44.おわり。
帝国での騒動から数日後。 王国に戻った私たちを待っていたのは、安堵の声と、そして――呆れ返るような甘い日々だった。
◇
騎士団長執務室。 本来ならば、国の治安を守るトップが厳しい顔で書類と格闘しているはずの神聖な場所だ。 けれど今、そこには奇妙な光景が広がっていた。
「……あの、団長さん? そろそろお仕事に戻らないと……」
「『ジル』だ。二人きりの時は名前で呼ぶ約束だろう?」
「うぅ……ジ、ジル……様」
私がソファに座っていると、その膝の上には――巨大な銀色の狼が、でんと頭を乗せてくつろいでいた。 そう、ジルベルト様だ。
彼は執務の合間の休憩時間(という名目で既に一時間が経過している)になると、こうして獣の姿になり、私に甘えてくるようになったのだ。
『ここだ。耳の後ろが足りない』
頭の中に直接響く念話で催促され、私はビクつきながらも、ふかふかの銀毛に指を沈める。 ゴロゴロ……と、喉を鳴らす音が振動となって伝わってくる。
(か、可愛い……! 悔しいけど、手触りが最高すぎる……!)
かつてはただの狼だと思って無心で撫でていたが、正体を知った今は違う。 この狼の中身は、あの美貌の騎士団長様なのだ。 それを意識すると、指先が熱くなる。
「……そ、その……ジル様。 以前のように、私が独り言を言っていないか、聞き耳を立てて楽しんでたりしませんよね?」
私が恐る恐る尋ねると、狼は金色の瞳を細め、フンと鼻を鳴らした。
『まさか。今はそんな余裕はない』
「え?」
『お前の匂いを堪能するのに忙しいからな』
「ッ~~~!!」
直球すぎる言葉に、また顔が沸騰する。 すると、ポンッ! という軽い音と共に、視界が白煙に包まれた。 重みが変わる。 気がつけば、私の膝枕でくつろいでいるのは狼ではなく――人間の姿に戻ったジルベルト様だった。
整った顔立ちが、下から私を見上げている。 その瞳は、獲物を狙う獣のように、とろりと甘く濁っていた。
「……狼の姿も便利だが、やはりこの姿でないとキスができないのが難点だな」
「なっ、ここは執務室ですよ!?」
「鍵はかけた。ダリウスには『緊急の魔力補充を行う』と言ってある」
「魔力補充って……嘘ですよね!?」
「嘘じゃない。俺にとって、お前成分の摂取は生命維持活動だ」
ジルベルト様は悪びれもせず、私の腰に腕を回し、ぐいっと抱き寄せた。 近い。顔が近すぎる。
「レイ。お前、まだ遠慮しているな?」
「え……?」
「俺に迷惑をかけたくないと心に、ブレーキをかけているだろう」
図星だった。 あんな大騒ぎをして受け入れてもらったとはいえ、長年のネガティブ思考はすぐには治らない。 つい、「こんなにベタベタしたら嫌がられるんじゃ」と不安になってしまうのだ。
ジルベルト様は、そんな私の不安を見透かすように、私の首筋に顔を埋めた。
「はぁ……いい匂いだ」
スハァ、と深呼吸をする音が聞こえ、背筋がゾクゾクする。
「もっと依存しろ、レイ。 お前が『ジル様がいないと生きていけない』と泣いて縋ってくるくらいじゃないと、俺の独占欲は満たされない」
「……っ」
「俺は、お前がどこへも行かないように、いっそ鎖で繋いでおきたいとすら思っている。 ……どうだ? 引いたか?」
彼は顔を上げ、試すような、でもどこか不安げな瞳で私を見た。 鎖で繋ぐ。 普通なら「引く」発言かもしれない。 でも――。
(……嬉しい、なんて思っちゃう私は、やっぱりダメなのかな)
その過剰なまでの執着が、私への愛の深さだと分かってしまうから。 私は、おずおずと彼の手を握り返した。
「……引きません」
「レイ?」
「だって……鎖で繋がれなくても、私はどこにも行きませんから。 むしろ、ジル様が『離れろ』って言っても、足にしがみついてついて行きますよ?」
私が精一杯の愛を伝えると、ジルベルト様は一瞬目を見開き――次の瞬間、クシャリと相好を崩した。
「……参ったな。可愛すぎて、理性が飛びそうだ」
「え、ちょっ……んっ!?」
反論する間もなく、唇が塞がれた。 優しく、でも食い入るような深い口づけ。 もはや「魔力補充」なんて言い訳が通じないほど、濃厚な時間が流れていく。
コンコンコン。
その時、ドアが無遠慮にノックされた。
「団長ー。緊急の『魔力補充』は終わりましたかねー? クラウスの尋問記録の決裁、早くしてくれないと困るんですけど」
ダリウスの声だ。 私は弾かれたように飛び退こうとしたが、ジルベルト様はガッチリと私をホールドして離さない。
「……チッ。間の悪い男だ」
「あ、開けちゃダメですよ!?」
「構わん。見せつけてやればいい」
ジルベルト様は不機嫌そうに身を起こすと、乱れた私の髪を指で梳きながら、ドアに向かって声を張り上げた。
「まだ途中だ! あと三十分……いや、一時間は入ってくるな!」
「えぇぇぇっ!? じ、ジル様!?」
「はいよー。熱いねぇ、ご馳走様」
廊下からダリウスの笑い声と、遠ざかる足音が聞こえる。 私は恥ずかしさで顔を覆い、ソファに沈み込んだ。
「もう……お嫁に行けません……」
「行く必要はないだろう。嫁ぎ先はここにあるんだから」
ジルベルト様は私の耳元に唇を寄せ、甘く、低く囁いた。
「一生、俺だけのものだ。覚悟しろと言っただろう? ……さあ、続きだ。レイ」
逃げ場はない。 けれど、この甘い檻から逃げたいとも思わない。
その重たくて強引な愛が、今の私には何よりも心地よかった。 私は彼の首に腕を回し、その胸に顔を埋める。
窓の外には、抜けるような青空が広がっていた。
こうして。 自分の価値を見失っていた「死にたがり聖女」は、 最強の騎士団長である彼に拾われ――
その重すぎる愛の檻の中で、世界で一番幸せな女性として生きていくのだった。
(おわり)
物語は一旦完結しますが、後日談などを書くかもしれません(需要あるかわかりませんが)。
設定とか構成とか文とか…(あげればきりがないですが)不慣れな部分も多くあり、申し訳ない限りでした。
それでも、最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。




