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死にたがり聖女は最強騎士団長(狼)に拾われる   作者: うる


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35/44

35.ドアは優しく開けましょう。

謁見の間を出た瞬間、団長さんは走った。


「団長閣下!? お待ちください!」


 背後で大臣たちが呼び止める声が聞こえたが、彼は完全に無視した。  広い王城の廊下を、風を纏うかのような速度で駆け抜ける。すれ違う騎士やメイドたちが、彼の放つ凄まじい殺気に悲鳴を上げて壁際に避けていく。


 ――『可愛らしく怯えていらっしゃいましたね』


 クラウスのあの言葉が、呪いのように頭の中で反響していた。  あの男は見たのだ。無防備なレイを。  そして、あろうことか「唆る」などと抜かした。


「(……殺す。次、あいつがレイの名を口にしたら、その喉笛を食いちぎってやる)」


 理性的な騎士団長としての仮面は剥がれ落ち、中身の「獣」が暴れ出しそうになるのを、彼は必死に理性の鎖で繋ぎ止めていた。  今は、敵を殺すことより、レイの無事を確認することが最優先だ。


 ◇


 一方、騎士団長執務室。


「……遅いな、団長」


 扉の前で剣を構えて立っていたエリスさんが、不安げに呟いた。  私は部屋の奥のソファに座り、膝の上で両手を強く握りしめていた。  団長さんが出て行ってから、まだ1時間も経っていない。けれど、その時間が永遠のように長く感じられた。


 あの蛇のような男、クラウス。  彼が今、王城にいる。団長さんと対峙している。  そう思うだけで、指先の震えが止まらなかった。


「大丈夫だレイ。団長がついてる。あの人が負けるわけないだろ?」


 エリスさんが明るく声をかけてくれた、その時だった。


 ダァァァァンッ!!


 轟音と共に、執務室の分厚い扉が乱暴に開かれた。  いや、開かれたのではない。鍵がかかっていたはずなのに、無理やりこじ開けられたのだ。


「ひっ!?」


 私が悲鳴を上げて身を縮こまらせると、そこには――。


「――レイ!!」


 肩で息をし、髪を振り乱した団長さんが立っていた。  その金色の瞳は血走っていて、まるで修羅のようだった。


「だ、団長さん……?」 「無事か!? 変わりはないか!? 誰も入ってきていないな!?」


 団長さんは大股で近づくと、私の前に膝をつき、私の腕、顔、首筋を食い入るように確認した。  その必死な形相に、私は言葉を失った。


「は、はい。ずっとエリスさんと一緒でした。誰も来ていません」 「そうか……よかった。本当によかった……」


 団長さんは力が抜けたように呟くと、私をきつく、骨が軋むほどの力で抱きしめた。


「く、苦しいです……団長さん」 「すまない。……だが、少しだけこのままでいさせてくれ」


 団長さんの体は、微かに震えていた。  それは恐怖なのか、怒りなのか。  彼の心臓の音が、痛いほど早く私の耳に響いてくる。


 その時、私は気づいた。  私の背中に回された団長さんの手から、ポタ、ポタ、と赤い雫が落ちていることに。


「団長さん! 手が……!」


 私は慌てて体を離し、彼の手を取った。  革の手袋が破れ、そこから血が滲んでいる。  拳を強く握りしめすぎて、自分の爪で掌を傷つけてしまったのだ。


「こんなに血が出て……! 手当てしないと!」 「……こんなもの、かすり傷だ。お前が無事なら、痛みなど感じない」


 団長さんは自分の傷など気にも留めず、ただ愛おしそうに私の頬を撫でた。


「あいつの……あの毒蛇の目が、お前を見ていたと思うだけで、気が狂いそうだった。  俺がそばにいながら、みすみすお前を怯えさせてしまったことが許せない」


 その声は、深く沈んでいた。  自分自身への激しい怒りと、私を失うことへの根源的な恐怖。  最強の騎士団長である彼が、私のためにこれほどまでに心を乱し、傷ついている。


 私は胸が締め付けられるような思いがした。  守られているだけじゃダメだ。  私も、彼のために何かしたい。


「団長さん。……手を出してください」


 私は彼の大きな手を両手で包み込んだ。  そして、神殿で習ったばかりの、拙い祈りの言葉を紡ぐ。


「癒やしと安らぎを……」


 私の掌から、淡い光が溢れ出した。  聖女としての「浄化」の光。それが彼の傷口を包み込み、ゆっくりと塞いでいく。


「レイ……?」 「私、何もできませんけど……でも、団長さんが痛い思いをするのは嫌です」


 私は顔を上げ、彼の金色の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「私は物じゃありません。帝国の招待なんて受けません。  私は、団長さんのそばにいたいです。  ……だから、そんなに怖がらないでください」


 私の言葉に、団長さんは目を見開いた。  そして、今にも泣き出しそうな、それでいてどうしようもなく嬉しそうな顔で、歪に笑った。


「……ああ。そうだな」


 傷が塞がった手で、彼は私の手を握り返した。  その手はもう震えていなかった。


「お前は渡さない。誰にもだ。  ……たとえ世界を敵に回しても、俺が必ず守り抜く」


 そう誓う彼の瞳に、再び強い光が戻る。


 その様子を、扉の近くで見ていたエリスさんが、やれやれと肩をすくめた。


「はいはい、ごちそうさま。  ……とりあえず、私は壊されたドアの修理業者を手配してきますよ。  まったく、とんだバカップル……じゃなかった、主従だよ」


 エリスさんが部屋を出て行き、壊れた扉が閉まる。  再び二人きりになった執務室で、私たちはどちらからともなく、もう一度静かに寄り添い合った。


 帝国の脅威は去っていない。  けれど、団長さんの手が温かい限り、私はもう震えたりしないと心に決めた。

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