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結(ケツ)

 あの忌まわしき『猟犬』の惨劇から数日後のこと。哀れな私立探偵・高村淳一と違い、牧村慎太郎にはいくばくかの備えがあったので、今もこうして生き永らえ、定期健診を受けている。

「前回と比べて体重が急激に増えていますね。それにレントゲン写真に異常な陰影が写っています。このままでは命に関わりますよ」

「やはりそうですか。ですが、これには深い事情がありまして」

「お伺いしましょう」

 牧村慎太郎は『猟犬』を尻の穴に入れたことを説明した。

「ということがありました」

「そうですか」

 何度か頷いた後、眉をひそめ、可愛らしく首を傾げた。担当医の結城六花は評判の美人女医で、しかも小柄で童顔と来れば、こうした仕草もごく自然なものとして映ることだろう。

「よく聞こえませんでした。もう一度説明してください」

「わかりました」

 牧村慎太郎は『猟犬』を尻の穴に入れたことを説明した。

「そうですか」

 何度か頷いた後、眉をひそめ、可愛らしく首を傾げた。担当医の結城六花は評判の美人女医で、しかも小柄で童顔と来れば、こうした仕草もごく自然なものとして映ることだろう。

「よくわかりませんでした。もう一度説明してください」

「わかりました」

 牧村慎太郎は『猟犬』を尻の穴に入れたことを説明した。確かに異常な出来事であったから、嚙み砕いた上で何度も説明しなければ、相手に十全に理解させることはできないだろう。

「正気とは思えませんね」

「どの人のことですか?」

「全員」

 結城六花は溜息を吐いた。実のところ、牧村がこうした異常な事件に遭遇するのは一度や二度ではなく、今のような状態で定期検診を受けに来ることもまた、初めてではない。そのような案件には必ず、牧村が『猟犬』について説明した際に言及された人物、つまり鳥居神楽が関わっていることも、医師は知っていた。

「何故、貴方は『猟犬』を尻に入れようと思ったのですか?」

「これは、ぼくのアイデアではありません。神楽ちゃんと、その知り合いの片桐さんという方に取り押さえられて、無理矢理入れられました」

「どんな感じでしたか?」

「すごいです」

「大丈夫そうですね」

 その返答に、結城六花は首を横に振った。

「それで、貴方の言う『猟犬』はどうなったのですか?」

「レントゲンに写っていた異常な陰影が恐らくそれですが、もうすぐバリウムと一緒に排泄される予定です。出ます」

「そうですか。トイレは部屋を出て左です」

「ありがとうございます」

 トイレを案内する六花の言葉には、明確な拒絶の意図が見て取れた。牧村はそれを聞くや否や、尻を押さえながら走っていった。その通り道だった待合室に腐乱死体のそれに似た異様な臭気が漂い、中には嘔吐する者も見られた。

 それから数分ほどして、牧村は戻ってきた。

「出ました。もう大丈夫です」

「そうですか」

 愛らしい形の唇を動かして応じた。

「次回からはケツの穴に『猟犬』を入れた状態で定期検診を受けるのはやめてください」

「善処します」


 検診を終えた後、病院の外では、鳥居神楽が待ち受けていた。

 彼女も黙っていれば良い意味で人目を惹きうる美少女であるし、実際に口数はそう多くはなく、黙っていることは多い。

 だが珍しく口を開いたかと思えば、しばしば以下のようなやりとりが行われるので、浮ついた話がないのが現状である。

「肛門に入れた『猟犬』と健康診断の結果はどうでしたか、牧村警部補」

「臓器に異常陰影があったそうですが、無事バリウムウンコになって出ました。問題ありません」

「そうですか」

 人の心があるのであれば、相手が残忍極まる異次元の怪物であれ、その最期を哀れに思うこともあろう。もちろん、鳥居神楽に人並みの情緒など無いことは、周知の事実である。実際、彼女の頷きからは、何の感情も伺えなかった。

