5.団長の奔走(2)
ジルベルト視点です。
「いただきます。良い毛並みになれるよう、頑張って太りますね」
レイは殊勝に手を合わせると、ホットミルクを飲み始めた。その横顔には、悲壮感も恐怖もなく、ただ「業務命令に従います」という淡々とした諦めだけがあった。
(……先は、長そうだ)
俺は頭を抱え、自分の黒パンを握りつぶした。
解体などするわけがないだろう。俺はただ、普通の女の子のように笑って、美味いものを食べてほしいだけなのに。 どうしてこう、俺の言葉は呪いのように変換されて伝わるのか。
だが、今はとにかく食わせることが先決だ。 俺は気を取り直し、彼女の食事風景を見守ることにした。
彼女が次に手を伸ばしたのは、皿に山盛りにされた果物――「シワシワの林檎」だった。 この砦は魔の森に近い。結界で守られているとはいえ、長期間保管された食材は瘴気の影響を受け、どうしても色が悪くなり、味も落ちる。 特に新鮮さが命の果物は、この辺境では宝石並みに貴重だ。 俺が用意させたそれは、多少萎びてはいるが、それでもこの砦にある最高級品だった。
「……」
レイが林檎を手に取る。 その瞬間だった。
フワッ、と。 彼女の手元から、場違いなほど甘く、瑞々しい香りが漂ったのは。
「ん?」
俺は目を瞬いた。 今、何が起きた? レイの細い指が触れた箇所から、茶色く変色していた林檎の皮が、見る見るうちに鮮やかな赤色へと染まっていく。 まるで時間を巻き戻したかのように。いや、収穫された瞬間よりもさらに生命力に満ちた、ピカピカの果実へと変貌していくではないか。
「……あれ? この林檎、すごく綺麗ですね」
当の本人は、自分の手の中で起きている奇跡に気づいていないらしい。 彼女は「保存状態が良かったんですね」と独りごちると、サクリと一口かじった。
「ん……! 甘い」
彼女の目が、ほんの少しだけ大きく見開かれる。 無表情だった顔がほころび、虚無だった瞳に「美味しい」という生気のある色が灯った。
「すごく美味しいです。蜜が入ってるみたい」
サクサク、と小気味よい音が響く。 俺は呆然とその光景を見ていた。 ありえない。この地域の林檎は、瘴気の影響で少し渋みがあるのが普通だ。あんなに幸せそうに頬張れる味ではないはずだ。
(まさか、食材の「毒素(瘴気)」まで浄化したのか……?)
周囲の騎士たちも異変に気づき始めていた。
「おい、なんだあの甘い匂い……」 「果物か? いや、あんな上等な果物、王都でも見たことねえぞ」 「あの嬢ちゃんが持った途端、果物が光ったように見えたんだが……」
ザワザワと食堂が騒がしくなる。
これではまるで、伝承にある聖女…
「……おい」
俺は低くドスの利いた声を出した。 一瞬で食堂が静まり返る。 俺は周囲の騎士たちをギロリと睨みつけ、威圧(物理)で口封じをした。
「ジロジロ見るな。……消化に悪い」 「ひっ、す、すみません!!」
騎士たちが慌てて視線を逸らし、自分たちの皿に顔を突っ込む。 俺はため息をつくと、林檎を完食しそうなレイに向き直った。
「全部食ったか」 「はい。ごちそうさまでした。……こんなに美味しい果物を食べたのは初めてです」
レイは満足げに手を合わせた。 そして、またしてもとんでもない爆弾を投下した。
「思い残すことはありません。最後の食事に相応しい味でした」 「…………」
だから、なぜそうなる。 俺はこめかみを指で押さえた。 美味しいものを食べて「生きたい」ではなく、「これで成仏できる」という方向に思考が飛躍するそのネガティブさは、もはや才能だ。
「……まだ死なん」 「え?」 「お前には働いてもらうと言っただろう」
俺は立ち上がり、彼女を見下ろした。 王都に戻るまで後、2日…。王に報告する前に確認せねば。そのためには俺の目の届く範囲に置いておく必要がある。
「ついて来い。俺の執務室を掃除してもらう」 「執務室、ですか?」 「そうだ。他の場所はいい。俺の部屋だけでいい」
俺の部屋なら、人目につかない。 それに、俺の魔力も大分落ち着く、側にいてくれた方が都合がいい。(というのは建前で、単純にあの子供の姿が見えないと不安なだけだが)。
レイは少し考え込むように首を傾げた後、ポンと手を打った。
「なるほど。重要な機密情報の処分ですね。私が外部の人間だから、後で消せば口封じも完璧ですし」 「ちがう!!!!」
俺の絶叫が、朝の食堂に虚しく響き渡った。




