5話 割れた鏡
【短編】「笑う事を許されなかった部屋」の続編です。
仮面を被って過ごしていたあの日々。
その裏側で、同時に進んでいた現実とは——
私は、もう一つの地獄を生きていた。
第9章 割れた鏡
鏡を見るたびに、自分が誰なのか分からなくなっていった。
そこに映る顔が、自分のものとは思えなかった。
私は、どこの誰なのか。
外にいる私は、ただ演じているだけの役者だった。
本当の自分を失った私は、操り糸で動かされる人形のようで、鏡を見ることが、耐えられなくなっていた。
本当の私は、いったいどこにいるのか。
殴られても、外では何事もなかったように笑って過ごす。
あの部屋にいる自分と、人に見せている自分。
その境界が、次第に曖昧になっていった。
どちらが本当の私なのか、それすら、分からなくなっていた。
あの頃のわたしの心は、絶望の淵に立っていた。
気がつけば、50kgあった体重は39kgまで落ちていた。
当時の恋人は、笑いながらこう言った。
「お前の後ろ姿、男みてーだな」
何を言われても、もう何も聞こえなかった。
元恋人に暴言を吐かれるたびに、私は、人を信じる感覚を少しずつ失っていった。
職場の人間関係は良好だったはずなのに、誰かが私の悪口を言っているのではないか?
どこかで、私をせせら笑っているのではないか?と
いつの日か疑うようになっていた。
優しくされるほど、それは演技なのではないかと思ってしまう。
そんな妄想が、気づけば私の思考を支配していた。
生きることがつらくなり、
私はネットで「死」という言葉を検索するようになった。
「もし、失敗したらどうなるんだろう」
そんな考えが、何度も頭の中を巡っていた。
振り返るには、まだ早い人生だった。
それでも私は、 自分の不器用な生き方を、 誰にも見せたくなかった。
暴力と向き合う日々の中で、
私は、自分がどれほど無駄な時間を過ごしているのかを考えるようになっていた。
そう思うたびに、胸の奥がひどく痛んだ。
「もう、今日死んでもいいか」
そんな考えが、ふと浮かんだ。
私は、元恋人と戦う気力さえ、残っていなかった。
もし相手が、本当に大切な人だったのなら、きっと私は
「治してほしい」
と、言っていたと思う。
喧嘩をする相手とは、本来、分かり合いたい相手のはずだ。
けれど私にとって、嫌いな相手と向き合う時間ほど、
無意味に感じるものはなかった。
この言葉が通じない相手に抵抗するくらいなら、
私の存在そのものを、消してしまったほうが早いと思えたから。
私の心を映していた鏡は、
もう、原形を留めていなかった。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、第14回ネット小説大賞「事故物件」部門に応募しています。
もし少しでも心に残るものがありましたら、
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「笑う事を許されなかった部屋」を書いたあと、
さまざまな記憶がフラッシュバックし、
当時の出来事を改めて言葉に残したいと思い、本作を書きました。
自信のある作品とは言えませんが、
悩みを抱えている誰か一人にでも、
この物語が届いてくれたらという気持ちで綴っています。
拙い文章ではありますが、拝読していただき、本当にありがとうございました。
巳ノ星 壱果
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