 ただ、そうした反応は、単に冷たい精神にのみ由来するものではなく、彼女の興味と関心が、既に別の方向に向けられていたことにもあった。

「……あれが最後の『猟犬』とは思えません」

「どういうことですか?」

「牧村警部補の肛門に侵入した『猟犬』と、高村淳一を襲った『猟犬』は、恐らく別です」

 正確には侵入したのではなく押し込まれたのだが、そうなのだ。人間の理解を越えた『猟犬』であるが、教会での必死の抵抗を鑑みるに、彼らの中では自発的に肛門に侵入することが一般的でないことが伺える。にも関わらず、高村淳一の肛門には『猟犬』が()()した痕跡があった。彼は自分でズボンを脱いでおり、現場の状況から完全な密室殺人と判断された以上、牧村のように他者に無理矢理尻に『猟犬』を入れられた訳ではないのだ。

 つまりこうだ。牧村の肛門に無理矢理押し込まれた『猟犬』とは別の、人間の肛門が見つけたら自ら侵入するような『猟犬』が別に存在し、しかもそれが野放しになっているのだ。

 この事件はまだ解決していない。神楽の勘がそう告げていた。

「牧村慎太郎さん、それに鳥居神楽さんですね」

 声のした方を振り向くと、そこに立っていたのは一人の少女だった。顔つきは典型的なコーカソイドのそれであったが、背丈と年頃は神楽と少し同じくらいで、かなり小柄な体躯であった。上目遣いに牧村の方を興味深く見上げる様子は、どこか子犬めいた印象を与えるもので、出会いがこんな状況でなければ、大半の男性の好意を得られうる程度には整った顔立ちである。

「はじめまして。フランセット・モートンです」

 そう、あの惨劇の原因となった宝石を、高村淳一に預けたのが、このフランセット・モートンだった。事件の重要参考人として、別動隊が行方を追っていた人物である。

 だが以前の報告では、彼女は海外に居るとのことで、それが数日のうちに、こんな狙いすましたようなタイミングで戻ってきたことに、牧村は驚きを隠せなかった。

「高村さんのことは存じております。そして、貴方がたのことも。わたしを探していたのでしょう?」

 牧村は身構えた。フランセットの口振りから、彼女が『猟犬』について重要なことを知っているのは明らかだった。

 神楽は体術を駆使するような構えは見せなかったが、代わりにフランセットの頭の天辺から爪先までを観察した。

 二人にとって、見た目と中身の異なる人物と相対することは初めてではない。恐ろしい猟奇殺人犯の多くが、隣人の目には善良な人に映っていたがために、事件の発覚が遅れ、多くの犠牲者を出したことを知っている。二人がそういう事件を担当したことも、少なからずあった。

「貴女も、牧村警部補みたいに『猟犬』を肛門に?」

「話は後です」

 神楽の質問に対し、フランセットは露骨に話題と視線を逸らした。彼女にとっては運良く、そうして逸らした視線の先に何かが居た。

 それは捻じれ、歪み、奇妙に鋭角的な形状の生物だった。大きく開いた口からは長い舌が伸びており、先端から腐臭のする粘液を滴らせている。見間違えようはずもない。

「なるほど、事件はまだ終わってなかった訳だ」

 もはや驚きはなかった。最初に見たのは宝石の中に映る姿、次に見たのは星の智慧派教会での襲撃、そして今回で三度目の遭遇となる。牧村にとっては、流石に慣れたものである。

 神楽は相変わらず表情を崩さない。そもそも彼女は、最初に遭遇したときでさえ、完璧に冷静であった。

 つまるところ、この場において『猟犬』を最も恐れ、警戒していたのは、フランセット・モートンただ一人だった。その表情の変化を目ざとく見ていた神楽は、少なくともフランセット・モートンが『猟犬』の事件の黒幕でないと結論付けた。

「来いッ!」

 牧村慎太郎は尻を向けた。『猟犬』は黙って首を横に振った。



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