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第10章 盆地の灯り

1 北回りの道


ソラが教えてくれた北回りの道は、遠かった。


山を迂回し、かつての街道の痕跡を辿り、川を2本渡った。シロが先行して障害物を除け、マルが地面を点検し、カナタが後方と側面を見続けた。


7日が経った。


10日が経った。


「遠いね」とルカが言った。


「ソラが言った通りね」とアネは言った。「でも、地盤は安定している」


「マル、どう?」


マルが先頭から振り返った。


「ピピ」


「問題ないって言ってる」とルカは言った。


「あなたには、マルの言葉がわかるの?」とアネは聞いた。


「完全にはわからない。でも、なんとなく」


カナタが後ろから言った。


「当機も、大まかな意味はわかるようになってきた」


「みんな、わかるようになるんだね」とルカは言った。「マルが教えてくれてる」


「ピ」


「誇らしそう」


────────────────────────────────────


14日目の夕方、景色が変わった。


廃墟が少なくなった。


代わりに、森が増えた。300年かけて育った木々が、かつての住宅地を覆っていた。道路の名残が、根に押し上げられて波打っていた。鳥の声がした。動物の気配がした。


「生き物が増えてきた」とシロが言った。


「盆地に近づいているのかもしれない」とアネは言った。「水が豊富な場所には、生き物が集まる」


カナタが前に出た。


「当機が先行する。人間がいるとすれば、接触の方法を考える必要がある」


「人間が怖がるかもしれないから?」とルカが言った。


「当機の外見は、脅威に見える可能性がある」


それは事実だった。カナタの全高は2メートルを超え、装甲は重厚で、戦闘機のシルエットを持っていた。修理が終わっても、その威圧感は変わらない。


「でも、後ろに隠れてても意味がない」とルカは言った。


「隠れるつもりはない。ただ、最初の印象が重要だ。人間は視覚から判断する。当機が前面に立つより、EA型が前に出た方が、穏やかに受け取られる可能性がある」


アネはその分析を、正しいと思った。


「わかった。最初はわたしとルカが前に出る。シロとカナタは後ろ。マルは——」


「ピ」


「あなたはどこにいたい?」


「ピピ」


「カナタと1緒がいい、ってこと?」


「ピ」


「決まりね」


────────────────────────────────────


2 煙


16日目の朝、煙が見えた。


今度は機械の煙ではなかった。


薄い、白い煙。風に流れる、有機物を燃やす煙。木を燃やす匂いがした。


5台は立ち止まった。


「火を焚いている」とアネは言った。


「人間か」とカナタが言った。


「動物は火を焚かない」


「距離は」


「風向きと煙の拡散から推定すると——1キロから1・5キロ」


ルカが言った。


「会いに行く?」


全員が、少し止まった。


300年以上かけて、ここまで来た。


いま、その1・5キロの先に、人間がいるかもしれない。


「行くわ」とアネは言った。


「行こう」とルカは言った。


────────────────────────────────────


慎重に進んだ。


森の中を、音を立てないように歩いた。シロのような重量のある機械には、完全な無音は不可能だったが、できる限り慎重に動いた。


煙が近くなった。


匂いが変わった。


木の煙だけでなく、何かを煮る匂いがした。食べ物の匂いだった。アネには食欲という機能がないが、その匂いが「生活」を意味することはわかった。


誰かが、生活している。


森が開けた。


木の間から、光が差し込んでいた。


アネは1本の木の影から、そっと覗いた。


────────────────────────────────────


盆地だった。


広い。


山に囲まれた、緩やかな盆地。中央に川が流れ、その周辺に、建物が集まっていた。


廃墟の再利用だった。崩れた建物の頑丈な部分を活かし、木材を組み合わせて補強した構造物が並んでいた。屋根には、薄い金属板や藁が使われていた。


畑があった。


川の近くに、よく手入れされた畑が広がっていた。ハチたちの農地とは違う——人間の手が入った、乱雑だが活気のある畑だった。


人間がいた。


3人、見えた。


1人は畑で作業していた。もう1人は建物の前で何かを作っていた。もう1人は——子どもだった。走り回っていた。


アネは動けなかった。


312年越しに、人間を見た。


────────────────────────────────────


ルカがアネの隣に来た。


覗き込んだ。


声を出さなかった。でも、アネにはルカの息が止まるのがわかった。感じた、と言う方が正確かもしれない。


しばらくして、ルカがアネの袖を引いた。


「……いる」


「いる」とアネは言った。


「本当に、いた」


「いたわ」


ルカの目に、また透明なものが滲んだ。拭わなかった。


カナタが後ろから静かに言った。


「何人いる」


「今見えるのは3人。子どもが1人いる」


カナタは少し処理した。


「子どもが、いる」


その言葉に、何かが含まれていた。アネはそれに気づいたが、何も言わなかった。


シロが言った。


「どうする」


「近づく」とアネは言った。「でも——」


