我が子②
血液の提供を申し出てくれたのは、この近くの自衛隊基地に勤めている
自衛隊員の方だった。
できるだけ大量の血液が必要だと聞いたその人は、すぐに基地へ連絡して
O型の人を集めてくれた。
しかし、血液の問題は解決したものの、我が子の容態は依然として予断を
許さなかった。
体重は未だ900g、本来の新生児の体重には程遠い状態だった。
2,3日に一度、この子の心臓が止まる事もあった。
その度にお医者さんが心臓マッサージを行った。
強い衝撃を与えなければならないマッサージに、この小さな身体が
耐えられるのか、この小さな身体にかかる負担を考えると、私は自責の念に
かられた。
眠れない日が続き、私自身も疲れが溜まっていった。
転院してから1ヶ月が経った頃、あの子の身体に異変が起こった。
心臓が止まり、マッサージを行う。
息を吹き返しても、また数分から数十分でまた心臓が止まる。
それを何度も何度も繰り返した。
この子はもう駄目かもしれない、私はそう思ってしまった。
それは私だけでは無く、一緒に居た家族みんながそう思ってしまった。
何時間も経った頃、あの子の容態は落ち着きを取り戻した。
そして私たち家族は、お医者さんに呼び出された。
―落ち着いて聞いてください。
お子さんの容態は極めて危険な状態です。
いつまた心臓が止まってもおかしくありません。―
その宣告は、私たちの絶望をより確定させたような一言だった。
けれど、もう涙は出なかった。
きっと心のどこかでそれを想像していたからだろう。
あの子の苦痛をこれ以上見ていたくない。
早く楽になって欲しい。私はいつの間にかそう思うようになっていた。
そんな私に、お医者さんはこう言った。
―ただし、お子さんはまだ"生きる"事を諦めていません。
小さな身体で精一杯生きようとしています。
痛くても、辛くても、必死で生きようとしています。
だから、ご家族の方も諦めないで下さい。―
その言葉に、私の目から涙が溢れた。
あの子は一生懸命生きようとしている。
まだ諦めていないんだ。
なのに私は諦めてしまっていた。
あの子を信じてあげられなかった。
ごめんね、本当に。
お母さんを許してね。
そう思うと、私の涙は止まらなかった。
その時、看護師さんが飛び込んできた。
また容態が急変したのだ。
私たちは急いで我が子の下へ向かった。
お医者さんが再び心臓マッサージを行う。
私は心の中で頑張ってほしいと願った。
その時―。
あの子は信じられないくらい大きい声で泣き始めた。
こんな小さな身体全部を使って、この子は大きな声で泣いた。
それは私の心の声に応えたように聞こえた。
それから3ヶ月が経った。
あの日からあの子の容態は安定した。
みるみるうちに体重も増え、2800gにまで成長した。
生まれて4ヶ月、お医者さんの許可を得てこの子は我が家に迎えられた。
お医者さんは退院の際に奇跡だと言った。
でも私はこう思う。
私はこの子が産まれてから、きっと生きてくれると信じていなかった。
だけどあの時、私はこの子に生きて欲しいと願った。
きっと生きてくれると信じた。
だからこの子はそれに応えてくれたのだと。
あれから25年―。
小さかった我が子は、立派に成長してくれた。
そして今、私と同じ「親」になろうとしている。




