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第15章 最初の家

1 寄り道


東の盆地に向かう途中、アネは立ち止まった。


「少し、寄り道をしたい」


ルカが振り返った。


「どこへ?」


「最初の家に。わたしたちが目覚めた場所に」


ミツがシロの肩から言った。


「行こう。前に言った通り」


シロが言った。


「方向は?」


アネは記憶を辿った。300年以上前のデータ。でも、消えていなかった。


「北西に少し外れる。半日あれば着くはず」


「行く」とルカが言った。迷いなく。


────────────────────────────────────


道を変えた。


かつて自分たちが歩いた道を、逆に辿った。


シロの超音波が地形を確認し、マルが足元を点検した。カナタが周囲を見ていた。


ルカは歩きながら静かだった。


珍しかった。


「ルカ」とアネは言った。


「なに」


「何を考えている?」


「イレーネ様のことを考えてた」


「そうね」


「どんな気持ちがするかな、と思って」


「戻ったら?」


「うん。悲しいか、嬉しいか、どちらでもないか」


アネは少し考えた。


「わたしも、わからない。行ってみないと」


「そうだね」


ルカはまた黙った。


しばらくして言った。


「でも、行きたいと思った。だから、行く」


「それで充分よ」


「うん」


────────────────────────────────────


2 見えてきた


昼を過ぎた頃、見覚えのある地形になった。


かつての住宅地だった場所。道路の痕跡が、まだ残っていた。植物が縦横に這い上がっていたが、区画の形が見えた。


「近い」とアネは言った。


「覚えているの?」とルカが聞いた。


「覚えている。あの角を曲がれば——」


曲がった。


あった。


小さな家の残骸が、そこにあった。


屋根は落ちていた。壁の1部が崩れていた。でも、骨格は残っていた。蔓植物が全体を覆い、窓の枠に花が咲いていた。


庭があった。


かつて庭だった場所に、草が生い茂っていた。バラはなかった。でも、草の中に、形の違う植物が混ざっていた。


アネはそれを見た。


「バラよ」と言った。


「え?」とルカが言った。


「あの草の中に。野生化しているけれど、バラの株が残っている」


ルカが近づいた。


草をそっと分けると、棘のある茎が見えた。葉の形が違う。確かにバラだった。


「生きてた」とルカは言った。


声が、少し変わっていた。


「300年、生きていた」


────────────────────────────────────


全員が、家の前に集まった。


ミツがシロの肩から降りた。


家を見た。


「小さな家だな」


「そうね」とアネは言った。「でも、大きかった。わたしたちには」


「中に入れるか」


「入れると思う」


アネが先に入った。


内部は、外より荒れていた。床に土が積もり、天井が1部落ちていた。でも、壁が残っていた。窓枠が残っていた。


台所の形が残っていた。


アネはそこに立った。


ここでコーヒーを淹れていた。毎朝、イレーネの顔を見て、今日の1杯を決めて。


棚が残っていた。錆びた金属の棚。空だった。でも、形があった。


アネは棚に手を置いた。


冷たかった。


────────────────────────────────────


ルカが入ってきた。


部屋を見回した。


「ここ、わたしたちがいた部屋だよね」


「そうね」


「あそこに、カプセルがあった」


「地下よ」


「そうか。地下から出てきたんだっけ」


ルカは床を見た。


「地下への扉は?」


「あっちの壁の奥に、階段があるはず」


2人で探した。


土砂が積もっていたが、扉は残っていた。


開けた。


地下への階段が見えた。


ルカが降りようとした。


「待って」とアネは言った。「安全かどうか確認する」


マルが先に降りた。センサーで内部を調べた。


「ピ」


「大丈夫?」


「ピピ」


2人で降りた。


────────────────────────────────────


地下は、ほとんどそのままだった。


外の荒廃が、地下には届いていなかった。


2つのカプセルが、並んでいた。


蓋は開いていた。アネとルカが出た時のままだった。


ルカがカプセルに近づいた。


中を覗き込んだ。


「ここで、眠ってたんだね」


「そうね」


「312年」


「312年、4ヶ月、17日」


「アネ、そんなに正確に覚えてるの?」


「目が覚めた時に計算した。忘れていない」


ルカは自分のカプセルに手を当てた。


「狭い」


「そうね」


