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人類滅亡回顧談

作者: 正守証

 世の中は間違っている。どういう両親の許に産まれるのか、それは神様ですら判らない。世界で数人の富豪かもしれないし、或いは、明日の食事に困っている難民かもしれない。

 そんな、「どんな人物の子供に生まれるか」という、「運」のみで将来が決定してしまう世の中に、彼は疑問を抱いていた。もしかしたら、一日百円以下で生活する難民も起死回生の大博打を当てるかもしれないし、富豪が所有する大手企業が倒産するかもしれない。けれど、それは結局のところ自分の幸運であり、責任だ。 

 どんな両親の許に産まれるのか、それは抵抗の余地がないほどの、決定事項なのだ。親は選べない。親の成果を自分のことのように褒められるかもしれないし、親の責任を押し付けられるかもしれない。それは、不平等に過ぎる。

 彼は、自分が幸福であるとき、自分が笑っているとき、決まって後ろめたさを感じる。

 ──ぼくが捨てたあの残飯が、どこかの難民を救えたかもしれない。

 ──ぼくが笑っているこの瞬間、どこかの難民は自分の運命を嘆いているに違いない。

 強迫観念のように、周期的に考えてしまう。つまるところ、彼は「善い奴」なのだろう。だから、自分の幸福が許せない。自分の「運」が許せない。

 一般企業に勤めるサラリーマンの許に産まれた彼だが、考えることは、大統領や総理大臣でさえ無理難題だと切り捨てる、そんな哲学だった。

 彼は高校に進学したばかりで、風貌だけなら中学生だ。文芸部に所属し、毎日小説を書いて過ごしている。

 俗に言う、優等生である。最も彼の場合、優等生の自意識とは少し違う。

「こんな裕福な家庭に産まれたのだから、世界の貧しい方々のぶんも勉強しなければ恰好が付かない」

 それは、やはりどこか強迫観念染みた考えだった。



 高校生活にも慣れ始め、文芸部にて短編小説が一本出来上がろうとしていた。彼の小説は文芸部内で話題となり、その哲学的な内容は先生までもを感心させた。

 物語が最終局面に突入し、彼の筆も調子づいていった。もはや文章を考えずに、感覚的に降り積もる文字列をキーボードで叩き込むだけだった。

 しかし、異変が起きた。彼の打った文章が表示される液晶画面には、こう書かれている。

『甘美に煌めく口唇から洩れる吐息が、私の心を擽った。彼女の考えには、どうしても十九時に父の会社に行け。父の部屋の押入れに入っている書類を忘れるな』

 彼は困惑した。まず、機械の故障を確かめた。四月に新調したばかりだと、部長が言っていたのを思い出す。原因は機械ではない。

 特別なことは何もない、ただの打ち間違えだと納得できるほど、彼は大人ではなかった。一度文章を消し、書き直し始めたが、先ほどの一文が頭から離れず、肝心の最終局面を巧く執筆することはできなかった。

 興味本位で、彼は十八時に家を出た。行き先は無論、父の会社である。彼の住む残和町から、電車に数十分揺られ、ようやく会社に辿り着く。

 何も起きなかったのなら、やはり怒られるのだろう。彼も理解していた。しかし、何かが起きるのだと、理屈ではなく感覚が教えてくれた。

 どうしたら入れてもらえるのか熟慮していると、父が会社から顔を見せた。心慌意乱としており、彼に気づかぬまま通り過ぎようとした。

「お父さん!」と声を掛けると、父は分の悪そうな顔をして、

「あ、誠人まことか。悪いが、少し取り込み中だ。あとにしてくれ。会議で使う書類を家に忘れてきてな、家に電話しようとしても繋がらんから帰って取ってこいと上司に言われた。早くしないと、オレの首が危ないんだ。悪いな、誠人」

 目を右往左往とさせ、足は不自然に動き続けている。かなり焦っている様子だった。

 誠人は、まさかと思いながら鞄を開き、先ほどの書類を取り出した。

「その書類って、これのこと?」

 父の目が輝き、その書類を受け取って踵を返すと、声が聞こえなくなるまで、誠人へ感謝の言葉を繰り返した。

 誠人は呆然としていた。自分に、何か能力が目覚めたのだろうか。先ほどと同じように、理屈ではなく、感覚がそう言っているような気がした。

 それからというもの、彼の生活は一変した。

 遭遇することになる悲惨を回避し、遭遇しないはずの幸運を、手にすることができる。

 彼は自身に芽生えた能力が「希望を書く」能力なのだと解釈した。とはいえ、発動するまでが面倒だ。勢いよく筆を走らせ、もはや自分の感覚にのみ従って文章を書く際、稀に書いたつもりのない文字列が浮かび上がる。更に、仮に能力が発動したとしても、絶対に勢いづいていた筆の調子を悪くする。つまり、相当なリスクを伴う行為なのである。

 初めて能力が開花した五月下旬から半年ほど経った日、またしても文芸部の活動中に能力が発動した。

『別れ際に、私は街頭から海の見えるところまで少しばかり歩き、そうして二十一時に新郷坂公園』

 今回は、少しばかり残念だった。小説のタネが思いつかずに、数週間、何も書かずに文芸部に居座っていて、そうして、ようやく思いついて書き始めていたのだった。筆も乗ってきたところで、能力が発動。誠人は少しずつだが、自分の持つ、誰もが羨むような能力を嫌悪するようになっていた。

 しかし、幸運を手に入れるのは怠らない。二十時五十分、彼は新郷坂公園に到着していた。電車で数分程度の、近場と言っては近場の公園だ。

 十一月ともなると流石に冷え込み始め、彼の他に、公園で立ち尽くす少年少女も厚着だった。少年が二人、少女が一人。

「もしかして、幸運は既に始まっているのか」

 誠人を含めた四人のうちの、一人の少年が呟いた。体育会系、とでも表現するのだろうか、その屈強な肉体は野球やラグビーを連想させる。

 幸運。彼が呟いた言葉は、残りの三人にとっても馴染み深いものだった。無論、それは誠人にとっても。

「ねえ、幸運って、それって、どういう意味よ」

 少女が、例の体育会系の少年に声を掛けた。少女の頬から、冷や汗が垂れた。十一月である。

「うむ。最近の俺には、幸福が纏わりついてだな。例えば、俺は野球をやっているんだが、相手のエースが試合前に倒れたり。それを幸運と呼ぶのは、あながち善いこととは呼べないだろうが」

 誠人、少女、そして、もう一人の少年は、驚愕していた。自身の持つ能力と、類似している。

「あ、のっ、ぼく、ぼくも、持っているんだっ、似たような能力を。ああ、ぼくは能力と呼んでいるのだけれど、小説を書いているときに、これから起こり得る幸運を無意識に書くことができるんだよ」

 誠人が割り込む。彼は普段、自分から言葉を発するような性格ではないし、ましてや見知らぬ初対面の人間に声を掛けるなど、考えるだけで頭痛がするような少年である。

 焦っていながらも、誠人は内心、歓喜していたのだ。

 誰からも理解されないと思っていた自分の能力と、同じものを持つ者がいる。それは、彼にとって「幸運」だった。

「それなら、私も。私は読めるのよ、幸運が。両手を目に押し当てて、視界が暗闇になったところで、浮かび上がるの。これから起こり得る、幸運が」

「奇妙な話だな。ここに集まったのも、偶然ではないということか」

「これが、三人にとっての幸運なんじゃないかな。ぼくは、同じ能力を持つひとと出会えて、嬉しい、もの」

「私は別に、嬉しくないわ。自分と同じ能力を持つ者に出会うくらいなら、道端で一万円拾ったほうが幸運ね」

「しかし、そこの少年だけの『幸運』というのは、おかしいんじゃないのか? 自分の幸運を映すんだろう、きみの能力は」

「そういうアナタはどうなのよ。アナタの能力は、どうやって幸運を見るの」

「俺は、書いたり読んだりできるわけじゃない。ただ、幸運が起こるんだ。いわば、お前たちの能力が『幸運を書く』『幸運を読む』だとするならば、さしずめ『幸運を起こす』といったところだろう」

「何だか、曖昧ね。アナタの能力、つまらないわ」

 別に、面白くなくてもいいだろう、と、野球少年は躍起になって言う。

 好ましくない空気になったのを感じたのか、誠人が両人の間に割って入った。

「な、なあ、とりあえず、電話番号とか交換しないかい。ほら、同じ能力を持つ者同士、仲良くしようじゃないか」

「確かに、持っていると便利よね。良いわ、交換しましょう」

 尻ポケットからスマートフォンを取り出した彼女は、誠人のほうを見もせずに電話番号を呟く。対処に遅れた誠人は、二度訊き返した末に、彼女の電話番号を入手した。

「名前とか、教えてくれるとありがたいんだけど」

「袖ヶ浦そでがうら遥香はるか。遥香で良いわ」

「そこの、野球少年くんは」

「魚津うおづ智久ともひさ。智久って呼んでくれ」

「智久くんは、携帯とかって持ってないの?」

「一応、持ってはいるが、親が一日一時間しか使わせてくれなくてな。今日は持ってきていない。でも、電話番号なら憶えているぜ」

 智久が漏らす電話番号を、正確にメモ帳に打ち込んでいく。遥香も同様だ。言い終えたところで、誠人が顔を上げた。

 寒さからか、遥香が大きく息を吐いた。遥香が漏らした息は、大気中を白く濁らせ、そして刹那に消えていく。儚く消えていったその息吹は、思春期である誠人の心を揺さぶるには充分であった。

