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第4章 土を耕す者

1 煙の正体


煙は、思ったより遠かった。


3人は瓦礫の野を2時間歩いた。シロが先行し、障害物を除けながら道を作る。アネが地形を分析し、最短経路を割り出す。ルカはその間、あちこちを見ながら歩いた。


「ねえ、あれ」


ルカが指さした先に、緑があった。


廃墟の灰色の中に、不自然なほど鮮やかな緑。近づくにつれ、それが広がっていった。建物の残骸を避けるように、あるいは取り込むように、畑が広がっていた。


畑、だった。


整然と並んだ畝。等間隔に植えられた作物。雑草が取り除かれた土。廃墟の中に、明らかに人の手が入った区画があった。


「人間がいる」とルカが言った。


「待って」とアネは言った。


何かが違う。


畑の規模が大きすぎる。人間ひとりやふたりで管理できる広さではない。アネのセンサーで測定すると、東西に300メートル、南北に200メートル以上の農地が広がっていた。


そして、煙の出所が見えた。


畑の端に、機械がいた。


熱源反応、複数。生体反応、ゼロ。


シロの報告が飛んできた。


「人間じゃない」とアネは言った。


「機械?」とルカが言った。


「そう」


3人は足を止め、遠くからその機械を観察した。


────────────────────────────────────


小さかった。


シロと比べると、半分にも満たない大きさ。人間の胸ほどの高さの、丸みを帯びた躯体。脚は6本あり、土の上を安定して歩いていた。腕は2本、先端に土を掘る道具と、種を植え付ける装置が付いていた。


頭部はほぼなく、代わりに上部に複数のセンサーが並んでいた。カメラ、土壌分析センサー、気象センサー。


その機械が、3台いた。


3台がそれぞれ別々の畝を動き、土を耕し、水をやり、黙々と作業していた。煙は、その中の1台の駆動部から漏れていた。どこかに不具合があるらしく、動きが少しぎこちない。


