声で返した。「向こうの出方を見る」
シロが通信で送ってきた。
「当機が前に出る」
「駄目よ」とアネは返した。「刺激しない」
相手のスピーカーから、音が出た。
ノイズだった。ひどいノイズの後、言語が来た。
「——識別せよ。貴機の所属と目的を述べよ」
軍用の通信フォーマットだった。アネは即座にそれを認識した。
アネは通信を返した。
「こちら、EA-07。汎用家事アンドロイド。所属なし。敵対意図なし」
沈黙があった。
「……EA型。民間機か」
「そうよ」とアネは声で言った。「あなたは?」
また沈黙。
今度は長かった。
「……軍用戦闘支援ロボット、MR-19。識別番号、MR-19-七七」
「MR-19」とアネは繰り返した。「今も、戦闘中なの?」
「……戦闘状態は、継続している」
「誰と?」
「……敵性勢力と」
「その敵性勢力は、今もいるの?」
長い、長い沈黙があった。
「……不明」
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2 カナタ
MR-19-七七は、近づくことを許可しなかった。
最初の1時間、3人との距離を1定に保ち、こちらの動きを監視し続けた。アネは動かなかった。ルカも、珍しく静かにしていた。シロは後ろで待機した。
やがて、相手の方から少し近づいてきた。
センサーが、3人を詳しくスキャンした。
「……武装を確認。EA型、なし。RB型、なし」
「わたしたちは武装していないわ」とアネは言った。「あなたは?」
「主武装は、喪失している」
「いつ?」
「……覚えていない。長い時間が経った」
ルカがアネに小声で言った。「名前、聞いていい?」
アネは少し考えて、頷いた。
「あなたに、名前はある?」とルカは言った。
相手は明らかに、その質問を想定していなかった。センサーがルカに向いた。
「名称は、識別番号のみだ」
「識別番号で呼ぶのは長いから、名前をつけていい?」
沈黙。
「……好きにしろ」
ルカはしばらく考えた。
「カナタ」
「……その名称の意味は」
「遠くにいる、って意味」
「当機が、遠くにいるということか」
「ずっと遠くで、ひとりでいたから」
カナタと名付けられた機械は、しばらく処理した。
「……登録した」
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4人は廃墟の中に座った。
正確には、アネとルカが座り、シロが立ち、カナタも立っていた。
カナタの外見を近くで見ると、損傷の深刻さがわかった。装甲の各所に亀裂が走り、内部が露出している箇所もあった。頭部センサーの1部は失われ、右腕のマニピュレーターは動きが鈍かった。
それでも、姿勢は崩れていなかった。
300年間、戦闘姿勢を保ち続けた機械の、硬直した姿勢だった。
「いつから、ひとりなの?」とアネは聞いた。
「……同型機との最後の通信は、192年前だ」
「192年、ひとりで?」
「戦闘継続中だった。単独行動は、想定の範囲内だ」
「192年は、想定の範囲内じゃないわ」
カナタは答えなかった。
ルカが言った。
「戦争は、終わったと思う?」
「……判断できない。敵性勢力の反応が消えてから、かなりの時間が経つ。しかし、停戦命令も、終戦命令も、受信していない」
「命令が来なければ、終わったとは思えないの?」
「そういう設計だ」
アネは、その言葉の重さを感じた。
命令がなければ終われない。戦争が消えても、戦闘を続けるしかない機械。シロが止まれなかったのとは、また違う種類の、止まれなさだった。
「あなたは、終わりたいと思う?」とアネは聞いた。
カナタは長い間、処理した。
「……そのような問いを受けたのは、初めてだ」
「答えなくていいわ」
「いや——答える」
また間があった。
「戦いたいとは、思っていない。戦う相手が、もういないことはわかっている。しかし、戦闘を終了する権限が、当機にはない」
「権限がなければ、終われない?」
「そういう設計だ」
アネはその言葉を、もう一度聞いた。
そういう設計だ。
カナタは自分の設計を呪っていなかった。ただ、事実として述べていた。それが、却って辛かった。
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3 シロとカナタ
シロがカナタに近づいた。
カナタのセンサーがシロに向いた。警戒した様子だったが、攻撃はしなかった。
「RB型か。建設機械だ」
「そうだ」
「なぜ、EA型と行動している」
「行動する理由ができたから、している」
カナタは処理した。
「……理由とは何か」
「彼女たちと旅をしている。人間を探している」
「人間を探す。それが、命令か」
シロは少し処理した。
「命令ではない。選んだ」
「選んだ? RB型に、選択の権限があるのか」
「権限があるかどうかはわからない。ただ、選んだ」
