29.まさかのゴミでした。
「入りたまえ」
騎士団長室の重厚な扉をエリスさんがノックすると、中から冷徹で、少しの隙もない低い声が返ってきた。 エリスさんが扉を開ける。
「失礼します、団長。……珍しいお届けものです」 「お届けもの? 私は今、会議の直前で気が立っている。急ぎでなければ後にしてくれ」
デスクで書類に目を通していた団長さんは、顔も上げずに手を振った。 その完璧な仕事ぶり。張り詰めた空気。 エリスさんが苦笑しながら、私の背中をポンと押した。
私が、おずおずと一歩前へ出る。
「あの……団長さん」
私の声が聞こえた瞬間。 団長さんのペンを走らせる音が、ピタリと止まった。
ゆっくりと、恐る恐る顔が上げられる。 そして、そこに立っているのがラフな街娘姿の私だと認識した瞬間――。
カラン……。
団長さんの手から、万年筆が滑り落ちて床に転がった。 彼は目を見開き、口をパクパクとさせ、まるで幽霊でも見たかのように椅子の上で硬直した。
「……れ、レイ……?」
その声は裏返っていた。 普段の冷静沈着な彼からは想像もつかないほど、動揺している。
「な、なぜ……なぜお前がここにいる!? 屋敷にいるはずだろう!? しかも、なんだその格好は!?」
「あ、あの、これ……!」
私は、彼の動揺を鎮めようと、抱えていた書類をバッと差し出した。
「団長さん、朝、書斎にこれを忘れていったでしょう? 『至急』って書いてあったから、会議に間に合わないと思って、急いで届けに来たんです!」
私は「役に立てたはず」と、少しだけ誇らしげに胸を張った。 しかし。 団長さんはその書類を見て、キョトンとし――次の瞬間、頭を抱えて呻いた。
「……レイ。まさか、それを届けるためだけに来たのか?」 「は、はい。だってこれ、大事な会議の資料じゃ……」
「違う」
団長さんは、疲労困憊といった様子で告げた。
「 それは……書き損じだ。 古いデータだから、あとで処分しようと机の端に避けておいただけだ」
「…………え?」
私の思考が停止した。 か、書き損じ? ゴミ? じゃあ、私は……ゴミを届けるために、一人で屋敷を飛び出して、変な騎士の人たちに絡まれて、怖い思いをしたの?
「う、嘘……」
私が血の気を失ってフラつくと、団長さんがガタッ!! と椅子を蹴倒して立ち上がり、私に詰め寄った。
「そんなことより、レイ! お前、まさか一人で来たのか? 護衛もつけずに? 本部の裏口を通ったのか? あそこは新人の男どもがたむろしている場所だぞ!?」
「は、はい……急がないとって思って……」
ダンッ!!
団長さんが壁を拳で叩いた。 その音と、彼の悲痛な叫びに、私は竦み上がった。
「馬鹿者ッ!!!」
「ひっ!?」
「不要な紙屑一枚のために、お前は命を危険に晒したのか!? もしお前に何かあったら……俺はどうすればよかったんだ!!」
団長さんが私の両肩を掴む。その力は強く、そして激しく震えていた。 あまりの剣幕に、私は最初こそ縮こまったが、次第にムクムクと反発心が湧いてきた。
たしかに、ゴミだったのはショックだ。勝手に出てきたのも悪かった。 でも、そこまで怒鳴らなくてもいいじゃないか。
「……大げさです」 「あ?」 「だって、屋敷のすぐ裏ですよ? 走れば5分もかからない場所です。 それに、ここは騎士団の本部じゃないですか。治安が悪いスラム街に行ったわけじゃあるまいし……」
私は唇を尖らせ、プイッと視線を逸らした。
「私だって大人です。一人で外出くらいできます。 団長さんは心配性すぎます。そんなに子供扱いしないでください」
私が不貞腐れてそう言うと、団長さんは信じられないものを見るような目で私を見た。
「大げさ、だと……? お前、自分の無防備さを分かっていないのか!? ここには血気盛んな男が何百人もいるんだぞ! お前のような……その、可愛らしい女が一人で歩いていれば、どうなるかくらい!」
「大丈夫でしたもん!」
私は団長さんの言葉を遮って言い返した。
「たしかに、ちょっと変な騎士たちには絡まれましたけど……」
「絡まれただとッ!? 無事じゃなかったじゃないか!!」
団長さんの顔色が青を通り越して白くなる。 私は慌てて、隣にいるエリスさんを指差した。
「でも! エリスさんがすぐに助けてくれましたから! 颯爽と現れて、バシッと私を庇ってくれて……震える私の背中をさすってくれて、手も引いてくれて……! 本当に王子様みたいにかっこよくて、私、ドキドキしちゃいました!」
私は団長さんへの当てつけも込めて、エリスさんの活躍を熱っぽく語った。 ほら、ちゃんと助けてくれる人もいるんです、と言いたかったのだ。
――しかし。 それが火に油を注ぐことになるとは、気づかなかった。
部屋の温度が、急速に絶対零度まで低下した。
「……エリス」
団長さんが、ハイライトの消えた瞳でエリスさんを見ていた。 その背後には、ゆらりとどす黒い嫉妬のオーラが立ち昇っている。
「は、はい?」 「貴様……俺のレイに抱きついたり、手を繋いだり、あまつさえ『王子様』などと呼ばれていい気になっているそうだな?」
「いや、人助けですけど!? 完全に善意ですけど!?」
「それに、レイが馬鹿どもに絡まれているのを即座に防げなかったのは、貴様の教育不足ではないか? どう落とし前をつけるつもりだ?」
「そ、それは……ぐうの音も出ませんが……!」
団長さんは、机の上に積み上がった(書き損じではない本物の)書類の山を指差した。
「罰として、今日の俺の残務処理を全て手伝え。徹夜だ。 それと、レイの手を握ったその手は、あとで聖水で消毒しておくように」
「はぁぁぁっ!? 理不尽すぎませんか団長!?」 「うるさい。これは命令だ。 ……それ以上、レイにかっこいいところを見せるな」
最後の一言は、完全に私情だった。 団長さんはフンと鼻を鳴らし、私に向き直ると、甘い声で言った。
「レイ。帰りは俺が送る。 ……ゴミを届けるためとはいえ、俺のために走ってくれたその気持ちだけは、受け取っておく」
「むぅ……団長さんのバカ」
私がまだ少し不満げに言うと、団長さんは困ったように笑い、私の頭を優しく、しかし少し乱暴に撫でた。
「バカで結構。 ……だが、二度とするな。次やったら、俺の心臓が持たん」
その切実な響きに、私はそれ以上文句を言えなくなってしまった。
その背後で、理不尽な残業を押し付けられたエリスさんが、天を仰いで絶叫しているのが聞こえた気がした。
(……どんだけ嫉妬深いんだよ、このおっさんッ!!!!)
こうして、私は団長さんの完璧さと、それ故の私の空回りを痛感しつつも、新たな友人エリスさん(とばっちり被害者)との絆を深めたのだった。