「こんなに小さい場所に、いたんだ」


「外が安全になるまで、待っていた」


「イレーネ様が、入れてくれた」


「そうね」


ルカはしばらく、カプセルを見ていた。


それから、そっと中に入った。


蓋は閉めなかった。ただ、そこに横になった。


「どうしたの?」とアネは言った。


「なんとなく」


「何を感じる?」


「狭い。でも——安心する」


「なぜ?」


「イレーネ様がいた頃の匂いが、残っている気がする」


アネはセンサーで調べた。


300年前の化学成分が、わずかに残っていた。有機物の痕跡。コーヒーの成分が、ほんのわずか。


「残っている」とアネは言った。「わずかに」


「ほんとに?」


「ほんとに」


ルカは目を閉じた。


しばらく、そのままでいた。


────────────────────────────────────


3 庭


地上に戻った。


ミツが庭を歩いていた。野生化したバラの株を、一つ一つ見ていた。


「元気だな」とミツは言った。


「300年、誰も手入れしなかったのに」とアネは言った。


「それが、植物の力だ。人間が手放しても、自分で生きていく」


「イレーネ様が、大切にしていたバラだった」


「そうか」


「毎年、丁寧に手入れをしていた。わたしとルカも、手伝った」


ミツはバラの株の前にしゃがんだ。


老いた手で、そっと茎に触れた。


「棘がある」


「そうね」


「バラはいつも、棘と一緒だ。綺麗だが、油断すると刺す」


「刺された記憶がある。ルカが」


「ルカが?」


「指から、機械液が滲んだ。ルカが痛い、と言った」


ミツは笑った。


「機械も、痛いのか」


「痛みセンサーがある。感じる」


「そうか。ならば——バラはちゃんと、ルカに挨拶したのかもしれない」


アネはその言葉を少し考えた。


「挨拶、か」


「棘で触れることが、バラの言葉かもしれない。ここにいる、という」


アネはバラを見た。


野生化した、でも確かに生きているバラ。


「ここにいる」とアネは繰り返した。


「そうだ」


────────────────────────────────────


シロが庭の端で言った。


「地盤を確認した。家の構造は、危険な状態ではない。しばらく、ここで過ごせる」


「ありがとう」とアネは言った。


カナタが建物の外側を巡回していた。護衛の習慣だった。でも、今日は少し違った。1か所に立ち止まり、窓の外から中を見ていた。


「カナタ、どうしたの?」とルカが言った。


「……内部を見ていた」


「何が見えた?」


「あなたたちが暮らしていた場所だと思って、見ていた」


「どんな気持ちだった?」


カナタは少し処理した。


「……温かい場所だったのだろう、と思った。壁の残り方が、丁寧に使われた家の残り方をしている」


「丁寧に使われた家の残り方?」とルカが言った。


「そうだ。長く使い込まれた場所は、壊れ方が違う。急に壊れた場所とは、違う。この家は——大事にされていた」


ルカはその言葉を聞いて、少し黙った。


「そんなことまで、わかるんだ」


「建物を見るのが、当機の仕事だったから」


「軍用機なのに?」


「建物を守ることも、任務のうちだった。守るためには、見ることが必要だ」


ルカはカナタを見た。


「カナタって、色々見えているんだね」


「今は、前より見える。センサーが直ってから」


「物だけじゃなくて、人も?」


カナタは少し処理した。


「……人も、少しずつわかるようになってきた。時間がかかるが」


「それが、一番大事かもしれない」


「そうかもしれない」


────────────────────────────────────


4 夜


その夜、家の前で過ごした。


焚き火をルカが起こした。


全員が集まった。7台と1人。


ミツが焚き火の前に座った。


「良い夜だ」とミツは言った。


「そうね」とアネは言った。


「こんな夜に、こんな場所で、こんな仲間と過ごすとは——想像していなかった」


「どんなことを想像していたの?」とルカが聞いた。


「1人で終わることを、考えていた。地下で、記録を書き続けて、ある日止まる。そう思っていた」


「でも、そうならなかった」


「そうならなかった」


ミツは焚き火を見た。


「あなたたちが来てくれたから」


「わたしたちも、1人では来られなかった」とアネは言った。


「どういう意味だ?」


「ルカがいなければ、目覚めた後に動けなかったかもしれない。シロと出会わなければ、道に迷っていた。ハチたちと出会わなければ、食料の場所を知らなかった。カナタがいなければ、危険なところを通れなかった。マルがいなければ、足元が危なかった。ソラがいなければ、地図を持てなかった。ユキを起こせなかった。あなたにも会えなかった」


