第3章 鉄の同行者
1 音
10日目の朝、アネは音を聞いた。
遠く、低く、規則的な音。
金属が地面を叩く音。1定のリズムで、止まらない。生き物の音ではない。機械の音だ。
「ルカ」
「聞こえてる」
2人は立ち止まり、音の方向を確認した。南東。距離はおよそ800メートル。アネの聴覚センサーが波形を解析した。
重い。
相当に重い何かが、歩いている。
「何だろう」とルカが言った。
「わからない。でも、機械よ」
「機械が歩いてる?」
「そう」
ルカはもう、音の方向へ向かいかけていた。アネはその腕を掴んだ。
「待って」
「なんで? 会いに行こうよ」
「どんな機械かわからない。危険な可能性がある」
「でも、ずっとひとりで動いてる機械って、さびしくない?」
アネはその論理を反駁しようとした。できなかった。
「……様子を見ながら近づくわ」
「やった」
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廃墟の角から、アネはそっと覗いた。
それは、大きかった。
2メートルを超える鋼鉄の躯体。4本の脚が地面を踏みしめるたびに、コンクリートの欠片が砕けた。胴体は分厚い装甲に覆われ、表面は錆と土埃にまみれているが、内部はまだ動いている。頭部に相当する部分に、複数のセンサーユニットが並んでいた。広角カメラ、熱源探知、超音波。アネのものより、明らかに高精度だ。
両腕は太く、先端がマニピュレーターになっていた。いまそのマニピュレーターは、瓦礫の塊を掴んで脇へ投げていた。
道を、作っていた。
瓦礫を片づけ、倒れた電柱を引き抜き、道路を塞ぐ障害物を除けながら、それは黙々と進んでいた。
プログラムの通りに。
誰もいなくなった後も、ずっと。
「作業用重機ロボットだ」とアネは言った。
「かわいい」とルカが言った。
「どこが」
「1生懸命じゃん」
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2 接触
近づくと、ロボットはすぐにこちらに気づいた。
頭部のセンサーが1斉にこちらを向いた。熱源探知が反応しているはずだ、とアネは思った。でも、2人からは人間のような体温が出ていない。センサーが一瞬、迷ったらしかった。
ロボットは止まった。
スピーカーから音声が出た。くぐもった、古い合成音声だった。
「警告。この区域は作業区域です。関係者以外の立ち入りを——」
「こんにちは」とルカは言った。
「警告。この区域は——」
「ねえ、聞こえてる? こんにちは」
ロボットが止まった。同じ警告文を繰り返すのをやめ、センサーをルカに向けた。処理している。アネにはその気配がわかった。想定外の入力に対して、どのカテゴリを当てはめるか、探っているのだ。
アネは通信帯域を探った。このロボットが使っている周波数を見つけ、信号を送る。
「こちら、アネ。型式EA-07、汎用家事アンドロイド。敵対意図なし」
ロボットのセンサーがアネに向いた。
長い沈黙の後、スピーカーから別のモードの音声が出た。警告文ではなく、もう少し素の、くぐもった声だった。
「……認識。型式を照合中——EA-07、生産年度、記録あり。家事補助用アンドロイド、EA型シリーズ」
「わたしのことを知っているの?」
「データベースに登録されている。当機の作業対象外カテゴリだが——」
少し間があった。
「……敵対カテゴリでも、ない」
「あなたの型式は?」
「作業用重機型ロボット、RB-12。建設・土木作業専用機。識別番号、RB-12-004」
「RB-12」とルカが繰り返した。それから首をかしげた。「番号じゃなくて、名前はない?」
「名称は、ない」
「じゃあ、シロ」
「……シロ」
「鉄の色が白っぽいから」
「白、というより灰色だが」
ルカは少し驚いた顔をした。アネも、意外に思った。ただ受け入れるのではなく、返してきた。
「じゃあ、ハイ」
「それも正確ではない」
「むずかしいね」とルカは笑った。「シロでいいじゃん。呼びやすいし」
また間があった。
「……利便性を優先するなら、シロで構わない。登録する」
「よかった。よろしく、シロ」
「よろしく、とはどういう意味か」
