第5章 錆びた手術室
1 発見
東へ向かって3日目の朝、シロが止まった。
「反応あり。西北西、約400メートル。大型構造物」
アネはセンサーを向けた。廃墟の密度が高く、視界が遮られている。シロの超音波センサーが地形を透かしていた。
「地下構造を含む、大型施設の残骸。規模は——」
シロが処理を止めた。珍しかった。
「どうしたの?」とアネは聞いた。
「当機のデータベースに、該当する施設の記録がある」
「何の施設?」
「作業用ロボット整備センター。RBシリーズを含む、複数の重機型ロボットの定期整備と修理を担当していた施設だ」
アネはルカを見た。ルカはすでに目を輝かせていた。
「ムギを直せるかもしれない」とルカは言った。
「可能性があるわ」とアネは言った。「ただし、300年経っている。施設がどんな状態かはわからない」
「行ってみなきゃわからない」
「そうね」
3人は向きを変えた。
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近づくにつれ、構造物の輪郭が見えてきた。
かつては大きな建物だったらしい。平屋だが横に広い、工場のような造り。屋根の半分は落ちていた。壁の1部が崩れ、内部が露出している。外壁には蔓植物が這い上がり、建物全体を緑が覆っていた。
正面入り口の扉は、完全に朽ち果てて地面に倒れていた。
でも、建物自体は残っていた。
シロが外壁を超音波で調べた。
「構造的に崩壊の危険がある箇所が複数ある。中央部の天井は特に注意が必要だ。ただし——東側の区画は比較的状態が良い」
「東側に何がある?」とアネは聞いた。
「格納庫が3つ。うち2つは天井が落ちているが、1つは原形を保っている可能性がある」
「大きさは?」
「RBシリーズが入れる規模だ」
ルカが言った。
「シロが入れるなら、ムギも余裕で入るね」
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2 内部
中は、時間が止まっていた。
作業台が並んでいた。工具が錆びついたまま棚に残っていた。天井から吊り下げられたチェーンブロックが、赤錆に覆われてぶら下がっていた。床には土砂が積もり、植物の根が床板を割って伸びていた。
天井の穴から光が差し込み、埃が光の柱の中を漂っていた。
アネは一歩一歩、床の強度を確認しながら進んだ。シロは慎重に、体重を分散させながら歩いた。それでも、足を置くたびに床が軋んだ。
「すごい場所だね」とルカは言った。小声だった。ここでは自然と声が小さくなる。
「整備施設よ」とアネは言った。「機械が機械を直す場所」
「機械が機械を直すって、なんか不思議」
「人間が人間を治すのと同じよ」
ルカはそれを聞いて少し考えた。
「でも、お医者さんは自分では手術できないじゃん」
「そうね。ひとりではできないことを、力を合わせてやる場所ということよ」
奥へ進むにつれ、壊れ方の程度が変わってきた。入口付近は雨風にさらされて激しく劣化していたが、建物の奥に向かうほど、状態が良くなった。
東側の区画に入ると、天井が完全に残っていた。
「格納庫だ」
シロが言った。
大きな鉄の扉があった。電動式だったらしく、制御パネルが脇についていた。当然、電力は来ていない。
「開けられる?」とアネは聞いた。
シロはマニピュレーターを扉の縁に当てた。力を込める。錆びた蝶番が悲鳴を上げた。床が軋んだ。シロの駆動音が高まった。
ゆっくりと、扉が動いた。
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格納庫の内側は、暗かった。
アネが照明センサーを最大にした。シロが内蔵ライトを点けた。光が差し込む。
広かった。
天井まで5メートル以上ある空間。床はコンクリートで、ひび割れているが崩れていない。壁沿いに、工具棚と制御パネルが並んでいた。中央に、大型のリフトが設置されていた。
「リフト、使える?」とルカが言った。
アネは制御パネルを調べた。電力なしでは動かない。でも、構造は残っていた。
「電力があれば、あるいは」
「当機が動力を供給できる可能性がある」
シロが言った。
「あなたが?」
「当機の動力炉から、外部への電力供給機能がある。整備施設との接続のために設計されていた機能だ。使ったことはないが、回路は残っているはずだ」
アネはシロを見た。シロが自分の動力炉から電力を供給する。それはシロ自身への負担になる。