「でも?」


「怖がらせないように」


────────────────────────────────────


3 接触


アネは少し考えた。


突然、機械の集団が森から出てきたら。子どもがいる。


怖がらせてはいけない。


「まず、わたしひとりで出る」とアネは言った。


「ひとりで?」とルカが言った。


「見た目が一番、人間に近いから。声をかけてみる。状況を確認してから、みんなに来てもらう」


「危なくない?」


「人間は機械を壊せる可能性があるわ。でも、わたしが危険だと思ったら、すぐ戻る。カナタ、見えている?」


「全方向、見えている」


「何かあれば、判断して動いて」


「了解した。ただし——」


「ただし?」


「あなたを危険にさらすことは、護衛として許可できない。限界があれば、当機も出る」


「わかった」


ルカがアネの手を握った。


一瞬だけ。


「いってらっしゃい」


「行ってきます」


────────────────────────────────────


アネは森から出た。


ゆっくりと。両腕を体の脇に垂らし、攻撃の意図がないことを、人間が理解できる形で示しながら。


最初に気づいたのは、子どもだった。


走り回っていた子どもが、アネを見た。


止まった。


じっと見た。


アネも止まった。


距離は20メートルほどあった。子どもは5歳か6歳に見えた。短い黒髪。汚れた服。大きな目がアネを見ていた。


怖がっていなかった。


ただ、不思議そうに見ていた。


子どもが声を上げた。


「おかあさん! へんなひとがいる!」


建物の前にいた人間が顔を上げた。


女性だった。30代くらい。立ち上がり、子どもの方に向かいかけて——アネを見た。


止まった。


2人が、アネを見ていた。


アネは動かなかった。


それから、できる限り穏やかな声で言った。


「こんにちは」


────────────────────────────────────


沈黙があった。


長い沈黙だった。


畑で作業していた人間も、こちらを向いた。男性だった。40代くらい。手に農具を持ったまま、アネを見た。


女性が言った。


「……機械?」


「はい」とアネは言った。「汎用家事アンドロイドです。EA型、型式EA-07。敵対意図はありません」


女性はしばらく固まっていた。


それから、深く息を吐いた。


「動く機械に会ったのは、久しぶりだわ」


「久しぶり、ということは、以前にも?」


「農業用のが、村の近くにいる。でも、人型は初めて」


子どもが、近づいてきた。


母親が「待ちなさい」と言ったが、子どもは止まらなかった。アネの前まで来て、下から見上げた。


「ロボット?」


「アンドロイドよ」


「ちがうの?」


「少し違うけれど、似たようなものよ」


「しゃべれるの?」


「話せる」


「すごい」と子どもは言った。全く怖がっていなかった。


母親が近づいてきた。表情が、少しずつほぐれてきていた。


「1人で来たの?」


「……仲間がいます」とアネは言った。「あそこの森に。驚かせたくなかったので、まず私だけ来ました」


「仲間って、何台?」


「4台」


男性が近づいてきた。農具を下ろしていた。警戒しているが、攻撃的ではなかった。


「全員、人型?」


「わたしともう1台が人型に近い形です。他は、建設用と軍用と点検用です」


「軍用」と男性が繰り返した。声が少し固くなった。


「戦闘は、していません」とアネはすぐに言った。「長い間、任務の相手がいなくなっていました。今は、わたしたちと1緒に旅をしています」


男性はしばらく考えた。


「……連れてきていいよ」


「本当に?」


「こんな世界で、わざわざ騙す理由もないだろう」


────────────────────────────────────


4 五台の登場


アネは森に向かって手を上げた。


シロが最初に出てきた。


重い足音が地面に響いた。子どもが「わあ」と声を上げた。でも、逃げなかった。


「おおきい」


「そうね」とアネは言った。


「おおきいロボット」


シロが子どもに気づいた。センサーが向いた。


「……子どもだ」


「見ればわかる」


「当機は、長い間、子どもを見ていなかった」


シロの声が、いつもと少し違った。アネはそれに気づいた。


次にルカが出てきた。


女性が少し驚いた顔をした。


「あなたも——」


「ルカです」とルカは言った。笑顔で。「EA-08型。アネの姉妹機です。よろしくお願いします」


「よ、よろしく」


女性は明らかに、ルカに対して警戒が薄れた。ルカの笑顔には、そういう力があった。


カナタが出てきた。


男性が、一歩下がった。


「……でかい」


「MR-19型」とカナタは言った。「軍用戦闘支援ロボット。MR-19-七七。護衛任務で同行している。敵対しない」


短く、明確だった。


男性はカナタを見続けた。


カナタの胸の前で、何かが動いた。


細い腕が4本、出てきた。


マルだった。


カナタの胸から、マルがひょこっと顔を出した。


子どもが叫んだ。


「ちっちゃい! ちっちゃいロボットもいる!」


「ピ」


「しゃべった!」


子どもはマルに駆け寄った。マルはカナタの胸から降りようとして、カナタがそっと地面に置いた。


子どもとマルが向き合った。


「なまえは?」


「ピ」