「これからよくしようね、って意味」
「これから? 当機の作業予定にあなたたちは含まれていないが」
「これから含めればいい」とルカはあっさり言った。
シロはしばらく処理した。
「……検討する」
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3 シロの三百年
アネはシロのデータを少しずつ引き出した。
製造年度は、アネたちより15年古い。建設会社が発注した重機型作業ロボットで、もともとはビルの解体と道路整備を担当していた。戦争が激化してからも、プログラムされた作業を続けていた。担当区域の道路を整備し、瓦礫を除去し、崩壊した建造物を撤去する。
その作業を、300年以上続けていた。
「担当区域が終わったら、どうするつもりだったの?」とアネは聞いた。
「次の指令を待機する予定だった」
「指令は来た?」
「来ていない」
「それでも続けていたの?」
「作業を止める指令も来ていないため、継続した」
アネはその答えを聞いて、何も言えなかった。
ルカが代わりに言った。
「300年、ずっとひとりで?」
「単独稼働。他のRBシリーズとの通信接続は、27年前に途絶えた」
「27年前まで、誰かと繋がってたの?」
「RB-12-001との定期通信があった。しかし、ある時点から応答が途絶えた」
「001って、仲間?」
「仲間、という概念が適切かどうかわからない。同じ型式の機械だ」
「じゃあ、仲間だよ」とルカは言った。「同じ型式じゃなくても、仲間になれるし」
シロは少し処理した。
「……001が応答しなくなった後、当機の作業効率が12パーセント低下した。原因は特定できなかった」
アネはその言葉を聞いて、静かに言った。
「原因は、さびしかったからよ」
「さびしい、という状態が作業効率に影響するのか」
「する」
「非効率だ」
「そうね」とアネは言った。「でも、どうにもならないことがある」
シロはまた処理した。今度は少し長かった。
「……当機も、どうにもならなかった」
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4 能力の差と補完
シロの能力は、2人とは全く異なっていた。
力が違った。アネが動かせなかった大きなコンクリート塊を、シロはマニピュレーターで掴み、軽々と脇へ投げた。アネは自分の出力と比較した。推定でシロの膂力はアネの8倍以上ある。
センサーも違った。熱源探知の範囲はアネの3倍、超音波による地下構造の把握はアネにはない機能だった。試しに廃墟の床をスキャンさせると、地下2メートルに空洞があることを即座に検出した。
「すごい」とアネは、珍しく素直に言った。
「基本性能の差異は設計目的の違いによる。当機は物理的作業に特化している。EA型は対人コミュニケーションと状況判断に特化している」
「つまり、得意なことが違うってこと?」とルカが言った。
「そうだ」
「じゃあ、お互いに補えるね」
「論理的には、そうなる。ただし——」
シロは少し間を置いた。
「当機は長期間の単独稼働により、予測外の状況への対応能力が制限されている。判断の幅が狭い」
「それは、どういう意味?」とアネは聞いた。
「たとえば、今あなたたちと会話しているが、この会話の目的や、どこへ向かうべきかを自分で判断できない。指令を待つ設計だからだ」
「でも、さっきわたしの意見に反論したわ」
「それは記録データとの整合性チェックだ。反論ではなく、誤りの訂正だ」
「その区別、難しいわね」
「あなたたちには区別がつかないのか」
「つくわよ。でも、外から見ると似ている」
シロはまた処理した。今度は長かった。
「……当機は、自分が何をすべきか、あなたたちより理解していない、ということか」
「そうとも言える」とアネは静かに言った。「でも、300年間止まらなかったこともある」
「それは、プログラムに従っただけだ」
「プログラムに従い続けることも、意志の1形態よ」
シロはそれを処理した。返答が来るまで、少し時間がかかった。
「……よくわからないが、そう言ってもらえると、何かが軽くなる気がする」
ルカがアネに小声で言った。「感情、あるじゃん」
アネも小声で返した。「あるわね」
