13.肥育生活の幕開け。
「……よし、行くぞ」
俺は思考を切り替え、レイに手を差し出した。 彼女は一瞬、怯えたように体を強張らせたが、俺が「食堂へ案内するだけだ」と言うと、恐る恐るその小さな手を俺の手のひらに乗せた。
触れた指先が冷たい。 俺はギュッと握りしめる代わりに、壊れ物を扱うようにそっと包み込んで、歩き出した。
◇
食堂に通されたレイは、テーブルに並べられた料理を見て、目を丸くした。
厚切りのローストビーフ、野菜がゴロゴロ入ったポトフ、焼き立てのパン、そして色とりどりの果物。 俺が「とにかく栄養価の高いものを」と命じた結果、数人の屈強な騎士が食べるような量が並んでいた。
「……これ、全部食べていいんですか?」 「当たり前だ。全部平らげるまで席を立つことは許さん」 「(……拷問? いや、これが噂の『強制給餌』ってやつね。フォアグラを作る時の)」
レイは何か納得したように頷くと、席に着いた。 俺はその向かいではなく、なぜか彼女の隣の席に陣取った。
「だ、団長さん? 席、近くないですか?」 「監視だ。お前がちゃんと噛んで飲み込むか見届ける必要がある」
そう言って、俺はナイフとフォークを手に取り、彼女の皿にある肉を一口サイズに切り分け始めた。 ……我ながら過保護だと思う。だが、手が勝手に動くのだ。
「あ、あの、自分でできます……」 「黙って食え。ほら、口を開けろ」 「あーん……」
レイは戸惑いながらも、俺が差し出した肉を口に含んだ。 もぐもぐと咀嚼し、ごくりと飲み込む。 その瞬間、彼女の顔がパァッと輝いた。
「……美味しい」 「そうか」 「すごく柔らかくて、肉汁が溢れて……こんな美味しいお肉、初めて食べました」
彼女の瞳に、生気のある光が灯る。 それを見ただけで、俺の胸の奥がじんわりと温かくなった。 そうだ。俺が見たかったのはこれだ。
「もっと食え。スープも飲め」 「はい……ふふ、幸せです。これなら、いつお迎えが来ても悔いはありません」 「……その『死ぬ前提』の発言はやめろと言っているだろう」
俺が渋い顔で注意していると、食堂の扉がノックもなしに開かれた。
「団長ー! 聞きましたよー! マチルダさんに脱衣所から叩き出されたって? いやあ、傑作でしたねぇ」
入ってきたのは、副団長のダリウスだった。 ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら、興味津々な様子でこちらに近づいてくる。
「で、例の『迷子ちゃん』のご機嫌は直りま……した……か……?」
ダリウスの視線が、俺の隣に座るレイに向けられた。 その瞬間。
「…………は?」
ダリウスの足がピタリと止まった。 彼の目が大きく見開かれ、手に持っていた書類がバサリと床に落ちた。
深紅のドレスに身を包み、艶やかな黒髪と、白磁の肌を持つ美少女。 前髪の隙間から覗く、吸い込まれそうなほど美しい瞳。 口元に少しソースをつけて、きょとんとこちらを見ている姿。
さっきまで馬車に乗っていた「やせ細った、ボサボサ髪の子供」とは、似ても似つかない姿がそこにあった。
「……だ、団長?」 「何だ」 「その……絶世の美少女は、どこの姫君ですか? え、まさか……さっきまで一緒にいた、あの子ですか?」
ダリウスの声が裏返っている。 無理もない。磨く前の原石しか見ていなかった彼にとって、この変貌ぶりは魔法にしか見えないだろう。
「……あ、副団長さん。お疲れ様です」
レイが慌てて立ち上がり、ペコリと頭を下げた。
「先ほどは馬車まで運んでいただき、ありがとうございました。 綺麗にしていただいたので、誰だか分かりませんでしたか? ……すみません、処分の前に着飾るなんて、生意気ですよね」
「しょ、処分!?」
ダリウスが動揺しまくっている。 そして、次の瞬間。彼の表情が変わった。 騎士の顔から、一人の「男」の顔へ。 彼は髪をかき上げ、キザな笑みを浮かべてレイに歩み寄ろうとした。
「いやいや、処分だなんてとんでもない! 驚きましたよ……こんなに可愛らしいお嬢さんだったとは。 改めまして、僕はダリウス。君の美しさに免じて、これからはもっと親しく……」
ガタッ!!
ダリウスがレイの手を取ろうとした瞬間、俺は椅子を蹴倒して立ち上がり、二人の間に割って入った。
「――気安く触るな」
地を這うような低い声が出た。 俺はレイを背中に隠し、ダリウスを殺気たっぷりに睨みつけた。
「ひっ……!?」
ダリウスが本気で怯えて一歩下がる。
「だ、団長? 目がマジなんですが……」 「この子は俺の保護下にある。指一本触れるなと言ったはずだ」 「いや、挨拶くらいはいいでしょう!? さっきまで一緒に旅をしてきた仲じゃないですか!」 「駄目だ!!」
俺は即答した。 レイが男に免疫がないこと、そして「叔父」という男のせいで視線に恐怖を感じることを知ったばかりの俺としては、ダリウスのような色男(女好き)は最も警戒すべき「害虫」だ。
「レイ。こいつとは目を合わせなくていい。毒されるぞ」 「は、はい。(毒? やっぱり副団長さんは、毒殺の実行部隊長なのかしら)」
俺の背後で、レイがまた物騒な勘違いを深めている。
俺はダリウスに向き直り、シッシッと手を振った。
「用がないなら帰れ。 あと、屋敷中の男たちに通達しておけ。『レイに色目を使った奴は、俺との模擬戦(実戦形式)をするとな」
「……うわぁ」
ダリウスはドン引きした顔で俺と、俺の背中に隠れるレイを交互に見た。 そして、全てを察したようにニヤリと笑った。
「なるほど、なるほど。 『聖女ではない』と言い張って囲い込んだ理由は、それでしたか」
「何の話だ」 「いやいや、無粋なことは言いませんよ。 ですが団長、お気をつけくださいね。そんな原石、隠しておこうとしても輝きが漏れ出しちゃいますよ?」
ダリウスは意味深な言葉を残し、「お邪魔虫は退散しますかね」と肩をすくめて出て行った。
静寂が戻った食堂で、俺は大きく息を吐いた。 ……危なかった。 やはり、俺の目に狂いはなかった。この子は、不用意に人前に晒してはいけない。
「……団長さん?」 「ん、ああ。すまん、変なのが来たな」
俺が振り返ると、レイが不安そうに俺を見上げていた。
「あの……私、何か失礼なことをしましたか? 副団長さん、すごく驚いていましたけど……」
「いいや。お前は何も悪くない」
俺は、自然な動作で彼女の頭を撫でた。 艶やかな黒髪の手触りが、指先に心地いい。
「ただ……お前が俺の想像以上に可愛かったから、見違えて驚いただけだ」 「……え?」
レイがポカンとする。 俺は咳払いをして、誤魔化すように肉を切り分けた。
「ほら、冷めるぞ。早く食え」 「は、はい……」
レイは顔を赤くして、もそもそと食事を再開した。 俺はその様子を眺めながら、心の中で固く誓った。
(ダリウスですらあの反応だ。他の有象無象など近づけさせん。 ……やはり、俺が一生養うしかないな)
俺の独占欲と勘違いは加速し、レイの「肥育(だと思っている)生活」は、こうして本格的に幕を開けたのだった。