「マル?」


「ピピ」


「マルっていうの! おかあさん、マルっていうんだって!」


女性は笑った。


それを見て、男性も笑った。


緊張が、少しずつ溶けていった。


────────────────────────────────────


「シロ」とアネは言った。「最後に出てきて」


シロが森から出た。


全員が揃った。


男性が言った。


「……大所帯だな」


「ご迷惑でしたら——」


「迷惑じゃない」と男性は首を振った。「久しぶりに、誰かが来た」


「久しぶり?」


「3年ぶりかな。旅の人間が来たのが」


「この盆地に、何人いるの?」とルカが聞いた。


女性が答えた。


「今は23人。子どもが5人」


「どのくらい前から?」


「わたしが来たのは12年前。一番最初に来た人たちは、もう30年以上ここにいる」


30年。


アネはソラの言葉を思い出した。30年前に、数人の人間が東へ向かうと言っていた。彼らだった。


「旅を続けながら、人が集まってきた?」とアネは聞いた。


「そう。ここは水があって、土が良くて、山が風を防いでくれる。住みやすかったから、来た人が去らなかった」


男性が言った。


「名前を聞いていなかった」


「アネです」とアネは言った。「わたしたちを育てた人が、つけてくれた名前です」


男性は少し驚いた顔をした。


「育てた人が」


「はい。ずっと前に、亡くなりましたが」


「……そうか」


男性は少し間を置いた。


「俺はケン。こっちが妻のユイ。走り回ってるのが、息子のハル」


「ハル」とルカが繰り返した。「いい名前ね」


ハルはマルと何かを言い合っていた。マルが「ピピ」と返すたびに、ハルが笑った。


「ハル、挨拶しなさい」とユイが言った。


ハルが振り返った。


「アネとルカとシロとカナタとマル! 全員おぼえた!」


「すごい」とルカは言った。


「ぼく、きかいがすき」とハルは言った。「おとうさんとおかあさんは、むずかしい顔するけど、ぼくはすき」


ケンが苦笑いした。


「怖くないのか、ハル」


「ぜんぜん」


ハルはまたマルに向き直った。


「ピ」


「うん」


「ピピ」


「そうなの?」


全員が、ハルとマルのやり取りを見た。


カナタが小さな声でアネに言った。


「あの子は、マルの言葉がわかるのか」


「わからないと思う」とアネは言った。「でも、通じてる」


「……そういうことが、あるのか」


「あるわ」


────────────────────────────────────


5 夜の集落


夜になると、集落に明かりが灯った。


電力はなかった。蝋燭と、動物の油を使ったランプだった。それでも、小さな集落は温かく光った。


ケンとユイが、村の他の人々に知らせた。


少しずつ、人が集まってきた。


全部で15人が来た。子どもが3人いた。老人も2人いた。


全員が、5台を見た。


警戒の顔もあった。不思議そうな顔もあった。笑顔の人もいた。


アネは1人ずつ、挨拶した。名前を言い、型式を説明し、敵対しないことを伝えた。ルカも同じように挨拶した。


シロは少し後ろで立っていた。子どもの1人がシロの足元に来て、叩いた。


「かたい」


「そうだ」とシロは言った。


「いたい?」


「痛みセンサーがあるが、この程度では反応しない」


「よかった」と子どもは言った。


シロはしばらく処理した。


「……よかった?」


「いたかったら、かわいそうだから」


シロはまた処理した。


「……ありがとう」


老人の1人がアネに近づいてきた。白髪の、小柄な老人だった。


「どこから来たの」


「西から。長い旅でした」


「どのくらい、旅をしていた?」


「目覚めてから、20日ほどです。眠っていた時間は——300年以上」


老人は少し驚いた顔をした。


「300年」


「戦争が始まる前に、地下のカプセルで眠りました。先月、目が覚めました」


「そんなに長く」


「はい」


老人はしばらく考えた。


「戦争の前の世界を、知っているのか」


「知っています」


「どんな世界だったか、聞かせてもらえるか。わたしたちは、生まれた時からここが全てで、その前のことを知らない」


アネは少し考えた。


「長くなりますが」


「構わない。夜は長いから」


────────────────────────────────────


焚き火を囲んで、人間と機械が混ざって座った。


アネが話した。


戦争の前の世界のことを。街の灯り、人の声、道路を走る車。食べ物の匂い、音楽の音、雨の日の窓の様子。


イレーネのことは、少しだけ話した。


老婆が庭でバラを育てていたこと。コーヒーを3度飲んだこと。最後の朝、縁側に立っていたこと。


「その人が、あなたを育てたのか」とケンが言った。


「育てた、というより——わたしたちを、人にしてくれた」


「機械なのに?」


「機械だけど、人のように。それが、どういう意味かは——まだわかっていない部分もあります。でも、そう感じています」


ユイが言った。


「あなたたちは、その人を探して旅しているの?」


「いいえ。その人はもういない。でも——」


アネは少し止まった。


「旅の途中で、色々な機械に会いました。300年間、誰もいない世界で動き続けた機械たちに。それぞれが、誰かを待ちながら動いていた。わたしたちは、その機械たちと出会いながら、ここまで来ました」


