3新入社員
靴の中で蒸れた靴下をそっと脱いでゴミ箱へ放り投げた。
新しい新品の靴下に履き替えた俺は、引越しのダンボールを綺麗に開封し、軽く掃除をした。
フローリングは埃一つ落ちていないようだが、念の為だ。あのビデオの男の容姿が頭の中で再生される度、不快感が全身を襲ってくる。
掃除はしなくていいものの、身体がいても立ってもいられず、仕方がなかった。これは、本能と言ってもいいだろう。
先程100円ショップで購入してきた雑巾を開封し、水にそっと浸した。
明日から、仕事が始まると言うのにこんなにペースじゃ、全然駄目だ。明日は朝早い。夜はきっと入社祝いで飲み会に参加させられる筈だ。
明日の事を考えると憂鬱だったが、風呂が湧いた音と共に、湯船に浸かることで、疲労がスっと消えた気がした。
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指先まで白手袋をはめた手で、自分の荷物をデスクに置いた。
「みんな、今日から入社する神城さんだ。田舎から出てきたばかりで不慣れなこともあるだろうけど、よろしく頼むよ」
「神城です、よろしくお願いします」
上司である富岡が、俺の肩に触れた途端、全身が震え上がりそうになった。
お願いだから、誰も握手を求めてこないでくれ……と懇願を続ける。人間が真横を通り過ぎる度に、無意識に避けていた。
本当に人間という生き物は汚物そのものだ。最近では、風呂に入らないことを武勇伝のように語るような人間が増えた。
「お風呂キャンセル界隈」などと言う不潔なワードを軽々しく若者が口にするのをよく訊くが、この会社には居ないことを願うばかりだった。
「よろしく!神城さん、その手袋、おしゃれだね。何かのポリシー?」
「あ、いえ。……肌が、極端に弱くて」
決して嘘ではない。他人の皮膚が触れた場所に触れると、精神的な蕁麻疹が出るような気分になるのだから。
午後の研修中、隣の席の同僚の鈴木が資料を差し出してきた。
「これ、共有用のマニュアル。使い終わったら戻しといて。読み方分からなかったりしたらいつでも聞いて」
「……ありがとうございます」
受け取った瞬間、資料の端を指先でつまむように持った。鈴木が去るのを確認すると、すかさず引き出しから除菌シートを取り出し、表紙と裏表紙を、親の仇を討つかのような手つきで入念に拭き始める。
見られていないと思っていたが、迂闊にも横からひょっこりと社員の顔が飛び込んできた。
「あ、神城さん。それ、俺もさっき使ったけど、そんなに汚れてた?」
「いや、その、インクの匂いが気になってしまって」
「へえ、都会の空気は乾燥してるから、綺麗好きなのはいいことだけどね」
俺は、拭き終わった資料を自分のデスクに置くことすら躊躇い、結局、自分の鞄の上に載せた。
初日から、こんなんで本当にこれからやっていけるのだろうか。慣れてはいたし、予測していた展開だが既に俺の体力は、別の意味で疲労しきっていた。
定時が近づき、これで帰れると安堵した瞬間、上司の佐藤が肩を叩こうとした。俺は反射的にスッと身体を交わしてしまい、気まづさが芽生えた。
「おっと、ごめんごめん。神城さん、今日はお疲れ様。今夜、駅前の居酒屋で歓迎会やるから。神城さんの歓迎会なんだから、主役抜きじゃ始まらないぞ?」
内心、誘われるのではないかと恐れていたが、本当に誘われるだなんて思ってもいなかった。
思わず、「行きたくない」と口にしてしまいそうになる口を、手でそっと抑えた。
「え……あの、今日は少し片付けが……」
「遠慮しないで!あそこの焼き鳥、つくねをみんなでつつき合うのが最高なんだからさ」
心が悲鳴を上げそうだった。みんなで、つつき合う……!? 共有の皿、直箸、飛び交う唾液……死ぬ。死んでしまう
「まあ、一杯だけでもいいからさ。な?」
俺が断れないのをいい事に、話を淡々と進めてくる佐藤に嫌気が刺した。
ポケットの中で握りしめた予備のハンカチの感触を確かめ、戦場へと向かう決意をした。




