【短編】仮面を被ったまま生きていた部屋(前編)
【短編】「笑う事を許されなかった部屋」の続編です。
仮面を被って過ごしていたあの日々。
その裏側で、同時に進んでいた現実とは——
私は、もう一つの地獄を生きていた。
前編
第1章 歪みはここから始まった
時は、学生時代に戻る。
わたしは昔から、可愛い子と仲良くなるのが好きだった。
小学生の頃、いじめを目にする中で、
いじめをしない人には共通した特徴があることに気がついた。
可愛い子は、心が美しい。
そう感じるようになった。
いじめを避けるようになったきっかけは、
あるクラスメイトに言われた一言だった。
ある日、話したこともない男子に突然、
「お前はあの国に帰れ」
と言われた。
その一言は、あまりにも衝撃的で、強いショックを受けた。
私は両親ともに日本人で、いわゆる純日本人だ。
それなのに、そんな言葉を向けられたことが、ひどく傷ついた。
この男子とこれ以上関わる必要はないと思ったわたしは、その場から逃げるようにして、
学校で一番怖がられていた教師のもとへ伝えた。
こっぴどく叱られたのか、
それ以降、その男子が話しかけてくることはなかった。
可愛い子は、やっぱり心まで美しい。
顔立ちが整っているということではなく、
人相からにじみ出る人の良さ。
愛嬌があったり、自然と素敵だなと思える子。
私は、そう感じた人と仲良くするようになっていた。
人の顔色をうかがうこと。
それが、私が小さい頃から無意識に使ってきた、
人を判断するための基準だった。
気持ちの余裕は、周りへの配慮にも表れる。
そう思っていた。
だから、わたしの周りにはいつも心が綺麗な友人たちがいた。
学生時代は友人にも恵まれ、楽しい毎日を過ごしていた。
知人で、年上の、名前だけ知っている人が
ある日、殺された。
噂はすぐに、私の元に広まってきた。
「あの人、殺されたらしいよ」
「10年も虐め続けていた人に、殺されたんだって」
友人たちは、そう言った。
いじめをしていた加害者が、
いじめを受け続けていた被害者に殺されたという話だった。
加害者が被害者になり、
被害者が加害者になってしまう。
昔から、友人は多くなかったけれど、
顔見知りや知り合いだけは、なぜか多かった。
「でも、何年も虐めていたなら、自業自得だよね」
誰もが、口を揃えてそう言った。
何人から同じ話を聞いても、亡くなったその人を
可哀想だと言う人は、誰一人いなかった。
私は昔から、
他人を自分の目で見て判断するタイプだった。
だから、女子特有の愚痴で仲良くなるような
コミュニケーションが、どうしても苦手だった。
噂話の中でよく聞く
「あの子はこうだから、仲良くしない方がいいよ」
そんな言葉は、聞き流すようにしていた。
幼いながらに、
人は噂ではなく、自分が見た姿で判断したいという
小さな芯だけは、持っていたのだと思う。
それでも
亡くなったその人を知っている何人もの口から、
「元々はいじめの被害者だった加害者」を
当然のように擁護する言葉が出てきたことには、
正直、強い違和感を覚えた。
そのとき、私は強く思った。
被害者にも、加害者にも、なってはいけない。
ある日、親友が教えてくれた。
「掲示板に、壱果のこと書かれてるよ」
誰かが、私を誹謗中傷しているという話だった。
少しだけ、悲しくなった。
けれど同時に、こうも思った。
「一般人に過ぎない私が、叩かれるなんて不思議だな」って。
理由は、なんとなく分かっていた。
遊びの誘いに乗らなかったからだと思う。
皆が学生時代に当たり前のように携帯電話を持ち始めた時代だった。
けれど、その便利さの裏にある
ネットの怖さを、
まだ誰も本当には知らなかったのかもしれない。
でもその出来事で、私はひとつ確信できた。
自分の「人を見る目」は、間違っていなかったのだと。
自分の目に迷いがなかったことが分かって、
少しだけ嬉しかった。
その人は、私を傷つけるつもりで書いたのだろう。
けれど私は、一周回って、前より少し強くなれた気がした。
そして、初めて思った。
