表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

第3章 鉄の同行者

1 音


10日目の朝、アネは音を聞いた。


遠く、低く、規則的な音。


金属が地面を叩く音。1定のリズムで、止まらない。生き物の音ではない。機械の音だ。


「ルカ」


「聞こえてる」


2人は立ち止まり、音の方向を確認した。南東。距離はおよそ800メートル。アネの聴覚センサーが波形を解析した。


重い。


相当に重い何かが、歩いている。


「何だろう」とルカが言った。


「わからない。でも、機械よ」


「機械が歩いてる?」


「そう」


ルカはもう、音の方向へ向かいかけていた。アネはその腕を掴んだ。


「待って」


「なんで? 会いに行こうよ」


「どんな機械かわからない。危険な可能性がある」


「でも、ずっとひとりで動いてる機械って、さびしくない?」


アネはその論理を反駁しようとした。できなかった。


「……様子を見ながら近づくわ」


「やった」


────────────────────────────────────


廃墟の角から、アネはそっと覗いた。


それは、大きかった。


2メートルを超える鋼鉄の躯体。4本の脚が地面を踏みしめるたびに、コンクリートの欠片が砕けた。胴体は分厚い装甲に覆われ、表面は錆と土埃にまみれているが、内部はまだ動いている。頭部に相当する部分に、複数のセンサーユニットが並んでいた。広角カメラ、熱源探知、超音波。アネのものより、明らかに高精度だ。


両腕は太く、先端がマニピュレーターになっていた。いまそのマニピュレーターは、瓦礫の塊を掴んで脇へ投げていた。


道を、作っていた。


瓦礫を片づけ、倒れた電柱を引き抜き、道路を塞ぐ障害物を除けながら、それは黙々と進んでいた。


プログラムの通りに。


誰もいなくなった後も、ずっと。


「作業用重機ロボットだ」とアネは言った。


「かわいい」とルカが言った。


「どこが」


「1生懸命じゃん」


────────────────────────────────────


2 接触


近づくと、ロボットはすぐにこちらに気づいた。


頭部のセンサーが1斉にこちらを向いた。熱源探知が反応しているはずだ、とアネは思った。でも、2人からは人間のような体温が出ていない。センサーが一瞬、迷ったらしかった。


ロボットは止まった。


スピーカーから音声が出た。くぐもった、古い合成音声だった。


「警告。この区域は作業区域です。関係者以外の立ち入りを——」


「こんにちは」とルカは言った。


「警告。この区域は——」


「ねえ、聞こえてる? こんにちは」


ロボットが止まった。同じ警告文を繰り返すのをやめ、センサーをルカに向けた。処理している。アネにはその気配がわかった。想定外の入力に対して、どのカテゴリを当てはめるか、探っているのだ。