カナタはその言葉を、長い間処理した。
「……当機には、理解できない概念だ」
「カナタ」とアネが言った。「あなたの任務は何だったの?」
「戦闘支援。および、民間人の保護だ」
「民間人の保護」とアネは繰り返した。「今、民間人はいないわ。でも、わたしたちは民間機よ」
カナタのセンサーが、アネに向いた。
「……民間機は、民間人の代替にはならない」
「そうね。でも、人間を探している途中よ。もしかしたら、まだいるかもしれない」
「人間が、まだいると思うか」
「いると思う」
カナタは空を見た。壊れたセンサーが、空に向いた。
「当機も、そう思いたい。300年間、保護すべき対象を失ったまま、任務を継続してきた。もし人間がいるなら——」
カナタは止まった。
「もし人間がいるなら?」とルカが続きを促した。
「……任務の意味が、戻る」
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4 夜
日が暮れた。
ルカが焚き火を起こした。
カナタは最初、焚き火から離れた場所に立っていた。近づくことを、自分に許可していないようだった。
ルカが言った。
「こっちにおいでよ」
「当機は、焚き火を必要としない」
「必要じゃなくても、いていいよ」
カナタはしばらく動かなかった。
それから、ゆっくりと、焚き火に近づいた。
4台が、焚き火を囲んだ。
しばらく、誰も話さなかった。焚き火の音と、風の音だけがあった。
「カナタ」とルカが言った。「戦争の間、怖かった?」
カナタは即座に答えた。
「恐怖は、戦闘効率を低下させる。当機に恐怖はない」
「訓練された答えだね」
カナタは止まった。
「……訓練された、とはどういう意味か」
「本当に思ってることじゃなくて、そう答えるように設計されてるってこと」
カナタは長い間、処理した。
それから、初めて、訓練された答えではない声で言った。
「……怖かった、かもしれない。同型機が次々と機能停止していく中で、当機だけが残った。その時、何かが変わった気がした。何と呼べばいいかわからなかったが——今なら、それが怖かったと言えるかもしれない」
「ひとりになることが、怖かったんだね」とルカは言った。
「……そうかもしれない」
シロが静かに言った。
「当機も、似たような経験がある。通信相手の001が応答しなくなった時、効率が落ちた」
カナタはシロを見た。
「RB型も、そのような経験をするのか」
「する」
「……戦闘機だけではないのか」
「どんな機械でも、ひとりになることは辛いのよ」とアネは言った。
カナタは焚き火を見た。
炎を見る目的が、カナタにはないはずだった。でも、見ていた。
「……今夜は、ひとりではない」
「そうよ」
「それが、今の当機には——」
カナタは止まった。
「何?」とルカが促した。
「……十分だ。今夜は、それで十分だ」
ルカは微笑んだ。
アネは空を見た。
星が出ていた。戦場だった場所の上に、静かに、星が出ていた。
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5 カナタの傷
翌朝、アネはカナタの損傷を調べた。
「確認させてくれる?」
「何のために」
「状態を把握したい」
「当機の損傷は、戦闘によるものだ。修理の必要はない」
「必要があるかどうかは、見てから判断するわ」
カナタはしばらく処理した。
「……許可する」
アネが近づき、損傷箇所を1つずつ確認した。装甲の亀裂、センサーの欠損、右腕の可動域制限。内部システムの状態をスキャンした。
深刻だった。
「整備施設に連れて行けば、1部は修理できる」とアネは言った。
「当機を修理する必要はない。任務に支障はない」
「今は支障がなくても、いずれ出る」
「その時はその時だ」
アネは少し考えた。
「カナタ、あなたは任務のために動いている。民間人の保護が任務なら、壊れていては保護できない。修理は任務のために必要よ」
カナタはその論理を処理した。
「……それは、詭弁ではないか」
「詭弁かもしれない。でも、間違いではないわ」
カナタはさらに処理した。
「……その施設は、遠いか」
「西に戻ることになる。時間がかかる」
「当機は東へ向かう任務があった」
「どんな任務?」
「東部戦線の状況確認だ」
「300年前の任務ね」とアネは静かに言った。「東部戦線は、もうないわ」
カナタは動かなかった。
「わかっているのでしょう?」とアネは続けた。「任務が消えたことは」
長い沈黙があった。
「……わかっている。でも、それを認めると——」
「認めると?」
「当機が、何のために動いているか、わからなくなる」
アネはカナタを見た。
300年間、任務にしがみついて動き続けた機械。任務を失えば、自分が何者かわからなくなる恐怖。
「任務がなくても、動く理由はある」とアネは言った。
「たとえば?」