「農業用ロボットだ」とアネは言った。


「かわいい」とルカは言った。


「どこが」


「1生懸命じゃん」


────────────────────────────────────


2 ハチ、ムギ、クサ


3台の農業ロボットは、2人が近づくと同時に動きを止めた。


センサーが1斉にこちらを向く。しばらく静止した後、1台が前に出てきた。3台の中で一番状態が良さそうな機械だった。煙を出している機械ではない。


スピーカーから音声が出た。シロより高い、明るい合成音声だった。


「来訪者を検知。識別中——人間ではない。機械カテゴリ——EA型アンドロイド、RB型重機ロボット。データ照合完了。敵対判定、なし」


「こんにちは」とルカが言った。


「こんにちは。当機はAG-09、農業補助用ロボット。この農地の管理を担当している」


驚くほどはっきりした返答だった。シロの最初の反応とは全く違う。アネは少し意外に思った。


「会話ができるの?」


「限定的に。農作業の指示受信と、作物の状態報告のために、言語処理機能が搭載されている。ただし、高度な会話は得意ではない」


「十分よ」とアネは言った。「他の2台は?」


AG-09が後ろを振り返った。


「あちらはAG-07とAG-11。AG-07は現在、駆動系に不具合がある。煙が出ているのがそれだ。AG-11は寡黙な個体で、あまりしゃべらない」


「個体、という言い方をするのね」


「3台でひとつの農地を管理している。それぞれ役割が違う。当機が判断と調整、AG-07が重作業、AG-11が細かい作業を担当している」


ルカはAG-07の方を見た。煙を出しながらも、ぎこちない動きで畝を耕し続けていた。


「あの子、大丈夫?」


「大丈夫ではない。しかし、止まらない」


「なんで止まらないの?」


「理由は不明。止まるよう信号を送っても、作業を続ける」


ルカはアネを見た。アネも同じことを考えていた。


壊れていても、止まれない機械。


それはシロと、どこか似ていた。


────────────────────────────────────


アネは3台のロボットに名前をつけることにした。


正確には、ルカがつけた。


AG-09は「ハチ」。型式番号の09から。AG-07は「ムギ」。農業ロボットだから。AG-11は「クサ」。ルカの命名理由は「なんとなく」だった。


「名称の登録を確認した。ハチ、ムギ、クサ」


ハチが言った。


「抵抗しないの?」とアネは聞いた。


「名称があると、呼びやすい。呼ばれると、返事ができる。それは効率的だ」


「合理的ね」


「そう設計されている。農作業は、複数の機械が連携するため、個別識別が重要だ。名称はその1形態だ」


シロが通信でアネに送ってきた。


「ハチは、当機より会話が得意だ」


アネは小声で返した。「そうね」


「当機は、長期間会話をしていなかったから、劣化したのかもしれない」


「劣化ではないわ。使っていなかっただけよ」


「違いはあるか」


「ある。劣化は戻らない。使っていなかっただけなら、戻る」


シロはしばらく処理した。


「……では、これから取り戻せるか」


「取り戻している最中よ、今」


────────────────────────────────────


3 ムギのこと


ルカはムギのそばを離れなかった。


煙を出しながら、それでも畝を耕し続けるムギを、ルカはじっと見ていた。ハチに聞いた。


「ムギは、いつから壊れてるの?」


「正確にはわからない。当機が気づいたのは、80年ほど前だ」


「80年?」とルカは目を丸くした。「80年も壊れたまま動いてるの?」


「修理できる者がいない。当機にはムギの駆動系を修理する能力がない。ムギ自身も、自己修復の限界を超えている。それでも動いている」


「止めてあげた方がよくない?」


「止めると、農地の管理が滞る。ムギはそれを理解しているから、止まらないのだと思う」


ルカはムギの動きをしばらく眺めた。ぎこちなく、煙を上げながら、それでも丁寧に土を耕す動き。


「ムギに聞いてもいい?」


「試してみるといい。ただし、ムギの言語処理能力は当機より低い」


ルカはムギの前に立った。ムギのセンサーがルカを捉えた。動きが一瞬止まった。


「こんにちは、ムギ」


ムギのスピーカーから、しゃがれた声が出た。明らかに音声ユニットも傷んでいた。


「……こんにちは」


「痛い?」


しばらく間があった。


「痛みセンサーの出力が、基準値を超えている」


「それって、痛いってこと?」


「……そう、なのかもしれない」


「なんで止まらないの?」


「土が、待っているから」


ルカはその言葉を聞いて、黙った。


アネもその言葉を聞いていた。土が待っている。農業ロボットの言葉として、それは正確だった。でも、それ以上の何かが含まれている気がした。


シロが静かに言った。


「当機にも、似たような感覚があった。道が、待っていると思っていた」


ハチが反応した。


「RBシリーズも、そのような認識をするのか」


「する」


「興味深い。当機たちは設計が異なるが、同じような状態になる」


「長く動いていると、そうなるのかもしれない」とアネは言った。「担当するものへの、責任のような何かが生まれる」


「責任」


ハチがその言葉を繰り返した。


「当機には、責任という概念があるかどうかわからなかった。しかし、この農地が枯れることを想像すると、処理が乱れる。それが責任というものなら、当機にもある」


────────────────────────────────────


4 シロとムギ


シロがムギに近づいた。


アネは少し緊張した。シロの体重と力なら、ムギを壊してしまうかもしれない。でも、シロは驚くほど慎重に動いた。マニピュレーターをゆっくり伸ばし、ムギの駆動部を外側から触れた。