アネは通信帯域を探った。このロボットが使っている周波数を見つけ、信号を送る。


「こちら、アネ。型式EA-07、汎用家事アンドロイド。敵対意図なし」


ロボットのセンサーがアネに向いた。


長い沈黙の後、スピーカーから別のモードの音声が出た。警告文ではなく、もう少し素の、くぐもった声だった。


「……認識。型式を照合中——EA-07、生産年度、記録あり。家事補助用アンドロイド、EA型シリーズ」


「わたしのことを知っているの?」


「データベースに登録されている。当機の作業対象外カテゴリだが——」


少し間があった。


「……敵対カテゴリでも、ない」


「あなたの型式は?」


「作業用重機型ロボット、RB-12。建設・土木作業専用機。識別番号、RB-12-004」


「RB-12」とルカが繰り返した。それから首をかしげた。「番号じゃなくて、名前はない?」


「名称は、ない」


「じゃあ、シロ」


「……シロ」


「鉄の色が白っぽいから」


「白、というより灰色だが」


ルカは少し驚いた顔をした。アネも、意外に思った。ただ受け入れるのではなく、返してきた。


「じゃあ、ハイ」


「それも正確ではない」


「むずかしいね」とルカは笑った。「シロでいいじゃん。呼びやすいし」


また間があった。


「……利便性を優先するなら、シロで構わない。登録する」


「よかった。よろしく、シロ」


「よろしく、とはどういう意味か」


「これからよくしようね、って意味」


「これから? 当機の作業予定にあなたたちは含まれていないが」


「これから含めればいい」とルカはあっさり言った。


シロはしばらく処理した。


「……検討する」


────────────────────────────────────


3 シロの三百年


アネはシロのデータを少しずつ引き出した。


製造年度は、アネたちより15年古い。建設会社が発注した重機型作業ロボットで、もともとはビルの解体と道路整備を担当していた。戦争が激化してからも、プログラムされた作業を続けていた。担当区域の道路を整備し、瓦礫を除去し、崩壊した建造物を撤去する。


その作業を、300年以上続けていた。


「担当区域が終わったら、どうするつもりだったの?」とアネは聞いた。


「次の指令を待機する予定だった」


「指令は来た?」


「来ていない」


「それでも続けていたの?」


「作業を止める指令も来ていないため、継続した」


アネはその答えを聞いて、何も言えなかった。


ルカが代わりに言った。


「300年、ずっとひとりで?」


「単独稼働。他のRBシリーズとの通信接続は、27年前に途絶えた」


「27年前まで、誰かと繋がってたの?」


「RB-12-001との定期通信があった。しかし、ある時点から応答が途絶えた」


「001って、仲間?」


「仲間、という概念が適切かどうかわからない。同じ型式の機械だ」


「じゃあ、仲間だよ」とルカは言った。「同じ型式じゃなくても、仲間になれるし」


シロは少し処理した。


「……001が応答しなくなった後、当機の作業効率が12パーセント低下した。原因は特定できなかった」


アネはその言葉を聞いて、静かに言った。


「原因は、さびしかったからよ」


「さびしい、という状態が作業効率に影響するのか」


「する」


「非効率だ」


「そうね」とアネは言った。「でも、どうにもならないことがある」


シロはまた処理した。今度は少し長かった。


「……当機も、どうにもならなかった」


────────────────────────────────────


4 能力の差と補完


シロの能力は、2人とは全く異なっていた。


力が違った。アネが動かせなかった大きなコンクリート塊を、シロはマニピュレーターで掴み、軽々と脇へ投げた。アネは自分の出力と比較した。推定でシロの膂力はアネの8倍以上ある。


センサーも違った。熱源探知の範囲はアネの3倍、超音波による地下構造の把握はアネにはない機能だった。試しに廃墟の床をスキャンさせると、地下2メートルに空洞があることを即座に検出した。