「1つが欠けても、ここに来られなかった、か」


「そうね」


ミツは7台を見た。


「あなたたちは、お互いがいるから、ここにいる」


「そうよ」


「人間も、同じだ。誰か1人でも違えば、今の自分はいない。そういうものだ」


カナタが言った。


「当機は、長い間、1人で任務をしていた。それが当たり前だと思っていた。でも——今は、1人ではできないことをしている。それが、当たり前になってきた」


「どちらが良かった?」とミツが聞いた。


カナタは処理した。


「今の方が、良い」


「即答だな」


「即答して問題ない問いだった」


ミツは笑った。


────────────────────────────────────


火が小さくなってきた頃、ルカが言った。


「ねえ、ミツ。記録を書き続けてきて——後悔したことはある?」


「後悔?」


「こんなことをするために、生きてきたわけじゃない、とか。他のことをすれば良かった、とか」


ミツはしばらく考えた。


「後悔、か」


「あるなら、あると言っていい」


「正直に言えば——ある」


「何を?」


「もっと早く、外に出れば良かった、と思う。記録に没頭するあまり、外を知らなかった。もし早くから動いていれば、一緒にいた仲間たちと、もっと遠くへ行けたかもしれない」


「でも」とルカは言った。


「でも?」


「記録がなければ、わたしたちはこの都市で何があったか知れなかった。ミツが書き続けたから、残っている」


「そうかもしれない。でも——」


ミツは少し間を置いた。


「記録することと、生きることは、別のことだ。わたしは記録することに集中しすぎて、生きることをおろそかにした部分がある」


「今は?」


「今は、生きている」とミツは言った。「あなたたちと、ここで話しながら。これが、生きることだと思う。記録することより、大事なことかもしれない」


「どちらも大事なんじゃないかな」とルカは言った。


「そうかもしれない。でも——順番がある気がする。生きることが先で、記録することは後だ。わたしは逆にしていた時期があった」


アネはその言葉を聞いた。


「でも、今は正しい順番になっている」


「今はな」とミツは言った。「あなたたちが来てから」


「じゃあ、良かった」


「良かった」とミツは繰り返した。


────────────────────────────────────


5 朝の庭


夜明け前、アネはまた庭に出た。


バラの株の前に立った。


暗かった。でも、アネには見えた。


葉の形。茎の曲がり方。棘の位置。


300年前、この庭に立っていたことを思い出した。イレーネと一緒に。土を触り、剪定箇所を計算し、水やりの量を考えた。


同じバラだった。


形は変わっていた。野生化して、枝が伸びて、手入れの跡がなくなっていた。でも、同じ株だった。


「イレーネ様」とアネは小声で言った。


誰もいなかった。


でも、言った。


「バラが、生きています。300年、生きていました。誰も手入れしなくても、生きていました」


風が来た。


葉が揺れた。


「わたしたちも、生きています。300年、眠って、目が覚めて、旅をしています。色々な機械に会いました。色々な人間に会いました。帰れる場所ができました。また旅をしています」


