16.教会に行くらしいです。
翌朝。 俺は、ここ数年で一番の目覚めの良さを感じながら起床した。
いつもなら、朝は変身の反動で鉛のように体が重く、軽い頭痛と共に目を覚ますのが常だった。 だが、今日はどうだ。 体は羽毛のように軽く、魔力の巡りもすこぶる順調だ。窓から差し込む朝日すら、清々しく感じる。
「(……凄まじいな)」
俺は自分の掌を握りしめ、改めてレイの力の特異さに戦慄した。 昨夜、ほんの少し触れ合った(撫でられた)だけで、これほどの効果があるとは。 やはり、彼女は俺にとって必要不可欠な存在だ。絶対に手放すわけにはいかない。
俺は上機嫌で着替えを済ませると、足取り軽く食堂へと向かった。
◇
食堂では、すでにレイが席についていた。 昨日の今日で、少しは緊張が解けたのか、あるいは諦めがついたのか。彼女は出された朝食(これまた高カロリーなメニューだ)を、ハムスターのように黙々と頬張っていた。
「おはよう、レイ」 「あ……おはようございます、団長さん」
レイが慌ててナプキンで口を拭き、姿勢を正す。 その顔色は、昨日よりも少しだけ良くなっている気がする。俺の「肥育計画」は順調のようだ。
俺は彼女の向かい(ではなく、また隣)に座り、コーヒーを一口飲んでから本題を切り出した。
「レイ。今日は出かけるぞ」 「え……?」
レイの手が止まる。 彼女の瞳に、スゥッと不安の影が差した。
「出かけるって……どこへ? その、森へ帰されるんですか? それとも……」
「違う。王都の中だ」
俺はカップを置き、告げた。
「大神殿に行く。 この国の宗教のトップ、大神官様に挨拶をするためだ」
レイが息を呑んだのが分かった。 当然だ。昨日の今日で、いきなり宗教の最高権威に会いに行くのだから、驚くのも無理はない。
これには、明確な理由がある。 昨日の今日で、兄上(国王)から早馬……ならぬ伝書鳩が届いたのだ。
『ジルベルトよ。聖女の件をお前が個人的に抱え込むことは許可した。 だが、教会のトップである大神官にまで隠し通すのは不可能だ。 あの御仁は余の相談役でもあり、お前のことも昔からよく知っている。 変に隠して後で拗れるより、先に挨拶に行き、協力を仰いでおけ。これは命令だ』
……兄上の言う通りだ。 大神官様は、俺が幼い頃から世話になっている、祖父のような存在だ。俺の「狼」の体質のことも知っている数少ない理解者でもある。 教会組織そのものは面倒だが、あの御仁個人とは関係は良好だ。 先に「この子は俺が預かる」と仁義を切っておけば、下っ端の神官たちが「聖女ではないか」と嗅ぎ回ってきても、トップの権限で黙らせてくれるだろう。
「……というわけで、一度だけ顔見せに行く。 堅苦しい場だが、我慢してくれ」
俺がそう説明すると、レイはしばらくの間、虚空を見つめて固まっていたが……やがて、深く、深く納得したように頷いた。
「(……なるほど。『懺悔』ですね)」
「……ん?」
レイの心の声(独り言)が聞こえた気がしたが、俺は聞き流した。
「(処刑の前に、神様に祈りを捧げて魂を清める。いわゆる『終油の秘跡』ってやつか。 王様からの命令ってことは、国としても『罪人の魂くらいは救ってやろう』という慈悲なのかな。 確かに、罪人のまま死ぬよりは、神殿で最期の祈りを済ませた方が、死後の行き先もマシになるかもしれない)」
レイは悲壮な決意を秘めた瞳で、俺を見上げた。
「分かりました、団長さん。 私、行きます。……神様にお祈り、させてください」
「……ああ、そうか。信心深いな」
俺は彼女の言葉を「偉い人に会うなら、失礼のないように頑張ります」という意味だと解釈し、満足げに頷いた。
まさか彼女が、「処刑前の懺悔」だと思い込んでいるとは露知らず。
◇
出発の準備は、戦争のようだった。 俺はマチルダに命じ、レイに「教会へ行くのに相応しい格好」をさせた。
用意されたのは、純白のドレスだ。 清楚で、穢れのない白。 彼女の艶やかな黒髪と白い肌が際立ち、その美しさは神々しいほどだった。
「(……うわぁ、死装束だ。真っ白)」
レイが鏡を見て引きつった笑みを浮かべているが、俺には「緊張している」ようにしか見えなかった。
「よく似合っているぞ、レイ」 「あ、ありがとうございます……。 あの、これ、汚したらやっぱり即死ですか?」 「汚すなとは言わんが、大神官様の前だ。粗相のないようくな」
俺は彼女の肩に手を置き、真剣な眼差しで告げた。
「いいか。向こうに着いたら、余計なことは喋らなくていい。 ただ俺の隣で、ニコニコしていろ。 大神官様は聡明な方だが、お前の事情まで全て話す必要はないからな」
俺としては「お前が精神的に不安定だとか、虐待の話とか、重い話はしなくていい。俺が守るとだけ伝えればいい」という意味だった。 だが、レイには「余計な命乞いをするな」「大人しく判決を受け入れろ」と聞こえたらしい。
「はい。肝に銘じます。 貝のように黙っています」
「よし、いい子だ」
こうして、俺たちは馬車に乗り込んだ。 御者台には、今日も今日とてニヤニヤ顔のダリウスがいる。
「おや、今日は純白ですか。 まるで花嫁……いや、団長のエスコートだと『かわいそうな子羊』に見えますねぇ」
「うるさい、さっさと出せ」
俺はダリウスを黙らせ、馬車を発進させた。
目指すは王都の中央にそびえ立つ、大神殿。 そこで待つのは、この国で最も徳が高く、そして俺の秘密を知る古き良き理解者――大神官だ。
(……大神官様なら、きっと分かってくれるはずだ)
俺は隣で小さくなっているレイ(死装束だと思って震えている)の手を、ギュッと握りしめた。 昨夜の「狼の癒やし」の件も含めて相談すれば、あの賢明な老人なら、きっとレイを俺の元に置くことを快諾してくれるだろう。
……まあ、レイ本人が「最期の挨拶」に行く気満々であることだけが、唯一の誤算なのだが。