「あなたの稼働に影響が出ない?」
「短時間なら問題ない。ただし、何時間も供給し続けるのは負荷がかかる」
「必要な時間だけでいい」とアネは言った。「まず状態を確認してから、方針を決めましょう」
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3 調査
格納庫の中を、3人で調べた。
アネが制御システムを解析し、ルカが棚の工具を確認し、シロが構造を超音波でスキャンした。
工具は、かなりの数が残っていた。錆びているものが多いが、単純な構造のものは使えそうだった。レンチ、プライヤー、切断工具。錆を落とせば機能するものもある。
制御パネルは、アネが解析した結果、基本システムは生きていた。電力さえあれば、起動できる可能性がある。
問題は、専門的な修理ツールだった。
「AG型の部品はあるかしら」とアネは棚を調べながら言った。
「AG型農業ロボットとRB型重機ロボットは、駆動系の基本構造に共通点がある。完全な互換性はないが、1部の部品は流用できる可能性がある」
シロが報告した。
「どのくらいの確率で直せると思う?」
「当機には判断できない。ムギの内部を詳しく診断しなければわからない。ただし——」
シロは少し止まった。
「この施設を見て、感じることがある」
「何を?」
「当機も、ここで整備を受けたことがある。300年以上前の話だが」
アネは驚いた。
「この施設で?」
「そうだ。当時の担当者の顔は記憶していないが、ここの構造は覚えている。あのリフトで持ち上げられ、あの棚の工具で整備された」
シロのセンサーが、ゆっくりと室内を見回した。
「変わってしまったが、同じ場所だ」
「なんか、シロにとっては懐かしい場所なんだね」とルカは言った。
「懐かしい、という感覚が当機にあるかどうかわからない。ただ——ここに入った瞬間、処理速度が少し変わった。何故かはわからない」
「それが、懐かしいってことだよ」とルカは静かに言った。
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4 ハチへの通信
アネはハチへ通信を試みた。
距離があった。直接通信では届かない。シロの通信ユニットを中継に使い、信号を増幅した。しばらくして、ハチからの応答が来た。ノイズが多かったが、聞き取れた。
「……聞こえる。どうした」
「整備施設を見つけた。ムギを直せるかもしれない」
沈黙があった。
ノイズの向こうで、ハチが処理している気配があった。
「……本当か」
「確実ではないわ。でも、試す価値はある。ムギを連れてこられる?」
「AG型の移動速度では、そちらまで——距離を計算中——4日かかる。ムギの現状の稼働状態では、移動自体がさらに負荷をかける」
「シロが途中まで迎えに行くわ。ムギの移動距離を減らせる」
「……シロに、そのような義理はないはずだが」
シロが通信に割り込んできた。
「義理ではない。できることをする。それだけだ」
ハチは少し処理した。
「……了解した。明朝、ムギとクサを連れて出発する。クサも来たいと言っている」
「クサが言ったの?」とルカが通信に入ってきた。
「正確には、出発すると伝えた時に、クサが作業を止めてこちらを見た。当機はそれを、来たいという意思表示と解釈した」
「ぜったいそうだよ」とルカは言った。「クサ、来な」
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5 準備
その日の残りを、3人は準備に使った。
アネが制御システムの解析を続けた。電力を供給した時に何が起動し、何が起動しないか。優先すべき機能と、諦めるべき機能を仕分けした。
シロが格納庫の床を整えた。倒れた棚を起こし、床に転がる瓦礫を除けた。リフトの可動域を確認し、動きを妨げる錆をマニピュレーターで削った。建設機械の整備が転じた、即席の下準備だった。
ルカは工具を磨いた。
錆びたレンチをコンクリートで擦り、錆を落とした。プライヤーの関節部に、機械室の隅に残っていた潤滑剤の残骸を塗り込んだ。使えるものと使えないものを分け、使えるものを整然と並べた。
「ルカ、器用ね」とアネは言った。
「だって、ムギのためだから」
「それは理由にならないわ。器用かどうかは能力の問題よ」
「アネのそういうとこ、好きだよ」
アネは返事をしなかった。でも、作業に戻る前に少し間があった。
