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死にたがり聖女は最強騎士団長(狼)に拾われる   作者: うる


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12/44

12.スリッパっていい音するよね。

 王都の貴族街の一等地に建つ、俺の私邸。  到着するなり、俺は出迎えたメイド長のマチルダにレイを引き渡した。


「マチルダ。この子を風呂に入れろ。  薄汚れてはいないが、しばらくまともな手入れがされていなかったようだ。肌触りのいい服を用意して、髪も整えてやってくれ」


「まあ! なんて可愛らしい……。承知いたしました。確かに少し髪が傷んで絡まっておりますね。最高のトリートメントで艶やかに仕上げて差し上げますわ!」


 マチルダはベテランのメイドだ。レイの痩せ細った体を見ても動じることなく、むしろ「磨けば光る原石ですわ」と目を輝かせている。  レイは「よろしくお願いします。あ、背中は自分で流せますので……え? ダメ? 至れり尽くせりですね」と戸惑いながら、メイドたちに連れられて浴室へと消えていった。


「ふゥ……」


 俺は応接間で紅茶を飲みながら、一息ついた。  これでいい。  風呂で温まり、綺麗な服を着れば、あいつも少しは人間らしい心地を取り戻すだろう。  さっぱりした顔で現れたレイに、とびきり甘い菓子でも食わせてやるか。


 そう思って、優雅にカップを傾けた時だった。


「――嫌っ!! やめて!!」


 浴室の隣にある脱衣所から、レイの悲鳴が聞こえた。  ガシャン! と何かが倒れる音もする。


「ッ!?」


 俺は弾かれたように立ち上がり、部屋を飛び出した。  何事だ。湯当たりか? 転んで怪我でもしたか?  俺の頭の中は「レイの安否」だけで埋め尽くされ、ある重要な事実――そこが「脱衣所」であること――が抜け落ちていた。


「レイ!!」


 俺は脱衣所の扉を、ノックもなしに荒々しく開け放った。


「キャァァァッ!!」 「だ、旦那様ッ!?」


 中には、風呂上がりのレイと、マチルダたちがいた。  レイはバスタオル一枚を体に巻き付けただけの姿で、濡れた髪を振り乱して部屋の隅にうずくまっている。  その白く華奢な肩や、タオルの裾から覗く細い脚が、湯気の中に露わになっていた。


「どうした! 何があった!」


 俺がズカズカと踏み込むと、マチルダが血相を変えて俺の前に立ちはだかった。


「旦那様!! いけません!!」 「退けマチルダ! レイが叫んだんだぞ!」 「ですがレイ様は今、お召し物を着ていらっしゃらないのです!  幾ら保護者とはいえ、年頃の女性の脱衣所に押し入るなど言語道断! 今すぐ出て行ってください!!」


 マチルダの怒声が飛んでくる。  だが、俺の耳には届かなかった。俺の視線は、ガタガタと震えながら必死に前髪を押さえつけ、顔を隠そうとしているレイに釘付けになっていたからだ。


「レイ、どうした。怪我はないか」 「……見ないで……」 「何?」 「顔を……見ないで……!」


 レイの呼吸が荒い。過呼吸になりかけている。  マチルダの制止をすり抜け、俺は膝をついた。


「だ、旦那様!?」 「レイ。誰も無理強いはしない。だが、教えてくれ。なぜそんなに顔を隠す?」


 俺の問いかけに、レイは震える唇で、途切れ途切れに呟いた。


「……叔父さんが、言ったの」


「叔父?」


「『お前は母親に似て、無駄に整った顔をしてるな』って……」


 レイの脳裏に、忌まわしい記憶が蘇る。  両親が死に、引き取られた叔父の家。  最初はただの家政婦扱いだった。けれど、私が成長するにつれて、叔父の私を見る目が変わった。  ねっとりとした、粘着質な視線。    『家賃も食費もタダにしてやってるんだ。……おじさんに、顔くらいよく見せてくれてもいいだろう?』


 あの日。  狭い廊下で壁に追い詰められ、顎を掴まれて無理やり顔を上げさせられそうになった時の、あの脂ぎった笑顔と吐息。    それ以来、私は前髪を伸ばし、顔を隠すようになった。  顔が整っていることは、私にとって幸福ではなく、男の欲望を引き寄せる「呪い」でしかなかった。  顔を見せれば、またあんな風に見られる。また、狙われる。


