7話 DV保護施設で見た現実① 戻らざるを得ない現実
第11章 DV保護施設で見た現実①
国道で、究極まで追い詰められたあと
ふと、昔の自分の面影を思い出した。
極限まで我慢はするけど、言うときは、はっきり言う性格。
喜怒哀楽があって、私はずっと自由だったはずだった。
それは幼少期を過ごした、あの国がそうさせてくれた。
幼少期、日本に帰国してから
「壱果、すごく明るくなったね」
そう友人に言われることが増えた。
前作にも書いたので詳しくは省くが、私は準備を始めた。
会社に事情を話し、休職の手続きをしてもらった。
市役所の人が迎えに来てもらい、私はDV保護施設へ向かった。
何度も通ったことのある道の、こんな奥まった場所にそんな施設があるなんて知らなかった。
まるで市営住宅のような、大きな建物だった。
一見すると、ただの普通のマンションにしか見えない。
それがDV保護施設、シェルターだった。
外部との連絡は禁止。
一人部屋。
スーツケースに必要な物を詰めて、私のように準備をしてきた人は少なかった。
仲良くなった方にシャンプーやトリートメントを貸してあげると、とても喜ばれた。
みんな着の身着のままで逃げてきた人ばかりだった。
一人部屋。
朝、昼、晩は食事が用意されている。
同じ思いを抱えた人たちと話していると、少しだけ気が楽になった。
本音で人と話すのが、久しぶりだと感じた。
久しぶりに、心から笑えた。
でも、そこでは聞いてはいけない話も聞こえてきた。
フィリピンとのハーフの、小学校低学年くらいの男の子が、パパの話をしてくれた。
文字にできないほど辛い現実なのに、その子はそれが虐待だと気づいていない。
想像するだけで恐ろしいことなのに、
その子にとっては、それが家庭の日常だったからだ。
普通の愛情を知ってほしいと、強く思った。
けれど、幼い男の子に私は何も言えなかった。
その子にとっては、何をされても大好きな父親だったのだろうと思ったから。
フィリピン人のお母さんは、子どもを四人連れてきていた。
明るく振る舞っていたけど、今の私にはわかる。
「あの頃の私と、同じ仮面だ」
それをあのお母さんも付けていた。
一週間ほど経った頃だった。
フィリピン人の母は言った。
「わたし一人では、日本でこの子たちを育てられない」
そう言って、虐待をする日本人の旦那のもとへ帰っていった。
フィリピンに帰るお金も、きっとなかったのだと思う。
何も差し伸べられない未成年の私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
とても、つらかった。
それでも最後に
「元気でね」
そう言って、見送ったのを覚えている。