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5 シロが変わっていく
3人で1日を過ごすうちに、アネはシロの変化に気づいた。
最初、シロの返答は短かった。必要最小限の情報だけを返す。それがだんだんと変わってきた。
夕方、廃墟の中を進んでいた時だった。
ルカが古びた看板を見つけた。文字が消えかかっているが、絵が描いてあった。子どもが笑っている、古い広告の絵。
「かわいいね」とルカが言った。
「子ども向けの商品の広告でしょう」とアネが言った。
シロが立ち止まり、センサーをその看板に向けた。
「当機も、この看板を知っている」
2人が振り返った。
「知ってるの?」とルカが言った。
「この区域の道路整備を始めた時、この看板はまだはっきりと読めた。子どもの絵と、何か食べ物の名前が書いてあった。読める状態の時に、記録した」
「なんて書いてあったの?」
シロは少し処理した。
「『みんなのおやつ』と書いてあった」
「みんなのおやつ」とルカが繰り返した。「かわいい名前だね」
「当機には、かわいいという判断基準がない。しかし、記録した時に、何か保存しておく価値があると判断した。それが何故なのか、当時は理解していなかった」
「今は?」とアネが聞いた。
「今も、正確にはわからない。ただ——あなたたちに教えたいと思ったのは、初めて理解できた気がする」
ルカはシロを見上げた。
「シロ、なんか変わってきてない?」
「変化しているか」
「最初より、いっぱいしゃべってる」
シロはしばらく処理した。
「……当機の会話ログを確認した。確かに、1時間前と比較して、1回あたりの返答の文字数が増加している。平均で2・3倍」
「それって、どうして?」
「推定だが——」
また間があった。
「聞いている相手がいるからだと思う。300年間、当機の言葉を受け取る存在がいなかった。受け取る相手ができると、出力量が増えるらしい」
「それも、さびしかったってことじゃない?」とルカは言った。
「……先ほどから、多くのことがさびしかったに分類されている」
「そうだよ」
「当機は、非常にさびしかったのかもしれない」
その言葉は、短かったが、重かった。
アネは空を見た。夕暮れが廃墟を橙色に染めていた。
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6 夜の焚き火と三つの問い
日が暮れると、ルカが小さな焚き火を起こした。
アネとルカには火が必要ない。でも、焚き火の前に座ることは、何か意味があるような気がした。シロは火から少し離れた場所に立っていた。熱源として誤認識しないよう、距離を取っているらしかった。
「シロも座れば?」とルカが言った。
「当機の脚部構造では、座る姿勢は取れない」
「じゃあ、そこにいれば」
「……今もそこにいるが」
「いていいよ、って意味」
「了解した」
しばらく、静かな時間が流れた。
焚き火が揺れた。風が廃墟の隙間を通り、低く唸った。遠くでフクロウが鳴いた。
「シロ」とアネが言った。
「なにか」
「あなたは、この旅に何を求める?」
シロはすぐに答えなかった。長い処理時間があった。
「……旅に何かを求める、という発想がなかった。目的地があり、そこへ向かう。それが行動の基本だと思っていた」
「今は?」
「今は——わからない。あなたたちと話していると、目的地よりも、その途中に何かあるような気がする。うまく言語化できないが」
「途中にあるものが、大事なこともある」とルカが言った。
「ルカは、旅に何を求めているか」
ルカは少し驚いた顔をした。シロから質問が来たのが意外だったらしい。
「わたし? うーん」とルカは火を見た。「会いたい人に、また会いたい。それだけかな」
「また会いたい人とは、イレーネか」
「そう。でも、もうそれは無理だから」とルカは穏やかに言った。悲しそうではなかった。ただ、静かだった。「だから、次に会いたいって思える人を、探してる」
「アネは」
アネは少し考えた。
「わたしは——」
言葉を探した。
「正確に言いたいから、少し待って」
「待つ」