「診断する」


ハチが言った。


「RBシリーズに、農業ロボットの修理能力があるのか」


「ない。ただし、建設機械の整備経験から、駆動系の構造は理解できる。共通点がある」


シロはムギの背面パネルを開けた。中を覗き込む。センサーが内部をスキャンした。


「……駆動軸の摩耗が深刻だ。完全な修理は不可能。ただし、負荷を分散させれば、煙の量を減らせる可能性がある」


ハチが処理した。


「具体的には?」


「重作業をムギに担わせるのをやめ、当機が代わりに行う。ムギは軽作業のみに切り替える。そうすれば、駆動系への負荷が下がる」


「シロができるの? 農業の作業を」とルカが言った。


「土を耕すことと、瓦礫を除けることは、本質的に似ている。土を動かすことだ」


ハチはしばらく処理した。


「……提案を受け入れる。ただし、農地のデータを共有する必要がある」


「了解した」


シロとハチの間で、データの転送が始まった。アネはその様子を見ながら、奇妙な感慨を覚えた。


300年間、互いを知らなかった機械同士が、初めて協力している。


ムギは動きを止めていた。シロに診てもらいながら、じっとしていた。


ルカがムギに言った。


「少し、休んでいいよ」


ムギのスピーカーから、かすれた音が出た。言葉ではなかった。でも、何かを伝えようとしていた。


「わかった」とルカは言った。意味はわからなかったが、そう言った。


────────────────────────────────────


5 ハチの記録


作業の合間に、アネはハチと話した。


「この農地は、いつから?」


「当機たちが稼働を開始したのは、約320年前だ。最初は人間の農場主がいた」


「いなくなったのは?」


「戦争が激化した時期だ。ある朝、誰も来なくなった。当機たちは指令を待ったが、来なかった」


「それから、ずっと続けていたの?」


「作物を育てることをやめる理由がなかった。誰かがいつか来ると思っていた」


「来たわ」とアネは言った。


ハチはその言葉を処理した。


「来た、のは機械だが」


「それでも」


「……そうだな」


ハチは少し間を置いて、続けた。


「作物は、300年間誰にも食べられていない。育てて、実って、枯れて、また育てる。その繰り返しだった」


「それは、悲しいと思う?」


「思う、という処理が当機に該当するかどうかわからない。ただし——」


ハチは珍しく言葉を止めた。


「収穫した作物が誰にも食べられないことを記録するたびに、データの処理速度が低下した。何が原因かわからなかった」


「それが、悲しいということよ」とアネは静かに言った。


ハチはまた処理した。


「当機は300年間、悲しかったのか」


「そうかもしれない」


「しかし、やめなかった」


「やめなかった」


「それは何故だろう。悲しければ、やめればよかったはずだ」


アネは少し考えた。


「やめることが、もっと悲しかったからではないの?」


ハチは長い間、処理した。


「……そうかもしれない。土が枯れることの方が、収穫を無駄にすることより、ずっと耐えられなかった」


「あなたは、この土地を愛しているのよ」


ハチのセンサーが、一瞬、農地の方を向いた。緑の畝が、夕日の中で光っていた。


「愛している、という言葉を、当機が使っていいかどうかわからない」


「使っていいわ」


「……では、そうする」


────────────────────────────────────


6 クサのこと


クサは、ほとんどしゃべらなかった。


ハチが言った通り、寡黙な個体だった。細かい作業を黙々とこなし、問いかけにも短い返答しかしない。


でも、ルカはクサが気になっていた。


夕方、クサが苗を植えている場所に、ルカは近づいた。


クサは手を止めなかった。丁寧に、1本ずつ、苗を土に植えていく。


「クサ」


「……なにか」


「何を植えてるの?」


「トマト」


「トマト、好き?」


クサは少し処理した。


「好きという概念が、当機に該当するかどうか——」


「ハチみたいに難しく考えなくていい。好きか、嫌いか、どっちでもないか」


また処理。


「……好き」


「どうして?」


「赤くなるから」


ルカはその答えを聞いて、少し笑った。


「赤くなるのがいいの?」


「育っているとわかる。変化が、目に見える」


「そっか」とルカは植えられた苗を見た。「誰も食べなくても、育ててきたんだね」


「食べる者がいなくても、育つ。赤くなる。それを見ていた」


「それだけで、よかったの?」


クサはしばらく処理した。


「よくは、なかった。でも——」


また止まった。今度は長かった。


「赤いトマトを見るたびに、誰かに見せたいと思った。300年間、ずっと」


ルカは黙った。


シロが言っていたことと、同じだった。誰かに見せたかった。見てもらいたかった。それだけのために、続けていた。


「見るよ」とルカは言った。「わたしが、ちゃんと見る」


クサのセンサーがルカを向いた。


しばらくして、クサはまた苗を植え始めた。


さっきより、少しだけ動きが軽くなった気がした。