「私って、一部の人からは、
羨ましがられる存在なのかもしれない」
不思議な感覚だった。
けれどそれは、私の中で、ほんの少しだけ
自己肯定感が芽生えた瞬間でもあった。
人に優しくし、私は強く生きる。
そう決めていたはずだった。
けれど、気づいたときには遅すぎた。
そこから始まる恐怖を、
私はまだ、知らなかった。
第二章 置き去りにされた私
高校を卒業すると、ふざけ合っていた友人たちは次々と東京へ上京していった。
芸能活動を目指す子。
アイドルとして事務所に入った子。
学年一の美少女で、いつの間にか有名な番組に出演していた子もいた。
年末、何気なくテレビを見ていたとき、
画面の端に映った友人に気づいて、思わず息をのんだのを覚えている。
「今、テレビ見てたんだけど、○○出てたよね?」
そう電話をすると、
「両親も気づかなかったのに、すごいね。嬉しい♡」
という声が返ってきた。
わたしは特別な存在ではない。
どこにでもいる、ごく普通の人間だった。
それでも昔から、
私はキラキラした人や物が好きだった。
何もない私の周りにも、なぜか人は集まってきた。
「壱果って、面白いんでしょー」
そんなふうに言って、
興味本位で近づいてくる人も多かった。
けれど私は、相手を言葉ではなく、心の動きで見ていた。
まるで動物園で、檻の外から中を眺めるように自分が周囲に見られてる気がした。
私は、誰が本気で、誰がただ覗いているだけなのかを、自然と分かってしまった。
遊びの誘いも、心から好きだと思える友人のものしか受け取らなかった。
だからこそ、私の周りには、心まで整った人だけが残った。
気がつけば、友人たちは粒揃いの美女ばかりになっていたのだと思う。
友人たちの活躍は、心から嬉しかった。
けれど、その頃から、
わたしの心は少しずつ歪んでいった。
会えなくなった寂しさと、誰にも打ち明けられない
元恋人から受けていた暴力の悩みを抱えたまま、
気づけばわたしは、自分と友人を比べるようになっていた。
第3章 希望を持っていたあの日々
高校卒業を控えた秋、私は第一志望の会社から内定をもらった。
無事に就職が決まり、当時の私は、これから始まる未来に胸を膨らませていた。
どんな日常が待っているのだろう。
きっと、明るくて、希望に満ちた毎日だと信じていた。
誰もが知るあの会社に受かったことが、誇らしかった。
特別な才能があるわけでもない私が、運だけでここまで来た。
そんなふうに思いながらも、どこかで「選ばれた」という感覚に浮かれていた。
一社目の面接で、すぐに採用の連絡が来た。
まるで神様からの贈り物のように思えた。
あのときは、まだ知らなかった。
この先、私の日常が、静かに、確実に壊れていくことを。
就職して少し経った頃、私はあの部屋に引っ越した。
それが、すべての始まりだった。
職場では人にも恵まれていた。
先輩たちは優しく、気にかけてくれて、
私は可愛がられていると感じていた。
だからこそ、誰にも言えなかった。
その裏で、私の生活が少しずつ、
確実に崩れていっていたことを。
元恋人との関係は、いつの間にか歪んでいた。
気づけば行動は制限され、考え方さえ縛られていた。
それでも私は笑っていた。
職場では「明るくて感じのいい人」でいなければならなかったから。
自分が壊れかけていることに気づかないふりをして、
自分で自分自身を騙しながら、私は毎日「周りから見える、いつものわたし」を演じ続けていた。
第4章 当たり前が壊れた日
私は祖父が大好きだった。
小学校高学年くらいまでは一緒に寝ていたし、
祖父母の家に行くと、祖父と二人で出掛けることが多かった。
生前、祖父はよく私にこう言った。
「友達は多くなくていい。
本当に信頼できる数人がいれば、それでいいんだから」
きっと祖父も、人との関係で苦労したことがあったのだと思う。
だからこそ、何度もこの言葉を私に伝えてくれたのかもしれない。
祖父が亡くなったあと、祖母は北国から、私たちの住む家に越してきた。
当時の私はまだ高校生で、家族と暮らすその家が、これから先もずっと続く日常だと思っていた。
