5 横田と桃子2
「さて、どうしたもんか」
横田は木の枝葉に隠れたまま、忍者刀を抜いてまとわりつく蝶を切り落としていた。桃子に眼を向けるがまだ麻痺は解けないようだ。あちこちに跳ね回っている。
横田は忍者刀を振るった。蝶がふたつになって鱗粉をまき散らす。しかし、その数は一向に減ったようには見えない。
「きりがねえな」
横田は木を蹴ると、後ろに一回転して地上に降りた。
「坂下、お前は逃げろ」
横田はつぶやいた。
『で、でも!』
「いいから逃げろ。トラたちに合流するんだ」
『横田くん……』
「そんな声を出すな。俺なら大丈夫だ。倒せずとも負けやしねぇ。知ってるだろ?」
桃子からの返事はなかった。
横田は気にせず左に歩いた。敵が駆けてくる。男は両手を脇に垂らしたまま走る。
「徒手だと? なめてんのか」
忍者は素手だからといって弱いわけでもない。横田もそれは知っていて、口から出たのは勢いに任せてだった。腰を落とし、剣先を相手に向けた刀を顔の横に構えた。霞の構えだ。武者小路霞と被ったのは横田の誤算だった。
「いたいたぁ!」
男はそのまま真っ直ぐ突っ込んでくる。
――馬鹿か、こいつは。
どうもなにか技があるようではない。
――お望み通りその喉を突いてやる!
走ってくる相手との間合いを計る。
――ここだ!
ぞくりと背中を悪寒が駆けのぼった。
ごっ
空気が唸った。体を後ろに仰け反らせた横田の鼻先を、水平に薙いだ男の手が凄い速さで横切った。男は拳を握らず、鉤爪のように曲げている。
「上手くよけたな、キヒッ」
男は大きく眼を見開いたまま笑った。二撃、三撃と腕を振るう。横田はそれをフットワークと上体の動きで避けた。
――ほんとにただ殴るだけなのか、こいつは。
横田は不思議に思った。さっき感じた嫌な予感はなんだったのかと。攻撃は速いが忍者なら誰でも避けるだろう。
――突いときゃよかったか? いや、なにかある。
いつの間にか横田は木のそばに立っていた。横殴りの攻撃を身を沈めて躱す。その時、
ずがっ!
横田の背後にあった木の幹がえぐり取られていた。欠片が舞う。幹の半分近くまでえぐられた木はみしみしと音を立てた。
「なっ!?」
眼を瞠った横田は五メートルほども飛びさがった。
「どうだ、俺の牙吼拳は。フヒッ」
男は指を鉤爪のように曲げた右手を掲げてみせた。
その手に特段変わった様子はない。忍者グローブの先から覗く指は普通だ。しかし恐るべき破壊力を秘めた手指なのだ。
横田はふたたび霞に構えた。男は無造作に詰めてくる。振るわれた腕を横田は大きく下がってかわした。
そこへ苦無が飛んできた。
「むっ」
横田は体を沈めると後ろに倒れた。そのままくるりと後方回転、片膝立ちとなって苦無の飛んできた方を素早く見ると、忍者スーツの人影があった。くノ一。スーツの色はやや赤みがかった黒。
もうひとりの忍者が姿を現したのだ。
その瞬間、横田は男忍者の足元になにかを投げた。
ぼうん
辺り一面が白い煙に包まれる。煙玉だ。
「むうっ!」
男は後ろへ飛んだ。横田はくノ一に向かって地を蹴った。
「天山! こっち来た!」
女忍者が叫んだ。
「奈乃巴! こらえろ!」
横田の後ろから天山と呼ばれた忍者の声がした。
「男は古賀天山、女は青山奈乃巴だ」
横田はつぶやいた。リストの名前を覚えていたのだ。
女忍者奈乃巴から苦無が飛んできた。モーションが見えれば避けるのはたやすい。横田は右へ避け、ジグザグに走って奈乃巴に迫る。
「天山!」
奈乃巴の声は悲鳴に近かった。
「おう」
古賀天山の声は横田が思ったより近くから聞こえた。しかし横田は足を緩めない。くノ一を斬る!