「……顔を見せると、また触られる。気持ち悪い目で見られる……。  だから、切らないで……隠さなきゃいけないんです……」


 レイはバスタオルごと自分の体を抱きしめるようにして震えていた。  その言葉の意味を理解した瞬間。


 ブチィッ。


 俺の中で、理性の線が焼き切れる音がした。


 叔父、と言ったか。  身寄りのない姪に対し、庇護者という立場を利用して、あろうことか性的な目を向けていた下衆がいたとは。  こいつが前髪で顔を隠そうとするのは、そのトラウマが原因だったのか。


 殺す。  どこのどいつか知らんが、今すぐその「叔父」とやらを探し出し、そのふざけた眼球をくり抜いてやりたい衝動に駆られた。


「……レイ」


 俺は努めて優しい声を出した。  バスタオル姿の少女に触れるのは躊躇われたが、今はそんなことを言っている場合ではない。  俺は彼女の肩に掛かっていた別の乾いたタオルを頭から被せ、視界を遮ってやるようにして抱き寄せた。


「大丈夫だ。俺はそんな目で見たりしない。ここにいる誰も、お前に指一本触れさせない」 「……ほんと、ですか……?」 「ああ。誓う。お前を汚すような奴がいれば、この俺が全員叩き斬ってやる」


 俺の真剣な声色が届いたのか、レイの震えがわずかに収まる。


「だから、隠さなくていい。  お前は堂々としていればいいんだ。世界で一番、安全な場所にいるんだからな」


「……うぅ……」


 レイがタオルの下で小さく鼻をすすった。


 ――バチンッ!!


 その時、小気味良い音が響き、俺の後頭部に衝撃が走った。


「ッ!?」 「……旦那様」


 振り返ると、マチルダが鬼の形相で、スリッパで俺の頭を引っぱたいたところだった。  彼女は仁王立ちで俺を見下ろしている。


マチルダは俺の乳母でもあったため、俺への恐れというものを知らない。


「レ、マチルダ?」 「レイ様が落ち着かれたようですので、申し上げます。  ――デリカシーがなさすぎます!!!!」


 マチルダの雷が落ちた。


「いくら緊急事態とはいえ、バスタオル一枚の乙女の前に居座るなんて! しかも抱き寄せるなんて!  騎士団長以前に、紳士として失格です!  さあ、レイ様の涙が止まったなら、とっとと出て行ってください!」


「い、いや、俺はただレイを安心させようと……」 「言い訳無用! 出てけーッ!!」


 俺はマチルダと他のメイドたちによって、脱衣所から物理的に追い出された。  バタン! と扉が閉まり、鍵までかけられる音がする。


「……ちぇっ」


 俺は廊下に取り残され、頭をかいた。  だが、扉の向こうからは、先ほどまでの悲鳴ではなく、マチルダの優しい声と、レイの落ち着いた返事が聞こえてくる。


「(……とりあえず、あいつの恐怖は取り除けたか)」


 俺は壁に背を預けた。  それにしても、あの一瞬見えた、濡れた髪の隙間からの瞳。そしてバスタオルから覗く白い肌。  ……確かに、マチルダが怒るのも無理はない。  あれは、男の理性を狂わせるに十分な「魔性」を秘めていた。


(……叔父の件といい、こいつの周りには悪い虫が湧きそうだ)


 俺は無自覚な独占欲を燃やしながら、今度こそ身支度を整えて出てくるであろう彼女を待つことにした。


 ◇


 数十分後。  身支度を終えたレイが、マチルダに連れられて応接間に戻ってきた。


 用意させた深紅のドレスは、まだ少しサイズが大きいが、彼女の白磁のような肌によく映えていた。  艶やかに整えられた黒髪。  そして前髪は、俺の指示通り「目は隠れないが、安心できる程度」に少し長めに残され、綺麗に梳かれていた。


 その隙間から覗く、夜空を閉じ込めたような瞳。  整った鼻筋に、桜色の唇。


 綺麗だ。  薄汚れていたわけではない。ただ隠されていただけで、磨けばこれほどの輝きを放つとは。  今はまだ痩せているが、少し肉がつけば、間違いなく国中の男を惑わす美女になる。


「……ああ、悪くない」


 俺は平静を装って頷いたが、内心では冷や汗をかいていた。


(これは……本当にまずいな)


 ただの子供だと思っていた保護対象が、とんでもない美少女だった。  これでは、「聖女ではない」という言い訳がますます苦しくなるし、何より……。


 これから屋敷に出入りする男ども(特に副団長のダリウスとか)が、この子に色目を使わないよう、厳重に監視せねばならん。  俺はまだ名前も知らぬ彼女の「叔父」への殺意と、これから湧くであろう「悪い虫」への警戒心で、胃が痛くなるのを感じていた。

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