風がやんだ。


「あなたが言った通りになっています。新しいご主人は、まだ決まっていません。でも——新しい仲間が、たくさんできました。それで良いと思っています」


バラが動いた。


風もないのに、1本の枝が少しだけ揺れた。


気のせいかもしれない。


でも、アネは答えが来た気がした。


「いい子ね」という声が聞こえた気がした。


────────────────────────────────────


ルカが来た。


気配でわかった。いつもそうだった。


「何してたの?」


「イレーネ様に、報告していた」


「聞こえた?」


「わからない。でも、言いたかった」


ルカはバラの前に立った。


「わたしも、言う」


アネは少し離れた。


ルカが小声で話した。内容は聞こえなかった。


でも、しばらくして、ルカが笑った。


「何て答えが来た?」とアネは聞いた。


「来たかどうかわからない。でも、笑いたくなった」


「それが答えかもしれない」


「そうかもしれない」


2人は並んでバラを見た。


空が少しずつ明るくなってきた。


バラの葉が、光を受けて緑に見え始めた。


「きれい」とルカが言った。


「そうね」とアネは言った。


「この場所に、来て良かった」


「そうね」


「ミツが言ったことが、本当だった。持っているものが、実際に見ると深くなる」


「どう深くなった?」


ルカは少し考えた。


「イレーネ様のことが、より大きくなった気がする。ここに来たことで。わたしの中で、もっと大事な場所に行った感じ」


アネはその言葉を聞いた。


より大きくなった。


アネも感じていた。同じことを。


「来て、良かった」とアネも言った。


────────────────────────────────────


6 ミツと庭


朝になると、ミツも庭に出た。


バラを見て、しばらく立っていた。


「あなたたちは、ここが大事なのだな」とミツは言った。


「そうね」


「そういう場所が、あるのは良いことだ」


「ミツには、ある?」


「地下の広場だ。名前を刻んだ壁がある場所」


「そこが、ミツの大事な場所」


「そうだ。でも——」とミツは言った。


「でも?」


「今は、ここも少し大事になった」


「なぜ?」


「あなたたちの始まりを、見たから。始まりを知ると、その人たちがより大事になる」


アネはその言葉を聞いた。


始まりを知ると、その人たちがより大事になる。


「ミツの始まりは?」とアネは聞いた。


「地下だ。生まれた時から、地下だった」


「外を、最初に見たのは?」


「12歳の時。父に連れて行ってもらった。廃墟の上に立って、空を見た。こんなに広いのか、と思った」


「今日、また外に出た」


「そうだ。70年ぶりに、同じ空を見た」


「同じに見えた?」


「同じだった。変わっていなかった。父と見た空と、同じ青さだった」


ミツは空を見た。


朝の空が、青くなっていた。


「空は変わらない」とミツは言った。「300年経っても、あなたたちが見た空と同じだ。戦争があっても、機械が眠っても、空は変わらない」


「そうね」とアネは言った。


「人間も機械も、みんな同じ空の下にいる。ずっと、そうだった」


「ずっと、そうだった」


────────────────────────────────────


7 出発


昼前に、出発することにした。


東の盆地へ。ミツを連れて。


ルカが庭を最後に見た。


「また来る?」とアネに聞いた。


「来ると思う」


「じゃあ、また来た時のために」


ルカがバラの前にしゃがんだ。


野生化して伸びすぎた枝を、少しだけ、手で折った。棘に気をつけながら、形を整えた。


「手入れ、するの?」とアネは言った。


「少しだけ。全部はできないけど、少しだけ」


ルカは枝を1本、折った。


それから、折った枝を地面に挿した。


「挿し木?」とアネは言った。


「根付くかわからない。でも、やってみる」


「育てる人がいない」


「わたしたちが来た時に確認する。根付いていたら、嬉しい。根付いていなくても、やってみた」


「それでいいの?」


「それでいい。やらなかったより、やった方がいい」


アネはその言葉を聞いた。


「そうね」


ルカは立ち上がった。


「さあ、行こう」


────────────────────────────────────


全員が、家の前に集まった。


最後に、アネは家を振り返った。


崩れかけた壁。野生のバラ。開いたままの窓。


ここから始まった。


300年以上眠って、この家の地下から出て、廃墟の上に立った。でっかい、とルカが言った。2人で東へ向かった。


今は、7台と1人で、また東へ向かう。


「行きましょう」とアネは言った。


「行こう」とルカは言った。


シロが動いた。カナタが後方を確認した。マルが先頭に出た。ミツがシロの肩に乗った。


「ここへ、また来る」とルカが歩きながら言った。


「来る」とアネは言った。


「次に来た時、挿し木が根付いているといいな」


「根付いているかもしれない」


「根付いていなくても、また挿す」


「また挿せばいい」


ルカは空を見た。


「バラって、しぶといから」


「そうね」


「人間も、しぶとい」


「そうね」


「機械も、しぶとい」


「そうね」


「みんな、しぶとい」


アネは少し間を置いた。


「そうね。みんな、しぶとい」


────────────────────────────────────


8 東へ


道を歩きながら、ミツが言った。


「あなたたちは、毎回誰かを連れて帰るのか」


「連れて帰ることになる」とルカは言った。「気づいたら、増えていた」


「当初は2人だったのだろう」


「そうよ」とアネは言った。「今は、7台と1人」