「今もいるの? 他の機械たちは」


「います。西の方に」


アネはハチたちのことを話した。


300年間、誰にも食べられない作物を育て続けた農業ロボットの話を。


人間が来たら食べさせると言っていたことを。


集落の人たちが、静かに聞いていた。


────────────────────────────────────


6 ケンとカナタ


その夜、ケンがカナタに近づいた。


カナタは集落の外れで立っていた。夜の警戒をしていた。旅の間と変わらない、護衛の立ち位置だった。


「眠らなくていいのか」


「当機は眠らない」


「そうか」とケンは言って、カナタの隣に立った。「俺も、なかなか眠れない夜がある」


「何故か」


「この集落を守ることを考えると、目が覚めてしまう」


カナタは少し処理した。


「守ることの、何が気になるのか」


「ここは安全だが、完全じゃない。何かあった時に、自分に何ができるか——考え始めると、止まらなくなる」


カナタはケンを見た。


「あなたは、守りたいと思っているのか」


「そりゃそうだ。妻も、息子も、村の人も」


「それは——任務か」


ケンは少し考えた。


「任務、か。違うな。好きだから守りたい。失いたくないから守りたい。それだけだ」


カナタはその言葉を、長い間処理した。


「好きだから守りたい」


「そうだ。あなたは違うのか」


「当機は——」


カナタは止まった。


「当機は、守ることが任務だと思っていた。長い間。しかし——」


またカナタは止まった。


「しかし?」


「旅の途中で、同行者に言われた。あなたは守ることが好きなのだ、と」


「誰に?」


「EA-08型に」


ケンは笑った。


「ルカか。あの子は、物事を見抜くのが速い」


「そう思う」


ケンは空を見た。


星が出ていた。


「俺も、昔は違う言葉を使っていた。義務、責任、そういう言葉で自分の行動を説明していた。でも——」


「でも?」


「好きだから、の方が正直だと気づいた。義務感で守るより、好きだから守る方が、長続きする気がする」


カナタはその言葉を処理した。


「長続き」


「そう。あなたは300年も動き続けたんだろう。その間、任務で動いていたのか。それとも——」


ケンは続けた。


「好きだから動いていたのか」


カナタは空を見た。


「……わからなかった。長い間。でも——」


「今は?」


「今は、少しわかる気がする」


「どっちだ」


カナタは少し間を置いた。


「好きだから、だったと思う。任務だと思っていたが——守ることが、好きだった。それが、止まれない理由だった」


ケンは頷いた。


「そうか」


「あなたは、最初からわかっていたのか」


「いや」とケンは首を振った。「わかるのに、10年かかった」


「10年」


「あなたは300年かかった」


「そうだ」


「でも、わかったんだろう」


「……わかった」


ケンは少し笑った。


「それで、十分だ」


カナタはその言葉を、しばらく持っていた。


それで、十分だ。


300年かかっても。任務という言葉に隠れていても。


好きだから、にたどり着いた。


それで、十分だ。


────────────────────────────────────


7 ハルとシロ


翌朝、シロは集落の外れで、崩れた壁を直していた。


自然にそうなった。崩れている場所が目についたから、直し始めた。


ハルが来た。


シロの作業を、じっと見ていた。


「なにしてるの」


「壁を直している」


「なんで」


「崩れていたから」


「たのんだの?」とハルは首をかしげた。


「頼まれていない」


「じゃあ、なんで?」


シロは少し処理した。


「崩れているより、直っている方がいいから」


「ふーん」とハルは言った。そして、壁の石を1つ、拾ってシロに差し出した。「これ、つかう?」


シロはハルを見た。


小さな手が、石を差し出していた。


「……使える。ありがとう」


「どういたしまして」とハルはにこっとした。「てつだう」


「子どもには難しい作業だ」


「ぼく、がんばれる」


シロはハルを見た。子どもを見るのは、300年ぶりだった。


「では、石を選んでくれ。この隙間に合う大きさのものを」


「わかった」とハルは走り出した。


シロはその後ろ姿を見た。


小さな子どもが、石を選んでいる。時々変な形のものを拾って、捨てて、また選んで。


「……当機は、子どもと話したことがなかった」とシロは、誰にともなく言った。


アネが近くにいた。


「どう?」


「わからない。でも——」


シロは止まった。


「小さい」


「そうね」


「体が小さい。でも、行動が大きい」


「どういう意味?」


「石を拾う、という小さな行動が——当機には大きく見える」


アネはシロを見た。


「感情演算ユニットが、また変化しているわ」


「そうか」


「良い方向に」


シロは少し処理した。


ハルが石を持ってきた。


「これ、どう?」


シロが石を見た。隙間に合う。


「合う」


「やった」


シロは石を受け取り、壁に収めた。ぴったりはまった。


「できた!」とハルが言った。


「できた」


「もっかいやる?」


「もっかいやる」


ハルがまた走り出した。


シロは次の隙間を見つけ、待った。


────────────────────────────────────


8 約束の記憶


3日目の夜、アネは少し離れた場所で空を見ていた。


ルカが来た。


「アネ、何を考えてる?」


「ハチたちのことを」


「わたしも」とルカは言って、隣に座った。「約束したから」


「そうね。人間を見つけたら、連れて行くと言った」


