28.女性騎士エリス。
ある日の午後。 私は、団長さんの書斎の机の上に、一束の書類が置き忘れられているのを見つけた。
「あ……これ、朝に『今日の会議で使う重要書類だ』って言っていたやつじゃ……」
表紙には赤字で【至急】の印。 時計を見る。会議の時間まであとわずかだ。
「ど、どうしよう。今から侍女さんを呼んで、護衛の騎士さんを手配して……なんてやってたら間に合わない!」
普段、私が騎士団の本部へ行く時は、団長さんの言いつけで必ずお付きの人を連れて行くことになっている。 でも、本部は屋敷のすぐ裏手だ。走れば5分もかからない。
「……よし。こっそり行って、渡してすぐ戻れば大丈夫だよね」
私は動きやすいように、スカートの丈が短いラフな街娘風のワンピースに着替えると、書類を抱えて屋敷を飛び出した。
◇
騎士団本部の中庭。 屈強な男たちが訓練に励む中、私は息を切らして駆け込んだ。
「はぁ、はぁ……間に合ったかな……」
受付に行こうとした、その時だった。
「おや? なんだか可愛い子猫ちゃんが迷い込んでるぞ」
ニヤニヤとした笑い声と共に、行く手を塞がれた。 見ると、まだ若い――おそらく入団したばかりの騎士たちが、興味本位の目で私を取り囲んでいた。
「き、騎士様。すみません、通してください。団長さんに用事があって……」 「団長に? ははっ、お嬢ちゃんみたいな街の子が、雲の上の団長に何の用だよ」 「差し入れか? それともファン? 悪いこと言わないから、俺たちにしときなよ」
彼らは私のラフな格好を見て、ただの一般市民の娘だと思っているようだ。 一人が私の腕を掴み、顔を覗き込んでくる。
「よく見たら結構可愛いじゃん。ねえ、お茶しようよ」 「離してください……!」 「つれないなぁ。そんなに怯えなくていいのにさ」
その騎士の目は、粘つくような欲望を含んで私を舐め回していた。 その瞬間。 私の脳裏に、封印していた嫌な記憶がフラッシュバックした。
――『レイ、お前は本当に可愛くなったな』
かつて私を引き取った叔父。 親代わりという名目で、私の部屋に入り込み、私の体をいやらしい目で見ていた、あの男の視線。 抵抗しようとすると暴力を振るわれ、逃げ場のない恐怖に震えていた日々。
「っ……!」
ガタガタと、膝が震え出した。 怖い。気持ち悪い。 普段なら「急いでいるので」と毅然と言い返せるはずなのに、こういう「性的な目」で見られると、私は体が竦んで動けなくなっ死んでもいいと思ってたかなんだけどねてしまう。森に突然飛ばされても動じないのに…(まあ、死んでもいいと思ってたかなんだけどね)。
「お、震えてるよ。可哀想に。俺たちが慰めてあげるからさ」 「や……やめ……」
男の手が、私の肩に伸びてくる。 私はギュッと目を閉じ、身を縮こまらせた。
――誰か、助けて。団長さん……!
その時。
「――おい。何をしている、お前ら」
凛とした、しかし氷のように冷たい女性の声が響いた。
「「げっ、第三部隊長……!?」」
男たちが動きを止める。 目を開けると、そこには腰に手を当て、ゴミを見るような目で彼らを睨みつけるエリスさんが立っていた。
「エ、エリス隊長! い、いえ、これは部外者が入り込んでいたので、尋問を……」 「尋問? 私には、寄ってたかってか弱い女の子をナンパしているようにしか見えなかったが?」
エリスさんはカツカツとヒールを鳴らして近づくと、私の腕を掴んでいた男の手を、バチンッ! と容赦なく払い除けた。
「ひぃっ!」 「恥を知れ。騎士の制服を着て、一般市民を怯えさせて何が『守護者』だ。 今すぐ練兵場でランニング100周してこい。その後は始末書だ。 ……さっさと失せろ!!」
ドスの効いた一喝に、若い騎士たちは「は、はいぃぃッ!」と悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
嵐が去った後、エリスさんはふぅと息を吐き、しゃがみ込んで私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か、レイ? ……顔色が悪いな。怖かったか?」
いつものサバサバした口調とは違う、姉のような優しい声。 それ聞いた途端、張り詰めていた糸が切れ、私はその場にへたり込んでしまった。
「うぅ……エリスさん……っ」 「よしよし、もう大丈夫だ。あいつらは私がシメておいたからな」
エリスさんは私の背中をポンポンと叩いてくれた。 その手は温かく、強くて……震える私の心を包み込んでくれた。
「(か、かっこよすぎる!!)」
「それにしても、なんで一人でこんなとこに? あの過保護な団長が、お前を一人で出すわけないだろ」
「そ、それが……これを……」
私は抱えていた書類を差し出した。
「団長さんが会議の書類を忘れていて……急がないとと思って、勝手に出てきちゃって……」 「……うわぁ、マジか。『至急』って書いてある」
エリスさんは苦笑いし、私の頭を撫でた。
「お前、健気すぎるだろ。 ……でも、偉いぞ。よく頑張って持ってきたな」
「はい……でも、怖かった……」 「ああ。ごめんな。うちのバカ共が」
エリスさんは立ち上がり、私に手を差し伸べた。
「さあ、行こうか。 団長のところまで私がエスコートしてやる。 ……ついでに、団長にも一言文句言ってやらないとな。『大事な子を危険に晒した責任を取れ』ってな」