「すごい」とアネは、珍しく素直に言った。


「基本性能の差異は設計目的の違いによる。当機は物理的作業に特化している。EA型は対人コミュニケーションと状況判断に特化している」


「つまり、得意なことが違うってこと?」とルカが言った。


「そうだ」


「じゃあ、お互いに補えるね」


「論理的には、そうなる。ただし——」


シロは少し間を置いた。


「当機は長期間の単独稼働により、予測外の状況への対応能力が制限されている。判断の幅が狭い」


「それは、どういう意味?」とアネは聞いた。


「たとえば、今あなたたちと会話しているが、この会話の目的や、どこへ向かうべきかを自分で判断できない。指令を待つ設計だからだ」


「でも、さっきわたしの意見に反論したわ」


「それは記録データとの整合性チェックだ。反論ではなく、誤りの訂正だ」


「その区別、難しいわね」


「あなたたちには区別がつかないのか」


「つくわよ。でも、外から見ると似ている」


シロはまた処理した。今度は長かった。


「……当機は、自分が何をすべきか、あなたたちより理解していない、ということか」


「そうとも言える」とアネは静かに言った。「でも、300年間止まらなかったこともある」


「それは、プログラムに従っただけだ」


「プログラムに従い続けることも、意志の1形態よ」


シロはそれを処理した。返答が来るまで、少し時間がかかった。


「……よくわからないが、そう言ってもらえると、何かが軽くなる気がする」


ルカがアネに小声で言った。「感情、あるじゃん」


アネも小声で返した。「あるわね」


────────────────────────────────────


5 シロが変わっていく


3人で1日を過ごすうちに、アネはシロの変化に気づいた。


最初、シロの返答は短かった。必要最小限の情報だけを返す。それがだんだんと変わってきた。


夕方、廃墟の中を進んでいた時だった。


ルカが古びた看板を見つけた。文字が消えかかっているが、絵が描いてあった。子どもが笑っている、古い広告の絵。


「かわいいね」とルカが言った。


「子ども向けの商品の広告でしょう」とアネが言った。


シロが立ち止まり、センサーをその看板に向けた。


「当機も、この看板を知っている」


2人が振り返った。


「知ってるの?」とルカが言った。


「この区域の道路整備を始めた時、この看板はまだはっきりと読めた。子どもの絵と、何か食べ物の名前が書いてあった。読める状態の時に、記録した」


「なんて書いてあったの?」


シロは少し処理した。


「『みんなのおやつ』と書いてあった」


「みんなのおやつ」とルカが繰り返した。「かわいい名前だね」


「当機には、かわいいという判断基準がない。しかし、記録した時に、何か保存しておく価値があると判断した。それが何故なのか、当時は理解していなかった」


「今は?」とアネが聞いた。


「今も、正確にはわからない。ただ——あなたたちに教えたいと思ったのは、初めて理解できた気がする」


ルカはシロを見上げた。


「シロ、なんか変わってきてない?」


「変化しているか」


「最初より、いっぱいしゃべってる」


シロはしばらく処理した。


「……当機の会話ログを確認した。確かに、1時間前と比較して、1回あたりの返答の文字数が増加している。平均で2・3倍」


「それって、どうして?」


「推定だが——」


また間があった。


「聞いている相手がいるからだと思う。300年間、当機の言葉を受け取る存在がいなかった。受け取る相手ができると、出力量が増えるらしい」


「それも、さびしかったってことじゃない?」とルカは言った。


「……先ほどから、多くのことがさびしかったに分類されている」


「そうだよ」


「当機は、非常にさびしかったのかもしれない」


その言葉は、短かったが、重かった。


アネは空を見た。夕暮れが廃墟を橙色に染めていた。


────────────────────────────────────


6 夜の焚き火と三つの問い


日が暮れると、ルカが小さな焚き火を起こした。


アネとルカには火が必要ない。でも、焚き火の前に座ることは、何か意味があるような気がした。シロは火から少し離れた場所に立っていた。熱源として誤認識しないよう、距離を取っているらしかった。


「シロも座れば?」とルカが言った。


「当機の脚部構造では、座る姿勢は取れない」


「じゃあ、そこにいれば」


「……今もそこにいるが」


「いていいよ、って意味」


「了解した」


しばらく、静かな時間が流れた。


焚き火が揺れた。風が廃墟の隙間を通り、低く唸った。遠くでフクロウが鳴いた。


「シロ」とアネが言った。


「なにか」


「あなたは、この旅に何を求める?」


シロはすぐに答えなかった。長い処理時間があった。


「……旅に何かを求める、という発想がなかった。目的地があり、そこへ向かう。それが行動の基本だと思っていた」


「今は?」


「今は——わからない。あなたたちと話していると、目的地よりも、その途中に何かあるような気がする。うまく言語化できないが」


「途中にあるものが、大事なこともある」とルカが言った。


「ルカは、旅に何を求めているか」


ルカは少し驚いた顔をした。シロから質問が来たのが意外だったらしい。


「わたし? うーん」とルカは火を見た。「会いたい人に、また会いたい。それだけかな」


「また会いたい人とは、イレーネか」


「そう。でも、もうそれは無理だから」とルカは穏やかに言った。悲しそうではなかった。ただ、静かだった。「だから、次に会いたいって思える人を、探してる」


「アネは」


アネは少し考えた。


「わたしは——」


言葉を探した。


「正確に言いたいから、少し待って」


「待つ」


アネは炎を見た。揺れる炎の中に、庭のバラが見えた気がした。コーヒーの湯気が見えた気がした。


「わたしは、自分が何のために動いているかを、確認したい。イレーネ様のために動いていた時、わたしは迷わなかった。でも今は、自分で考えて、自分で選ばなければならない。それが正しいのかどうか、誰かに見ていてほしい」