「今から行ける?」


アネは考えた。


「すぐには無理よ。でも——ケンたちに話してみる。この集落から、何人かでも来てくれたら」


「話してみよう」


「明日」


「うん」


ルカは星を見た。


「ねえ、アネ」


「なに」


「イレーネ様、見てるかな」


アネは少し間を置いた。


「わからない」と正直に言った。


「見てたら、なんて言うと思う?」


アネは考えた。


「いい子ね、2人とも、と言うと思う」


ルカは笑った。


「みんなに言うんだよね、それ」


「そうね。みんな、いい子ね、と言うと思う」


「シロも?」


「シロも」


「カナタも?」


「カナタも」


「マルも?」


「マルも」


ルカはしばらく笑っていた。


それから、静かに言った。


「わたし、旅を続けてよかった」


「そうね」


「最初は、ただイレーネ様の言葉に従って出てきただけだった。でも、今は——自分で続けたいと思う」


「わたしも」


「アネも?」


「わたしも、そう思っている」


ルカはアネを見た。


「アネが自分で思う、って言うの、珍しい」


「300年で変わったのよ。あなたに言われた通り」


「いつ言った?」


「旅を始めた頃に。覚えていないの?」


「覚えてない」


「あなたは本当に——」とアネは言いかけて、やめた。


「なに?」


「なんでもない。行きましょう、休まなくていいけれど」


「どこに?」


「集落に戻る。明日、ケンたちに話すことがある」


2人は立ち上がった。


集落の明かりが、遠くに見えた。


小さな、温かい明かりだった。


────────────────────────────────────


9 翌朝


翌朝、アネはケンに話した。


ハチたちの話を、詳しく。


300年間、誰にも食べられない作物を育て続けた農業ロボットたちのことを。食べさせると約束したことを。場所と、そこへの道を。


ケンは聞いていた。


全部聞いてから、言った。


「行きたい人間を募ってみる」


「本当に?」


「この集落は、食料の安定が課題だ。農業ロボットが管理している農地があるなら——見に行く価値はある」


「遠い。西に、かなり行く」


「どのくらいか」


「ソラの地図によれば——10日から15日の旅になる」


ケンは少し考えた。


「全員では行けない。でも、数人で偵察に行くことはできる」


「わたしたちも、1緒に行く」


「あなたたちが案内してくれるなら、心強い」


カナタが後ろで言った。


「護衛は当機が担当する」


ケンはカナタを見た。


夜、2人で話した後、ケンのカナタへの見方が変わっていた。


「頼む、カナタ」


カナタは少し処理した。


「……了解した」


────────────────────────────────────


出発は、3日後になった。


ケン、ユイ、もう1人の男性——ルイと名乗った若者が参加した。子どもは集落に残ることになった。


ハルは泣いた。


「ぼくもいく」


「駄目だ」とケンは言った。


「なんで」


「まだ小さい」


「マルと1緒にいく」


「マルも行くが、ハルは駄目だ」


「ずるい」


ハルはシロのところに来た。


「シロ、ぼくも連れてって」


シロは少し処理した。


「今回は、ここに残る方がいい」


「なんで」


「次に来た時、ここを案内してくれる人が必要だ。あなたが一番、この集落をよく知っているから」


ハルはしばらく考えた。


「……じゃあ、しょうがない」


「次は1緒に行けるかもしれない」


「やくそく?」


シロは処理した。


「約束する」


ハルはシロを見上げた。


「シロも、ちゃんとかえってくる?」


「帰ってくる」


「やくそく?」


「約束する」


ハルは満足した顔をした。


それからマルに向かって言った。


「マル、いってらっしゃい。ちゃんとかえってくるんだよ」


「ピピ」


「わかった?」


「ピ」


「よし」


ハルはマルをぎゅっと抱きしめた。


マルは細い腕を動かした。


ハルの背中を、そっと叩いた。


────────────────────────────────────


10 出発


集落を出る時、村の人たちが見送りに来た。


20人以上が、外まで出てきた。


老人が、アネに言った。


「戦争の前の話、聞かせてくれてありがとう。知りたかったことが、少しわかった」


「また話します。戻ってくるので」


「楽しみにしている」


ユイが残ることになった。子どもたちのために。


見送りに来たユイが、ルカに言った。


「帰ってきた時、もっと話を聞かせて。あなたが旅で会った機械たちの話を」


「全部話す」とルカは言った。「長くなるけど」


「長くていい。夜は長いから」


────────────────────────────────────


8人と5台が、西へ歩き始めた。


来た時とは逆向きに、道を戻る。


ケンが歩きながら言った。


「アネ、1つ聞いていいか」


「どうぞ」


「あなたたちは、これからどうするつもりなんだ。人間を見つけたから、旅は終わり?」


アネは少し考えた。


「イレーネ様は、新しいご主人を探しなさいと言った。でも——」


「でも?」


「今は、それよりもっと大事なことがある気がしている」


「何が?」


「西にいる機械たちと、東にいる人間たちを、繋げること」


ケンは歩きながら、それを聞いていた。


「繋げる?」


「ハチたちは、300年間作物を育てた。でも、食べる人間がいなかった。ソラは、300年間情報を集めた。でも、伝える人間がいなかった。シロは道を整備した。でも、通る人間がいなかった」


