005 おわかれ
しばらくは逃げ惑う人たちの波が続いていたが、それもすぐになくなった。
『さあ、私たちも逃げよう』
『ぅん』
はぁ、はぁ、はぁ……急ぎたいのに体がそれについていかない。
ただでさえ私のせいで逃げるのが遅くなってしまったというのに。
本当に自分の体の弱さが恨めしい。
乙羽だけでも先に逃げてほしいけど……。
『そんな目で見ても絶対に置いてかないからね? どんな時でも、なにがあっても私はあなたと一緒なんだから』
乙羽……。
思わず握っていた手をギュッと握り絞めると、乙羽はいつもの優しい笑顔を向けてくれた。
その刹那。
耳をふさぎたくなるような激しい爆発音が響いたと同時に、地震かと思うほどの大きな揺れが続き、近くの窓ガラスが次々に割れていく。
『きゃぁああああ?!』
んなっ?!
爆発した?!
アイレンズに起爆の反応や火事と思われる反応が表示され、建物が崩れ始める。
制限時間はまだ残っていたはず、まさか起爆させたというの?!
まずい、まだ人の生体反応が建物内にいっぱいあるのに!
しかも、この先を通ると私たちも下敷きになる!
乙羽だけならまだ逃げきれるけど、私がいるせいで二人とも……。
『桜夜あぶない!』
え?!
天井が崩れた?!
スマコのシミュレーションだとここはまだ崩れないはずだったのに!
今にも私を突き飛ばして自分が身代わりになろうとしている乙羽。
ここまでか……乙羽、ごめんね。
こんな私をいつも守ってくれて『ありがとう』。
『えっ?』
私は自分が着用していた「転身機」を瞬時に解除して本体のリボンを乙羽の腕へはめ込むのと同時に、指に巻いていた「空輪」をするりと乙羽の指へ移動させた。
「転身機」は本体のリボンから出るスライムのようなものが全身にまとうことで衣類へと変化し、変幻自在に変装を可能とするもの。
本来はそれが衣類へと変化するので服を着る必要がなかった。
だから私は今、乙羽にもらった桜色のマフラーを首に巻いているだけの姿へとなる。
そして「空輪」を起動させ、プロペラを回して乙羽の体を宙に浮かせ、倒れかかりながら思いっきり体全体で乙羽をガラスが割れた窓の方向へと突き放した。
すると、乙羽は宙に浮いたまま窓の方向に向かい飛んで行く。
『な、なんで?! いやッ、いやぁあああ! 止まってよぉおおおお! 桜夜ぁあああああああ』
ごめんね、それは一人だけしか飛ばせないんだ。
必死な抵抗も虚しく、空輪の力で窓から店外へと出される乙羽。
ここはもう3階。
もうすぐ空輪で浮いてられる許容時間が切れて地上へと落下してしまうけど、転身機を身に付けていれば落下の衝撃から絶対に乙羽を守ってくれるはず。
これが、今の私にできる乙羽を守るための最後の切り札。
『いやぁああああああ、桜夜ぁあああああああ……』
私の分まで生きてね。
ばいばい、私の大好きで大切な人。
泣きながら私に向かって必死に手を伸ばしている乙羽の姿が見えなくなるのと同時に、崩れて降り注ぐ瓦礫で体を容赦なく押しつぶされる痛みを感じながら私は意識を失った。
*****
ここまでが私の記憶。
おぅ……とても鮮明に思い出してしまった。
あの状態だったら確実に死んでるはずだよね?
じゃあ、この自分の記憶と動かない体は一体なに?
実は助かった?
マジでわからん。
そんなことよりも乙羽はちゃんと無事だったかな?
それだけが私の気がかりだよ。
あんなに泣いていた乙羽は初めて見たなぁ。
なんかそれを思い出すと胸の奥がざわざわちくちくするのはなにかな?
ふぅ。
人がせっかく考え事してんのに、目の前で大きな口を開けてよだれを垂らしているこの巨大生物は一体なにかな?
トナカイ? のような見た目だけど、私の知っているトナカイはそんなに大きな口も、上下に生えている鋭い牙も、厳つい尖った角もありません。
さて、困った。
今にも私は食べられそうだ。
私なんか食べても美味しくないぞと声を大にして言いたい。
声出ないけど。
「ぐぎゃあ?!」
ん?
あぁ、別の魔物がやってきて噛みついたのかぁ。
こいつは、狼? に見えるけどなんでそんなに胴体長いの?
ダックスな血が混じってる?
あ、トナカイくんも狼くんの足に噛みついた。
痛そう……て、ちょ、ちょっと!
そんなにアンタら暴れたら私に当た……
あだっ?! うっ、ぶへっ、ぐへっ?!
壁に飛ばされ、跳ね返ってゴロゴロ転がって止まった。
……あれ?
あんまり痛くない?!
なんで?
このフワッと包まれて守られる感覚……まさか、転身機?!
いやでも転身機は乙羽を守るために渡したはずだし……。
スマコ、いるの?
《メイン電源ON、認証開始……身体情報、内部組織、脳内音声、パルス、オールクリア。我主『サクヤ様』と照合確認。スマコ起動》
やった!
スマコがいてくれて助かったよ。
ていうか、アンタ今しゃべったぁ?!
耳で聞こえるっていうより頭に直接響いてくる感じだけど。
《はい、我主。脳波に直接アクセスできるようになりました》
いやいや、アンタそんな機能付いてなかったじゃん。
嬉しそうに言わないで?
そう、お母さんはスマコに音声機能を持たせていなかった。
なぜなら、訓練により速読術を身に付けていた私たちスパイの中では、音声で情報を聞くよりも文字にして読んだ方がはるかに速かったからだ。
スマコ、体が動かないんだけど、これは一体どうなってんの?
《サクヤ様、それはあなた様が乳児であるからです》
……はっ?
序章の本編最終話でした。
次話は別ルート編です。
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