「それじゃあ、解散しましょうか」

 遥香が言い、皆もそれに同意した。

 誠人の胸にときめきを残しつつ、少年少女は別々の方向に歩き出した。冬の始まりを感じさせる、寒い日のことである。



 幸か不幸かは別として、誰にでも「自分の人生を変えたこと」というのがある。例えば、憧れの人物と握手した、俗に名作と呼ばれる小説を読んだ、失恋をした、怪我をした、父親が亡くなった、受験に失敗した。その事柄は人によって様々だが、平泉ひらいずみ誠人の人生を変えた出来事は、誰もが味わい、仕方ないと忘却の彼方に追いやるようなものだった。

 自分が乗っていたタクシーの運転手が、平気で信号を無視した。そして、それを注意すらしない両親を見て、彼は世間に失望したのだ。

 運転することが仕事であるタクシーは、いわばドライブのプロだ。プロですらも、躊躇なく違法する世界。恐らく、タクシードライバーにとって信号を無視することは習慣だったのだろう。だから、一片の躊躇いもなく、罪悪感すら感じず違法行為ができたのだ。自分は一体、こんな世間に何を期待していたのだろう。反吐が出る。

 平泉誠人が人生をやり直せたとしても、何度人生をやり直せたとしても、この世界が変わらない限り、彼は失望し続けるだろう。

 文芸部の部室にて、誠人は淡々と執筆していた。誰も喋らないからか、室内ではキーボードを叩く音が酷く響いていた。

 と、場を和らげるためか、引きつった笑みを浮かべた新人教師の顧問が誠人に尋ねた。

「ところで平泉くん、大槌おおつち先生の新作小説は読んだかい」

 文芸部顧問である新人教師は、入部希望者には必ず好きな作家を訊く。誠人は彼を「熱血教師」だと解釈していた。

「ああ、先週発売した、例の新作ですか。まだ読んでいません、図書館での予約待ちです」

「図書館派なのね、平泉くん」少し残念そうに言う。

「やっぱり、定価で買うのは金銭的に厳しいですよ、学生ですし」

「ふむ、‥‥‥まあ、そうだよね」

 若い教師は俯いてしまい、再び単調的な音が響きだす。しかし、誠人は安堵していた。この平板な音こそが、彼にとっての安らぎなのだ。

 カタ、カタ、カタ、カタ、カタ。

 邪魔は入らない。この平板的な音が、変わることはない。ぼくは、この音を聞くために文芸部を続けているのかもしれない。

『別れの挨拶を欠かしたことがありません。喧嘩をしたことがありません。けれど、すぐにこの町から離れろ』

 陶酔状態であった誠人を現実に引き戻したのは、例の「希望を書く」能力であった。魚津が言うには「幸運を書く」能力だが。

 これまでとは明らかに違う。それは誠人の目にも明らかだった。誠人が書いてきたのは、近所に資源ゴミとして好きな作家の未読の小説を捨てようとしている奥さんがいて、頼めば本を無料で頂けるだとか、父親の大事な書類だとか、精々一家レベルの幸運だった。しかし、今回は違う。この町を離れろ、この文面が何を意味するのか、それはわかるはずもないが、とにかく危険だということは察した。

 緊急事態のための、袖ヶ浦遥香、魚津智久である。用事があると顧問に伝えた誠人は、急いで支度をする。これまでに休んだことが一度もなかったためか、すっぽかすわけではないということを、例の熱血教師は感じ取った。何時になく真剣な眼差しをしている誠人に、彼の熱血部分が刺激されたのかもしれない。

 下駄箱で靴を履き替え、早歩きで校舎を後にする。これまでは時間が正確に記述されており、「すぐに」と言った曖昧な表現はなかった。まるで、出来るだけ早くしろ、とでも言うような。

 その違和感こそが、彼を急かすのだろう、歩き始めてすぐ、平泉誠人は駆けた。


「あ──、えっと、智久くん、かい?」 

 誠人は、まず魚津智久に電話を掛けた。初心な誠人は、遥香に電話を掛けてもいいものか、少し迷った末、言い訳がましく「遥香の能力が『希望を読む』なのに対し、智久くんは『希望を起こす』。遥香は事態に気づくかもしれないが、智久くんは絶対に気づけない」と、考えた。そして、智久の電話番号を入力した次第である。

 電話口から、やけに黄色い声音が響いた。それは、明らかに智久のものではなかった。

『みゆきはね、今日ね、お給料日だからね、だから、遅いの。今日は味噌ラーメンだから、あっ、そういえば、おまえっ、めんぼうを買ってくれって言ってたね、だから──っと。ごめん、ちょっと貸りる。すまんな、何か用か? 悪いが、使用禁止時間なんで、あとで掛け直してほしい』

「‥‥‥えっと、いまのは」

『ああ、お祖母ちゃんだ。高次脳機能障害って知ってるか。脳がダメージを受けて、記憶障害や認知障害が起こるっていうんで、介護を受けているんだが、許可も取らずに帰ってきちまってな。だから、とりあえず、介護士さん待ち』

「‥‥‥‥‥‥」

 話すべきか、迷った。精一杯な智久を、これ以上混乱させても良いのだろうか。それも、不確実な情報で。

 何だか、腹の奥が濁ったような、喉に不純物が突っかかったような、そんな罪悪感を覚える。自分は魚津智久という人間を、純粋な野球少年だと勘違いしたのではないか。大きな夢に向かって、ぼくには考えられないほどの練習量を積み重ねて、しかし野球があるからと学業に目を向けない、そんな学習面で堕落した人間だと勘違いしていたのではないか。自分が、酷く無神経なことをしたような気がする。考えられない、なんてことはなかったのだろう。むしろ、ぼくは人間観察の能力が長けていると自負していたほどだ。

 初めて会ったとき、苦手なタイプだと感じていたことを思い出す。こういう人間は、きっと倫理的な考え方はできないのだろう、と、野球少年という上っ面だけ見て判断してしまったのではないか。クラスメイトの野球部と、無意識に彼を重ねてしまったんじゃないか。実際は、こんなにも誠実で、ぼくなんかよりもずっと、清らかに生きて、そして苦労している人間だったというのに。

「‥‥‥何でも、ないよ。電話番号、繋がるかどうか確認しただけだ。じゃあ、ぼくはこれで」

『おう。じゃあな』

 自分自身の醜悪さに打ちのめされ、誠人は、少しずつ脱力していき、家の壁に寄っかかって、やがて、尻から地面に倒れ込んだ。

 いっそのこと、消えてしまいたかった。ぼくがしていた考え方は、自分自身、最も嫌った考えだったのだから。

 ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ、と、携帯電話が揺れた。画面には、「遥香」と表示されていた。

 誠人は電話には出なかった。鳴り終えるまで放置し、そしてすぐに、身支度を整え町から離れた。とりあえずの行き先は、隣町で良いだろうと、彼は電車に乗る。

 友人にも、家族にも、誰にも警告しなかった。独りで、残和町を去った。


 隣町に到着した彼は、まず、スマホで漫画喫茶の場所を確認した。幸い、近くに幾らか存在するらしい。

 漫画喫茶で一夜過ごしたところで、何も変わらないかもしれない──そんなことは重々承知していたが、とにかく彼は、早朝にニュースを見て、大丈夫そうならば戻ろうと考えた。警察に連絡され、数日間戻ってこなければ全国手配が掛かり、警察の方々に多大な迷惑が掛かる、なんてことまで、十六歳である平泉誠人には考えが及ばなかった。

「えっと、横になれるところで、お願いします」

「わかりました。十八歳未満ですと、十時以降の立ち入りは禁止されておりますが、年齢を教えていただけますでしょうか」

「あっ、と──十九歳です、はい」

「‥‥‥そうですか。では、席までご案内致します」

 誠人は、わざわざ会員登録しなくても良い漫画喫茶を選んだ。漫画喫茶の店員の、先ほどの台詞通り、風営法の関係で、十時以降は入店できないのだ。最も、誠人が十九歳に見えるはずがないため、恐らく、店員が違えば補導されていただろう。正直、補導されることも視野に入れていたため、「幸運」だったと、彼は胸を撫で下ろした。

 案内されたのは、比較的身長の高い高校生が足を伸ばせられないほど、狭い部屋だった。まあ、誠人の身長は高くないため、彼ならば足を伸ばせるだろうが。部屋について詳細に語るとするが、まず、横幅は一メートルあるのかすら怪しい。注文通り、寝転がれるようだったので、その点に関しては安心した。部屋の中にはパソコンも設置されており、また、携帯電話の充電器も無料で貸し出すという。

 誠人は、心が躍るのを感じた。気を抜くと頬が緩みそうだった。前々から一度、漫画喫茶には訪れたかったのである。しかし、何だか妙に「新参お断り」なイメージがあったため、今回のように、緊急事態という理由でもなければ、入店することすらできなかっただろう。そう考えると、一度目の漫画喫茶で、いきなり年齢詐称するというのは、かなり思い切った行動と言えよう。

 とりあえず、設置されたパソコンの電源を入れ、自分の町に、何か事件や事故があったのか調べる。執筆以外の目的でパソコンを使うことが少ない誠人は、上手く検索できず、かなり苦戦している様子だった。しかし、流石は若者と言うべきか、数十分と経たぬうちに、完璧にパソコンを使いこなしていた。

