第壱話 電撃戦 ~ポーランド侵攻~
ポーランド降伏からフランス侵攻までです。
~EUROPE~
ナチス率いるドイツは、軍備力の増強を加速させ、戦争への準備を整えていた。
女性が工場で働くようになり、男性は日々軍隊の訓練に参加していた。
軍隊がかなり成長してきたころ、ヒトラーはある行動を起こした。
第一次世界大戦終戦の際に決められたフランスとの緩衝地帯ラインハルト。
ここに軍を進駐させたのである。
事実上の占領である。
が、隣接するフランス側の動きは無かった。
しいて言うならば、外交的警告だけだろうか?
もしもこの時、フランス軍が動いていたならば、ヒトラーは早急に兵力を引き上げ、
もう少し慎重に周りの国々へと攻めていっただろう。
強気な相手に突っ込んでいってもやられるだけだからだ。
しかし、フランスがこのような動きを見せたことで、
ヒトラーはフランスやイギリスの首脳部が厭戦していることを予測し、
相手の対応が遅れるうちに素早く周りの国を攻めることを判断した。
さらには、同一民族だと言う理由でオーストリアを併合。
さすがにこれは見逃せないらしく、強めな外交的警告をくらったため、ドイツはチェコスロバキアの一部を乗っ取ることだけにとどまった。
一方、イタリアはエチオピアを占領し、
そのままドイツ軍の力を借りてエジプトの攻略への準備を進めていた。
そして、日本では盧溝橋事件が起こっていた。
中国に駐留していた関東軍が中国軍にをだしにつかって起こした事件である。
事の顛末はこうだ。
もともと、中国と日本は満州事変を機に溝が深まっていた。
国際連盟はリットン調査団によって日本の自作自演を訴えたが、
日本はそれに反発し、椅子をけって国際連盟を脱退した。
そして、日本と中国の対立が顕著に表れていたのは盧溝橋だった。
そんな一触即発の盧溝橋で、ある日突然中国側から発砲音が聞こえたのだ。
すぐさま点呼をとってみたところ一人の兵士がいなくなっていたのだ。(のちに帰ったそう)
十中八九関東軍の自作自演だが、ここではその真相を追わないことにする。
これが日中戦争の勃発だ。
これらの動きに対しイギリスとフランスは、ポーランド、ルーマニア、ギリシャなど
が攻撃を受けた場合援助する事を表明した。
つまりは同盟であり、攻撃するなよ宣言である。
一方、アメリカは一見中立のままだが水面下でいろいろな動きをしているようだ。
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さて、ドイツはソ連との間に独ソ不可侵条約を結び、ポーランドに侵攻した。
だが、フランスやイギリスは、援助する事を表明したにも関わらず、戦う事を避けた。
ドイツのことを恐れていたということの裏付けである。
ここに、ポーランドは条約を見て見ぬふりをされ事実上見捨てられた。
またこの時、ドイツ軍の保有していた兵力や、戦車の台数は、イギリス+フランス+ベルギーに足りなかったが、火力の集中(部隊の練度)と航空兵力においては突出していた。
また日本との技術提携によって、三菱A6M零式戦闘機(通称ゼロ戦)と、メッサーシュミットbf109などが、主力だった。ドイツはこれにより制空権を完全に握った。
機甲部隊はPz lV D戦車、Hetzer駆逐戦車(砲塔が無い)を配備していた。
歩兵部隊は、総勢約50万。訓練の練度は高く、
また機甲部隊に乗って進攻する為移動速度は速かった。
これらの軍隊をもってして、ヒトラーは戦術の一つとして「電撃戦」を提唱した。
電撃戦とは、優れた機動力を持つ機甲部隊(戦車、オートバイ)が道を開き、
航空部隊が増援し、歩兵部隊が敵を一掃する兵法だ。
これに対しポーランド軍は、昔ながらの騎兵隊しか保有して居なかった。
工業先進国に騎馬隊が勝てるわけがない。
案の定、ポーランドは一か月もたたずに陥落した。
ポーランドが落とされたにもかかわらず、イギリスとフランスは、
ドイツに宣戦布告をするだけしたのに、兵は出さなかった。
哀れなポーランドは東西に分割され、独ソ不可侵条約に基づいてドイツとソ連に分割統治された。
ドイツは勢いに乗りに乗って進行速度を速め、1940年5月から6月にかけて、
ドイツはオランダ、ベルギーを席巻、陥落させた。
たったひと月で二国を落としたのだ。
これには連合国の首脳たちもびっくりした。
そして、フランス攻略への準備は着々と進んでいた。
一方イタリアはエジプトに侵攻を始め、地中海への進出を狙っていた。
すみません、当時の自分が今とはとても似つかわしくない書き方をしていたので、年表の作成に伴って大幅改稿をいたしました。