第1話 私は誰?
36歳、独身、性別は女、仕事はフリーランスの翻訳者。
それが私。
私は人付き合いが苦手だ。正確には苦手というより面倒くさいと思ってしまう。
社会人としてのコミュニケーションはそつなくこなせるが、プライベートの人付き合いとなると自分の都合のいいように手を抜いてしまう。
そんな私が恋愛をするとどうなるか?
相手が苦労するのである。
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ブゥー、ブゥー
カバンの中でスマホが震えている。
私は画面で発信者を確認すると少し憂鬱な気分で電話に出た。
「もしもし」
「メッセージ既読付いてるから、読んでるよな?」
挨拶なしでいきなり本題に入るこの男、一応私の今カレである。
「うん、読んでるよ」
私はわざとメッセージの内容には触れない返事をした。
内容に触れない返事をしたのには私の性格の悪さ以外にも理由がある。それはカレに学習という機会を持ってもらうこと。
メッセージでのコミュニケーションの利点は、電話と違って受けた側の都合の良い時間に返信できるということ。もちろん緊急の場合はすぐに返信するが、既読が付いていてまだ返信がないということはこちらの都合の良い時間ではないと学ぶ機会をカレに提供しているのである。
「特に急ぎの内容ではなさそうだったから時間が取れた時に返信しようと思ってたんだけど、急ぎだった?」
やはり私は性格が悪い。急ぎでないことは明白なのにカレ本人にそれを言わせようとしている。
「いや……別に急ぎじゃないけど既読付いてから随分時間が経ってるのに返信がないから気になって……」
「ごめんね、今仕事が立て込んでで。時間できたら返信するよ。返事待っててもらっても大丈夫?」
「ああ」
「仕事戻んなきゃ。電話ありがと、また後でね」
これが私のずるいところ。「電話ありがと」なんて本心じゃない。単なる潤滑剤として使った言葉。
社会人を10年以上続けていると誰もが習得する潤滑剤としての言葉。
人間関係を上手く構築して運用するために必要不可欠なもの。この潤滑剤を「嘘」とか「騙してる」と言う人がいるかも知れないが、他者の気持ちを傷つけないための「罪のない嘘」と私は定義している。
年齢を重ねると誰でもこの「罪のない嘘」の使い方が上手くなる。
この嘘の使い方が上手くなった私は虚言癖があるわけでもなく性格破綻者でもない。
ごく普通の両親の下に生まれ、ごく普通に育ったどこにでもいるような人間だ。少なくとも自分ではそう思っている。