14.わんこ再び。
その日の夜。 私は、あてがわれた客室のベッドの上で、天井を見上げていた。
最高級の羽毛布団。沈み込むような柔らかいマットレス。そして、ほのかに香るアロマ。 団長さんが「とにかく寝ろ」と言って用意してくれた環境は、完璧すぎて……逆に眠れなかった。
貧乏性が染み付いている私は、ふかふかのベッドよりも、煎餅布団やソファの方が落ち着くのだ。 それに、昼間の出来事が頭を巡って離れない。
美味しい食事。優しいメイドさん。 そして、怖いくらい過保護な団長さん。
「(……なんであんなに優しくするんだろう)」
処刑前の慈悲にしては、重すぎる。 肉を切り分けてくれた時の真剣な目や、私の頭を撫でた時の大きくて温かい手。 あれが全部「演技」だとしたら、彼はとんでもない役者だ。
「……空気を吸おう」
私はベッドを抜け出し、部屋に備え付けられたテラスへと出た。 夜風が少し冷たいけれど、頬の火照りを冷ますにはちょうどいい。
テラスの手すりに寄りかかり、広大な庭を見下ろす。 月明かりに照らされた庭園は静まり返り、木の葉が風に揺れる音だけが聞こえる。
――ガサッ。
不意に、茂みが揺れる音がした。 野良猫だろうか? 私が目を凝らすと、影の中からヌゥッと「それ」が現れた。
「……あ」
私は声を漏らした。 銀色の毛並みが、月光を浴びてキラキラと輝いている。 大人一人を軽々と乗せられそうな巨体。鋭い牙と、知性を宿した金色の瞳。
森で出会った、あの大きなワンちゃん(狼)だ。
「ここにもいたんだ」
普通なら悲鳴を上げて逃げ出す場面だろう。 けれど、私はなぜか恐怖を感じなかった。むしろ、知っている顔(?)に会えた安堵感すら覚えた。
狼は、私に気づくと、音もなくテラスの下まで歩み寄ってきた。 そして、二階にいる私を見上げ、静かに「ウォフ」と喉を鳴らした。
「こんばんは。お散歩?」
私が話しかけると、狼はコクリと頷いた……ように見えた。 やっぱり賢い。 私は手すりに身を乗り出し、誰にも言えなかった本音を、この動物相手になら言える気がして、ポツリポツリと語りかけた。
「あのね、今日、すごいご馳走を食べたの」
狼が耳をピクリと動かし、お座りをして私を見つめる。聞いてくれているようだ。
「お肉もお野菜も、全部美味しかった。 ……連れてきてくれた団長さんがね、すごく変な人なの」
『……』
「顔は怖いし、すぐ怒鳴るし、乱暴なんだけど…… お肉を小さく切ってくれたり、お風呂上がりにタオルをかけてくれたり。
思い出すと、胸の奥がキュッとなる。
「……処刑されるって分かってるのに。 あんなに優しくされたら、死ぬのが少し怖くなっちゃうじゃない」
私は自嘲気味に笑った。 誰にも期待せず、何も望まず、ただ静かに終わろうと思っていたのに。 あんな温かい手を向けられたら、未練が残ってしまう。
「いじわるだよね、団長さんは」
私がそう呟くと。
ダンッ!!
狼が突然、地面を強く蹴り、テラスの手すりを飛び越えて着地した。 二階なのに。信じられない跳躍力だ。
「わっ!?」
驚く私の目の前に、巨大なモフモフの顔が迫る。 狼は私に噛み付くのではなく、その大きな頭を、私の腹部にグイグイと押し付けてきた。
「……え? なに? 慰めてくれてるの?」
『クゥーン……』
狼は甘えるような声を出し、さらに体を擦り寄せてくる。 まるで「そんな悲しいことを言うな」「俺は意地悪じゃないぞ」と訴えているかのような必死さだ。
「ふふ、あったかい……」
私は狼の首元の豊かな毛並みに指を埋めた。 昼間、団長さんに抱き上げられた時と同じ匂いがする。 森の朝露のような、清涼で安心する香り。
「ありがとう、ワンちゃん。 貴方は優しいね。……団長さんと同じくらい」
私がそう言うと、狼の動きがピタリと止まった。 そして、バツが悪そうに視線を逸らし、大きな尻尾をパタンパタンと床に打ち付けた。
まさか、目の前のこの狼が、私が「変な人」呼ばわりした騎士団長本人であり、 夜の巡回(という名のレイの安否確認)中に愚痴を聞かれてへこんだり、褒められて照れたりしているとは露知らず。
私は久しぶりに、冷たい夜風の中で温かい気持ちになりながら、その柔らかい毛並みを撫で続けた。




