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4 横田と桃子1


 森の中をふたりの黒装束が駆けていた。

 ひとりは男。横田よこた達彦たつひこだ。ケンカっ早いが仲間思いのところもある丸葉津高校の忍者。口が悪いのが損をしている。

 もうひとりはくノ一だった。でかい。坂下さかした桃子ももこは丸々と太った体を持つ異色のくノ一だ。料理上手。自虐風のジョークが得意だ。愛称は桃ちゃん。

 桃子はその巨体ながら横田に遅れを取らず、時には先を行く。よく見ると時々地面を転がって移動していた。

 先を走っている横田が突然足を止めた。


「待て、坂下」


 その声はペアにした桃子だけに届いた。

 横田を追い抜いた桃子はバックスピンをかけたボールのように、ぽーんと来た方向に跳ねた。木の枝に隠れて落ちてこない。桃子は覚っていた。

 敵の気配。

 しかし、それもすでにない。敵は気配を消してしまった。桃子らと同じように。

 横田も今は木の枝に隠れていた。マイクを全通話モードに切り替えた。


「接敵。敵は――」


 皆まで言わず、横田は飛んだ。一瞬前まで横田がいたところを、しゅっとなにかが通った。木の葉が舞う。敵の苦無が横田を襲ったのだ。


「ちいっ!」


 咄嗟だったので横田は木のないところへ飛んでしまっていた。空中で素早く指を動かす。指印を唱えたのだ。横田の軌道が変わった。忍法蜘蛛男だ。

 横田が降りるはずだったところに苦無が数本突き刺さった。絶妙のタイミングだった。軌道を変えなければ横田に命中していただろう。

 横田が木の枝に隠れたところを再び苦無が襲った。しかし横田は木に触れると同時に飛んだので間一髪難を逃れた。


「くそっ、しつけえな!」


 敵は苦無を飛ばすが姿を見せない。苦無が飛んできた方向から身を隠すように木の幹に張り付くと、這い上がって姿を隠した。敵はひとりではないからだ。


「接敵。人数は不明」


 横田はささやくとひとつ息をついた。

 さて、どうしよう。



  ◇◇◇◇


『横田くんと坂下さんの場所はFの二十! 近い人が応援に行って!』


 マモルの声がイヤホンから聞こえた。隼人は地図を頭に思い描いた。座標は覚えている。ふたつの高校のほぼ中間辺り。やや向こうよりだ。


『トラ、向かう』

すず、向かいます!』


 トラと一緒に横田らのところへ向かうのは丸川まるかわ鈴だ。

 弓の名手。背の低い快活なくノ一。桃子の一番の友人だ。心配なのだろう、声に焦りが含まれていた。

 トラたちの穴を埋めるためか、ふたりの黒装束が学校の敷地から森の中に飛び出した。


「マモル、俺は!?」


 隼人は思わず叫んだ。人数が多い方が有利に決まっている。隼人も応援に駆けつけたかった。

 マモルからの返答は遅かった。


『隼人は待機』


 苦しげな声だった。マモルも悩んでいるのだ。


「くっ」


 隼人は短くうめくと森に眼を向けた。森の中の仲間が心配でたまらない。


「平常心」


 茜が隣でつぶやいた。


「ぬう」


 隼人は胸の前で両手を合わせて印を組んだ。何度も形を変えていく。やがて、


「ふう」


 と息をついた。憑きものが落ちたように冷静な眼差しだった。腕組みをして森を見つめる。

 先ほどの印を組むことで忍者スーツから薬を注入されるのだ。使いすぎると中毒になるので印は複雑なものになっている。


「怖いねぇ」


 つぶやいた茜の声はみんなに聞こえていた。



  ◇◇◇◇


 坂下桃子は動けなかった。動けば敵に位置を知られてしまう。苦無を投げた相手の位置はだいたいわかる。もうひとりはわからなかった。接敵した時に覚えた気配はふたつだった。少なくともふたりは敵が近くにいるのだ。多くて何人だろうかと桃子は考えた。

 こちらはふたりなのがばれているとして、三人は? 慎重な相手なら隠れたままということもありえるだろう。四人なら? さすがに倍も人数がいれば襲ってくるのではないか?