 使いこなすというか、漫喫だけに満喫していた。

 十分くらいに一度、コップにジュースを注ぎに部屋を出て、戻ってネットサーフィン、飽きたら漫画を読む、というのを繰り返し、既に時刻は十二時を回っていた。

 高校生で、お小遣いにも制限がある彼は、「せっかくお金を払っているのだから、寝てしまうのはあまりにも勿体ないではないか」という意識が働いたのかもしれない。

 しかし、彼の幸せな時間は、すぐに終わりを告げた。

 パソコンに映る、速報の二文字。そして、その後に続く「残和町全焼」という五文字が、そのたった五文字が、彼を戦慄させ、後悔のどん底へと叩きつけた。


『埼玉県残和町が、全焼しました。生存者は見つかっておりません。未だ火は消し止められておらず、早くても七時間程度掛かるとのことです。また、他の市町村への被害ですが、えっ‥‥‥? い、一切──ない? 一切ない、そうですっ、被害に遭ったのは残和町だけだそうです!』

 備え付けのヘッドホンを両耳に、彼はニュース番組から転載された動画を見ていた。罪悪感に、頭痛を覚えた。

 そして、両親の生死が。友人の生死が。魚津智久の生死が。袖ヶ浦遥香の生死が──知りたいようで、知りたくなかった。

 彼は、両親よりも先に──魚津智久に電話を掛けた。それは、智久に警告しなかったことへの罪悪感からだろう。

 本来、漫画喫茶で声を出すことは感心されないが、そんなことを気にしている余裕はなかった。智久が出たら、まず謝ろう、と。

 だが、しかし。

『──只今、電話に出ることができません。ピーッ、という発信音のあとに、お名前とご用件をお話しください』

 智久は電話に出なかった。その事実が、誠人に最悪の結果の想像を余儀なくさせる。そして、彼は静かに、泣いた。

 嗚咽を漏らし、醜く顔を豹変させ、出る涙を必死に拭った。涙は、止まらなかった。 

 自分なら助けられたのに。残和町全焼を阻止することは出来なくとも、住民を避難させることくらいなら出来たはずだ。

 なのに。

 ぼくは。

「うっ‥‥‥うぅあ、ああっ、ぁ‥‥‥可哀想に、可哀想にっ‥‥‥ごめんなさい、ああっ、ごめんなさいごめんなさい‥‥‥」

 焼け野原と化した残和町で、根拠もなく明日を確信し、満面の笑みを浮かべて暮らしていた、名前も知らぬ「みんな」を思って、彼は泣き続けた。

 と、そこで、不意にスマホが振動した。高音を響かせながら、スマホは左右に揺れ続ける。着信だ。

 スマホを拾い上げた彼は、虚ろな目で数秒画面を見つめ、それから、涙を拭いてボタンを押した。画面には、「遥香」と表示されていた。

『誠人? どこにいるの? 携帯が繋がるってことは、無事なのよね。安心したわ。よくわからないけれど、私たち生存者は警察にでも引き取ってもらえばいいのかしら』

「‥‥‥ぁう、と、遥香、とっ、智久が、ぼくのせいでっ、ぼくが智久をッ!」

『落ち着きなさい。何が言いたいの?』

「ぼくは、知っていながらも教えなかった! この町が危ないと、何度も経験して、あの能力が確実だと理解していながらっ、電話を切った──ぼくが、智久を殺したんだ‥‥‥いや、智久だけじゃない、残和町の住民を、一人残らず殺したんだ‥‥‥」

 ここで間を開けず、遥香が誠人を慰撫するような言葉を並べれば、或いは、誠人はこの言葉を口にしなかったかもしれない。いや、たとえ一時的に誠人が持ち直したとしても、つまるところ、彼は後悔し続けることになっただろう。彼は、綺麗ごとを言われ続けるだけで立ち直れるような、そんな安っぽい人間ではないのだ。

 この状況で沈黙が続いたことは、考え方によっては「救い」であった。

 まあ、とにかく彼は、言い放ったのだ──たった一言、

「死にたい」

 と。


 袖ヶ浦遥香は、未だ状況を掴めずにいた。電話の先で泣き喚く少年は、それこそ支離滅裂で、心理カウンセラーでもない遥香に、理解しろというほうが無茶だ。

 遥香は誠人に対し、表面的には弱気ながらも、その根本には、流されない強さというか、冷静に物事の良し悪しを判断できる従容さのようなものを感じていた。

 しかしどうだろう。電話口の先で悲鳴を上げる少年に、果たして精神的な強さを感じ取れるのかと訊かれれば、それは無論、否、である。

「落ち着いて。落ち着きなさい、誠人」

 死にたい──そう呟き、その後、自虐的な発言を繰り返す誠人に、何と言葉を掛けるのが正しいのだろうか。

 お得意の文章力で、彼は言葉を紡ぎ続ける。最もこの場合、言葉とすることで実感へと変わり、より誠人を苦しめているため、その文章力は仇となっているわけだが。

『だいたい、ぼくは幸せになることが嫌いなんだ──苦痛なんだ‥‥‥世界の不幸な人々を差し置いて、ぼくだけが幸せになっていいはずがない‥‥‥幸運が訪れるなんて、そんな能力、ぼくにしてみれば不幸なんだよ‥‥‥そりゃあ、ぼくが貰わないと消えてしまう幸運だったら、ぼくが貰って、むしろ喜ばれる幸運だったら、迷わず貰うんだけれど‥‥‥でも、今回は、あまりにも‥‥‥う、おぅぇえっ!」

 電話口から、嘔吐音が響いた。不快な音に片目を細めた。

 やがて、男性の声が聞こえた。「お客様、困ります」というような、退店を促す言葉だった。

 ということは、室内にいるのか。喫茶店、だろうか。しかし、深夜一時に営業しているような喫茶店はないだろう。ならば、コンビニか?

「ねえ、どこにいるの。今から行くから、場所を教えてくれる?」

『ああ‥‥‥漫画喫茶だよ、でも、以後入店拒否ってさ‥‥‥ああ、そうだ、これくらいの不幸がないと、釣り合わない‥‥‥もっともっと、不幸にならないと』

 そして、誠人は電話を切った。

 遥香は、誠人に嫌忌感を抱いた。それは、話の噛み合わなさ、そういったものも含まれているだろうが──根本にあるのは、気持ち悪さだった。

 自分が今まで知り合った、どの人間とも──まるで違う。根本的なものが、違う。

 名前も知らない「みんな」のために、泣く? 私なんて、未だ両親が死んだ実感すら湧かないというのに。

 彼は本当に、人間なのだろうか──という、疑問すら生じる。異常なまでの優しさは、嫌悪の対象となる、ということだ。



 平泉誠人がどうして、異常なまでの善人になったのか。恐らく、誠人自身が疑問に思っていることだろう。

 こんな曖昧なことを言ってしまっては、読者の反感を買うことになるかもしれないが──彼が善人になったイベントは、特にない。しかし、産まれたころから善人だったといえば、それもまた違う。父親の財布から金銭を盗んだこともあれば、万引きだってしたことがある。それならどうして、と問われれば、なるほど、思い当たる節はいくつかある。

 善人ではなくとも、異常に素直な子供だったのだ──産まれたころから。

 だから、大人に正論を言われ続ければ、当然、異常なまでの善人になる。

 善悪の判断を出来るようにしろと言われ、勤勉になれと、努力しろと言われ、正直になれと、嘘を吐いてはならないと教えられ、尊敬を、礼儀を、感謝を、思いやりを忘れずに、家族愛を、郷土愛を、生命を大切に──そんなことを、生真面目なほどに、自分の中に蓄積していった。

 そうして、平泉誠人という異常なまでに善良な人間が出来上がったのだ。

 さて。口腔から吐瀉物を垂らし、浮浪者のごとく、ゆらりゆらりと歩き続ける平泉誠人が、どうなったかと言えば──知らない男性に声を掛けられていた。

「や、平泉誠人くん。そう、キミだ。ふむ、出会い頭に一つ尋ねるが、キミのソレは──演技なのかな? それとも、本性なのかな。いや、別に演技だからって説教しようと思ってるわけじゃねえんだ。そこはまあ、安心してくれよ。道徳的なことを言うつもりはない。ソレがキミなら、キミはソレなんだろうからね」

 声を掛けられ、ようやく我に返った誠人は、吐瀉物で汚れた頬を右手で拭い、男性の顔を、じっ、と見つめる。

 どこかで見たような気がする、と思った。痩せ気味の身体に、猫背が良く似合う。目の隈がはっきりと刻まれているのに、どうしてだろう、酷く愉快な目だと思った。

「第一、道徳ってのには矛盾が生じてるしな──母なる大地を大切にしろとは言うものの、じゃあ地球のことを一番に考えたとして、そしたら人類は絶滅すべきだもんなあ? 地球にとって人類の滅亡は願ったり叶ったりだってのに、今度はヒトの命を大切にしろだのと、矛盾してることに気づかないのかねえ?」

 饒舌に語る男性を、誠人は呆然と見ていた。

「おっとおっと、つい脱線しちまった。悪い悪い、閑話休題だ。ボクのことを知っているかな。聞くところによれば、キミはボクの書く小説を好んで読むと聞いたけれど、はて」

 人類滅亡こそが希望という、その思想──語り方。全てが、誠人にとって心地よかった。どこか、懐かしくもあり。

 単行本のカバー裏で拝見した面とも、よく似ていた。

「もしかして、大槌先生?」

「お、本当に知っているんだ。光栄だね、改めまして、大槌清史郎せいしろうと言う。ははっ、言いにくい氏名だろう。さてさて、キミの考え方から推測すれば、ボクと出会ったことを幸運だと感じ、そして気に病むのだろうね。だったら、心配しなくても良い──ボクは、キミを助けに来たんだ」

