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仮面を被ったまま生きていた部屋  作者: 巳ノ星 壱果


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6話 国道沿いで聞いた音

 

 第10章 国道沿いで聞いた音



 この、私を支配したい者のために費やす時間そのものが、もう無意味に思えていた。


 おそらく、三年ほど。

 私は、あの人に支配されていたのだと思う。


 私と支配者の関係は、「普通のカップル」が思い描く恋愛とは、いつの間にか、別のものに変わっていった。


「付き合って○年記念日」


 そんなものを、数えたいと思ったことは一度もない。


 楽しかった記憶よりも、支配されていた時間のほうが、遥かに長かったからだ。


 SNSで目に入る、他のカップルの仲睦まじい写真。


 私たちは、いつの間にか写真すら撮らなくなっていた。

 撮りたいとも、思えなかった。

 笑うと気持ち悪いと言われてから、私は、誰の写真にも写りたくなくなった。


 この頃の私は、自分の姿を、何ひとつ残したくなかった。


「幼い頃に経験したものが、人生のピークだったのかもしれない」


 そう思ってしまうほど、私が描いていた理想とは、あまりにも違う現実だった。


 両親は、たくさんの場所に連れて行ってくれた。


 幼いながらに、他の人よりも十分すぎるほどの経験をさせてもらったと思う。


 海ガメの産卵を見た。

 カンガルーも、コアラも見た。

 フロリダのディズニーにも連れて行ってもらった。


 あの頃の私は、確かに、人生を謳歌していた。


 昔の自分が、今の私を見たら、きっと驚くだろう。


 それほどまでに、現実は、私の想像とは違っていた。


 この現実を受け入れるには、まだ、心が追いついていなかった。


 もし、自分の寿命を貯金のように貯められるのなら、大好きな祖母や祖父に、私の命の貯金をあげたかった。



 誰かに分け与えられるのなら、生きたいと強く願っている人に、そのまま渡してしまいたいと、私は本気で思っていた。

 その思いだけが、行き場を失ったまま残っていた。


 徒歩三分の場所にある国道。

 重たい音が、何度も私の耳をかすめた。


「今、この瞬間なら」



 そんな考えが、何度も頭をよぎった。

 足が前に出そうになっては、止まり、そのたびに、鼓動が高くなるのを感じた。







 突然、亡くなったばかりの祖母の声が聞こえた気がした。



「まだ、死ぬのは早いよ」



 そう言われたような気がして、私はその場から動けなくなった。


 亡くなったばかりの祖母の声が、胸の奥で響いた気がした。


 私は、その場から動けなくなった。


 祖母の顔が浮かんだとき、

 自分が今も息をしていること自体が、奇跡のように思えた。



 自殺未遂を経験した私は、あの部屋で、どれほど無意味な時間を過ごしていたのかを、ようやく理解した。


 家族や、周囲の友人がもしかしたら悲しんでくれるかもしれない。

 そんなことすら考えられないほど、当時の私は、壊れていたのかもしれない。




 もし、あの場所で私が道路に飛び込んでいたら、トラックの運転手さんの人生を奪ってしまうかもしれない。


 二十歳にも満たない自分が、誰かの人生を壊してしまうことだけは、どうしてもできなかった。



 祖母の闘病に付き添う中で、病院は


「生きるために闘う人」


 が集まる場所なのだと、私は初めて知った。


 だから、誰かの手を煩わせることも、取り返しのつかない傷を誰かの人生に残してしまうことも、冷静に考えれば考えるほど、自分がしてしまった行動がどうしても怖かった。



 その時にハッとした。

 今から逃げよう。わたしは少しだけ仮面を取り外す準備をすることにした。


 元恋人から逃げること。

 それが、今の私にできる唯一の選択なのかもしれないと、

 初めて気づいた。


 支配者は、私以上に不器用な人だったのかもしれない。


 残っていたのは、私を縛り、支配する存在としての姿だけだった。

 長い間、何も感じられなくなっていた私の中で、

 久しぶりに、はっきりとした感情が浮かんだ。




「この場所から逃げなさい」


 それは、祖母が最後に教えてくれたことだったのかもしれない。






*―――*―――*―――*―――*


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


本作は、第14回ネット小説大賞「事故物件」部門に応募しています。

もし少しでも心に残るものがありましたら、

ブックマークやレビュー、感想をいただけると、とても励みになります。


「笑う事を許されなかった部屋」を書いたあと、

さまざまな記憶がフラッシュバックし、

当時の出来事を改めて言葉に残したいと思い、本作を書きました。


自信のある作品とは言えませんが、

悩みを抱えている誰か一人にでも、

この物語が届いてくれたらという気持ちで綴っています。


拙い文章ではありますが、

ここまで拝読していただき、本当にありがとうございました。


続きは書く予定ですので、またいつか覗いて頂けたら嬉しいです。


巳ノ星 壱果


*―――*―――*―――*―――*


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― 新着の感想 ―
祖母のくだりが自分にも心当たりがあって、 日々弱っていく身体を労わる気持ちやもうなかなか元気ではいられないそんな姿を目の当たりにする物悲しさ、当たり前にあった日常が永遠に続くものではないと悟った絶望…
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