23.ここには、もういられません。
その夜、私は自室の窓を開け、冷たい夜風に吹かれていた。 部屋は暗く、静まり返っている。
――また、今日も団長さんは帰ってこなかった。
数日前、私が「21歳だ」と告げてから、団長さんの態度は一変した。 花束を押し付けるように渡して走り去り、それ以来、顔を合わせてくれない。 朝は私が起きる前に出かけ、夜は私が寝た後に帰ってくる。
そして何より悲しいのは……毎晩来てくれていた「ワンちゃん」さえも、来なくなってしまったことだ。
「……嫌われちゃったのかな」
思い当たる節はいくらでもある。 14歳くらいの子供だと思っていたのに、実は21歳だった。 「詐欺だ」と思われたかもしれない。あるいは、いい歳をして無邪気に甘えていたことを、気持ち悪いと思われたのだろうか。
ズキリ、と胸が痛む。 ここ一ヶ月、団長さんとワンちゃんのおかげで、私は生まれて初めて「幸せ」を知った。 美味しいご飯、温かいお風呂、フカフカのベッド。 そして何より、私に向けてくれる優しい眼差しと、温かい手のぬくもり。
『もっと生きたい』 『この人と一緒にいたい』
そう願ってしまった。 でも、それが間違いだったのだ。
「……行かなくちゃ」
私はテラスの手すりに手をかけた。 ここから飛び降りて、屋敷を抜け出し、またあの暗い森へ戻ろう。
死ぬのは怖い。 でも、ここにいる方がもっと怖い。
「ここにいたら……私、死ぬのが惜しくなっちゃう」
私は本来、処刑されるべき身だ。 それなのに、団長さんのそばにいると「生きたい」と願ってしまう。 嫌われているのに、避けられているのに、それでも彼を求めてしまう自分が惨めで、申し訳なくて。 このままでは、いざ処刑の時が来た時、往生際悪く泣き叫んで、団長さんを困らせてしまうだろう。
「だから、行かなきゃ。 誰もいない場所で、もう一度、一人で死ぬ覚悟を決め直さないと」
私は涙を拭い、テラスから身を乗り出した。 その時。
ドサッ!!
背後で大きな音がした。 驚いて振り返ると、部屋のドアが勢いよく開かれ、肩で息をする団長さんが立っていた。
「……レイッ!!」
彼は私の姿――テラスの手すりに足をかけ、今にも飛び降りようとしている姿――を見て、顔面蒼白になり、悲鳴のような声を上げた。
「早まるなァァァァァッ!!」
次の瞬間、突風のような速さで駆け寄ってきた彼に、私は強い力で後ろから抱きすくめられ、部屋の中へと引きずり戻された。
「だ、団長さん……?」 「馬鹿野郎! 何をしている! 死ぬ気か!?」
耳元で怒鳴られ、私はビクリと体を震わせた。 団長さんの腕は震えていて、私を逃がさないとばかりに強く、痛いほどに抱きしめている。
「……離してください。私、行かないといけないんです」 「行く? どこへだ! またあの森へ戻る気か!?」 「はい。……ここにいたら、駄目なんです」
私は団長さんの腕の中で、静かに告げた。
「貴方のそばにいると、優しくされると……私、死ぬのが怖くなってしまう。 『生きたい』なんて、分不相応な夢を見てしまう」
「レイ……」
「でも、貴方はもう私のこと、嫌いになったでしょう? 大人の女なんて可愛くないし、騙された気分でしょう? だから、もういいんです。 私はここを出て、一人で静かに……死ぬ覚悟を取り戻しに行きます」
そう。 甘い夢はもう終わり。 死刑囚らしく、孤独と絶望の中で最期を待つのがお似合いなのだ。
私がそう言い聞かせようとした、その時。
「――ふざけるなッ!!」
団長さんが叫んだ。 体が反転させられ、私は彼の瞳を真正面から見ることになった。 その瞳は真っ赤に充血していて、怒りと、それ以上の焦燥に揺れていた。
「死ぬ覚悟? そんなもの、俺が何度でも叩き潰してやる! 揺らげ! いっそ迷って、生に執着しろ!」
「え……?」
「俺がお前を嫌いになっただと? 誰がそんなことを言った! 俺が避けたのは、嫌いになったからじゃない! ……大切すぎて、どう触れていいか分からなくなったからだ!」
「大切すぎて……?」
「ああそうだ! お前が大人だと知って、俺は……お前を一人の女として見てしまった。 理性が効かなくなるのが怖くて、みっともなく逃げ回っていただけだ! お前が悪いことなんて、何一つない!」
団長さんは荒い息を吐きながら、私の肩を掴む手に力を込めた。
「頼むから、死ぬための覚悟なんてしないでくれ。 俺の前から消えないでくれ。 ……お前がいなくなったら、俺は生きていけないんだ」
団長さんは私の額に自分の額を押し付け、祈るように、縋るように呟いた。 その熱と、真剣な声音に、私の凍りついていた心が溶け出し、ポロポロと涙が溢れ出した。
「うぅ……団長ざぁん……っ」 「泣くな。いや、泣かせたのは俺だな。すまん……」
団長さんは私を再び抱きしめ、背中を優しく撫でてくれた。 その手つきは、あの「ワンちゃん」と同じくらい温かくて、安心できるものだった。
ああ、揺らいでもいいんだ。 生きたいと願っても、許されるんだ。
私は団長さんの服をギュッと握りしめ、 「死ぬ覚悟」の代わりに、「彼と共に生きたい」という願いを込めて、声の限り泣きじゃくった。