「ぼくを、助ける」

「うむ。最初に言っておくが、ボクもキミと同じ、『希望を書く』能力を持っているんだ。キミとは違って、幸運と遭遇するんじゃない、作り出すんだがね──まあ、これに関しては後々説明するとしよう。兎にも角にも、こんなところじゃ気分も出ない。ボクと一緒に来てもらえるかな、基地には二人、仲間もいるし。一緒に人類を滅ぼそうぜ」


 彼に案内された「基地」というのは、普通にマンションの一室だった。ていうか、超豪華マンションだった。マンションの家賃など、誠人には見当も付かないが、しかし、玄関を抜けてすぐにある居間が、誠人の家の居間の五倍近くあると言えば、解りやすいだろうか。学校の教室、二個分程度の。要するに、超豪華マンションだった。

 部屋には、男性と女性が一人ずつ、だらりと床に寝転んでいる。女子に関しては寝ている。

「えっと、この部屋は、どういうものなんですか?」

「ご存じ、ボクは小説家だからね。十七歳の作家、ってのが話題にもなったから、有難いことに売れているんだよ。それで買ったのが、このマンションの一室というわけさ」

「ここを基地に活動している、というわけですか」

「文芸部なだけあるね、察しが良くて助かるよ。平泉誠人くん、キミについては一通り調べさせてもらった。そこに寝転がっている、眼鏡の彼がキミを推薦してきたんだよ」

 指されて、眼鏡の彼は二人のほうへ振り向く。数秒見つめて、また寝転んだ。眼鏡と言うと知的なイメージを連想させるが、どうやらそうでもないらしい。

「初対面、のはず、ですが、どうして」

「初対面ではないよ。誠人くん、キミが自分と似た能力者を見つけた、十一月の夜──あの公園に、彼もいたということだよ」

「そういえば、確かに四人、いましたね」

「うむ、そういうわけだ。とりあえず適当に座りなさい。お茶でも注いでくるよ──話、長くなりそうだからね」

 言われて、誠人は「あ、お母さんに遅くなること、伝えなきゃ」と、携帯電話を取り出した。「着信履歴・遥香」という文字が目に入ったが、無視した。

 ふう、と息を吐いた眼鏡の少年は、横で寝ている少女を揺さぶって起こす。目を擦りながら起き上がった少女は、誠人を一瞥して、

「ああ、例の」

 とだけ呟いた。長い黒髪の少女には、泣きぼくろが似合っていた。

 しばらくして、四杯のお茶をトレイに乗せた、大槌清史郎がやってくる。居間のテーブルにお盆を置き、座布団を敷いて座り込む。

「さて。平泉誠人くん、何でも質問してくれ──答えられる範囲で、答えるよ」

 お茶を啜りながら、どこから質問したものか、と思う。

 じゃあ、とりあえず。

「そこの二人のことを、少し、教えてもらえますか」

「良し、それじゃあ二人とも、自己紹介、頼むよ」

 先に口を開いたのは、眼鏡少年のほうだった。 

「催馬さいばあずまと言います。宜しくお願いします。何を紹介すれば良いのか、よくわからないんですけど、趣味は特にありません、好きなものも、嫌いなものも、特にありません。終わります。えっと、彼女は──」

 眼鏡少年が、彼女を指し、紹介を始めようとしたとき、「ちょっと待った!」と、彼女が言葉を遮った。

「自分でやるよ。何だよ、おまえ、アタシのこと舐めてるんじゃないのか、おう。ったく、あずまはいつもそうだ。他人の気持ちを考えたこと、一度でもある? ない、ないよね。と、それじゃあ少年くん、名前は何と言ったかな? ああ、ああ、言わなくていいよ、言わなくていいよ、思い出すから。何て言ったっけなあ、イズミ、とか、ヒラタ、じゃねえ、イズミダ‥‥‥いや、苗字は問題じゃないよね、おう。さっき、清史郎が言ってたよな──名前、誠人くんだったか? お、正解? やったね、やるじゃん、アタシ。さあて、それじゃあアタシの自己紹介、と。橘樹たちばな薄紅うすべにって言う。良い名前だろう、アタシも気に入ってんだよ。薄紅。良いじゃんねえ、薄紅。おう、適当に薄紅って呼んでくれや」

「確かに、面白い名前ですね。薄紅、か‥‥‥うん、良い名前だ」

「へえ、わかってんじゃねえの。気に入ったぞ、誠人くんよう」

「は、はあ、ありがとうございます。‥‥‥それで、大槌先生。ぼくを救うっていうのは、どういう意味合いなんですか?」

「キミを生き地獄から解放させてあげる、そういう意味合いだよ。焦らしもせずに、最初からネタをバラすっていうのは、小説家としてあるまじき行為なのだろうけれど、それでも言わせてもらえれば、ボクは人類滅亡を望んでいるんだ。著書を読んでくれているのなら解るだろうけれど、ボクは人類滅亡こそ、地球が喜ぶことなんじゃないかと思ってね。いや、地球だけじゃない。地球に住む、人間以外の全種族が──人類滅亡を望んでいる。そりゃあ、食物連鎖の頂点に君臨する人類が滅亡すれば、生きやすくなるんだから当然だよね。人類滅亡、願ったり叶ったりだ。人類がいなくなれば、問題視されているエネルギー問題や環境問題が解決されて、地球全体が良い方向へ向かうと思うんだよね。想像してみなさい、人類が滅亡して数百年後の地球──そりゃあもう、綺麗なもんだよ。山紫水明というのかね、森林は遠慮なく生え、そこに動物が、理不尽な命の危険を考えずに、のんびり、のんびりと生活できる。人類は邪魔者なんだ、一人残らず。全人類が、地球を汚している。それで環境を考えろって言うんだから、笑わせるな、って感じだよ」

 何だか、薄紅さんもそうだけど、この団体──かは定かではないが──、饒舌な人が多いなあ、と、誠人は場違いにも、そんなことを考えていた。

 仮にも文芸部である。察そうと思えば、今現在提示されているヒントだけで十二分に察することができる。

 それでも誠人は、残和町全焼については触れず、人類滅亡について考えた。

「大槌先生のことを悪く言うつもりはありませんけど、人類滅亡は少し、理不尽すぎるような気がします」

 憧れの先生に反論してしまって良いのだろうか、という気持ちが拭えない。

「それはつまり、明日も生きたいと思っている人間も、殺す、っていう点かな」

「はい。前触れもなく、いきなり殺されるっていうのは──酷、って言うか」

「難しい問題だよね。まさしく道徳の授業だ。でも、死刑囚は別に、死にたいと思っているわけじゃあないだろう。けれど殺される。何故かって、その死刑囚が、今まで悪事を働き、その罰として殺されているんだ。それと一緒さ。人類の罰を、この地球上に存在する、全人類が背負えってことなんだ──解るかい」

「‥‥‥まあ、解らないわけじゃあ、ありませんけど」

「うむ──キミは、ボクたちと同じだからね。だから、選んだんだ。大勢存在する能力者の中から、キミを」

「‥‥‥‥‥‥」

「我々は、キミに期待しているんだよ──それこそ、キミの住む町を全焼させるくらいにはね」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥え?」



 結論から述べさせてもらうと、魚津智久は生きている。「希望を起こす」能力が幸いしたのか、それは定かではないが、とにかく生き延びている。

 介護士さんと一緒に、隣町の病院へ向かったのだった──何だか、お祖母ちゃんが無事に病院のベッドに寝転ぶまで、安心しきれなかったのである。

 そんなわけで、誠人が清史郎と対談している午前四時三十五分、彼は眠りに就いていた。お祖母ちゃんの無事を確認して、気が緩んでしまったのだ。椅子に座って看病していた智久だが、やがて、お祖母ちゃんのベッドに寄っかかる形で、安らかに眠り始めた。

 目を覚ませば、自分の住んでいた町が一夜にして全焼したという事実を知ることになるわけだが、さて。


 一方、誠人に電話を切られた袖ヶ浦遥香がどうしているかと言えば、彼女もまた、眠っていた。それも、漫画喫茶内で、である。

 感情的になったりも、感傷的になったりもしない。至極冷静に、対処していく。

 誠人と通話したことで、「漫画喫茶」という選択肢を得た彼女は、誠人が電話に出ないことを確信すると、すぐさま行動に移った。

「(明日、誠人と連絡が取れなければ、私だけでも警察に引き取ってもらおうかしら)」

 そんなことを考える余裕さえ、彼女にはあった。智久に電話は繋がらなかった──死んでいると考えるのが、妥当だ。

 彼女が目を覚ましたのは、七時三十分。目覚ましをセットしていたわけでもないのに、どうしてこんな早朝に起きたのかと言えば、それは智久からの着信音が原因だろう。



 午前四時五十分。橘樹薄紅は眠っていた。そりゃそうだ。学校に通っていないとは言え、結局は少女なのだ。普通に学校へ通っていれば、高校一年生。睡魔に襲われて対抗できるはずもない。まあ、催馬あずまも高校一年生なわけだが、しかし。

 薄紅の隣では、誠人が右手でズボンを握り締めていた。目の前の大先生を殴りたい衝動を、必死に抑えている。

 残和町を全焼させた犯人が自分だと告白し、その後も彼は、もはや癖である饒舌を抑えずに、悠々と語っている。

 どうやって、他の町に一切の被害を与えずに、残和町のみを全焼させたのかを──悪気などなさそうに、ペラペラと。

「最初に言ったよね、ボクの能力が『希望を書く』モノだってこと。しかし、キミの『希望を書く』とは、違うわけだ。根本から、まるで違う。ボクがパソコンに打鍵した文章は、全てが事実になる。そういう意味では、希望ではなく絶望を書くこともできるわけだけど、とりあえずキミに倣って『希望』と称させてもらおう。

