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10 夏美と葵2


「さあさあ、いつまで体力がもつかな?」


 夏美は美々子を振り切れなかった。時おり蹴飛ばされ、地面を転がった。美々子はとどめを刺しに来ない。遊んでいるのだ。体力が尽きた時にとどめを刺す気なのかもしれない。


「悔しいっ!」


 夏美は叫んだ。それを聞いて美々子が笑う。

 しかし、夏美もまた、マスクの下で微笑んでいた。

 地面に降り立った夏美は動きを止めた。


「あら、もうお終い?」


 すぐ後ろに降り立った美々子は夏美が印を結んでいるのに気がつかなかった。夏美の嘆きに油断したのだ。


「え?」


 風が吹いた。夏美を中心に大きな風の渦が巻いている。


「しまった!」


 美々子は地面を蹴ろうとしたが、叶わなかった。凄まじい上昇気流に巻き上げられていたからだ。

 忍法風遁(ふうとん)ねじり竜巻! 夏美は風使いだ。思いのままに風を操る。


「葵!」


 夏美は友の姿を探した。




 葵の心に生まれた炎は両手からごうと吹き出した。


「あっつ!」


 屋比久は葵を放した。ふたつの触手の先端が黒く焦げている。


「痛たたたた」


 地面に膝をついた葵は顔をしかめた。お尻が痛むのだ。


「よくも人のお尻で遊んでくれたね!」


 葵は腕を振った。バレーボールほどの火球が屋比久にすっ飛んでいく。

 忍法火遁(かとん)炎燕ほのおつばめ! 葵は炎使いだ。自由自在に炎を操る。触手だろうがなんだろうが、だいたいの生物は炎に弱い。効いていた。

 しかし屋比久は次々に飛んでくる葵の炎をのらりくらりとかわした。身体のあちこちから生えた触手が脚替わりとなって、人のできない動きで攻撃を躱すのだ。


「このっ! けるな!」


 葵にはまだ、かなりダメージが残っていた。動きに精彩がなく、火球の狙いも甘かった。

 屋比久の触手の一本が、足元にこっそり迫っていることにも気付かなかった。触手が足を払った。


「あっ!」


 と思った時には尻もちをついていた。


「っ!」


 声も出ない。屋比久が大きく触手を広げて襲いかかる。


「くうっ!」


 ごおっと葵を巨大な炎が包んだ。屋比久が構わず触手を振り上げる。触手が焼き尽くされる前に葵を叩きつぶす覚悟だ。


「葵!」


 そこに夏美がやってきた。


「えいっ!」


 夏美が腕を振ると屋比久の触手が何カ所も裂け、赤い液体が宙に玉を作った。

 忍法風遁鎌鼬(かまいたち)! 真空の刃で敵を切る技だ。ありがち。


「うおおおおおっ」


 イケボがなんだか濁りを帯びた。切られた傷から新たな触手が生えてくる。


「うわ、キモ」


 夏美の心ない発言に悲しそうな眼をした屋比久のヘルメットが砕けた。頭部が膨れ上がる。身体も触手も、太く大きくなっていく。九頭竜怖が暴走しかけていた。敵もわからず、ただ触手をうねうねと蠢かし、肥大していく。


「あわわわわ、これ、ヤバいんじゃないの?」


 自身に纏った炎を解いた葵に夏美が駆け寄っていく。


「今ならきっと倒せるよ、ナツ!」

「わかった。やるよ!」

「うん!」


 ふたりはうなずきあった。


「えいっ!」

「やあっ!」


 ふたりは両手を前に突き出した。夏美の見えない風のチューブが屋比久を取り囲む。そこへ葵の炎が渦を巻いて流れ込んだ。太い炎のロープが屋比久の身体を焼いていく。赤熱するコイルのように、屋比久に炎が絡みついた。

 屋比久の叫びはもはや人のものではなかった。常人が聞けば発狂しただろう。忍者は常人ではない。

 屋比久はいまや、高さ幅ともに十メートルに及んでいた。触手は木の幹よりも太くなった。その太い触手が無秩序に蠢き、地を叩くと地面が揺れた。樹木をへし折る。


「あ、葵! 火力を上げて!」

「わかった!」

「えーいっ!」

「やあーっ!」


 炎のロープがごうと太くなり、屋比久を覆い尽くす。巨大な火球から上がる火柱はまるで屋比久の触手のようだ。

 屋比久のおぞましい叫びと炎の轟音の中、


「お尻、痛い?」


 かすかなイケボが夏美と葵にだけ聞こえた。屋比久の辞世の言葉だった。屋比久は大きな炭となって崩れ落ち、あとには炭と灰の山が残った。

 夏美と葵。ふたりが術を合わせれば、超強いのであった。


「うわ、木が燃えてる」


 あまりの熱に森の木のあちこちから火が上がった。葵は炎使い、消すのも可能だ。夏美の鎌鼬も使って火を消していると、

 しゅっ

 背後から苦無が飛んできた。

 夏美のお尻の左のほっぺに刺さる。


「いたああああああっ!」


 夏美はのけ反った。

 しかし、威力がなかったのと忍者スーツのおかげで苦無は少し刺さっただけだった。ぽとりと落ちる。

 振り返った夏美と葵は、立つのもやっとといった風情のくノ一を見た。上月美々子だ。

 上空高く夏美の風に巻き上げられた美々子は、渦に巻かれて前後を失い、為す術もなく地表に叩きつけられたのだ。スーツがなければ命はなかったであろう。


「へえー、逃げなかったんだ」


 お尻の痛みに顔をしかめながら夏美は言った。


「だ、誰が逃げるか! お、お前らを倒す!」


 しかし、自身の武器であるスピードを失った満身創痍の美々子に勝ち目はすでにない。

 美々子は苦無を持った震える腕を振り上げた。


「えいっ!」

「やあっ!」


 美々子は一瞬で消し炭になった。


「あいたたた。またこっちのお尻だよ」

「ナツ、またってどういう意味?」

「あれ? なんだろう。まあいいや、刀、探そう」


 ふたりは闘いの最中になくした葵の忍者刀を、お尻の痛みに顔をしかめながら探した。スーツから注入された薬が効くには今少しだけ時間がかかるだろう。



  ◇◇◇◇


「なんだ、このお尻押しは?」

「それもだけど、えい、やあ、って掛け声はどうなの? あたしら高二だよ?」

『ちょっと! 人の気合いに文句つけないでよ!』

『そうだよ! ひどいよ、茜!』

「あ、聞こえてたの? ごめんごめん」

「なあ」

「ん?」

「屋比久のアレは忍法だったか?」

「え、あー、どうかなー?」

「アレは忍法じゃないだろ?」

「で、でも、忍法なんちゃらって言ってたし」

「言ってたか?」

「……これでこっちは三人倒したことになるのか。ふたりやられたから、ちょっとだけ有利だな」

「忍法かなあ」


 茜は黙って森を見つめた。

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