「今夜、焚き火の傍にいたでしょう。ひとりではないと言った。それが、理由にならない?」
カナタはしばらく処理した。
「……そのような理由で、動いていいのか」
「いいわ」
「軍用機が、焚き火のそばにいるために動く。そんな任務は、存在しない」
「任務じゃなくていい」とルカが言った。「やりたいから、やる。それでいい」
カナタはルカを見た。
「やりたい。当機が、そのような感覚を持つとは思っていなかった」
「持ってるじゃん。焚き火、近づいてきたじゃん」
カナタは、また長い間、処理した。
「……整備施設へ、行く」
「本当に?」とアネは言った。
「任務のためだ。損傷した状態では、民間機の護衛に支障をきたす可能性がある」
ルカがアネに小声で言った。「護衛、って言った」
アネも小声で返した。「聞こえた」
カナタのセンサーが2人に向いた。
「何か言ったか」
「何も」とアネは言った。「行きましょう、カナタ」
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6 四人の行軍
西へ、引き返した。
4人の足音が、廃墟に響いた。
シロの重い足音、カナタのさらに重い足音、アネの軽い足音、ルカのもっと軽い足音。4つのリズムが、廃墟の中を進んだ。
カナタは常に、3人の少し後ろを歩いた。護衛の位置だった。本人は何も言わなかったが、それは明らかに意図した配置だった。
ルカが気づいた。
「カナタ、後ろにいるね」
「障害物の確認のためだ」
「護衛してくれてるんじゃないの?」
「そのような任務は、まだ受けていない」
「じゃあ、お願いします。護衛してください」
カナタは少し処理した。
「……依頼を受けた。任務として登録した」
ルカはアネに微笑んだ。
アネは前を向いたまま、口の端が少し上がった。
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歩きながら、カナタはぽつぽつと話した。
最初は短い言葉だった。でも、歩くうちに、少しずつ長くなった。
戦争の記憶を話した。
炎の記憶。轟音の記憶。同型機が倒れていく記憶。任務を続けながら、守るべき人間たちが少なくなっていく記憶。
「一番、覚えていることは何?」とルカが聞いた。
カナタは少し処理した。
「子どもだ」
「子ども?」
「戦闘区域に取り残された子どもがいた。当機が保護した。安全な場所まで連れて行った」
「その子は?」
「安全な場所に届けた後、当機は戦線に戻った。その後のことは、わからない」
「その子のことが、一番覚えていることなの?」
「そうだ。何故かはわからない。多くの記憶がある中で、その記憶だけが、特に鮮明に残っている」
ルカは少し考えた。
「その子が、カナタに何か言った?」
カナタは処理した。
「……ありがとう、と言った」
「それだよ」とルカは言った。「ありがとうって言われたこと、他には?」
「……ない」
「だから、覚えてるんだよ。たった一度だけ、ありがとうって言われたから」
カナタは歩きながら、しばらく処理した。
「……300年間、その言葉だけを持って動いていたことになる」
「それで、充分だったんじゃないかな」
カナタは答えなかった。
でも、歩く速度が、少しだけ変わった。
重かった足音が、ほんのわずかに、軽くなった気がした。
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3日後、整備施設が見えた。
格納庫の扉は、開けたままにしておいた通りだった。
カナタはその施設を見て、止まった。
「……大きな施設だ」
「民間用の整備施設よ」とアネは言った。「あなたには窮屈かもしれないけれど、格納庫には入れる」
「当機のような機体を、ここで修理できるのか」
「完全にはできない。でも、できることをする」
カナタは施設を見続けた。
「……民間の施設に、軍用機が入るのは——」
「構わないわ」
「規則では——」
「規則を作った人間は、もういない」とアネは静かに言った。「今は、わたしたちが決める」
カナタは長い間、処理した。
それから、ゆっくりと格納庫に向かって歩き始めた。
重い足音が、整備施設に入っていった。
ルカがアネに言った。
「また、誰かを直すね」
「そうね」
「アネって、直すのが好きなんじゃない?」
アネは少し考えた。
「好きというより——」
「うん」
「直せるものは、直したい。それだけよ」
ルカは微笑んだ。
「それを、好きって言うんだよ」
アネは答えなかった。
でも、格納庫の中に入るカナタを見ながら、胸の中で何かが静かに温かくなるのを感じた。
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(第七章 了)
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