帝国にて
鳥が囀る音が遠くの方から聞こえる。
ふわりと頬を撫でる風が暖かくて気持ちがいい。
甘ったるい花の香りもする。
ゆるゆると目を開けてみると天蓋からレースがさがり風に揺られてふわりふわりとしている。
喉がからからで、まずは水を飲もうと体を起こそうとする。
力が入らなくてくらっとしてベッドに倒れ込んでしまった。
「まぁ、お目覚めになりましたの!
今お水をお持ちいたしますね!」
帝国の言葉で話した女性がパタパタと部屋を横切る。
何か指示を出してすぐに盆にグラスを持ってきた。
「お目覚めになられてようございました。
こちらに、レモン水をご用意しましたのでまずはお飲みくださいませ」
一口グラスから小さな器に水を注ぎ、くいっと仰いで毒味をして、にっこりグラスを渡してくれた。
恐る恐るグラスを受け取ると、爽やかなレモンの香りがする。
こくっと飲むと、清涼感があって美味しかった。
「また後ほど、温かなスープをお持ちしますが、まだお疲れでしょうからごゆるりとお休みなさいませ」
そういって女性は下がろうとする。
「あの…ありがとう。貴方の名は…」
「リジーと申します。」
「ありがとう、リジー」
リジーはにっこりとして下がっていった。
ソフィーは全身の怠さに、再び眠りについた。
「何?あの王国の者が目覚めた?分かった。後でまた様子を見に行こう。」
ルードヴィヒが連れてきた王国の人間は思ったよりも回復が悪かった。
小柄だったが成人男性なら1日2日で目が覚めると思っていたが、4日目でようやく目が覚めたようだった。
それもそのはず、治癒院に連れて行くと女性だったと言われたのだから。
治癒院では女性病棟に移し、増血魔法をかけ続けていた。
そして漸く目覚めたと連絡があったのだ。
ルードヴィヒは病室を訪ねた。
「具合はいかがかな」
ドアを開けるとそこに、ベッドにもたれかかって窓の外を眺めるソフィーがいた。
陽の光が見事な金髪をキラキラと照らす。
その白い肌は透き通って、ほっそりとした首元が艶かしい。
ソフィーは、部屋にはきた男性が、山中で出会った人だと気がついて目を丸くした。
山中で見た軽装と異なって、今日は軍服にたっぷりのマントを翻している。胸には勲章がたくさん付いている。ダークネイビーの髪と浅黒い肌に白い軍服が目立って、爽やかさを演出している。
一瞬であった不審者だったので気がつかなかったが、精悍な顔つきをしていて逞しい体つきの美丈夫だった。
「貴方は…ここは一体…
いえ、まずは命を助けて頂き誠にありがとうございました。まだ立ち上がることができないため、このように臥したままで失礼致します。」
と、綺麗な帝国語で挨拶する。
ルードヴィヒは、なるべく威圧感を与えないように優しく声かけた。
「誰か既に説明したかもしれないが、ここは帝国の首都オーディンだ。
先日、貴殿が刺されたものの出血が多く王国では助からないと判断して帝国に連れてきた。治癒次第本国に帰還できるよう手配するのでそのように心算しておいてくれ。」
「はい、何とお礼申し上げてよいかも分かりません。お心遣い、重ね重ねありがとう存じます。」
その気品と妖精のような美しさに
「そなたはミューゼル公爵領に居たが、公爵家の関係者か?」と訪ねた。
「はい、ミューゼル家が長女ソフィーにございます。」
「フロイライン・ソフィー、お会いできて良かった。まだ顔色が悪いので改めて。」
そう言ってルードヴィヒは部屋を去っていった。
次の日、ソフィーの部屋に花束が見舞いとしてルードヴィヒから贈られてきた。
「まあまあ!ソフィー様、こちらの芍薬の大ぶりなこと!」
リジーがその日届いた花束を水揚げして花瓶に刺してくれる。部屋は花だらけだ。
忙しいと容易に想定できるルードヴィヒだったが、翌日も時間をとって顔を見にきてくれた。ソフィーは少しずつ食事も取れるようになり、起き上がれるようになったので、心配しているだろうから本国に連絡が取りたいと願い出た。
「それは構わない。
ところで、フロイライン・ソフィー。貴方は何故あのような山中であのように指揮を取っていたのか伺っても?」
そこで、ソフィーは公爵領での山賊の暗躍の経緯を説明した。自身の男装の理由については兄の代わりに、とだけ話した。
「ふむ…だとすると、その拿捕した山賊の話を詳しく聞きたかったな。惜しむらくは諜報員を逃したことだな。暫くは潜って再び動きはすまい。」
思案顔でルードヴィヒが黙り込む。
そこにルードヴィヒの侍従がやってきて、まもなく正妃様の出立時刻である旨を伝えてきた。
「我が国からは、貴国の建国祭に合わせて義母の正妃殿下が出席するのだよ。」
とルードヴィヒが教えてくれた。
「えっ…!え、えっ、貴方様は…」
ソフィーは驚いてしまった。
「あぁ、失礼。きちんとお伝えしていなかったね。
私はこの国の皇太子ルードヴィヒだよ。驚かせてしまってすまないね。
そして、失礼を重ねるが先ほど伝えた通り義母が出立するので挨拶に行かなくてはならない。また改めて。」
と、さっさと部屋を出て行ってしまった。
ソフィーは、もう少し話していたかった…と残念に思った後、はっとした。
―――い、いけない。
それよりまずはお父様とルイに連絡しないと流石に心配しているはず。
ドキドキする胸を押さえて、リジーに手紙を用意してもらう。
赤くなった顔を見てリジーがニヤリとしながら用意してくれた。
「…何、リジー。」
「我が国の皇太子殿下は、今まで婚約者を定めず、また特定の女性と定期的にお会いしていることもございませんでした。」
「…そっ、そうなのね。」
思わず頬が緩んでしまうソフィーを、愛らしい御令嬢だとリジーはニマニマしながら、皇太子に、明日は花ではなく絶対服を贈るように伝えようと思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――ソフィーがどこにも見つからない。
ミューゼル公爵家では、一向に掴めないソフィーの行方に焦燥感を募らせていた。
ルイが知らせを受けてから領地まで馬を乗り潰して帰ったが、途中途中受ける領地からの報告ではソフィーの生死を含めて行方が分からない、というものだけでずんと心が重くなる。
―――何でソフィーを行かせたのか。
何でソフィーに作戦を決行させたのか。
ソフィーの顔を思い出してはつんと鼻の奥がする。
行方不明になった翌日には山中の捜索を朝早くから始めたが、雨が降っていたこともあり犬による匂い探知は出来なかった。
大量の出血あとがあったという場所には確かに所々黒々した血の跡があったが、全く手掛かりらしい手掛かりもなく、どこを探せばいいのかも分からず、皆途方に暮れていた。
近隣の山中を、ルイが到着するまでにくまなく探したが見つからず、時間だけが過ぎてゆく。
その間、拿捕した山賊からの尋問は続けていて気になる情報も得られた。
オスカーは作戦中に負傷していて、ソフィーが行方不明になっていることを知らなかったのでそのまま隔離して情報操作し、ルイが入れ替わっている事について箝口令を敷いた。
ソフィーからの手紙が届いたのは、ソフィーの行方が分からなくなってから7日目のことだった。
そこには、ソフィーの無事と治療中である旨が簡潔に記してあり、治癒し移動でき次第帰国するとのことだった。
帝国から手紙を持ってきた使者は、返事があればと残っていたがルイは一緒に帝国に連れて行って貰うよう依頼したのだった。