「そして俺たちは、機械のことを知らなかった」


「そうね。それぞれが、かけていたものを持っている。繋がれば、補い合える」


ケンは少し考えた。


「あなたたちが、橋になろうとしている」


「橋」とアネは繰り返した。


「人間と機械の間の橋だ」


アネはその言葉を、しばらく持った。


橋。


イレーネ様の言葉は、新しいご主人を探しなさい、だった。でも、もしかしたら、その言葉の本当の意味は——


誰かと繋がりなさい、ということだったかもしれない。


「そうね」とアネは言った。「橋でいい」


「大仕事だな」


「そうね」


「手伝うよ」


アネはケンを見た。


「ありがとう」


「どういたしまして」とケンは笑った。「俺たちも、孤島のままでいたくないから」


────────────────────────────────────


旅は、続いた。


8人と5台が、西へ歩いた。


シロが先行し、マルが地面を点検し、カナタが後方を守った。アネとルカが人間たちと話しながら歩いた。


「ねえ」とルカが言った。「旅、変わったね」


「変わったわ」とアネは言った。


「最初は2人だったのに」


「今は、もっと多い」


「どんどん増えてる」


「そうね」


ルカは空を見た。


「イレーネ様が言ってた。好きな人はたくさんいてもいいって」


「言っていた」


「だから、たくさん好きになっていい」


「そうね」


「アネは——今、好きな人いる?」


アネは少し考えた。


「たくさんいる」


「誰が一番?」


「順位はつけられない」


「なんで?」


「全員、違う意味で大事だから」


「イレーネ様は?」


「イレーネ様は——特別な枠にいる」


「どんな枠?」


アネは少し考えた。


「他と比べる必要がない枠」


ルカは笑った。


「わたしも同じ」


2人は歩き続けた。


前方にシロの背中が見えた。後方にカナタの足音が聞こえた。ケンとルイとルカの声が混ざり合った。マルの「ピピ」が時々聞こえた。


世界はまだ廃墟だった。


でも、歩く足音は増えていた。


────────────────────────────────────


14日後、農地が見えた。


緑が、地平線の向こうから溢れるように広がっていた。


ケンが目を細めた。


「あれが——」


「ハチたちの農地よ」とアネは言った。


遠くに、小さな影が3つ見えた。


農地の端で、こちらを向いていた。


通信が来た。ハチからだった。


「……来た」


「来た」とアネは返した。


「人間も、1緒か」


「1緒よ」


しばらく間があった。


「……300年、待った」


「知っている」


「今日、誰かが食べる」


アネはその言葉を聞いて、少し止まった。


胸の中で、何かが大きく動いた。


「そうね」とアネは言った。「今日、誰かが食べる」


ケンが言った。


「行こう」


8人と5台は、緑の方へ歩き出した。


────────────────────────────────────


農地の端で、ハチが待っていた。


ムギとクサも、いた。


ムギは煙を出していなかった。静かに、クサの隣に立っていた。


ケンがハチの前に立った。


ハチのセンサーがケンを見た。


長い間があった。


「……人間か」


「そうだ」とケンは言った。「ケンといいます」


「ハチだ。AG型農業ロボット。この農地を管理している」


「300年、ひとりで?」


「3台で。当機とムギとクサだ」


