第漆話 ~マレー半島襲撃そして占領~
更新遅れまして誠に申し訳ございません。
真珠湾攻撃とは時系列がかなり変わっていますがご容赦ください。
マレー沖海戦においては、外伝を作りますので、ご期待ください。
時はさかのぼり真珠湾攻撃の数時間前。
海南島、三亜港では日本軍がマレー半島にある
合計三か所の上陸地点へ向けて出発していた。
マレー半島を攻めるのはその南端にあるシンガポールを奪取するためである。
シンガポールは、イギリスにとって最も重要な植民地であるインドとアジアを結ぶ重要な地点であり、頻繁にイギリス、オランダ、アメリカなど、
太平洋に向けて連合国軍の物資が運ばれていた。
さらに、それを護衛するために当時イギリス東洋艦隊の拠点が置かれていた。
また、ここは第二次世界大戦における連合軍初の合同司令部であり、ここを落とすことが最優先とされた。
そのためイギリスはシンガポールに強力な要塞を築いたため、日本軍は海からの攻撃を諦め、比較的防御の弱いマレー半島から南下し、シンガポールに侵入することを計画したのが事の始まり。
さて、1941年12月8日午前2時25分、日本軍の侘美支隊(第18師団の一部)は
マレーの東海岸コタバルに上陸。
続いて第5師団がタイ領シンゴラとパタニに上陸。
真珠湾攻撃の約1時間前、「南方作戦」の開始だ。
それに対してイギリスは、上陸を阻止するべく最新鋭艦、
プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを派遣した。
だが、すでに日本軍が上陸を終えていたためそのまま引き返した。が、
偵察機によってそれを知った日本軍は両艦を海軍航空部隊によって両艦を撃沈。
航空機の有用性が明らかになった。
俗に言う「マレー半島沖海戦」である。
これは、大艦巨砲主義が終焉を迎えたことを意味していた。
これにより、イギリスは、浮沈戦艦と謳っていたプリンス・オブ・ウェールズがあっさりと撃沈されたことに大きなショックを受けた。
対して日本はさっそく大きな戦果を受けたことに奮い立ち、侘美支隊は英軍の激しい攻防によって多くの死傷者を出しながらも順調に南下した。
一方、タイに上陸した第5師団は早くも最初の難関に差し掛かっていた。
イギリスが作った要塞、タイとマレー国境近くに構築されたジットラ・ライン。
22キロに及ぶ縦深陣地であり、
六千名の兵士、戦車九十台と重機関銃を備えた英軍が待機していた。
これに対し、わずか数十台の戦車と六百名ほどの兵力で突破したのが佐伯挺進隊である。
戦車を前面に出し、それに乗ったり盾にしたりして進んだ。
そしてサイゴンから出発した爆撃機がペナン島にある英軍基地を爆撃、英軍は直ちに逃げてしまったため、日本軍は無血でペナン島を占領することができた。
しかし、クアラルンプ―ル手前の
カンパル、スリムでは英印軍は激しい抵抗を示した。
4日間にわたる戦闘で、日英軍ともに戦力の大半を消耗した。
インド人部隊は降りそそぐ砲弾の中、銃剣突撃を決行し、
彼らの抵抗の激しさに日本軍は撤退を考えた。
1月6日、日本軍はクアラルンプールの北のスリム河まで進撃した。
ここでは北部で敗走した英軍が、援軍を加え日本軍への攻撃に備え強固な縦深陣地を築いていた。
しかし日本軍は戦車による夜襲を決行して、
たった1日でスリム一帯を占領することに成功した。
日本兵は300人足らず戦死者を出した。「スリム河の戦い」である。
この戦いによって日本軍がスリム河の橋を確保した直後、約3200名のインド人部隊が投降した。
当時、マレー半島に配備された英軍の多数はインド兵によって構成されていた。
本国インドではイギリスに対する反植民地運動が激化しており、「アジア開放」を謳う日本に対して彼らの士気は高くなかったのだ。
これにより多くの武器を押収した日本軍は、「チャーチル給与」と呼んで喜んだ。
一方、クアラルンプールに駐屯している英軍はスリム河の戦いで自軍がほぼ全滅したとの報を聞き、日本軍がクアラルンプールに侵入する前にジョホールバルに総退却した。
それにより、クアラルンプールは無抵抗で日本軍の手に落ちた。
ここまで実に一か月ほどのこと。
日本軍はクアラルンプールの飛行場二か所を占領して飛行場として使用した。
さらに、日本軍はイギリスによって舗装された道路を自転車によって南下した。
自転車は各歩兵に一つ支給されたが消耗が激しいため、
地元住民から徴収したりもした。
いわゆる「銀輪部隊」である。
日本軍はとうとうシンガポールに隣接するジョホールバル手前に到達した。
ここに、別動隊をしていた侘美支隊もジョホールバルで合流し、
本体である18師団も続々と到着した。
日本軍は約五万を数えた。
ここで地理に疎い人のために説明しよう。
まず、シンガポールは「島」である。
そして、そのあいだにはジョホール海峡が横たわっている。
海峡には橋が幾つか架かっている。
ジョホールバルは、ジョホール海峡を挟んでシンガポールの反対側に位置している。
ここを落とせばマレー半島ないしシンガポールはとったも同然だ。
ここで、マレー半島最後の戦いが行われた。
クアラルンプールから退却して来た英軍はジョホールバルに堅牢な要塞を築いていた。
さすがにジョホールバル手前での抵抗は激しかった。
だが、数も数だ。
日本軍は英軍をほぼ全滅近く撃破した。
これにより、マレー半島は日本軍の手に落ちた。
敗走した英軍はジョホールバル海峡にかかっているコーズウエイの橋を渡った。
橋は、最後のイギリス軍部隊が渡り終えた直後、爆破された。
これにより、イギリスはマレー半島を失い、日本軍のシンガポール攻略へと進む。
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???:おーい!、、、寝てるのか、、。
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???:せっかく解読機が出来たっていうのに、、。これから試運転なんだぞ?
??:ムニャムニャ、、、。
???:まあ、夜通し頑張っていたからな、、。
??:フフフフ、、、これで、、連合国の勝利だ、、。ムニャムニャ
???:そうか、、、そうかもな、、これで勝てばいいんだがな、、。
??:ムニャムニャzzZ
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しかし、太平洋戦争は連合国軍によって日本軍の紫暗号機及びドイツのエニグマ暗号機が解読されたことにより逆に連合国側が劣勢に追い込まれてゆくのである。
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Re:文章校正及び名言の移動を行いました。
引き金を引くだけで世界が平和になるのなら、それは平和と呼べるのだろうか?
~ジェイムス・テラー~