印を結んだ奈乃巴が紫色の煙に包まれていくのを横田は認めた。
――蝶か!
奈乃巴の周りをいくつともしれない蝶が舞い、くノ一を覆い尽くす。
横田は奈乃巴に向かって苦無を投げたが姿が見えないので当たったのかはわからなかった。
「ぬらぁ!」
横田の背後から殺気の塊が襲ってきた。右に転がって天山の打撃を避けると、追撃が来るタイミングで忍者刀を横薙ぎに振った。相手は見ていない。
パキィン
横田の忍者刀が三つに折れてふたつが宙を舞った。天山の左右から挟むようにして打った掌底が忍者刀を叩き折ったのだ。
――やっぱな。
横田には、天山が刀を狙っていたような気がしていたのだ。余力を残したような、踏み込みの甘い攻撃ばかりだった。おかげでなかなか斬りつけられなかったのだ。
「きたきたぁ! おらっ!」
横田は後ろに飛んで鉤爪を避けた。天山の横薙ぎはそれまでとは比べものにならないほど凄まじかった。スピードも踏み込みもまるで違う。リーチが二倍ほども伸びたようだ。
横田が降り立ったところに苦無が飛んできた。
「なに!?」
辺り一面を飛び交う蝶に苦無の気配が読めなかった。
忍者ベストの脇に二本の苦無が突き刺さる。
気を取られたのは一瞬だった。しかし、
「死ね」
天山の凶手はすぐそこに迫っていた。
がいん!
天山の腕が弾き飛ばされる。横田は立ったままだ。微動だにしない。
「なっ」
天山は横田と自分の腕を見開いた眼で交互に眺めた。信じられないという眼だった。
「うおおお!」
天山は続けざまに横田を殴ったが、横田の体は少しもぶれることなく、まるで石像のようだった。いや、石像なら天山は粉々に砕いてしまうだろう。
忍法不動金剛! 体が超硬くなる忍法だ。物理攻撃を完全に無効化するが、発動中は動けない。気を失ったり集中力が切れても効果を失う。このまま敵中に落ちれば大ピンチだ。
「なんだ、こいつは」
天山は手を止めて首をひねった。しかし油断なく横田をうかがう。
「硬化の術ね」
女忍者がやってきた。やや距離を置いて立ち止まる。蝶を周りに侍らせていた。
「うわ、あんまり近づくなよ。気味がわりぃぜ」
「解毒剤を打ってるでしょ」
「そういう話じゃねえんだよ」
「じゃなによ」
奈乃巴は天山をにらみつけた。
「それよりこいつをなんとかしないと。いつまでもこのままじゃ敵の援軍がくるぜ」
天山は横田の胸を突いた。びくともしない。
「押しても倒れないってのはどういうことだ? おかしいだろ?」
そういう術なのである。
「引っ張って学校に戻るってのもできなさそうだ」
黙って横田を見ていた奈乃巴の眼が、すっと細まった。笑ったのだ。
「天山、こいつのフェイスシールド壊せる?」
「ああ、簡単だ」
天山が腕を振ると横田のフェイスシールドは粉々に砕けた。
「で?」
天山は横田に眼を向けたままだ。
「こうするのよ」
と言った奈乃巴はなにかしたようには見えなかったが、蝶が何匹も横田の顔に集まり、すぐに蝶に埋め尽くされてしまった。
「うは、こりゃまた」
天山は顔をしかめた。
「こいつだって呼吸はしてるでしょ。鱗粉が効けばきっと術も解ける」
「よし」
天山は腰を落とし、身構えた。少しでも動いたらぶん殴る。
その天山を、大きな黒いボールが襲った。