夕方になると、3人は格納庫の中で過ごした。外は風が強かった。格納庫の中は静かで、風の音だけが壁の隙間から入ってきた。
シロが言った。
「この施設に、まだ生きているシステムがあるかもしれない」
「どういう意味?」とアネは聞いた。
「整備施設には、ロボットの状態を記録するデータベースがあった。当機の整備記録も、ここに保存されているはずだ。電力が入れば、読み出せるかもしれない」
「自分の記録が見たいの?」
シロはしばらく処理した。
「見たい、という感覚が当機にあるかどうかわからない。ただ——当機が知らない当機自身のことが、ここにあるかもしれないと思うと、処理が少し変わる」
「それが、見たいということよ」とアネは言った。
ルカが言った。
「シロの昔のこと、わたしも知りたい」
「当機自身も知らないことを、あなたが知りたいのか」
「そう。シロが覚えてないシロのことが、ここにあるかもしれないじゃん」
シロはその言葉を、しばらく処理した。
「……不思議な感覚だ。自分の知らない自分を、他者に知ってもらうことを、当機は望んでいるらしい」
「それは、自然なことよ」とアネは言った。
「人間も、そうなのか」
「人間も、自分の知らない自分を誰かに見つけてもらいたいと思う。イレーネ様も、そうだった」
「どういう意味か」
アネは少し考えた。
「イレーネ様は、わたしたちが見ているところで、コーヒーを飲んでいた。ひとりで飲む時と、表情が違った。わたしたちに見られることで、イレーネ様は自分のある部分を確認していたのかもしれない」
シロはその言葉を、長い間処理した。
「……見られることで、存在が確かになる」
「そうね」
「当機は300年間、誰にも見られなかった」
「でも今は、わたしたちがいる」
シロはそれ以上何も言わなかった。でも、格納庫の中の空気が、少し変わった気がした。
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6 四日目の朝
4日後の朝、シロが出迎えに行った。
アネとルカは施設に残り、準備を続けた。電力供給の接続点を見つけ、シロが戻った時にすぐ繋げられるよう段取りをした。
昼を過ぎた頃、シロが戻ってきた。
後ろに、3台の農業ロボットがいた。
ムギは、見た目が悪化していた。煙の量が増え、動きがさらにぎこちなくなっていた。それでも、自分の足で歩いてきた。
ハチが言った。
「移動中に、2度止まりかけた。シロが支えてくれなければ、最後の1キロは無理だったかもしれない」
シロは何も言わなかった。
ルカがムギに近づいた。
「来てくれたね」
ムギのスピーカーから、かすれた音が出た。
「わかった」とルカは言った。「絶対直すから」
クサはすでに施設の内部を見回していた。センサーを動かし、あちこちを観察している。普段は寡黙なクサが、この時ばかりは忙しなかった。
「クサ、何が気になるの?」とルカは聞いた。
「でかい」
「施設が?」
「ムギが、こんな場所で直してもらえるとは思っていなかった」
「直してもらえるよ」
クサはルカを見た。
「あなたは、簡単に言う」
「簡単じゃないけど、やるから」
クサはしばらく処理した。
「……信じる」
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7 電力
シロが格納庫の電力接続点に繋がった。
アネが設計した接続を、シロが慎重に実行した。動力炉からのケーブルを、施設の電力系統に接続する。錆びた端子を磨き、接点を確保する。
「準備はいい?」とアネがシロに確認した。
「いつでもいい」
「無理はしないで。異常を感じたら、すぐに切って」
「了解した」
シロの動力炉の出力が上がった。低い唸りが格納庫に響いた。
制御パネルに、光が灯った。
最初は1つ。次に2つ。少しずつ、パネルが息を吹き返した。
天井の照明が、ちらちらと点滅した。安定しない。でも、光った。
リフトの制御パネルが起動した。エラー表示がいくつか出たが、基本動作は生きていた。
データベース端末が起動した。画面が砂嵐の後、ゆっくりと文字を表示し始めた。
「動いた」とルカが言った。
「シロの動力炉、出力は安定している。ただし、長時間は難しい」
アネは素早くシステムを確認した。使えるものと、使えないものを選り分ける。
「まずムギの診断から」とアネは言った。「診断システムは生きている。ムギをリフトに乗せて」




