#2 戸惑いの異世界
「こ……ここはッ!?何だここは……さっきまで大学の総務課みたいなところにいたのでは……はッ!」
響一郎は気づく。
辺りが薄暗いことに。
慌てて腕時計に目をやる。
「は、11時……夜に……なってる。確かさっきのが昼過ぎだったから……どれだけ過ぎてるんだ……」
何が何だかわからない。
周囲を見渡す。
どうやら建物と建物……ビルの間の路地らしい事が分かった。
「何が……何がどうなっている?俺は何をやってるんだッ!?」
どうやってここに来たか全くわからない。
健忘症だろうか?
まさかイケない薬とかを使ったのか?
いやいや、問題ない。生まれてこの方そういったものと縁はない。
思考が彼の頭を駆け巡る。
そもそも何かを忘れている……
「そ、そうだトイレッ!?」
気づいた瞬間、尿意が襲ってくる。
触ってみると粗相をした様子もない。
よくぞこれだけ長く我慢できたものだ。自分に表彰状を送りたい。
壁に飾って代々語り継いで……いや、冷静に考えるとすごく馬鹿っぽい。
とりあえずトイレを探さなければいけないのだが猶予はなさそうだ。
「あまりこういうことはしたくなかったが仕方がない……緊急避難だッ!」
人がいないことを確認するとズボンのチャックを下ろし貯めこんでいた奔流を解き放った。
「ふぅ……危なかった………はッ!」
感じたのは見られている気配。
「△%#$Ξ%!!」
女性の声がする。
だが何と言っているのかわからない。
何処からの声か探っていくと……
「上ッ!?」
見上げた先は非常階段。
寝そべっている影がゆっくり起き上がる。
今度は聞き取れる言葉でしゃべりだした。
「人が気持ちよくサボってるってのにやってくれるなぁ。仕事増やすんじゃねぇよ」
飛び上がった影は華麗に弧を描き響一郎の目の前に着地する。
勝気な雰囲気のショートカットが似合う女性だった。
纏う制服から察するに職業は女性警官。
これがコスプレの類でなければ、での話だが。
よく見ると顔立ちが日本人とは少し違う。
ハーフなのだろうか。
そんな思考を巡らせていると女性警官に変化が現れた。
「軽犯罪法違反だぜぇ……はッ!?」
女性警官は顔を真っ赤にさせ一点を凝視している。
それの意味する理由に気づくまで時間はそうかからなかった。
そう、彼女は先ほど用を足した時のままであった響一郎の姿に赤面したのだ。
「す、すいませんッ!どうしても我慢できなくて」
「てめぇ、猥褻物陳列罪も追加だッ!!」
鈍い音と共に左手に手錠が嵌められた。
「え、えぇぇッ!ちょ、ちょっと待ってくださいよ、これには理由があって……」
「理由は署で聞くッ!!」
冗談ではない。
このまま逮捕されたらそれを理由に大学を停学、もしくは退学になるかもしれない。
苦労して手に入れた大学生活をこんな形で失うという恐怖。
「うおああああああああーッ!!」
恐怖に襲われた響一郎はがむしゃらに暴れた。
「てめぇ、暴れたってなぁ……わっぱかけられてんだから無駄なんだよ」
彼女の言う通りであった。
暴れたところで左手手錠で繋がれている。
更には警官が自分の右手にもう片方の輪を嵌めて引っ張っている。それもかなりの力で。
「逮捕は、逮捕はダメだあああああッッ!!」
無駄な抵抗とはわかっているが暴れる。
「だからぁ、無駄な抵抗は……えッ!?」
路地から引きずり出そうと響一郎を引っ張っていった女性は急に抵抗がなくなり同時に重みもなくなったことに気づく。
そして同時に勢いがついて前のめりに倒れそうになる。
これの意味することは……
「えっ……何が……起きたんだ、これ?」
手錠の片側に響一郎の手は繋がれていない。
数メートル離れたところに尻もちをついていた。
「外れたッ!?そんな馬鹿な。きちんとかけたはずなのに……」
怒鳴ると同時に響一郎は起き上がり矢のごとく逃げ出す。
「何してやがんだァーーーーーーー!!」
叫びを背後に聞きながら響一郎は逃げた。
その行為が自分の立場をさらに悪くするものであるがそこまで考えている余裕がなかった。
ただひたすら、走り続けた。
ふと、気づく。
視界の端に何かが映っている。
視線をわずかにそちらに向けるとそれはあった。
自分の斜め下。
ゲーム画面のような小さなウインドゥが。
ウインドゥは移動している響一郎にしっかりついて来ている。
画面には数行の文章が書かれていた。
<言語を学習。アルストリア語を習得しました。これで会話ができます。レッツコミュニケーション!!>
<あなたの固有能力を発現。気が向いたら名前を付けてあげてください>
「何のことだァーーーーーーーーッッ!?」
「待てや変態がァーーーーッ!」
<全速力で走り持久力がアップしました。努力を続ければマラソン選手も夢ではないかもしれませんね。ファイトッ!>
緊迫した状況の中、気が抜ける文がウインドゥに示される。
「な、何なんだよお前ッ!?」
響一郎はウインドゥに向かって叫ぶ。
「あたしは第6分署の、クリスティーナ・コールハース巡査。通称"ぶっ放し"クリスだーーーっ!!」
聞きなれない単語にどう考えても外国人にしか聞こえない名前が飛び出す。
だが響一郎にとって今はそれどころではない。
「あんたには聞いてないんだよーーーーーーッ!!」
「テメェ、どんだけ失礼な奴だーーーーッ!!」
怒声を背に響一郎は走り続けクリスを引き離していく。
道路に出てもさらに走り続けた。
そして咄嗟に別の路地に飛び込む。
すると驚くほど思い通りに、クリスは全速力で響一郎が入った路地に気づかず走り抜けていった。
「う、うまくいったの……か?」
しばらく息をひそめ道路の様子をうかがう。
相変わらずクリスの怒声が聞こえるが段々とそれも遠ざかっていく。
「よ、よし出るか……」
意を決し、彼はゆっくりと路地から出た。
周囲を見渡す。
クリスの姿は見えない。
「撒いた、か。とりあえずここに留まるのはマズイ。どこかに逃げよう……」
そっとその場を離れる。
その時、響一郎は気づかなかった。
先ほどまで自分が居た場所が実は『路地ではなかった』ことに。
それはほんの数十センチ。人が入り込む余裕がないほどに狭い隙間だったのだ。
故に、クリスもそんなところに『潜んでいる』否『潜むことができている』と思いも寄らず通り過ぎたのだ。