 桃子は敵は多くて三人とみた。時間がかかれば増援がくるかもしれないが――やるなら早い方がいい。

 横田はどこかと視線を送った桃子の眼に、ひらひらと宙を舞うものが見えた。紫色だ。ゆらゆらと上下左右に揺れるなにかは、みるみるうちにその数を増やした。


――蝶々?


 蝶だった。見える範囲で十匹はいるだろうか。

 そのうちの一匹が桃子に近づいてきた。桃子にまとわりつくようにすぐ近くを頼りなさげに飛ぶ蝶。その数が増えていく。


――なぜ? どうして?


 今やその数は五十ではきかない。

 不意に桃子の視界が揺れた。自分が揺れているのか周りが揺れているのかわからない。平衡感覚がおかしくなっているのだ。


「しまった!」


 これは敵の忍術だ!

 桃子はヘルメットのてっぺんに二本指を当てた。そのまま前に滑らせる。指の動きに合わせて透明なシールドがヘルメットのふちから滑り出てきた。花粉症対策のシールドが役に立った。

 シールドが出てしまって顔のほとんどを覆った時には桃子の体は真横を向いていた。手足が思うように動かない。


「蝶々。麻痺毒」


 木の枝から落ちながら桃子はつぶやいた。仲間に知らせるためだった。続けて、


「サーチポイズン。デトックスイット」


 桃子の首の後ろにちくりと痛みが走った。忍者スーツが血液を採取したのだ。その血液から毒の成分を分析してデータを本部に送り、解毒剤のレシピを送り返す。そのレシピを元に、すでに内蔵されている薬品であればそれを、なければなんとか調合して解毒剤を作るのだ。

 忍者スーツ万能過ぎ! のように見えてそうではない。時間がかかるのだ。いつ解毒できるかは毒物次第。解毒が間に合わず亡くなった忍者も多い。

 地面に激突するまでに間に合うはずもなく、桃子は地面に叩きつけられた。苦無がうなりを上げて飛んでくる。

 しかし、桃子の体はぽーんと跳ね上がった。苦無は地面に突き刺さる。

 忍法肉鞠(にくまり)! 脂肪を高反発に作り替え、ボールのように跳ねる技だ。これはほとんど桃子のパッシブスキルのようなものである。


「なに!? 奇妙な真似を!」


 森の奥から女の声がした。若い、少女のような声だ。

 桃子は意思のあるバランスボールのように跳ね回るが、少しはコントロールできるのか敵から遠い方に跳ねていく。


「でかした、奈乃巴なのは! 敵はひとりも同然! 片割れから倒すぞ!」


 叫びながら男が猛然と駆けてきた。忍者スーツはほとんど丸葉津高校のものと同じだが、色がやや青みがかっている。スーツが似ているのは製造元が同じだからだ。

 男は髪を短くしてつんつんに立てていた。鷹のくちばしのような富士額。しし鼻の下に凄い笑みを浮かべていた。



  ◇◇◇◇


「やばいな、どうなってんだ」


 茜が森を見つめたまま眉を寄せた。


「桃ちゃんは毒にやられたらしいな。動けないんだろう。敵は横田を集中的に攻めるぞ」


 隼人は冷静だった。


「なんとかできねえのかよ」

「俺たちが行っても着いた頃には勝負がついているだろう。トラと鈴が間に合えばいいが。しかし横田ならなんとかなるかもしれんぞ」


 隼人が言うと、茜は下唇を噛んだ。


『横田! なんとか持ちこたえろ!』


 トラの声。


『桃ちゃん!』


 鈴の声はほとんど悲鳴だった。

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