43.おうちに帰ろう。
「ひっ、あ……あぁ……」
クラウスは、喉の奥から引きつった音を漏らした。 目の前に立つ男から放たれる圧力が、物理的な重さとなってのしかかる。それは魔法障壁などでは防げない、純粋な「死」の気配だった。
「ま、待て……! 話せば分かる! 私はただ、彼女の才能を惜しんで……こ、国家間の問題になるぞ!?」
「国家間?」
ジルベルトは、冷徹に鼻を鳴らした。
「我が国の聖女を誘拐し、洗脳し、あまつさえ心を傷つけた。 その時点で、貴様に外交特権などない。あるのは『害獣』としての処分だけだ」
ブンッ!!
ジルベルトが剣を一閃させる。 刃はクラウスの首の皮一枚を残してピタリと止まったが、その剣圧だけで背後の壁が大きく抉れ、轟音が響いた。
「ヒィィィッ!!」
クラウスは腰を抜かし、無様に床を這いずった。 高慢だった魔導師の面影は微塵もない。
「私のレイに『価値がない』と言ったな」
ジルベルトが一歩踏み込む。
「その言葉、貴様自身に返してやる。 人の心の痛みが分からぬ貴様ごときに、生きている価値などない」
剣が振り上げられる。 クラウスは絶望に目を見開き、悲鳴を上げようとした――その瞬間。
「――はい、ストップストップ!」
軽い口調と共に、ダリウスがジルベルトの腕をガシッと掴んだ。
「団長、そこまでだ。こいつを殺したら、レイ様が『人殺しの原因になった』ってまた気に病むぜ?」
「……チッ」
ジルベルトは不満げに舌打ちをしたが、その言葉は効果てきめんだった。 彼は剣を鞘に納めると、代わりに硬く握りしめた拳を、クラウスの顔面へと叩き込んだ。
ドゴォッ!!
鈍い音が響き、クラウスは白目を剥いて吹き飛び、壁に激突して動かなくなった。
「……ふん。手加減はしてやった」
「いやいや、鼻の骨、完全に逝ってるからね?」
ダリウスは呆れつつも、手際よくクラウスを拘束し始めた。
「こいつの身柄と、この研究所の証拠は俺が押さえる。 団長はさっさとレイ様を連れて帰ってくれ。……これ以上、当てられちゃ敵わん」
ダリウスに促され、ジルベルトは振り返った。 そこには、へたり込んだまま、涙に濡れた目で彼を見上げるレイの姿があった。
「団長、さん……」
ジルベルトの表情から、修羅のような険しさが消え失せる。 彼はレイの前に跪くと、壊れ物を扱うようにそっと彼女を抱き上げた。いわゆる「お姫様抱っこ」だ。
「きゃっ!?」
「帰ろう、レイ。俺たちの家に」
その腕の中は、あの狼の時と同じように温かくて、安心感に満ちていた。 レイは、恐る恐るジルベルトの胸に顔を埋める。
「……本当に、いいんですか? 私、本当に面倒くさいし、ネガティブだし……それに、団長さんをペット扱いして……」
「まだ言うか」
ジルベルトは苦笑し、少しだけ意地悪く囁いた。
「言っただろう。俺は、お前が俺をペット扱いして無防備に甘えてくるのが大好きだと。 ……城に帰ったら、またあの時のように撫でてくれないか?」
「ッ~~~!!」
レイの顔から火が出た。 この人は、騎士団長としての威厳を持ちながら、中身はあの甘えん坊の狼そのままだ。 そして、私の「重い」愛を、それ以上に「重い」愛で受け止めてくれる、唯一の人。
「……はい。覚悟しておいてください」
レイは涙を拭い、精一杯の強がりと、ありったけの愛情を込めて言った。
「私、一度懐いたら離れませんから。 一生、撫で回してあげます!」
その言葉に、ジルベルトは今日一番の、とろけるような笑顔を見せた。
「望むところだ」
月明かりの下。 崩壊した『黒鉄の離宮』を背に、銀色の巨狼――ではなく、一人の騎士が、大切な聖女を腕に抱いて歩き出す。