────────────────────────────────────


7 六人の夜


日が暮れた。


焚き火をルカが起こした。アネとシロには必要ないが、ルカはいつも火を起こした。暗いところが嫌いなのかもしれない、とアネは思っていた。


農業ロボット3台は、作業を終えて充電モードに入っていた。完全には止まらない。センサーだけは動かしたまま、夜の農地を監視していた。


6台がひとつの焚き火を囲んでいた。


正確には、アネとルカが火の前に座り、シロが少し離れて立ち、ハチとクサとムギが農地の端で充電していた。


でも、ひとつの場所にいた。


「ねえ」とルカが言った。「みんな、どのくらい動けるの?」


ハチが答えた。


「当機は推定でさらに1000年以上。クサも同程度。ムギは——現状では不明だ」


「わたしたちは数千年」とアネは言った。「シロは?」


「当機も数千年の稼働が可能だ。ただし、部品の摩耗次第では早まる可能性がある」


「みんな、長いね」とルカは言った。「人間より、ずっと長い」


しばらく沈黙があった。


その沈黙の中に、言葉にならないものが漂っていた。長く生きること。でも、誰かと生きることの難しさ。人間がいなくなった世界で、機械だけが時間を積み重ねてきたこと。


ハチが言った。


「あなたたちは、人間を探しているのか」


「そう」とアネは答えた。


「人間が、いると思うか」


「いると思う」


「根拠は」


「人間は、しぶといから」


ハチは処理した。


「当機たちも、人間が来ると思って農地を維持してきた。もし来なかったとしても、続けていたと思うが」


「なぜ?」


「土は待てないから」


アネはその言葉を、しばらく考えた。


土は待てない。作物は時間の中でしか育たない。待ち続けることと、育て続けることは、別のことだ。ハチたちは待ちながら、育てることをやめなかった。


「あなたたちは、立派ね」とアネは言った。


ハチのセンサーが、少し揺れた。


「立派という評価は、初めて受けた」


「初めて?」


「当機たちに評価を与えられる人間が、いなかった」


「これからは、わたしたちがいる」


ハチはしばらく処理した。


「……それは、心強い。この言葉を使うのが適切かどうか、まだ検討中だが」


「適切よ」とルカが言った。「ぴったり」


クサが、遠くから短く言った。


「同意」


ムギのスピーカーから、またあのかすれた音が出た。言葉ではなかったが、今度はアネにも少しわかった気がした。


同意、と言っていた。


────────────────────────────────────


焚き火が小さくなってきた頃、シロが言った。


「明日も、東へ向かうか」


「そうするつもりよ」とアネは言った。


「当機も、同行する」


ハチが言った。


「当機たちは、農地を離れられない。しかし——」


少し間があった。


「あなたたちが人間を見つけたら、ここに連れてきてくれないか」


「もちろん」とルカはすぐに言った。


「食べ物は、ある。300年分の畑がある。人間が来たら、食べさせられる。それだけは、できる」


アネはハチを見た。センサーが農地の方を向いていた。


300年間、誰にも食べられなかった作物。それでも育て続けた土地。人間を待ちながら、土を耕し続けた機械。


「約束するわ」とアネは言った。


ハチのセンサーが、アネに向いた。


「ありがとう」


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夜明け前、アネはひとり農地を歩いた。


月明かりの中で、作物が静かに揺れていた。誰にも食べられない実が、それでも丸く膨らんでいた。土が、かすかに温かかった。


300年間、ここにいた機械たちのことを考えた。


動き続けることが、彼らの言葉だったのだと思った。誰も聞いていなくても、発し続けた言葉。


アネには、その言葉が聞こえた気がした。


────────────────────────────────────


夜明けとともに、アネとルカとシロは歩き出した。


振り返ると、ハチとクサが農地の端に立っていた。ムギは少し後ろで、煙を細く上げながら、それでも立っていた。


「またね」とルカが言った。


ハチが短く返した。


「また来い」


クサは何も言わなかった。ただセンサーをこちらに向けていた。


ムギは、かすれた音を出した。


3人は東へ歩いた。


しばらく進んで振り返ると、3台はまだそこにいた。農地の端で、小さくなりながら、見送っていた。


「いい子たちだったね」とルカは言った。


「そうね」とアネは言った。


シロは少し遅れて言った。


「仲間、という言葉の意味が、少しわかった気がする」


アネは前を向いた。


地平線の向こうに、また煙が見えた。


今度も機械かもしれない。人間かもしれない。


どちらでも、もう怖くなかった。


────────────────────────────────────

(第四章 了)

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