22.大人ですが何か?
その日の夕方。 俺は片手に、包装された深紅の薔薇の花束を抱え、屋敷の廊下を歩いていた。
部下たちに唆されて買ったものの、いざ渡すとなると妙な緊張が走る。 柄にもないことをしている自覚はある。だが、店員が「この薔薇はビタミンCが豊富で、花びらはジャムにすると滋養強壮に良い」と言っていた。 つまりこれは、観賞用ではなく非常食(保存食)だ。そう自分に言い聞かせれば、足取りも少しは軽くなるというものだ。
「(……だが、渡せるか?)」
俺はふと、足を止めた。 最近、俺はある「問題」に悩まされていた。
それは、レイの成長――いや、変化だ。 ここに来た当初は骨と皮ばかりだった彼女に、俺はせっせと高カロリーな食事を与え続けた。 その結果、彼女は順調に健康を取り戻したのだが……。
つくべきところに、つきすぎているのだ。
特に、胸元や腰のくびれ。 最近、マチルダが新調したドレスを着ている姿を見ると、どうも目のやり場に困る。 あどけない笑顔は変わらないのに、ふとした瞬間にドキリとするような色香を感じてしまうのだ。
「(……いや、邪念だ。あいつは子供だ。俺が育てたんだ)」
俺は自分を強く戒め、応接間の扉を開けた。
「ただいま、レイ。 今日は土産がある……」
言いかけて、俺は言葉を詰まらせた。
◇
窓際で夕日を浴びていた彼女は、マチルダが新調したという淡い青色のドレスを身に纏っていた。
逆光に透けるボディライン。 以前はストンとしていたドレスの胸元が、今は窮屈そうに盛り上がり、柔らかな曲線をえがいている。 華奢な鎖骨と、そこから続く白い肌のコントラスト。
「(……ッ、またか)」
俺は反射的に視線を逸らした。 最近、この「視線逸らし」が癖になりつつある。30歳のいい大人が、保護者としてあるまじき失態だ。
「あ、お帰りなさいませ、団長さん!」
レイが俺に気づき、花が咲くように微笑んだ。 そして、俺の手元にある花束に気づくと、目を輝かせて駆け寄ってきた。
「わぁ! お花ですか? すごい、真っ赤な薔薇……!」
レイは無邪気に俺の目の前まで近づいてきた。 近い。 今までなら何とも思わなかった距離が、今は危険水域だ。 ふわりと漂う風呂上がりの甘い香りと、ドレスの襟ぐりから覗く無防備な谷間が、俺の理性をガリガリと削ってくる。
「(……無防備すぎる。自分が男の部屋にいるという自覚がないのか?)」
俺が内心で冷や汗をかいているとも知らず、レイは花束を受け取ろうと手を伸ばし、そしてバランスを崩してよろけた。
「あっ……」 「危ない!」
俺はとっさに彼女の体を支えた。 腕の中に、柔らかくて温かい感触が飛び込んでくる。 重さを感じないほど軽いのに、女性特有の柔らかさだけが強調されて伝わってくる。
「す、すみません! カーペットに躓いちゃって……」
レイが上目遣いで俺を見上げる。 至近距離で見つめ合う瞳。潤んだ唇。 ドクン、と俺の心臓が早鐘を打った。
――これは、本当に「子供」に対する反応か?
脳裏に、先日兄上(国王)に謁見した時の会話が蘇る。
『ジルベルトよ。聖女の保護を認めたが……一つ忠告しておこう』 『忠告、ですか?』 『ああ。お前はあの子を「子供」だと言い張っているが……書類上の年齢を見たか? 余の目には、あれはもう立派な「爆弾」に見えたぞ。 ……せいぜい、お前のその堅い理性が焼き切れないよう気をつけることだな』
あの時は、兄上が何を言っているのか分からなかった。 だが、今なら分かる。
俺は、震える声で問いかけた。
「……レイ」 「は、はい?」 「念のために聞くが……お前、今いくつだ?」
俺の腕の中で、レイはキョトンとして、事も無げに答えた。
「え? 21歳ですけど」
――時が、止まった。
「……は?」
「21歳です。来月で22歳になります。 ……あ、もしかして、もっと子供だと思ってました? すみません、チビで痩せっぽちだったから……」
レイが恥ずかしそうに頬を染める。 だが、俺の耳にはその言葉の余韻だけが木霊していた。
21歳。 21歳!? 未成年ですらない、完全な大人じゃないか!!
「(俺は今年30歳……9歳差……)」
9歳差。 それは「保護者と子供」ではない。「男と女」として十分に成立する年齢差だ。 兄上の言っていた「爆弾」とは、こういうことだったのか……!!
子供だと思っていた。 だからこそ、無防備な姿も「成長記録」として処理できていた。 毎晩、狼の姿で同じベッドに乗って添い寝をしていたのも、「ペットと飼い主」だから許されると思っていた。
だが、21歳。 それは完全に**「大人の女性」であり、30歳の男がやっていいことのラインを遥かに超えている。俺の行動は「夜這い」**に等しい。
「だ、団長さん? 顔が真っ赤ですよ? お熱ですか?」
心配したレイが、そっと俺の額に手を伸ばしてくる。 その手が触れた瞬間。
バチンッ!!
俺の中で、今まで「保護欲」という蓋で抑え込んでいた何かが、完全に弾け飛んだ。 このままここにいたら、俺は彼女を押し倒してしまうかもしれない。
「……離れろッ!」 「えっ?」
俺は花束を彼女に押し付け、弾かれたように距離を取った。
「す、すまん! 急用を思い出した! そ、その花は……ジャムにして食え!!」
意味不明な捨て台詞を残し、俺は逃げるように応接間を飛び出した。
◇
自室に戻った俺は、扉に鍵をかけ、その場にズルズルと座り込んだ。 心臓の音が、うるさいほどに鳴り響いている。
「……21歳、だと……?」
俺は自分の顔を手で覆った。 熱い。耳まで熱い。
今まで俺は、部下たちに何と言い張ってきた? 『ただの子供だ』 『保護者としての義務だ』 『恋愛感情などあるわけがない』
――あいつら、影で笑ってやがったな!? 兄上も、大神官も、ダリウスも! 全員気づいていて、俺一人がピエロだったのか!! 30歳にもなって、21歳の娘を「子供扱い」して囲い込むなんて、端から見れば危ない男そのものではないか!
「くそっ……! なんで誰も教えてくれなかったんだ!」
いや、教えようとしてくれていた。俺が聞く耳を持たなかっただけだ。 「花を贈れ」と言った部下も、「結婚式」と言った大神官も、全て正しかったのだ。
俺は床に転がり、天井を見上げた。
「……これから、どんな顔をしてあいつに会えばいいんだ」
子供じゃないと知ってしまった以上、もう以前のような「保護者面」はできない。 触れれば意識する。見れば欲情する。 そして何より――。
「(……今夜、どうする?)」
毎晩の日課である、狼化しての添い寝。 21歳の、妙齢の女性の寝室に忍び込み、同じベッドで寝る。 ……アウトだ。完全にアウトだ。 騎士団長として、いや30歳の男として、一線を超えてはいけないラインがある。
その夜。 狼は、レイの部屋へ行くことができなかった。 隣の部屋から微かに聞こえる、「ワンちゃん、今日は来ないのかな……」という寂しげな声を、壁に耳を当てて聞きながら。 俺は枕を抱きしめ、「行きたい」「行けない」というたうち回る、地獄のような一夜を過ごす羽目になったのである