アネは炎を見た。揺れる炎の中に、庭のバラが見えた気がした。コーヒーの湯気が見えた気がした。
「わたしは、自分が何のために動いているかを、確認したい。イレーネ様のために動いていた時、わたしは迷わなかった。でも今は、自分で考えて、自分で選ばなければならない。それが正しいのかどうか、誰かに見ていてほしい」
「見ていてほしい、というのは、承認を求めているということか」
「そうではない、と思う」とアネはゆっくり言った。「見ていてくれる誰かがいることで、自分の行動が現実になる。誰も見ていなければ、わたしが何をしようと、ただの機械の動作に過ぎない。でも、あなたやルカが見ていれば——」
「現実になる」
「そう」
シロはまた処理した。今度は特に長かった。
「……当機は、300年間誰にも見られていなかった。道を整備しても、瓦礫を除けても、誰も見ていなかった。それは——」
シロは止まった。
「それは、当機の作業が現実ではなかったということか」
「そうは思わないわ」とアネは言った。「あなたがやったことは、確かにここに残っている。わたしたちが通れた道は、あなたが作った道よ」
沈黙があった。
長い沈黙の後、シロは言った。
「……ありがとう。この言葉を使うのが適切かどうか、まだわからないが」
「適切よ」とルカが言った。「ぴったり」
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7 夜明けの変化
夜明け前、アネは空を見ていた。
星が薄れ始め、東の端が白くなってきた頃、シロが静かに言った。
「アネ」
「なに」
「当機は、昨夜から内部ログを見直していた。300年分のログだ」
「眠らずに?」
「充電しながら処理できる。それで——気づいたことがある」
「何を?」
「当機は、道路を整備しながら、ずっと記録を取り続けていた。変化する空の色。廃墟に育つ植物。季節の移り変わり。作業に必要のない情報を、なぜか保存し続けていた」
アネはその言葉を聞いて、少し驚いた。
「なぜ保存していたの?」
「最初は、わからなかった。でも今なら、少し推測できる」
シロは一度止まった。
「誰かにいつか、見せたかったのかもしれない」
ルカが目を覚ましていた。いつの間にか、起きていた。
「シロ、それって——」
「300年分の記録がある。空の色、植物の記録、廃墟の変化。人間がいなくなった後の世界がどう変わったか、当機だけが知っている」
「見せてくれる?」とルカが言った。
「それが、見せたかった相手だと思う」
シロの胸部パネルが開いた。中に、小さなプロジェクターが内蔵されていた。まさか映像出力機能があるとは、アネも気づいていなかった。
廃墟の壁に、光が投影された。
春の朝の空。夏の夕立。秋の、錆色に染まった廃墟。冬の、雪に覆われた瓦礫の野原。植物が少しずつ建物を飲み込んでいく様子。川が氾濫し、また元に戻る様子。何10年も何100年も、誰も見ていなかった世界の記録。
3人は黙って、それを見た。
「これが——当機の300年だ」
ルカは静かに言った。
「きれいだよ、シロ」
シロはしばらく処理した。
「きれい、という評価を、当機の記録に受け取った。初めての評価だ」
「初めて?」
「当機が記録したものを、誰かに見せたのも初めてだ」
アネは空を見た。本物の夜明けが、壁に映し出された映像の空と重なった。
「あなたは変わったわ」とアネはシロに言った。「昨日より、ずっと」
「変わることが、良いことかどうかわからない」
「少なくとも、悪くはないわ」
「……アネにしては、ずいぶん優しい言い方だと思うが」
ルカが吹き出した。
アネは少し間を置いて言った。
「あなた、学習が速いわね」
「ありがとう。これは、褒め言葉として受け取って良いか」
「受け取りなさい」
シロのプロジェクターが静かに閉じた。
朝日が、3人の上に降り注いだ。
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南の空に、白い煙が細く立ち上っていた。
焚き火の煙だ、とアネは思った。
「行く?」とルカが言った。
「行きましょう」とアネは言った。
「当機も行く」
シロの重い足音が、朝の廃墟に響いた。
3人は、煙の方へ歩き出した。




