2話
フィフィスアース国に、数十年前に沸き起こった「真実の愛」ブームをご存知だろうか。
勇ましく猛々しい貴族の男性と、異国から来た心優しく麗しい平民女性との間におこる
愛憎と純愛を描いた壮大な恋愛物語である。
作者不明の為、正規ルートで出版されず一部の恋愛小説愛好家達が独自のルートで読み回ししていたその物語は、前国王の末姫が絶賛したという評判をきに、あれよあれよというまに広がり、子供向けの絵本として再編集されたと思えば、なんと王族が贔屓にしている劇場が演目として取り上げたりと、当時一大ブームを巻き起こした。
今ではブームも昔のこととなり落ち着いたものだが、現在も少なからず残る熱狂的なファン達は、
物語のヒーローとヒロインのモデルは誰それではないか、物語の舞台は隣国のどこそこなのではないか、と熱い議論を交わしているらしい。
しかし、物語というのはいつの時代も脚色されて、人の目に触れているものである。
モデルとなる登場人物や舞台が、存在しているとしても物語の通りであるわけがないのだ。
-------フィフィスアース国の北領地と東領地を跨いで流れる
国一番の清流の上流に立てられたレッドアイズ家の別宅。
本宅よりも慎ましく建てられた別宅とはいえ、下流付近に建てられている
民家とは比べられない位に大きく、使用されている素材は上質のものばかりであり、見ただけで領主や領主に連なる者が住まう邸だとわかるだろう。
そんな邸の一角にある丁寧に整備された、色鮮やかな花が咲き乱れ、
涼やかな音が流れる小川が作られた庭先で、忍ぶようにしゃがみこむ五歳位の小さな影が二つ。
忍んでいるつもりなのか、小さな体を更に小さくしようと丸まり、
こそこそと小さな声で内緒話に花を咲かす小さな二つの影を、穏やかに見守る
四つの影があることを、小さな影は気がつかない。
「エルザェムお姉さま、また勝手に別宅に来て、お母さまたちに叱られますわよ?」
「あら、それならエアトスは留守番してればよかったじゃない。」
「嫌よ。私もお婆さまに会いたいもの。」
小さな二つの影は本当は一つの影なのでは疑うほどに、顔立ちや背格好がそっくりである。
唯一違うとすればそれぞれの髪型と、僅かに異なるそれぞれの表情位だろうか。
《レッドアイズ家の双子姫》
彼女達、エルザェムとエアトスが生まれた時に人知れず囁かれたその呼び名は、
今や知らぬ者などいないのではないかと疑う程に、広まっている。
一卵性双生児と言われるそっくりな双子であり、由緒正しい建国時より国を支えていると
される歴史を持つレッドアイズ家の血を引いている証拠である輝く紅の瞳。
そして、レッドアイズ家最大の汚点とも言うべき女性の持つ豊かな黒髪とその美貌を継いだ双子姫。
妹姫・エアトスは緩やかに波打つ黒髪をした、幾分か柔らかい雰囲気を纏う思慮深い娘。
姉姫・エルザェムは真っ直ぐに流れる黒髪の、大分強気な雰囲気を纏う勝気な娘。
双子姫の外見の違いはあれど、どちらも父母が不安に思う祖母の
性格はきっちりと引き継がれているようだった。
「そもそも、お母さまとお父さまは過保護すぎるわ。お婆さまのお家へ遊びにいくだけ
じゃない。」
「しかたないわ。お母さまとお父さまはお婆さまがにがて、ですもの。」
「ちがうわよ、エアトス。お母さま達は、お婆さまがこわい、のよ。」
内緒話にしては少々大きな声は、彼女達の後ろに控える彼女達と知己のメイド達には
丸聞こえの内容に、メイド達は苦笑いが零れる。
レッドアイズ家の現当主と奥様が、前当主夫妻---双子姫の祖母を苦手としていれることは、
その姿を見れば一目瞭然なのだが、そのことを口に出すのは当人である
祖母とレッドアイズ家の双子姫だけである。
もし、姉姫エルザェムの言葉を、当主と奥方が聞いていたらそれはそれは大きな
雷が落ちたことだろうと、その場面がありありと浮かべ4人のメイド達は
念のために周囲に人がいないか確認するのであった。
「ところでエルザェム姉さま?今日はどうして、お婆さまに会いに来たの?」
「お婆さまにもんくを言うのよ!」
「もんく?どうして?」
エアトスと話している間に、感情が昂ってきたのか
エルザェムは内緒話をしているという事も忘れ、勢いよく立ち上がりながら来訪の目的を告げる。
「お婆さまが、私に『エルザェム』なんて、つよそうな名前をつけたから!だから!