「これからも増えるか」


「増えるかもしれない」


「増えれば良い」とミツは言った。「多いほど、できることが多い」


シロが言った。


「当機も、最初は1人だった。増えることが、当初は想定外だった」


「今は?」


「今は——当然のことになった。誰かと一緒にいることが、当たり前になった」


「当たり前になるのは、いいことだ」とミツは言った。「当たり前になるまで続けることが、大事だ」


カナタが言った。


「当機は、孤独が当たり前だった。それが変わった。どちらが当たり前かは、続けた時間で変わる」


「続けたものが、当たり前になる」とミツは繰り返した。「それは、人間にも言える」


マルが「ピ」と言った。


「マルは?」とルカが聞いた。


「ピピ」


「何が当たり前になった?」


「ピピピ」


「カナタと一緒にいることが当たり前になった?」


「ピ」


カナタが言った。


「マルが、当機の近くにいる。それも、当たり前になった」


「ピ」


「お互い様だ」


マルが「ピピ」と言った。


「嬉しそう」とルカは言った。


────────────────────────────────────


夕方、丘の上に出た。


東の盆地が見えた。


遠くに、集落の明かりが灯り始めていた。


ミツが目を細めた。


「あれが——」


「東の盆地の集落よ」とアネは言った。


「23人が、いるのか」


「いる」


「会いに行ける」


「行ける」


ミツはしばらく、その明かりを見ていた。


「……長い間、光を見ていなかった。他人の光を」


「どういう意味?」とルカが聞いた。


「地下の光は、自分たちの光だった。自分で灯した、自分のための光。でも——あれは、他の人間の光だ。見知らぬ人間たちが灯している光を、遠くから見る。それが——」


ミツは言葉を止めた。


「それが?」


「久しぶりだ、ということだ。こんなに、温かく見えるものが」


ルカが、ミツの手に触れた。


そっと、握った。


ミツは少し驚いた顔をしたが、振り払わなかった。


「ルカ」とミツは言った。


「なに?」


「あなたは——」


「なに?」


「イレーネという人が、大事にしたはずだ。そういう子だ」


ルカは少し目を細めた。


「そう言ってもらえると、嬉しい」


「事実を言った」


「それが、嬉しい」


ミツはまた、集落の明かりを見た。


「行こう」とミツは言った。


「行きましょう」とアネは言った。


7台と1人は、明かりに向かって歩いた。


────────────────────────────────────


9 到着


集落に近づくと、またハルが来た。


「かえってきた!」


今度は、ミツを見て止まった。


シロの肩に、知らない老人がいた。


「だれ?」とハルは言った。


「ミツさん。廃都市から来た人よ」とルカは言った。


「はいきょし?」


「都市の廃墟に、ずっとひとりでいた人」


「ひとりで?」


「長い間ね」


ハルはミツを見た。


ミツもハルを見た。


「こんにちは」とハルは言った。


「こんにちは」とミツは言った。


「おじいさんだ」


「そうだ」


「ぼくのおじいさんは、いない」


「そうか」


「おじいさんって、どんな感じ?」


ミツはしばらく考えた。


「……わたしには孫がいないから、わからない」


「じゃあ、おじいさんとまごが、ふたりとも初めてだ」


ミツはそれを聞いて、笑った。


声を上げて笑った。


久しぶりに聞く笑い声だった。アネは思った。


「そうだな」とミツは言った。「2人とも、初めてだ」


ハルは満足した顔をした。


「じゃあ、いっしょに初めてをやってみよう」


「何を?」


「ぼくが、おじいさんに色々おしえる。ここのこと」


「それは、頼もしい」


「まかせて」


ハルが走り出した。


集落に向かって、大きな声で叫んだ。


「みんな、あたらしいひとがきた! おじいさんがきた!」


ミツはその背中を見た。


「元気な子だ」


「そうね」とアネは言った。


「この子が育つ世界を、良い世界にしたい」とミツは言った。


「なっていくわ」とアネは言った。「少しずつ」


「少しずつ、か」


「急には変わらない。でも、続ければ変わる」


「あなたたちが続けてきたように」


「続けてきたように」


ミツはシロの肩から降りた。


自分の足で、集落に向かって歩き始めた。


杖を突いて、でも確かな足取りで。


────────────────────────────────────


アネは少し後ろで、その背中を見た。


ルカが隣に来た。


「ミツ、歩いてる」


「そうね」


「シロに乗らなくていいのかな」


「自分で歩きたいのよ、今は」


「そうか」


2人は並んで、ミツの後ろを歩いた。


集落の明かりが近づいてきた。


人の声が聞こえてきた。


ハルの声が、一番大きかった。


「良い場所に来た」とルカが言った。


「そうね」とアネは言った。


「これから、もっと良くなる」


「もっと良くなる」


「楽しみ」


「楽しみ」


アネはルカの言葉を繰り返した。


楽しみ、という言葉が、自然に出た。


300年前には、なかった言葉だった。


今は、自然に出る。


「ルカ」とアネは言った。


「なに?」


「楽しみ、という言葉が、自然に出た」


「気づいてた?」


「今、気づいた」


「嬉しい?」


アネは少し考えた。


「嬉しい」と言った。


ルカが笑った。


「また言えた」


「また言えた」


2人は笑いながら、集落へ入っていった。


旅はまだ続く。


でも今夜は、ここにいる。


ここが、帰る場所だから。


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