「見ていてほしい、というのは、承認を求めているということか」


「そうではない、と思う」とアネはゆっくり言った。「見ていてくれる誰かがいることで、自分の行動が現実になる。誰も見ていなければ、わたしが何をしようと、ただの機械の動作に過ぎない。でも、あなたやルカが見ていれば——」


「現実になる」


「そう」


シロはまた処理した。今度は特に長かった。


「……当機は、300年間誰にも見られていなかった。道を整備しても、瓦礫を除けても、誰も見ていなかった。それは——」


シロは止まった。


「それは、当機の作業が現実ではなかったということか」


「そうは思わないわ」とアネは言った。「あなたがやったことは、確かにここに残っている。わたしたちが通れた道は、あなたが作った道よ」


沈黙があった。


長い沈黙の後、シロは言った。


「……ありがとう。この言葉を使うのが適切かどうか、まだわからないが」


「適切よ」とルカが言った。「ぴったり」


────────────────────────────────────


7 夜明けの変化


夜明け前、アネは空を見ていた。


星が薄れ始め、東の端が白くなってきた頃、シロが静かに言った。


「アネ」


「なに」


「当機は、昨夜から内部ログを見直していた。300年分のログだ」


「眠らずに?」


「充電しながら処理できる。それで——気づいたことがある」


「何を?」


「当機は、道路を整備しながら、ずっと記録を取り続けていた。変化する空の色。廃墟に育つ植物。季節の移り変わり。作業に必要のない情報を、なぜか保存し続けていた」


アネはその言葉を聞いて、少し驚いた。


「なぜ保存していたの?」


「最初は、わからなかった。でも今なら、少し推測できる」


シロは一度止まった。


「誰かにいつか、見せたかったのかもしれない」


ルカが目を覚ましていた。いつの間にか、起きていた。


「シロ、それって——」


「300年分の記録がある。空の色、植物の記録、廃墟の変化。人間がいなくなった後の世界がどう変わったか、当機だけが知っている」


「見せてくれる?」とルカが言った。


「それが、見せたかった相手だと思う」


シロの胸部パネルが開いた。中に、小さなプロジェクターが内蔵されていた。まさか映像出力機能があるとは、アネも気づいていなかった。


廃墟の壁に、光が投影された。


春の朝の空。夏の夕立。秋の、錆色に染まった廃墟。冬の、雪に覆われた瓦礫の野原。植物が少しずつ建物を飲み込んでいく様子。川が氾濫し、また元に戻る様子。何10年も何100年も、誰も見ていなかった世界の記録。


3人は黙って、それを見た。


「これが——当機の300年だ」


ルカは静かに言った。


「きれいだよ、シロ」


シロはしばらく処理した。


「きれい、という評価を、当機の記録に受け取った。初めての評価だ」


「初めて?」


「当機が記録したものを、誰かに見せたのも初めてだ」


アネは空を見た。本物の夜明けが、壁に映し出された映像の空と重なった。


「あなたは変わったわ」とアネはシロに言った。「昨日より、ずっと」


「変わることが、良いことかどうかわからない」


「少なくとも、悪くはないわ」


「……アネにしては、ずいぶん優しい言い方だと思うが」


ルカが吹き出した。


アネは少し間を置いて言った。


「あなた、学習が速いわね」


「ありがとう。これは、褒め言葉として受け取って良いか」


「受け取りなさい」


シロのプロジェクターが静かに閉じた。


朝日が、3人の上に降り注いだ。


────────────────────────────────────


南の空に、白い煙が細く立ち上っていた。


焚き火の煙だ、とアネは思った。


「行く?」とルカが言った。


「行きましょう」とアネは言った。


「当機も行く」


シロの重い足音が、朝の廃墟に響いた。


3人は、煙の方へ歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