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死にたがり聖女は最強騎士団長(狼)に拾われる   作者: うる


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38/42

38.悪夢。

それから数日が過ぎた。  団長さんとエリスさんによる「鉄壁の護衛生活」のおかげで、クラウスが物理的に現れることはなかった。  物理的な安全は、完璧に守られていた。


 けれど……私の心までは、結界で守ることはできなかった。


 ◇


 一日目の夜。  私は暗い泥のような夢を見た。


 『レイ、いい子だ』


 湿った、嫌な声がする。  暗闇の中から、ぬるりとした手が伸びてくる。  それはクラウスの手ではない。もっと古い記憶にある、あの叔父の手だ。


 『お前は俺がいないと生きていけないんだ。何もできない、役立たずの小娘なんだから』


 叔父の歪んだ笑顔が迫ってくる。  私の体を撫で回す視線。逃げられない閉塞感。  嫌だ、やめて。私はもう、あの時の子供じゃない。


 ――助けて、団長さん…


 二日目の夜。  夢の内容が変わった。叔父の手を振り払ってくれたのは、団長さんだった。  けれど、助けてくれた彼は、冷たい氷のような目で私を見下ろしていた。


『ああ、レイ』


 団長さんは優しく微笑んだ。でも、その笑顔はどこか冷たくて、作り物めいていた。


 『大事な、大事な聖女様』


 え?


 『君が聖女でよかったよ。そうでなければ、こんな面倒な小娘、拾う価値もなかった』


 団長さんの口から、信じられない言葉が紡がれる。


 『勘違いするなよ? 俺がお前を大切にするのは、お前が国の役に立つ道具だからだ』  『用が済んだら捨てるさ。ただのペットを、一生飼うわけがないだろう?』


 ガラン、と足元が崩れ落ちる音がした。  団長さんが冷たい目で私を見下ろしている。  叔父の嘲笑と、団長さんの冷酷な言葉が混ざり合う。


 『愛されるわけがない』『お前は道具だ』『捨てられる』『捨てられる』――。


 「いやぁぁぁぁぁっ!!!」


 ガバッ、と跳ね起きる。全身が冷や汗で濡れている。  駆けつけてくれたワンちゃん(狼)にしがみつき、私は泣きながら訴えた。


「怖いの……団長さんは優しいけど、それは私が『聖女』だから……」 「私自身には価値がないから……いつか捨てられちゃう……」


 ワンちゃんは悲痛な声を漏らし、朝まで私を抱きしめてくれた。


 しかし、三日目、四日目と経つにつれて、悪夢は濃く、長くなっていった。  眠るのが怖い。目を閉じれば、またあの嘲笑が聞こえる。  私は夜通しワンちゃんの毛を握りしめて震え、浅い微睡みと覚醒を繰り返すことしかできなくなった。


 ◇


 そして、五日目の朝。


「……レイ。顔色がひどいぞ」


 執務室で、団長さんがペンを置き、私の元へ歩み寄ってきた。  私はファンデーションを厚く塗って隠していたつもりだったが、目の下のくまと、頬のやつれ具合は隠しきれていなかったようだ。


「え? そ、そうですか?」 「ああ。ここ数日、まともに眠れていないだろう。  やはり、夜も俺が同じ部屋で……」


「だ、大丈夫です!」


 私は慌てて立ち上がり、笑顔を作ろうとした。  これ以上、団長さんに心配をかけたくない。  あんな「捨てられるのが怖い」なんて惨めな悪夢を見ているなんて、知られたくない。


「ちょっと緊張してるだけです。  あ、お茶を淹れ直しますね。団長さんの分も……」


 私はよろめく足で、ティーセットの方へ向かおうとした。


 ――その時だった。


 グラリ。


 視界が大きく歪んだ。  天地が逆さまになるような感覚。  足の力が抜け、自分の体が重力に従って崩れ落ちていくのが分かる。


「あ……れ……?」


 私の口から、力の抜けた声が漏れた。  遠くで、団長さんが椅子を蹴倒して立ち上がる音が聞こえた。


「――レイ!!」


 悲鳴のような、彼の声。  ああ、ごめんなさい。また心配させちゃう。  でも、もう限界だ。  眠い。怖い。助けて……。


 私の意識は、床にぶつかる前に、温かい腕の中に受け止められて――そこでプツリと途切れた。


 ◇


 ……暗い。また夢だ。  私は闇の中にいた。


 『捨てられる』  『お前はいらない子だ』


 叔父の声と、想像上の冷酷な団長さんの声が響く。  寒い。冷たい。  誰か、温めて。誰か、私を必要だと言って。


 『――愛している』  『誰よりも、何よりも』  『聖女など関係ない。ただ、お前自身が大切なんだ』


 不意に、力強い声が聞こえた。  それは温かい光となって、闇を切り裂いた。  大きな手が、私を抱きしめる。  強くて、優しくて、絶対的な安心感。


 「……ん……ぅ……」


 私はその温もりに縋り付くように、深く、深く安らぎの中へ沈んでいった。


 ◇


 翌朝。  小鳥のさえずりと共に、私は目を覚ました。  あんなに何日も続いていた悪夢を、昨夜は見なかった。  代わりに、とても温かくて、安心できる感触に包まれて目が覚めた。


「ん……あったかい……」


 ワンちゃんだ。  私が倒れてから、ずっとそばにいてくれたんだ。  私は寝ぼけ眼で、抱き枕にしていたその「温かいもの」に頬ずりをした。


 滑らかで、硬くて、でも弾力のある感触。  ドクン、ドクンという、力強い心音。  ……あれ? モフモフしてない?


 私はゆっくりと目を開けた。


 目の前にあったのは、白いシャツの胸元。  はだけた襟から覗く、たくましい鎖骨。  そして、私の腰に回された、筋張った大きな人間の手。


「…………え?」


 思考が停止する。  恐る恐る視線を上にずらす。


 そこには、朝日に照らされた金色の髪と――私を優しく、そして泣き出しそうなほど切なげに見つめる団長さんの顔があった。


「……おはよう、レイ」


 団長さんは、掠れた声で囁いた。  その目は赤く充血していて、一睡もしていないことが分かった。


「だ、だだだだだ団長さんッ!?」


 私は悲鳴を上げて飛び起きようとしたが、腰に回された腕がそれを許さなかった。  むしろ、さらに強く抱き寄せられる。


「動くな。……もう少しだけ」


 団長さんは私の頭を自分の胸に押し付け、震える声で言った。


「昨日の夢の話……そして、ワンちゃんにだけ話していたという本音を、詳しく聞かせてもらおうか」


「ッ――!?」


 私の顔から血の気が引いた。  な、なんで知ってるの!?  私はワンちゃんにしか話してないはずなのに――!?


 混乱する私の頭の中で、いくつかのピースが音を立ててはまった。  夜にしか来ないワンちゃん。  昼間は忙しい団長さん。  同じ金色の瞳。同じ温かさ。  そして今、私のベッドにいるこの人。


 まさか。  まさか、そんな。


 私の「秘密の相談」も、泣き顔も、恥ずかしい本音も。  すべて、一番聞かれたくない本人に、筒抜けだったのだ。

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