祖父とは対照的に、祖母はとても社交的で、どこへ行ってもすぐに友達ができる人だった。
私は、知らず知らずのうちに
祖父の影を追っていたのかもしれない。
表向きには社交的に見えても、本当は人を選び
深く関われる相手を大切にするところに。
私はその生き様を重ね、静かな安心を覚えていた。
そうすることで
私も少しだけ、祖父の分身になれた気がした。
祖父の気持ちを胸に乗せたまま、
人生を歩みたかったのだと思う。
年齢を感じさせないほど元気で、冗談もよく言う。
そんな祖母が家に来たことで、家の中は少し賑やかになり、
わたしの居場所が、ほんの少しできたような気がしていた。
ある日のことだった。
期末テスト前で、珍しく自分の部屋ではなく、リビングで勉強をしていた。
すると奥の部屋から、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「壱果ー、壱果ー」
行ってみると、祖母が床に座り込んでいた。
「どうしたの?」
と声をかけると、祖母は少し困ったように言った。
「足が動かないんだよ」
その瞬間、時間が止まったような感覚になった。
数日前まで普通に出かけていた人が、
突然歩けなくなるなんて、思いもしなかった。
病院で告げられたのは、末期の癌だった。
学生だった私は、
足が動かなくなるその時まで、
祖母の癌に気づいてあげられなかったことが、
ただただ悔しかった。
そこからの日々は、静かに、けれど確実に、
そこからは、何かが静かに崩れていく時間だった。
母は祖母の看病に専念し、
私は学校から帰ると、いつも祖母のそばにいた。
一時期、祖母は入院していた。
けれどある日、祖母はぽつりと言った。
「病院じゃなくて、家にいたい」
その言葉を尊重して、
病院ではなく、家で過ごすという選択をした。
祖母は少しずつ、子どものようになっていった。
ある日、祖母はこう言った。
「壱果、ファンタグレープが飲みたい」
私は急いで自販機に買いに行って、渡した。
一口飲んで、祖母はぽつりと言った。
「甘すぎるね」
それだけの言葉だったけれど、
なぜか胸の奥が、ぎゅっとなった。
あの瞬間だけ、祖母が、
わたしの知っている祖母に戻った気がした。
高校を卒業し、あの部屋に引っ越しをして社会人になってからも、私は実家に通い続けていた。
仕事帰りに顔を出し、少し話をして、
痛いところを聞いて、体をマッサージする。
母が買い物に出ている間、祖母の様子を見る。
それが、いつの間にか当たり前の日常になっていた。
祖母を見ていて、介護というものがどれほど大変で、
そして尊いものなのかを知った。
私はまだ若く、何も分かっていなかったけれど、
「この人を一人にしてはいけない」
その気持ちだけは、強くあった。
祖母と話をする時間は、私の心の支えだった。
無理に明るく振る舞いながら過ごす辛い日常の中で、
祖母と過ごすひとときだけが、私の心の拠り所になっていた。
もしかしたら祖母も、
少しは私を心の拠り所にしてくれていたのかもしれない。
けれど本当は、
祖母よりも、私自身のほうが祖母を必要としていた。
祖母に会いに行くことが、
自分の心の均衡を保つ唯一の方法だったのだと思う。
けれど、その「当たり前」は、
少しずつ形を失っていった。
ある日を境に、祖母は急に弱っていった。
声は細くなり、視線は合わなくなり、
言葉も次第に途切れていった。
返事をしているのか、していないのかも
分からない時間が増えていった。
それでも私は、通い続けた。
何かをしてあげられるわけでもないのに、
足は自然と実家へ向かっていた。
こんなにも早く弱っていくなんて、信じられなかった。
祖母が衰えていく姿を目の当たりにして、卒業してすぐに家を出た自分の選択を、
私は少しずつ後悔し始めていた。
行かなければならない、というよりも、行かないと、
自分のほうが壊れてしまいそうだった。
その不安を隠すように、私はまた、何事もない顔をして日常に戻っていった。