 けれども、そう簡単に発動できるものではない。百五十万文字──一つの出来事について、百五十万文字の文章を書かなければならない。詳細に、詳細に──例えば、キミの町を全焼させるときには、住民一人一人の家が、どう焼けて、どう崩れたのか、今際の際で、住民はどんな形相をしていたのか──とかね。だからこそ、規模の大きい出来事であればあるほど、書きやすいわけなんだ。人類滅亡の様子を書くときなんて、そりゃあもう、手軽なモンだったね。数時間で、人類滅亡の様子を書けてしまった。あのときは楽しかったなあ、勝手に筆が進んでくれてねえ。拍子抜けっていうレベルだったよ、人類滅亡なんて呆気ないモノだよね」

「ちょっと、待て‥‥‥人類滅亡の『事実』を、もう書き終えた、のか‥‥‥?」

「あ? ああ──三週間ほど前に、書き終えているよ。人類が滅亡するのは、ちょうど──今日から三ヶ月だ」

 三ヶ月。今日が十二月四日だから、三月の四日に、人類は滅亡するというわけか。いや、こんな短絡的な文章で済ませるような出来事じゃないが。

 人類滅亡。文明が滅びるのだ。一介の高校生である平泉少年には、想像すらままならなかった。言葉すら出てこない誠人に対し、清史郎は、さて、本題に入ろうか、と言ってから。

「ボクの味方になってくれよ、平泉誠人くん。別に、ボクの味方が増えたところで、減ったところで、人類滅亡という『事実』は免れないが、人間は群れる生き物だからね──ボクも好きなんだ、群れるの。だからよう、人類に与えられた三ヶ月の余命を、ボクたちと一緒に過ごさないかい」

「嫌です。お断りします」

 予想外だったようで、清史郎は目を丸くする。口角を吊り上げて、聞き間違いだろうとでも言うように、

「なん、だって?」

 と言った。その声は、少し震えていた。

 対して誠人は、今度は清史郎を見据えて、もう一度、しっかりと、「大槌さんと三ヶ月も過ごすなんて、考えられません。吐き気がします」と言った。

 憧れの大先生であろうと、大好きな作家であろうと、両親を殺した男と、人類の大量虐殺を目論むクズと、三ヶ月も過ごしたくない。過ごせるはずがない。

「それでは、失礼します。緑茶、美味しかったです」

 清史郎は、誠人の後ろ姿を呆然と見つめていた。誠人は歩みを止めない。どうして断られたのか、見当も付かない。 

「送っていきます」

 あずまが言うと、清史郎は「あ? あ、ああ」と答える。誠人の跡を追うあずまを、清史郎は見つめ続ける。

 やがて。

「‥‥‥フラれちまったなあ」

 呟いた声は、誰にも届かなかった。


「おい」

 地上一階に向かってエレベーターが降りている最中、平泉誠人に、同伴した催馬あずまが声を掛けた。

 自己紹介のときには、敬語も相まって弱気な雰囲気がしたが、どうやら違うらしい。力強い、そして、誠人を下に見るような声音だった。

 その変わりように戸惑いながらも、「あっ、はい」と、誠人は返事をする。

「何故断ったんだ。別に、悪い話というわけでもないだろうに。このマンションから想像できるだろう、大槌に付いて行けば不自由にはならないぞ」

 誠人が俯き、沈黙が続く。これ以上待っても、誠人が何も語らないと判断したのか、あずまは続けた。

「正直言ってな、俺は薄紅だけでも生かせてやれるように、残りの三ヶ月の間に、大槌が書いた『地球滅亡の事実』を書き換えてやろうと考えている。出来ることなら、俺も助かるように、な。大槌と暮らしていれば、いつかチャンスは訪れる。平泉誠人、お前にもだ。別に、大槌を信用しろってわけじゃない。現に俺と薄紅は、機会があればあのクソサイコパスに一矢報いてやろうと考えてるんだ。しかも、貴様にとって尊敬する人物なんだろう。だったらなおさら、」

「言ったでしょう、彼と暮らすなんて、吐き気がするって。ぼくの家族を殺したんです、ぼくの親戚を殺したんです。罪もない一般人を、大量に殺したんです。あの方々にだって、未来は──希望はあっただろうに。聞きました? それを、彼、『今際の住民がどんな表情をしていたか』、きめ細かに描写したんです。他人の希望を奪って、のうのうと生活してる彼が、気に食わなくて──殺してやりたいくらいだ。一矢報いる前に、気が狂ってしまいますよ」

「‥‥‥お前の気持ちも考えずに、悪かった。ここから、行く当てはあるのか?」

「何とかして、生き長らえてみせますよ。戦時下じゃないんですし、人間、そう簡単に死んだりしません」

「そうか。‥‥‥まあ、何だ、達者でな」

 ぺこり、とお辞儀をし、誠人は踵を返した。数時間ぶりに外へ出て、ぶるっ、と、肩が震えた。

 誠人は歩き続ける──行き先は、決まっていない。



 十二月四日、八時五分。袖ヶ浦遥香と魚津智久は、新郷坂公園で合流した。

 双方とも、残和町全焼について理解は出来ても、実感が湧かない。そして、説明でもされない限り、納得できない。

 平泉誠人は、電話に出ない。漫画喫茶を退店し、そのあと、どこに向かったか。見当も付かない。二人とも、彼のことなんて、何も知らないのだから。

「とりあえず、誠人は明日まで待ってみましょうか。警察に捕まると行動範囲が制限されるから、なるべく避けたいけれど、何か案、ある?」

「俺に言ってるのか?」

「他に誰が?」

「‥‥‥そういう、作戦とか推理とか、頭脳派っぽいことは訊かんでくれ。糞の役にも立たんぞ」

「別に、頭脳派ってわけじゃないと思うけれど‥‥‥まあいいわ、漫画喫茶にでも入る?」

「漫画とか、読まねえんだよなあ。まあ、良いけどよ」

「それじゃあ喫茶店にでも‥‥‥と、言いたいところだけど、アナタ、まだ漫画喫茶のほうが似合うわね。休日はどうしてるの?」

「うむ、野球の練習がほとんどだからな。休日と言える休日なんて、味わったことないかもしれない」

 本当に人生楽しめてるのかしら、と思ったが、野球少年にとっては楽しい生き方なのかもしれないな、と口を噤む。

 さて。手持ち無沙汰となって、携帯電話を手に取った。そして、誠人の番号を入力し──今回は。

『遥香か! 良かった、無事だったのか!』

 誠人が電話に出た。自身を心配するその声を聞き、ふと、目尻が熱くなるのを感じた。何故だろう。まだ、出会って一ヶ月ほどしか経っていないのに。

 先日の電話で、嫌悪感すら覚えたはずなのに、何故だろう。

 と、智久が遥香から電話を奪い、

「誠人ッ! 俺だよ、智久だよ! 良かった、生きていたんだな‥‥‥心配してたんだぞ」

『──‥‥‥‥‥‥ともっ、ひさ』

 誠人が黙り込んでしまった。そういえば、誠人は自分が智久を殺したとか、何とか言っていたな、と思い出す。

 智久の肩を叩き、遥香は、小声で智久に伝えた。

「自分が警告しなかったから、智久は死んだんだって、誠人、責任感じてたのよ。何か、慰めの言葉でも掛けてあげて頂戴な」

「そうだったのか‥‥‥誠人、すまんな、心配掛けちまって」

 沈黙が続き、やがて、誠人の震えた声が響いた。

『ぼく、わかっていたんだ‥‥‥残和町が、大変な目に遭うって‥‥‥それで、智久に電話をしたのにっ、自分の情けなさから、電話っ、切っちゃって‥‥‥!」

「‥‥‥失敗をして、責任を感じることができるってのは、すげえことだと思うぜ。自分で反省できるなんて、大したもんじゃねえか。生きてるんだから、失敗をして──そのあと、より優れた自分になれば良いだろう?」

 誠人の嗚咽が、電話口から鳴り響く。いつまでも、いつまでも。

 その言葉に、誠人はどれだけ救われたことだろう。失敗をするのは、間違っていると──周りから言われ、愚直に従って。

 けれど、そんな生き方は、どうしようもなく間違っている。狂っている。間違えずに生きていくことなど、出来るはずがないのだ。

 救われなかった。誰も、彼に「失敗しても良い」とは言わなかった。言われた言葉に、愚かしいほど素直に従うのが、平泉誠人の性分である。失敗は出来なかった。けれど、間違えずに生きていくことなど、出来るはずがないのだ。だから彼は、悩み、悩み、そして悩んだ──そして、次第に「失敗するかもしれない」ことを、しなくなっていった。挑戦することを諦めた。チャンスを失うことが、また失敗に繋がった──彼は苦悩し続ける。「大人の言うことには従いなさい」という、呪いから。

 ひょっとしたら、彼が智久の電話を切ったのも、失敗すると思ったからかもしれない。もしも何も起きなかったら。もしも失敗したら。

 異常なまでの優しさは、嫌悪の対象になる。そういうことだ。彼自身も、自分自身に嫌悪感を抱く。つまるところ、泥沼である。

 そして、ようやく。

 優しすぎる少年は、その歪な人生から、ようやく救われた──何者でもない野球少年が、十六年間迷い続けた少年を、救った。



 残和町全焼事件から、およそ一ヶ月が経過した。

 平泉誠人、袖ヶ浦遥香、魚津智久という、家庭を失った残和町民がどうしているかと言えば──もっとも、家族が生存した者もいるにはいるのだが──児童養護施設で生活していた。

