40.久々にダリウス
鏡の破片が、俺の手のひらに突き刺さっていた。 だが、痛みは遠い。 心臓を抉り取られたような喪失感に比べれば、肉体の痛みなど無に等しかった。
「……荷物、だと……?」
掠れた声が、喉から血の味と共に漏れる。 レイの最期の言葉が、呪いのように耳にこびりついて離れない。
『もう、貴方のお荷物にはなりたくありませんから』
あれは本心なのか? 俺が彼女を避けたから、彼女は俺を「自分を疎ましく思っている人間」だと判断し、絶望して去ったのか? だとしたら、俺が追いかける資格などあるのだろうか。嫌われている俺が顔を見せたところで、彼女をさらに傷つけるだけではないのか。
「あぁ……くそ……」
俺は床に拳をつき、うなだれた。 立ち上がる気力すら湧かない。ただ、自分の不甲斐なさと後悔で押しつぶされそうだった。
「――いつまで膝をついている、ジルベルト!」
頭上から、雷のような怒声が降り注いだ。 ハッとして顔を上げると、国王陛下が玉座から立ち上がり、鬼の形相で俺を見下ろしていた。
「へ、陛下……申し訳ありま……」
「謝罪など求めていない! 私が見たいのは、我が国の騎士団長の背中だ。このような場所で、女々しくうずくまる敗北者の姿ではない!」
陛下の言葉は鋭く、俺の胸に突き刺さった。
「レイの言葉を真に受けたか? 『荷物になりたくない』だと? 笑わせるな! あの娘の瞳を見ていなかったのか。あれは、心が壊れる寸前の、助けを求める者の目だ!」
「……っ!」
「その悲鳴も聞き取れず、あまつさえ『嫌われたかもしれない』などと自分を守る言い訳をして、このまま彼女を見捨てるつもりか? 貴様の愛はその程度だったのか!!」
――その程度。
その言葉に、凍りついていた心臓がドクリと跳ねた。 違う。そんなわけがない。 俺のレイへの想いは、そんな安っぽいものではない。
「……違います」
「ならば立て! 剣を取れ! 嫌われたなら、誤解だと何度でも叫べ! 拒絶されたなら、その倍の熱量で愛を語れ! 連れ去られた女一人取り戻せずして、何が国一番の騎士か!」
陛下の檄が、俺の背骨に熱い芯を通した。 そうだ。俺は何を迷っていたんだ。 嫌われているかどうかなど、取り戻してから悩めばいい。今はただ、あの暗い鏡の向こうで震えているはずの彼女を、救い出すことだけを考えろ。
俺は奥歯を噛み締め、血に濡れた手で床を押し、ゆっくりと立ち上がった。
「……目が覚めました」
顔を上げる。そこに迷いはもうなかった。
「必ず、連れ戻します。たとえ彼女に罵られようとも、俺は二度と手を離さない」
俺の瞳に再び金色の炎が宿るのを見て、陛下は満足げに頷いた。
「うむ。その顔だ。……して、行くあてはあるのか?」
その問いに答えようとした時だった。
「行き先なら、俺が案内してやりますよ」
不意に、バルコニーの影から男の声が響いた。 振り返れば、黒装束に身を包んだ男――副団長のダリウスが、窓枠に腰掛けてこちらを見ていた。
「ダリウス……! 戻っていたのか」
「ああ。たった今な。陛下のお説教、いいの聞かせてもらいましたよ。感動して涙が出そうだ」
ダリウスは軽口を叩きながら部屋に入ってくると、一枚の羊皮紙を俺に投げ渡した。
「帝国の『黒鉄の離宮』だ。クラウスの野郎、そこで大規模な術式を組んで待ち構えてやがる」
「黒鉄の離宮……」
「レイ様を利用して、とんでもない兵器を動かす気だ。急がねぇと、取り返しがつかなくなるぜ」
ダリウスの情報に、俺の手の中で羊皮紙がくしゃりと音を立てた。 場所は割れた。敵の狙いもわかった。 あとは、俺が牙を剥くだけだ。
「……感謝する、ダリウス」
「礼はいい。その代わり、暴れるときは俺も混ぜろよ。あの野郎の顔面、一発殴らねぇと気が済まないんでね」
俺は陛下に向き直り、深く一礼した。
「行ってまいります。……我が命に代えても、レイを連れて帰ります」
「許す! 行け、ジルベルト! 」
陛下の号令を背に、俺は走り出した。 窓を蹴破り、夜の闇へと躍り出る。 待っていろ、レイ。今すぐ、その悪夢を終わらせてやる。