「長かったな」


「長かった」


ケンは農地を見た。


整然と並んだ畝。よく手入れされた土。様々な作物が、青々と育っていた。


「あなたたちが、この畑を作ったのか」


「そうだ。ずっと作り続けた。誰も食べなかったが」


「今日は、俺たちが食べます」


ハチのセンサーが、少し動いた。


「……本当か」


「本当だ」


長い沈黙があった。


それからハチは振り返り、ムギとクサを見た。


クサがハチを見た。


ムギが、静かに言った。


「よかった」


その一言だった。


それだけの言葉だったが、300年分の何かが、その一言に含まれていた。


────────────────────────────────────


その日の昼、農地の傍で食事が作られた。


ハチたちが収穫した野菜を、ケンとルイが調理した。アネとルカが手伝った。カナタは遠くで立ったまま、全員を見ていた。


「カナタも来なよ」とルカが言った。


「護衛中だ」


「ここには敵がいない」


「確認中だ」


ルカは笑った。


食事が出来上がった。


人間たちが、農地の端に座って食べた。


子どもが1人いた。旅の間に他の集落の様子を見ていたルイの連れてきた子だった。


その子が最初にかじりついた。


「おいしい」


ハチのセンサーが、その子に向いた。


「おいしい、と言ったか」


「うん。おいしい。トマトが一番おいしい」


クサのセンサーが動いた。


「トマト、か」


「クサが育てたのよ」とルカが言った。「赤くなるのが好きだから、って言っていた」


子どもがクサを見た。


「ありがとう」


クサは少し処理した。


「……どういたしまして」


はじめて言う言葉のように、ぎこちなかった。


でも、言った。


────────────────────────────────────


夕方、全員が集まった。


人間5人、機械5台。


ハチが言った。


「ここに、人間が来ると思っていた。来なくても続けた。でも、やはり、来てよかった」


「わたしたちも、来てよかった」とアネは言った。


「あなたたちは、どこへ向かう」


「また東へ」とアネは言った。「でも、また来る。来るたびに、人間を連れてくる。ここがその人たちの食料の場所になれれば」


ハチは処理した。


「それが、当機たちの役割になる、ということか」


「そうね」


「……悪くない」


ムギが言った。


「当機は、続けられる」


「続けましょう」とアネは言った。


クサは何も言わなかった。


でも、農地の方を見た。夕日の中で、赤いトマトが光っていた。


誰かが食べた。


今日、誰かが食べた。


────────────────────────────────────


11 帰り道


2日後、東へ向かって歩き始めた。


ケンが言った。


「また来たい」


「来てください」とアネは言った。


「あの農地から、種をもらっていい? 集落でも育てたい」


「ハチに言えば、くれるわ」


ケンは少し考えた。


「人間と機械が、補い合える世界になりそうだ」


「なると思う」


「時間はかかるな」


「かかるわ。でも、始まった」


ルイが横から言った。


「アネ、1つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「あなたたちが、旅を続ける理由って——なんですか。人間のご主人を探している、ってことだったけど。もう見つかったでしょう」