 児童養護施設。有体に言えば、孤児院である。

 前代未聞である残和町全焼事件には、警察も大いに戸惑った様子だった。家族が生きている少年少女も、申し出れば孤児院に収容される。甚いだろうから、せめて子供たちを同じ環境に、という、警察側の配慮らしい。

 孤児院と言うと、漫画やアニメのイメージから、堅苦しい場所を連想する方が多いと思うが、存外に気楽なところである。

 普通に外出も出来るし、イメージとしては寮生活に近い。特別なことはしない、学校行事の自然宿泊体験教室と言ったほうが解りやすいかもしれない。

 とにかく。

 一ヶ月を過ごし、ようやく生活にも慣れ始めていた──平泉誠人、袖ヶ浦遥香、魚津智久の三人は。

 ショッピングに来ていた。いわゆる、大型ショッピングモールに、買い物をしに、来ていた。

「何時になっても女子の買い物ってのは良くわからんなあ」

 ぼそりと、智久が呟いた。誠人が頷く。遥香は目も向けず、その瞳は夥しい量の商品に向いている。

 かれこれ、四十分。ショッピングモールの一角にある、洋服店に入店して、四十分。未だに一着も決められずにいる、遥香。

「遥香はもっと、コスパを優先する女子だと思ってたんだけどね‥‥‥女の子らしく、輝かしい目をしちゃって、まあ」

 誠人が親父みたいなことを言う。

 共同生活のおかげだろうか、以前よりもずっと、三人は仲良くなれていた。以前ならば、買い物は当番が一人で行っていたのに。

 買い物をするわけでもないのに付き添う男子二人。初心で実に微笑ましい。

 ちなみに智久の野球活動については、何しろグラウンドやコーチ、主要メンバーのほとんどが焼かれてしまったため、本格的なことは出来ずにいた。それでも、休みの日や合間時間にボールを触ったりしているあたり、彼らしいと言えば彼らしいが。誠人と一緒にキャッチボールをしたりもする。最も、全力の球を受け取れない誠人相手に本気など出せるはずもない。

 そうして時間を持て余し、挙句の果てには買い物しないのにショッピングへ同伴する始末。

 そうなると誠人も暇なのか、という話になってくるが、彼の趣味は小説を書くことだ。紙と鉛筆さえあれば楽しめる。

 というか、孤児院に収容されてからも書き続けているが、しかし時間を持て余しているわけでもないのに、どうして買い物に来るのかと言えば。

 袖ヶ浦遥香、である。まあ、端的に言うならば。

 彼は心を奪われたのだ。惚れているのだ──袖ヶ浦遥香、その人に。


 で。長々と、誠人少年の初心な恋心について描写してきたが、しかし、このままでは彼の恋が叶うことはない。

 どうしたって弊害になる出来事が、三月四日に起きてしまう。およそ二ヶ月先である。

 この件に対しての誠人の見解だが、特になかった。こうやって試行錯誤せず、きっぱりと諦めてしまうところが、彼の高校生らしいというか、少年らしいところだった。

 自分がやらなくとも、例えば催馬や橘樹が、最終的には丸く収めてくれるだろう──と言う、戦争のない平和な時代に産まれた少年だから言える、根拠のない自信。

 いや、だから悠長に、長々と誠人の恋物語を見物する暇など存在しないのだ。人類滅亡が、二ヶ月後に迫っているのだから。

 このままでは、二ヶ月後には平泉誠人、袖ヶ浦遥香、魚津智久も滅亡してしまうのだから。

 改めて語ってみると、孤児院生活を満喫──しているとは限らないにしても──している誠人少年は、随分と頼りない。頼りないというか、頼れない。

「そういえば、智久が納豆に卵を割って食うと美味いとか言っていたな。どれ、ちょっと試してみるか」

 などと言って、呑気に給食のおばさんから卵を受け取っている辺りが、実に覚束ない。

 誠人くん、人類が絶えるかどうかは、キミの手に懸かっているんだぞ。


 他人任せの誠人とは裏腹に、袖ヶ浦遥香は試行錯誤していた。

 誠人から人類滅亡へのカウントダウンが始まっているという情報を聞き、早一ヶ月。懸念してはいても、どうにもならないことなのではないか、とすら思い始めている。

 そして今現在──彼女は、最後の手段へ出た。大槌清史郎に見つかるかもしれないというリスクを孕んだ、最後の手段。

 即ち、催馬あずまと橘樹薄紅への、接触である。

 となると、連絡先を知らないのにどうやって接触するのかという疑問が生じるが、これは割と簡単な問題である。

 住所は知っているのだから。大槌のマンションの住所は知っているのだから、いつかは接触できる。薄紅やあずまが、智久のような「希望を起こす」能力に類似したものを持っているのなら、なおやりやすい。何も、四六時中大槌と共に過ごしているわけじゃないのだから。むしろ、「クソサイコパス」と蔑称してすらいるのだから。

 マンションの玄関先で待ち続け、連絡先を聞き出す──そして、一月十六日に、某喫茶店で待ち合わせということになった。

 橘樹薄紅が、三十分遅れで喫茶店に入店した。遥香は既にコーヒーを頼んでいる。三人分。もう冷めているだろうが。

「催馬くんは来ないわけ?」

 落ち着いた口調で、遥香は尋ねる。

 上着を脱いだ薄紅は、備え付けのハンガーラックに掛け、立った状態でおもむろにコーヒーを啜り、不機嫌そうに片目を細めて「‥‥‥コーヒー、嫌いなんだよ」と言った。

「悪かったわね。別に、飲まなくったって構わないわよ」

「笑わせんな、飲むに決まってんだろ。奢りってんなら、どんなものでも食うぜ、アタシは」

「そう。それで、催馬くんは来ないわけ?」

「ああ。と言うより、元々来ないつもりだったらしい。そりゃ、大槌のことを見張ってないとな、万が一にでも、アタシがアンタの話しているのを知ったら、どうなるか」

「私のことまで、知り尽くしているってわけ?」

「当然だろ。誠人の関係者は調べ尽くしてるぜ。ありゃ、ストーカーだな、もはや」

「見たこともないやつに知り尽くされているというのは、なかなかどうして、不快な感があるわね」

「心中お察し致します、って感じだな。さて、本題に入ろうぜ。大槌清史郎の、人類滅亡計画に──一矢報いる方法を、一緒に考えようぜ」

 それじゃあ、と、遥香が口を開いた。

「大槌清史郎の能力について、詳しく教えてくれるかしら──詳細に知らなければ、対策の仕様がないもの」

「んあ、それもそうだな。どこから話せば良いのかね‥‥‥とりあえず──」


「──と、いうわけだ。まあ、大槌から聞いたってだけで、全て正しいのかも、他にもルールがあるのかもわからねえんだがな」

「重要になってくるのは、『彼以外の人間が、彼のパソコンで文章を打っても、それは事実にならない』というところかしらね」

「それに関してだが、アタシらはてっきり、大槌のパソコンで打てば『事実になる』と思っていてな──それを前提に計画を企てていたんだが、違うようだったから。けっこうショックだったし、期限は刻一刻と迫っているのに、振り出しに戻っちまったわけだ」

「まあ、彼の能力なんだし、当然と言えば当然なんだけれど‥‥‥それでも、あれだけのチート能力なら、過酷な制約があるんだとばかり思っていたわ」

「一つの出来事について百五十万文字ってのは、十分に難しいと思うけどな。おう、アタシだったら絶対書けないぜ」

「自分に能力があることを知るためには、まず百五十万文字書かなければいけないわけだものね──なるほど、小説家でもないと開花しない、それこそが難しい制約なのかも」

「有り得るな。とにかく、そんなことを語っていても始まらねえ──とは言え、一朝一夕に解決できる問題ってわけでもない。今日のところは解散にしねえか?」

「構わないわ。それじゃあ、何か見つけたら、連絡くださいな。何かあれば、こっちからも連絡するわ」

「メールで頼む」

 席から立ち上がった薄紅は、少し残っているコーヒーを一瞥して、荒々しく口の中に放り込み、そして踵を返した。

 薄紅の姿が見えなくなるまで、しばらく座り込んでいた遥香は、やがて「会計お願いします」と言って、席から立ち上がった。

「‥‥‥さて、と」

 会計を終え、店外に出る。一月の冷たい風が、頬を擽る。風が吹き飛ばさんとする黒髪を、艶めかしい腕で防いだ。指の隙間を通り抜けて風に揺れる黒髪は、背景の喫茶店も相まって、非常に画になる光景だった。

 人類滅亡まで、二ヶ月を切っている。何だか、突然世の中に嫌気が差した──自分が守ろうとしている人類が、酷く醜いものに見えて、そんな雑念を振り払うように、左足を一歩、前に突き出した。


 今日こそ告白してやる、と、能天気にも平泉誠人は決心していた。

 彼の性格を考えれば当然とも言えるだろうが、誠人は彼女を持ったことがない。どころか、告白したことすらない。

 初恋は小学五年生のころだった。クラスメイトの、隣の席に座る少女に恋をした。消しゴムを拾ってくれたという理由で、彼女は自分のことが好きなのだろうと、童貞らしく勘違いしては舞い上がり、そして告白はいつだろう、いつだろうと待ち続け、結局告白されずに終わった。

 自分から告白など、考えてすらいなかった。何せ、彼女は自分のことが好きなのだと勘違いしていたのだから。

 ちなみに初恋相手は卒業して二週間後、ツイッターで「彼氏と別れました…」と呟いており、二重の意味でショックを受けた誠人は、それから一週間、学校に行かなかったと言う。