かわいくない、なんて言われたのよ!!それもこれも全部ッ・・・」
「おや、私の可愛い孫娘が可愛くないなんて、どうしたことだろうね。」
拳を天高く突き出し、その勢いのまま祖母への文句を言わんと息を吸い込んだ矢先に、
エルザェムよりも低く、年相応の落ち着きと少しかすれた声が横槍を入れる。
「お婆さま!」
「会いたかったよ私の女神達。」
エアトスが我先に駆け出していくその人こそ、『真実の愛』の紛うことなきヒロインのモデルである
タレイア・レッドアイズその人であった。
「さぁ二人とも、そろそろ家の中にお入り?アリシアが美味しいケーキを焼いてくれたのよ。」
「アリシアのケーキ!」
「まぁ、今日はどんなケーキなの!?」
タレイアに導かれるままリビングへと進むと、先程まで談笑していた中庭がよく見回せる部屋の奥に、淡緑色ソファーと、揃いのテーブルクロスが掛けられたテーブルの上に並べられたクッキーやスコーンの真ん中に鎮座する、つやつやと赤く輝くイチゴタルトが、三人を出迎える。
「まぁ!!タルトなのね!それに、私の大好きなイチゴのタルトね!」
エアトスは、満開の笑顔で入り口にただすむタレイアと近い歳であろう、アリシアと呼ばれた昔から
タレイアに仕えているメイドにお礼を告げると、メイドは心得たような笑顔で頷く。
「ひどいわアリシア、エアトスの好きなものだけだなんて。あんまりだわ。」
テーブルの上に自分の好物であるマンゴーを使った品が見つからず、
不満を告げるエルザェムに、エアトスは勝ち誇ったように告げる。
「お姉さまが好きなマンゴーはこの季節には食べられないじゃない。仕方ないわ。
それにイチゴはこの季節が一番美味しいんだから、マンゴーよりもイチゴのデザートで正解よ!」
「まぁ、エアトスったら。それなら、マンゴーが美味しい夏になったら、イチゴよりもマンゴーの尽くしのデザートをアリシアに作ってもらうんだから。その時にマンゴーの方が美味しいってことを、わからせてあげるわ!」
腰に両手をあてて妹に宣言するエルザェムに、申し訳なさそうにアリシアは謝罪を告げると
手に持っていた小瓶をテーブルに置きながら、三人をそれぞれの席へと誘導する。
「申し訳ございませんエルザェム様。少量ではございますが、以前お作りした
マンゴーのジャムがございましたので、こちらでご納得いただけますでしょうか。」
アリシアは、ケーキスタンドから取り分けたスコーンに
甘く芳醇な香りのするオレンジ色のジャムをかけた皿を、エルザェムの前に静かに提供する。
その横でエアトス付きのメイドが、エアトスお気に入りのイチゴのタルトを切り分けたり、
タレイアは、ふんわりとさわやかな甘さが香る紅茶に口をつけていたりと、
用意されたお茶会のメインともいえる料理に舌鼓を打つ。
「それで、エルザェム?先ほど言っていた『可愛くない』っいうのはどういうことなのか教えてくれる?」
「そうなの!聞いてくださる?!この間行ったお茶会でのことなのですが・・・」
お気に入りのマンゴーのジャムを堪能していたエルザェムは、タレイアからの質問に
本日の来訪の目的を思い出し、目的を告げ始めた。
曰く、先日自分と同い年位の男の子に『お前は名前の通り可愛げがない。生意気だ。』と馬鹿にされた上に、その男の子に便乗するかのように数人の男の子が同意してきたと。
「《エルザェム》なんて硬い響きの名前は、男の子が名乗るようなものですって。わたくしは
響きの通りおかたくかわいげのない女の子なのですって・・・。」
はじめは意気揚々と身振り手振りで説明していたエルザェムだが、あの場面を思い出してしまい
どうしても瞳が潤んでします。
「まぁ・・・。なんてこと。そのお茶会にはエアトスは参加していなかったの?」
「私はその時別のテーブルに座っていて・・・。」
騒ぎを聞きつけ駆けつけた頃には、エルザェムが脱兎のごとくお茶会を去ってしまっていたという。
「その男の子達には、後日この私が報復するから安心なさいな。さぁ、エルザェム。
もう涙をお拭きなさい。可愛い貴女が真珠の涙を流すのはとても美しいけれど、
貴女はいつものように自信に満ち溢れている方がとても魅力的だわ。」
「お婆さま・・・。」
「それに、そんなにメソメソしていると今後は名前負けと言われますよ。貴女は女神、なのだから。常に気高く美しくなければ。」
「めがみ?」
タレイアはエルザェムの涙をハンカチで軽くふき取りながら、自身が考えた愛しの孫娘の名前について口を開く。
「そうよ。《エルザェム》は、私が暮らしていた遠い遠いあの国で、夜を支配し夜に暮らす者の
守り神でもある月の女神の名前なのよ。貴女が生まれた時、私は無意識にその名を口にしていたわ。
確かに可愛い名前ではないと、あなたのお母様達から賛同はされなかったけど。
《エルザェム》。貴女にはこの名前しかないと、もう思ったのよ。」
「月のめがみ様と同じ・・・。」
「そうよ。女神にならい、貴女も強く、美しく気品を持って過ごしなさい。名に恥じぬように。」
「はい!お婆さま!私、やるわ!強く美しい女性になってみせるわ!」
自分は誇りある女神の名に恥じない女性になるのだと、そう笑顔でうなづくエルザェム隣で
同じく輝く瞳でタレイアを見つめながらcは自身の名にも由来があるのかと、タレイアに尋ねる。
「お婆さま、私の名前にも意味が?」
「勿論よ!《エアトス》は月の女神エルザェムが常に傍に置く《女神の剣》の名前よ。」
「つるぎなの・・・。」
双子の姉は女神、自分はまさかの物質なのかと・・・。落胆したように肩を落とす
もう一人の最愛の孫娘にタレイアは語る。
「《剣》といっても、本当の姿はわからないのよ。女神が出てくる物語によってエアトスは
姿を変えるの。猫であったり、剣であったり。本当はエルザェムを守るもう一人の女神なのではないか、
とかね。」
「姿を変えるの?」
「そうよ。周りをよく見て、エルザェムの傍にずっといるエアトスにはぴったりの名前でしょう。」
大好きな姉を守るもう一人の蜃気楼のような女神。
その名に恥じぬよう、姉を、将来姉が背負うレッドアイズ家を守っていこうと、幼子心に誓うエアトスであった。