我が子①
12月・・・。
私がこの小さな田舎に嫁いできてから1年が経った。
私のお腹には6ヶ月になる命が宿っていた。
初めての子供。初めての出産。
そして、慣れない土地での生活であったが、主人や養母が色々と
手伝ってくれるので、とても心強かった。
ただ、最近よくめまいを起こした。
念の為病院で検査を受けたが、何も異常はないと診断された。
鉄分が足りないのかも知れないと思い、いつもより多めに摂取するよう
心がけた。
時間はあっという間に過ぎ、日付は12月30日になっていた。
時間が経つのは早いなと思いながらも、大掃除など、やるべき事は
既に終わらせた。
3が日まではゆっくりできるかな―。
そう思った矢先、私をめまいが襲った。
いつものめまいなら少し休めば良くなる―。
しかし、横になっていても楽にはならず、
むしろ、悪化しているように感じた。
1時間が経つ頃、買出しに出ていた主人が戻ってきた。
主人は私の異変に気付き声をかけてくれた。
大丈夫―。
しかし、その言葉は声にならなかった。
もう一度声を出そうとするが、出ない。
おかしい―。
そう思って体を起こそうとしたが、起き上がる事もできなかった。
私の異変に気付いた主人が、急いで救急車を呼んだ。
私は救急車に乗せられる直前に、意識を失った。
意識を取り戻した時、私は病院のベッドに寝かされていた。
頭がぼんやりとしていて、何が起きているのかすぐに理解はできなかった。
ふと傍を見ると、主人が青い顔で座っていた。
私が意識を取り戻したことに気付くと、安堵の表情を浮かべた。
けれど、すぐ主人は顔を伏せてしまった。
ふと、自分の身体の違和感を感じた。
その違和感を辿っていくと、それは腹部にある事に気が付いた。
この6ヶ月間、育ててきた命がそこに無かったのだ。
すぐさま主人が私に声をかけた。
―落ち着いて聞いて欲しい。
実はお腹の子供は今、保育器に入れられているんだ。―
どういうことかわからず、混乱する私に主人はゆっくりと話を続けた。
私が意識を失い、病院に運ばれた時には母子ともに危険な状態で、
私は丸一日意識が戻らなかったと言う。
そこでお医者さんが提案したのは帝王切開でお腹の子供を取り出す
という方法であった。
この方法であれば少なくとも母体は助けられると説明された。
そこで主人は悩んだ末に、手術に踏み切る決断をしたらしい。
申し訳なさそうに、主人は私に頭を下げた。
しかし子供が生きているという事は、私にとって救いであった。
一刻も早く子供に会いたい。
けれど、私の身体はすぐに動かす事は出来なかった。
3日後、私はお医者さんの許可を得て、自分の子供のところへ向かった。
保育器に入れられたその子の姿は、私の心を締め詰めた。
肌は青紫色、身体も小さく自分の両手に収まる程の大きさしかなかった。
自身で呼吸は出来ず、呼吸器を使ってかろうじて呼吸をしていた。
私の目に、涙が溢れた。
この子が何をしたというのか。
この子はどうなってしまうのか。
何故ちゃんと育ててあげられなかったのか。
何故ちゃんと産んであげられなかったのか。
涙は、私から視界を奪っていった。