 二度目の恋は、中学校のクラスメイト。少し細身で、年齢の割に身長が低い少女だった。初恋の二の舞は演じぬよう、告白しようとするも、結局告白できずに卒業。

 そして、現在に至る。およそ読者の予想通り、恋愛経験はゼロに等しい。

 これだけの精神的ダメージを負いながらも、そして人類滅亡が二ヶ月後に迫ってなお、未だに告白しようと考えている呑気な平泉誠人くんではあるが、さて、どうなることやら。


 一月の十五日。孤児院の施設内で、誠人は遥香に声を掛けた。両手を右往左往とさせながら、目の焦点は合っておらず、冷や汗をぽたぽた、と掻いて。

 遥香に怪訝な目を向けられ、童貞心とでも言うべき羞恥心は更に加速し、童貞らしく舌を噛んで、

「あ──、明日とか、どうかな。空いてたり、す、するかな。一緒に、ど、どっか行きたい、って思って、るん、だけど」

「あら。悪いけれど、明日は催馬くんたちから話を伺うのよ。また今度でも良いかしら?」

「あー、いや全然っ、もう、良いんだっ! 特に用事ってわけでもないから、それじゃあっ!」

 と言い残して、足早に去っていく。明日から本気出す、と、弱者の定型文みたいなことを考えつつ、しかし遥香と話せた喜びで、頬を朱色に染めながら。


 その翌日、一月十六日。袖ヶ浦遥香は、疲労困憊と言うような状態で帰ってきた。孤児院に戻るなり、いきなり宿舎のベッドに倒れ込み、数時間の仮眠を摂った。

 その情報を聞きつけた誠人は、昨日催馬と話すみたいなことを言っていたな、と思い出し、何を聞かされたのか、気になってしょうがなかった。

 夕飯時、誠人と遥香は食堂にて、机を挟んで向かい合う形で座っていた。恐る恐る、覗き込むように遥香の様子を伺う。

「何か、言われたの?」

 震えた声で誠人が訊くと、遥香は含んでいた米粒を咀嚼し終えてから、箸を置いて、誠人を見た。

 どうも睨まれているような気がして、誠人は目を逸らす。

「ねえ、誠人──アナタはどうして、小説を書くのかしら」

「へ?」

 予想外の問いに、変な声が漏れた。

 遥香は続ける。

「前は文芸部にいたようだけど、こうなっては読ませる相手がいないじゃない? それなのにどうして、未だに小説を書き続けるのかって、少し疑問に思ったの」

「あ、ああ‥‥‥あー、確かにそうだなあ」

 視線を上にやり、誠人は考える。小説を書く理由なんて、考えたこともなかった。

 数十秒続いた沈黙に耐えかね、これ以上待っても答えは出そうにないと、遥香が取り消そうとしたとき、誠人が息を漏らして、そして語り始めた。

「どんなに小説を読むのが好きな人間だって、どんなに野球が好きな人間だって──この世界に存在する全ての小説を読破することも、この世界に存在する全ての野球試合を観戦することだって無理だよね──文字というか、言葉だってそれに似ていて、どんなに辞書を読み返した人間だって、知らない単語ってのはあると思うんだ。そんなに果てしない、まるで銀河のような言葉の海から、厳選して単語を選んで、それを紡いで──そして、文章を作り上げる。それってすごく、美しい動作に思えないかな? 素敵なことをしていると、何だか心が洗われるような気がするんだ。‥‥‥ぼくだけかもしれないけれど」

「‥‥‥‥‥‥」

「ああ、ごめんっ──何だか、よくわからないこと、言っちゃって」

「‥‥‥いや。不服とかじゃなくて、むしろ、感動していたのよ‥‥‥なるほど、小説を書くって、素敵なことなのね」

「そう言ってもらえると、ぼくとしても嬉しいよ」

 誠人は、心から嬉しそうに、頬を紅潮させて、仄かな笑みを浮かべた。

 考え込むように、遥香は反芻する。

「言葉の海から単語を抄って、それを紡いだものが小説‥‥‥素敵だわ、ありがとう。──実はね、人類って醜くて、救う価値なんかないんじゃないかって、根拠もなく、そう思えちゃって‥‥‥でも、誠人を救えるだけでも、価値があるように思えた。何か、吹っ切れたような気がしたわ──ありがとう、ね」

 言って、遥香は席から立ち上がった。自分を救うことが、人類全体を救うことよりも価値がある、そんなことを言われた誠人は赤面し、例に依って童貞特有の勘違いにより、遥香も自分のことが好きということは、つまり両想いという結論に達した。──勘違いなのかは、これからの誠人の活躍によるが。

「遥香!」

 豪快に席から立ち上がり、大声を出して遥香を呼び止めた誠人は、自然、周囲から注目を集める。

 それでも。

 何度も感じ続けた思いを。

 ずっと秘めていた言葉を。

 彼は勇気を振り絞り、募りに募らせたこの言葉を、人生で初めて口にした──


「好きですっ!」


 ──遥香は、持っていたトレイを床に落とした。



「平泉誠人くん、か──」

 天井を見上げて、袖ヶ浦遥香と同じ孤児院に収容されている少女は、遠い目をしながら言った。

 平泉誠人と同じ小学校、中学校に通っていたという少女は、思い出すように「え、っとねー」と声を上げる。

「とにかく、奇妙な少年だったな──例えば、中学一年のとき、公民の授業で映像を見たのよ。どうやって商品が家庭まで運ばれてくるのか、っていうやつ。それでね、彼、平泉誠人くん、泣いていたの。びっくりしたなあ──歴史の時間とかでは、よく泣いているのを見かけるんだけどね。それでも、それはユダヤ人虐殺とか、特攻隊の様子とか、何となく同情できるものだったから、あまり疑問には思わなかったんだけど、でも動物だよ? 動物が殺されていく映像を見て泣くことができる人間、わたしは平泉くんしか知らないな」

 語り終えた少女は、遥香を見つめた。

「それにしても、告白されたんだって? 孤児院で話題になってるよ──羨ましいなあ、大勢の前で告白なんてロマンティックねえ」

「う、うるさいわね。こんなこと初めてで、私だって気持ちの整理が付かないの」

 照れつつ、口を尖らせる遥香。

 その態度に、少女はますます意地悪な笑みを浮かばせて、ぐいぐいと遥香に顔を寄せる。内緒話をするように、口元を右手で隠して、ひそひそと問う。

「で、返事はどうするの? イエス? ノー?」

「それが決まらないから、彼のことを訊いてるんでしょうが‥‥‥」

 彼女から目線を逸らし、溜め息を漏らす。

 昔から、仲睦まじい関係が変わっていくというのは、どうにも苦手なのだ。もちろん、イエスと言えば関係はより親密になるのだろうけれど、それでもやっぱり、生涯を誠人と過ごすというのは、どうにも想像が出来ない。智久にも話しかけづらくなるし、ああ、憂鬱だ。 

 こういうことがないように、普段からつんつんとした態度をして、「あなたなんかに興味はありませんよーだ」とでも言いたげな、不満そうな表情を心掛けているというのに。

 内面は乙女な遥香ちゃんなのである。


 スクリーントーンを一枚貼り付けただけと言うような、雲一つ見当たらない、まるで手抜き漫画のようなの青空の下で。

 昨日の告白に頬を染めながら、少しだけ嬉しそうに「死にたい」と呟いている、孤児院の中だと居たたまれずにスーパーまで買い物に出掛けた平泉誠人の前に、大槌清史郎が現れた。学校時代、校門前で待ち伏せしていた友人が声を掛けてくるときのように、「よっ」と、右手を僅かに上げて言った。

 急展開に付いていけない平泉誠人は、本能的にか、右足を一歩、後ろへ。すると読んでいたように、そして挑発するように、大槌が右足を一歩、前に。

 顔を上げると、大槌は鋭く目を細め、笑みを浮かべた。気色の悪い笑みだった。よくよく観察してみると、その目元にはクマが出来ていた。

 数秒間、微動だにせずに対峙していたが、やがて清史郎が息を吐き、そして語り始めた。

「人間万事塞翁が馬、と言うけれどさ。どうもボクって、他人から信頼を得るのが苦手でね。うむ、人間は一人じゃ生きていけないことを、とことん実感するわ。どんなことが起きるのか、人生、見当も付かないもんだねえ。ああ、何だか疲れちゃったよ」

 天を仰いで、彼は言う。しかしその表情には、どこか消極的なものが感じられた。

 警戒を解かず、誠人は問う。ゆっくりと、恐る恐る、腫れ物にでも触るように。

「何を考えてる‥‥‥何をしようとしている──言えッ!」

「キミもかい。キミも、ボクから逃げようとするのかよ。信用を取り戻すのはムズカシイ、ってのは本当なんだな」

「うるさい、御託を並べるな。何が目的だ、言えって言ってるだろ!」

「うるせえな! 少しは自分で考えろ、こっちだって切羽詰まってんだよ! クソクソクソ、みーんな離れていきやがる! ボクが何かしたか! 自分の正義を貫き通そうとするのが、そんなにいけないってのかよ! 少しは耳を傾けろ! こちとらベストセラー作家様だぞ、クソッタレが!」

 吐き出すように叫ぶ清史郎を見て、誠人は戦慄していた。

 なんだこれは。これが本当に、あの大槌清史郎なのか。人類を滅亡に追い込もうとしている、あの大槌清史郎なのか。

 これじゃあまるで。

 これじゃあまるで──少年じゃないか。自分の思い通りに事が運ばず、涙目で声を荒げる姿は──まるで、一端の少年だ。普通の少年だ。

「どうしたんですか‥‥‥何が、一体、」

「橘樹と催馬が、ぼくのパソコンを覗いていたんだ──そして、ぼくを追い詰める作戦を、模索して、話し合っていた。仲間だと思っていたのに。友人だと思っていたのに。ボクは利用されていたのか、才能の欠片もない、あんなやつらにっ! ああ、ああああ! ああああああああっ!」

