11.クッキーは勝てません
兄上との密談(という名の保護者面談)を終えた俺は、ソファで大人しく待っていたレイの元へ戻った。
彼女は空になった皿の上のクッキーくずを、指先で丁寧につまんで食べていた。その姿があまりに切なくて、俺は眉間を押さえた。
「……行くぞ、レイ」
俺が声をかけると、彼女は「はい」と短く答え、未練がましく皿を一度だけ見てから立ち上がった。
「ご馳走様でした。……ところで団長さん」 「なんだ」 「さっき大声で怒鳴っていた、あの派手な服の人は誰ですか? 処刑場の管理人さんですか?」
レイは首を傾げて聞いてきた。 俺は一瞬、言葉に詰まった。
「……お前、気づいていなかったのか? あれはこの国の国王陛下だ。私の兄でもある」
普通なら、その事実を知った瞬間に平伏して震え上がるか、あるいは不敬を働いたことを悔いてパニックになる場面だ。 だが、レイの反応は俺の予想を遥かに下回るものだった。
「ふーん。そうなんですね」
以上。 それだけだった。 驚きも、恐縮も、興味すらない。 「今日の天気は晴れだ」と言われた時くらいの薄いリアクションだ。
「……驚かないのか?」 「私には関係ありませんから。 誰が一番偉かろうと、私が処分されることには変わりないですし。 それより、あの人がくれたクッキーは美味しかったです。いい人ですね」
彼女にとっての重要度は、「一国の王 < クッキー」らしい。 この虚無感。やはり、心の摩耗は深刻だ。
「……はぁ。まあいい、行くぞ」
俺は小さく溜息をつくと、彼女の前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。
「これからは俺の屋敷で暮らすことになる。 さっきの……管理人(国王)からも許可は取った」
「屋敷……ですか? 牢屋ではなく?」
レイが小首を傾げる。 俺は、子供を安心させるような声音を意識して告げた。
「ああ。俺の屋敷だ。 牢屋は……満員でな。俺が個人的に監視することになった」
苦しい言い訳だが、レイは少し考え込んだ後、ポンと手を打った。
「なるほど。(やっぱり。脱走防止のためにも、最強の騎士の膝元で厳重に監視するってことね。合理的)」
よし、誤解は解けていないな。 だが、今はそれでいい。 俺はよろめく彼女を再びひょいと抱き上げ、部屋を後にした。
◇
王城の裏手にある騎士団専用の昇降口へ向かうと、そこにはすでに馬車の用意が整っていた。 御者台の横で待機していたのは、副団長のダリウスだ。
彼は、俺が少女を大事そうに抱えて出てきたのを見ると、口元に何とも言えない笑みを浮かべた。
「おや団長。交渉は決裂したかと思いましたが……どうやら『戦利品』は死守したようですね」
「人聞きの悪いことを言うな。陛下の許可は得た」
俺はむっとしながら、レイを馬車の中へと乗せた。 ふかふかの座席に座らせ、寒くないように膝掛けをかけてやる。 ダリウスは、その甲斐甲斐しい俺の姿を、まるで珍獣でも見るような――いや、初孫を可愛がる祖父を見るような、何とも生温かい目で見つめていた。
「……なんだその目は」 「いえいえ。あの誰もが恐れる騎士団長が、随分と熱心に『子育て』をされるものだと感心しておりまして」 「子育てではない。これは任務だ。 この子の健康状態を回復させることが、国益に関わる最重要任務なんだ」
俺が真顔で主張すると、ダリウスは肩を震わせて笑いを堪えた。
「はいはい、そういうことにしておきましょう。 ……ですが団長。貴方、ご自分で気づいておられないようですが」 「何だ」 「今の貴方、すごく楽しそうな顔をしてますよ? 拾ってきた子犬を自慢する子供みたいに」
「は?」
俺は眉間の皺を深くした。 楽しい? 俺が? 馬鹿な。これは一人の少女の命がかかった深刻な事態だぞ。
「医者へ行くことを勧める。視力が落ちているんじゃないか」 「ふふ、そうかもしれませんね。では、出発しましょうか」
ダリウスは軽やかに御者台へ飛び乗った。 レイは、そんな俺たちの会話など全く聞いておらず、馬車の窓枠のホコリを指でなぞって確認していた。
俺も馬車に乗り込み、レイの向かいに腰を下ろす。
ガタン、と馬車が動き出す。 俺は改めて、目の前の少女に言い聞かせた。
「いいか、レイ。 屋敷に着いたら、お前の仕事は『食うこと』と『寝ること』だ。 掃除だの何だのと、余計な気は使わなくていい」
「……え、掃除しなくていいんですか?」
レイが意外そうに目を丸くした。
「でも、働かざる者食うべからず、と……」 「必要ない。俺の屋敷には使用人が山ほどいる。 お前は……そうだな、俺の屋敷の風呂は広いぞ。アヒルのおもちゃでも浮かべて、のぼせるまで浸かっていればいい」
レイはぽかんと口を開けた後、小さな声で独り言を漏らした。
「(……なるほど。運動させずに寝食だけさせて、肉を柔らかくする工程ですね。いわゆる『霜降り』を作るための……)」
……また何か不穏な解釈をしている気がするが、まあいい。 飯を食わせればこっちのものだ。
(まずは風呂だな。一番上等なドレスを用意させて、最高級のベッドで寝かせてやる)
俺が脳内で完璧な「レイ育成計画」を練り直していると、馬車の小窓からダリウスの声が降ってきた。
「団長ー。顔がニヤけてますよー」 「うるさい!! 黙って御せ!!」
俺の怒声と、ダリウスの笑い声。 そしてレイの「(……あ、怒った。やっぱり情緒不安定な人だな)」という冷めた視線を乗せて、馬車は俺の私邸へと向かっていった。




