20.夜の侵入者
ある夜のことだ。 レイが寝息を立て始めたのを見届け、俺(狼)がテラスから自室へ戻ろうとした、その時。
ピクリ、と俺の耳が揺れた。 屋敷の敷地内に張り巡らせた結界の隅が、蟻の針で刺されたように微かに揺らいだのだ。
(……鼠か)
俺は金色の瞳を細めた。 この一ヶ月、レイの存在を嗅ぎつけた輩が何度か探りを入れてきたが、いずれも結界で弾き返してきた。 だが、今夜の侵入者は手練れだ。結界を破壊するのではなく、「すり抜けて」きやがった。
狙いは十中八九、レイだ。 「騎士団長が極秘で囲っている黒髪の女」の噂を聞きつけ、誘拐か、あるいは暗殺を目論む闇の組織か。
(……いい度胸だ)
俺の体から、ゴゴゴ……とどす黒い殺気が溢れ出す。 せっかくレイが「生きたい」と願い、安らかに眠っているこの時間を。 俺とレイの大切な時間を邪魔するゴミ屑ども。
――万死に値する。
俺はレイを起こさないよう音もなくテラスを飛び降り、中庭の闇へと着地した。 そして、瞬時に「狼」から「人間(騎士団長)」の姿へと戻る。
◇
中庭の噴水広場。 そこには、黒装束に身を包んだ集団が五人、音もなく佇んでいた。
「……流石は騎士団長の屋敷だ。警備が堅い」 「だが、本人は今頃ベッドで熟睡中だろ」 「ターゲットは二階の角部屋だ。女をさらうぞ。抵抗するなら殺して構わん」
侵入者たちが囁き合う。 その身のこなし、魔力の練度からして、Sランク級の暗殺者たちだ。一国の王族すら始末できるだけの実力者だろう。
だが。
「――誰が熟睡中だと?」
俺の声が、夜の静寂を切り裂いた。
「ッ!?」
暗殺者たちが弾かれたように振り返る。 月明かりの下、俺はパジャマの上にガウンを羽織っただけのラフな格好で、腕組みをして立っていた。 武器は持っていない。素手だ。
「 なぜここに!?」 「気配は完全に消していたはずだ!」 「俺の庭にドブネズミが入れば、臭いで分かる」
俺は冷たく言い放ち、一歩踏み出した。 たった一歩。 それだけで、中庭の空気が凍りつき、空間が歪むほどの重圧が彼らを襲った。
「グッ……!? な、なんだこの魔力は……!」 「馬鹿な、情報と違うぞ! 奴は夜になると魔力酔いで弱体化しているはずじゃ……!」
リーダー格の男が脂汗を流して呻く。 ……ほう、よく調べている。 確かに以前の俺なら、夜は魔力が暴走寸前で、戦えば屋敷ごと吹き飛ばしかねない不安定な状態だった。
だが、今は違う。
「残念だったな。 今の俺は、あいつ(レイ)のおかげで『絶好調』だ」
俺はニヤリと笑った。 体内の魔力回路は、かつてないほどクリアだ。 膨大な魔力を、指先の一点に至るまで完全にコントロールできる。 全盛期どころの話ではない。今の俺は、正真正銘、歴代最強の状態にある。
「や、やれ! 囲んで殺せ!!」
恐怖に駆られたリーダーが叫ぶ。 五人の暗殺者が同時に動き出した。 炎の槍、毒の刃、影の束縛術――必殺の連撃が、四方八方から俺に殺到する。
俺は欠伸を噛み殺しながら、左手を軽く振った。
「騒々しい。レイが起きるだろう」
パキンッ。
硬質な音が響き、世界が止まった。
迫り来る魔法も、刃も、そして暗殺者たちの体も。 全てが、俺が放った不可視の魔力障壁によって、空中で「凍結」されたのだ。 氷魔法ではない。純粋な魔力の密度だけで、空間そのものを固定したのだ。
「な……ご、ガ……ッ!?」
空中に縫い留められた暗殺者たちが、目を見開いて絶句している。 指一本動かせない。呼吸すら許されない絶対的な拘束。 詠唱なし。魔法陣なし。 ただの「手のひと振り」で、Sランクの精鋭部隊が無力化された。
「さて、尋問の時間といきたいところだが……」
俺は二階のレイの部屋を見上げた。 カーテンの隙間から、漏れる明かりはない。まだ眠っているようだ。
「あいつの安眠を妨げるゴミを、これ以上庭に置いておくわけにはいかん」
俺は握り拳を作った。 それにあわせて、空間を固定していた魔力が、万力のように収縮する。
「消えろ」
グシャッ。
断末魔を上げる暇もなかった。 五人の暗殺者は、俺の魔力に押しつぶされ、跡形もなく消滅した。 血の一滴すら残らない、完全なる消去。
後に残ったのは、静寂と月明かりだけ。
「……ふぅ。スッキリしたな」
俺は肩を回した。 以前なら、これだけの魔力を使えば三日は寝込んでいたはずだ。 だが今は、軽い運動をした程度の感覚しかない。
(レイ。お前の『癒やし』は、俺を化け物に変えてしまったようだな)
最強の騎士団長が、万全のコンディションを手に入れた。 この国に……いや、この世界に、今の俺とレイを止められる存在など、もはやいないだろう。
俺は満足げに頷くと、再び「狼」の姿に変身し、彼女が待つテラスへと身軽に飛び戻った。
◇
「……んぅ……ワンちゃん?」
窓を開けると、レイが目をこすりながら起きてきた。
「何か音がしなかった? 誰か来たのかな……」 『……(ただの風だ)』
俺は「何もありませんよ」という顔で、彼女の足元に擦り寄った。 レイは「そっか、気のせいか」と笑い、俺の頭を撫でてくれた。
その柔らかな手が触れた瞬間、戦闘で昂った魔力が、また優しく凪いでいく。
――ああ、やはり俺にはこの子が必要だ。 俺はこの圧倒的な力で、彼女の平穏な眠りを、何があっても守り抜くと誓った。