 頭の整理が付かない、掛ける言葉が見つからない──いや、どうしてぼくは言葉を掛けようとしているんだ。目の前で泣きじゃくるこいつは、ぼくの敵なんだぞ。

 放っておけばいいじゃないか。ざまあねえぜと見下してやって、踵を返して孤児院に駆け込めばいいじゃないか。

 ──ぼくは、同情してるのだろうか。

 脳裏を過った考えを、必死で振り払う。牽強付会な理屈を自分に言い聞かせて、必死に振り払う。

「で、だ──ここからが本題なんだがね、平泉誠人くん」

 大槌清史郎は、虚ろな目で誠人を見つめて、言う。

「ボクを殺せよ、平泉誠人くん」

 ボクを殺してくれよ、平泉誠人くん、と、彼は続けた──。

 スクリーントーンを一枚貼り付けただけと言うような、雲一つ見当たらない、まるで手抜き漫画のような青空の下で。

 ──ぼくは、彼を殺す。


 催馬あずまは、橘樹薄紅の手を取って、必死に駆けていた。行き先は決まっていない──ただ出来るだけ、遠くへ。

 見つかってしまった。偶然だとは思うが、俺と薄紅が会話しているのを聞かれていたようだ。しかも、大槌の名前を出して、殺す、とはっきり言った瞬間だった。

「殺される‥‥‥殺される‥‥‥ッ!」

 ご存じ、大槌の能力は「希望を書く」ことである。人類滅亡までをも成し得てしまうその能力の前では、二人の少年少女など無力に等しい。彼が「催馬あずまと橘樹薄紅は死ぬ」と書けば、彼らは死ぬのだ。その出来事を百五十万文字以上の文字数で表現しなければならないという、とんでもない制約はあれど、しかし。

 逆に言えば、百五十万文字以上書けさえすれば、どんな出来事でも実現させてしまう、およそチートと言うべき能力なのである。 

 だから。

 彼に危険視されるということは死を意味するのであり、遠くへ逃げようとしても、それは完全な無駄足となるわけだが。

 果たして、催馬あずまは気づくだろうか──殺されたくなければ殺すしかないという、正解から最も遠いところにある、正解に。


「黙るなよ、殺してくれよ。キミはボクを殺したがっているんだろう──だったら絶好の機会じゃないか、殺せよ。ボクがキミに殺されることで、キミの心にボクが棲み付けるというのなら──本望なんだよ、ボクにとっては」

 大槌清史郎は、一歩ずつ踏みしめるように、そして浮浪者のようにゆらゆらと、平泉誠人に近づく。口元は笑っているのに、目が笑っていないと言うのだから恐ろしい。

「ぼく、はっ、人殺しなんて‥‥‥っ!」 

「それじゃあ、このままボクを逃がすつもりかい? キミから離れたら、ボクはすぐさまマンションに戻り、パソコンを開いてキミを殺すぜ?」

「それはきみの正義に反するだろう! きみは人類全体を考えているんだろう! だったらッ!」

「どうせキミは、一ヶ月後に死ぬんだぜ?」

 言葉に詰まったが、空を見上げて、呻くように言った。

「未来を、変える」

「‥‥‥ボクが死んでも、書き終えた『未来』は変えられない」

「     うそ、だろ」

 戦慄した誠人を見て、清史郎は顔を歪め、続ける。

「だから殺すんだよ。八つ当たりのように、ボクを殺せよ──キミの未来を壊したボクを、壊してくれよ」

 清史郎が近づく。

「ほら」

 清史郎が懐に手を入れる。

「ほら」

 清史郎が包丁を取り出す。

「なあ」

 誠人の手に包丁を重ねる。

「なあ」

 誠人の腕を、思い切り引き寄せて──

「忘れないでくれ」

 ──誠人の腕に、紅く染まった血が付着した。誠人は思わず、目を細めた。

 誠人は、悲鳴を上げた。


 殺されたくなければ殺すしかない。そんな単純な図式に気づいたのは、清史郎から逃げ始めておよそ三時間後、昼食時のことだった。

 空かせた腹について、薄紅が文句を言い始めた。刻一刻と死が近づいているかもしれないと言うのに、呑気に飯なんて食っていられるか。

 あずまの脳内は、清史郎を殺すことでいっぱいだった。

「しかし、大槌はどこにいる‥‥‥奴と関わりのある人物と言うと、平泉誠人くらいしか思いつかんが‥‥‥いや、平泉誠人で正解なのか? 行く当てがないと言っていたが‥‥‥いや、大槌が何やら言っていたな。孤児院、だったか? 薄紅、平泉誠人が収容されている孤児院、場所は知っているか?」

「袖ヶ浦遥香に訊いたぞ。場所は把握しているが、」

「それじゃあ向かうぞッ!」

 薄紅を持つ手を強め、乱暴に走り出す。文句を言う薄紅だったが、殺すことだけに神経を集中させているあずまには届かない。

 俺が大槌だったなら、平泉誠人をどうするだろう。嫌な考えが頭を過り、思考を停止する。とにかく、急がねば。


 やけに重たいものが、ずしりと圧し掛かった。反射的にそれを落とすと、床を転がって一回転、それの表面──顔面が、こちらを向いた。

 何物も映さない真っ黒な目と、半開きの口のそれはぴくりとも動かず、誠人のほうを向いている。動かず離さず、向いている。

「ぼくを、見るな」

 腹部から絶え間なく溢れ続ける紅色の液体が、ついに誠人の足元へ届く。小さく悲鳴を上げ、鮮血の付着した右足を高く上げると、ぺちゃり、と言う音がした。人間を殺したと言う恐怖が、人殺しと言う称号を背負って死ぬまで生きねばならないという恐怖が、誠人の耳を敏感なものとして、その、ぺちゃりという音は、必要以上に耳元に残った。

 それこそ、恐怖を加速させるくらいには。

「うわああああああああああああああああっ!」

 恐怖を少しでも和らげたいという一心で死体を蹴り飛ばすが、なかなかどうして、蹴り飛ばせない。飛ばない。漆黒の目が、離さず誠人を見つめる。暗闇だと途端に人形を恐く感じるのと同じ現象だ。誠人の恐怖は止まることなく加速する。積もりに積もり、そして、倒れる寸前と言ったときに──

「そこにいるのは、平泉誠人か?」

 人殺しの十六歳に、少年少女の影が迫った。


 催馬あずまも橘樹薄紅も、目の前に広がる殺人現場の、その詳細が上手く掴めず、ただ、呆然と立ち尽くしていた。

 静止していた平泉誠人が、ようやく振り向いた。青褪めた顔は、さながら死人のようであった。自己弁護しているようだったが、声が小さすぎて二人には届かない。或いは、自分に対して言い訳しているのかもしれなかった。

 第三者──厳密に言えば、催馬あずまと橘樹薄紅が第三者となるため、第五者と言うことだが──にでも目撃されたら、人類滅亡を防ぐ前に、刑務所送りになってしまう。

 まずは落ち着いた場所に移動しよう、そう提案しようとした矢先に、薄紅が口を開いた。

「お──おい、誠人。どうすんだよ、お前、殺人なんて犯しちまってよ──」

「馬鹿か、薄紅っ! 平泉誠人も滅入ってるんだ、これ以上追い込むようなことを言うんじゃない」

「あ、ああ──そうか、すまん、聞き流してくれ、誠人」

「だから、それをやめろと言っている‥‥‥薄紅、お前は何も言うな」

 不満そうな顔をしつつも、大人しく頷いた。彼女も彼女で、内心焦っているのだろう。

 さて、知り合いの殺人犯への対応マニュアルはないものか──いやまず、大槌を殺したのが平泉誠人かすら、怪しいのではないだろうか。偶然目撃したとか、二人で話してたら殺されたとか、そういう可能性も、無きにしも非らずなんじゃないか?

「まあ、希望的観測でしかないわけだが‥‥‥」

 冷や汗を垂らして、踏みしめるように誠人の許へ歩く。一歩ずつ、慎重に、彼の気が取り乱さないように。

 薄紅は待機させる。彼女のような強気な人間が出る幕はない。

「逃げたりするんじゃないぞ‥‥‥何も、刑務所へ入れようってわけじゃないんだ‥‥‥むしろ、大槌を殺してくれて助かったよ、きみは善行を成したんだ、わかるな?」

 慎重に選んだはずの言葉が、逆に彼を追い込んだようだった。誠人は顔を歪ませ、あずまに包丁を向けて、叫ぶ。

「うるさいッ! 一歩でも近づくってんなら、お前もこいつのようにしてやるぞ! 殺すぞ! 殺すぞ! 殺すぞォッ!」

「チクショウ、場所を考えろっ! 誰か来たらどうする! お前は人類滅亡を阻止する救世主から有名作家を殺した犯罪者へと格下げだぞ!」

「誰が、好き好んで殺すかよ‥‥‥チクショウ、チクショウ、チクショウ‥‥‥ッ!」

「‥‥‥‥‥‥とにかく、離れるぞ」

 黙して反論しない平泉誠人を押さえて、三人は歩き出した。魂の入っていない大槌清史郎を置いて。

読んでくださりありがとうございました。

このあともあれこれいろいろあるんですけど、学業に専念したく思い、筆を置きました。

しかし実際、人類は滅亡して然るべきだと思いますよ。人類は賢いものだから、他に己を捧げられないんですね。ひゃあ、こわいこわい。

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