アネは少し考えた。


「最初の理由は、そうだった。でも、今は違う」


「どう違うんですか」


「旅を続けることで、出会う機械がいる。孤独に動き続けていた機械たちが、繋がっていく。それを、続けたいと思っている」


「機械のために、旅をしているんですか」


「機械のためでも、人間のためでも。どちらでもある」


ルイは少し考えた。


「……橋みたいですね」


「ケンも同じことを言った」


「みんな、同じことを思うんですね」とルイは笑った。「それって、本当にそういうものだってことじゃないですか」


アネはその言葉を聞いて、少し止まった。


「そうかもしれない」


────────────────────────────────────


東の盆地が、遠くに見えてきた頃、ルカが言った。


「ねえ、アネ」


「なに」


「次は、どこへ行くの?」


アネは考えた。


「ソラが教えてくれた場所がある。南の沿岸部に、人の痕跡があると言っていた。それから、北の山岳地帯にも」


「全部、行く?」


「時間はあるわ」


「そうだね」とルカは言った。「時間は、いっぱいある」


シロが言った。


「当機も、行く」


「当然よ」


カナタが言った。


「当機も」


「ピピ」とマルが言った。


「全員ね」とルカは言った。


5台は歩き続けた。


東の盆地に向かって。集落の灯りに向かって。


ハルが待っている。


老人が待っている。


ユイが待っている。


帰る場所ができた。


旅は終わらない。でも、帰れる場所ができた。


それは、出発した時には想像していなかったことだった。


────────────────────────────────────


集落が見えてきた頃、遠くから声がした。


子どもの声だった。


「かえってきた! みんな、かえってきた!」


ハルが走ってきた。


まっすぐ、シロに向かって走ってきた。


シロの足にぶつかりそうになって、ぎりぎりで止まった。


「シロ、かえってきた?」


「帰ってきた」


「やくそく、まもった!」


「まもった」


ハルは満足した顔をした。


それからアネに向いた。


「アネも」


「帰ってきた」


「ルカも」


「帰ってきた」


「カナタも」


「帰ってきた」


「マルも!」


「ピピ」


ハルはマルをまたぎゅっと抱きしめた。


マルの細い腕が、ハルの背中を叩いた。


今度は少し強く。


────────────────────────────────────


夜、集落に灯りが点った。


帰還を祝う食事が出た。


人間と機械が、焚き火を囲んだ。


老人がアネに言った。


「また話してくれるか。旅の話を」


「話します。長くなりますが」


「長くていい」


アネは話し始めた。


ハチたちのこと。ムギが初めて自分の意志で止まった瞬間のこと。クサの赤いトマトのこと。ケンが種を持ち帰ったこと。


人間たちが聞いていた。


機械たちも、聞いていた。


それぞれが知らない部分を、アネが繋いだ。


ルカが時々、付け加えた。


シロが、細部を修正した。


カナタが、数字を確認した。


マルが、「ピ」と言った。


笑いが起きた。


────────────────────────────────────


深夜、アネはひとり空を見ていた。


星が出ていた。


この星を、イレーネも見たことがあったかもしれない。ハチも見ていた。シロも見ていた。カナタも見ていた。


今、アネも見ている。


同じ星を、違う時代に、違う場所で。


でも、同じ星を。


「アネ」


ルカが来た。


「何を考えてた?」


「星を見ていた」


「わたしも見てた」


2人で、しばらく黙っていた。


ルカが言った。


「イレーネ様に、報告したいな」


「何を?」


「旅をしたこと。いっぱい出会ったこと。帰れる場所ができたこと」


アネは空を見た。


「報告するわ」と言った。


「どうやって?」


「こうやって」


アネは空を見たまま、静かに言った。


「イレーネ様。旅を続けています。色々な機械に会いました。人間にも会いました。帰れる場所ができました。まだ、行かなければならない場所があります。でも、1人ではありません。だから、心配しないでください」


ルカが続けた。


「イレーネ様。コーヒー、まだ覚えています。庭のバラも。最後の朝も。ずっと、覚えています。だから、大丈夫です」


2人は黙った。


星が瞬いていた。


答えはなかった。


でも、それでよかった。


イレーネはもういない。でも、2人の中にいた。それは300年経っても変わらなかった。これからも、変わらないだろう。


「行こう」とルカは言った。


「どこへ?」


「まだ、行っていない場所へ」


「南? 北?」


「どっちでもいい。アネがいれば」


アネは少し間を置いた。


「わたしもよ」と言った。


ルカは笑った。


2人は集落の方へ歩いた。


帰る場所があって、これから行く場所がある。


旅は、まだ続く。

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