093・救出と旅立ち
第93話になります。
よろしくお願いします。
「――彼らには、道案内を頼んだのです」
イルティミナさんは、冷ややかな視線を周囲に送りながら、そう教えてくれた。
そんな彼女の足元には、20数人のならず者の男たちが倒れている。
全員、生きているけれど、あの白い槍の石突部分で殴られて、打撲だけでなく骨折している人も大勢いそうだった。血にまみれた地面に伏して、呻き声を上げる姿は、まるで地獄絵図の亡者たちのようである。
(……お、恐ろしい)
これだけの人数を、1分もかからず制圧した美女は、静かに語る。
貧民街は、危険な場所だ。
他の地区からやって来た女子供が、1人で歩いていれば、必ず、ならず者たちに狙われる。それを知っていたイルティミナさんは、なんと自分を餌にすることによって、その連中にわざと自分を襲わせ、逆に、ポーちゃんの情報を得ようとしたのである。
「ようするに、獲物を誘う罠ですね」
美しい女魔狩人は笑う。
なるほど。
(僕を残して、1人で行動したのには、そういう意味もあったんだね?)
それにイルティミナさんは美人だから、きっと、そういう人たちには、とても美味しそうに見えただろう。
狙い通り、その罠に、すぐに5人の男たちが引っ掛かり、連れ込まれた路地裏で、彼らは見事、返り討ちにあった。
ポーちゃんの情報はなかったが、似たような犯罪グループの情報は得られたので、その溜まり場へと案内させ、彼女は、そこにいた連中を制圧する。
そして情報を聞き出し、再び案内させることを繰り返した。
都合3回。
そうして訪れた4つ目の溜まり場で、ついに彼女は、僕らを見つけたのだ。
「まさか、マールまでいるとは、思いませんでしたが……」
最後に、ため息をこぼして、そう付け加える。
そして彼女は、倒れ伏した男たちの中心で、真紅の瞳を、ゆっくりとこちらに向けた。
「さて、マール?」
「……う」
イルティミナさん、表情は微笑んでいるけれど、目が怒っている。
「それでは、なぜ、あれほど来てはいけないと警告していた貧民街に、貴方がいるのか、その説明をしていただけますか?」
(ひぃ!?)
にじり寄ってくるイルティミナさん。
ち、ちょっと怖い……。
周囲からは、やられた男たちの呻き声が、絶え間なく聞こえてくる。
僕は、慎重に言葉を選びながら、怒れる銀印の魔狩人様に、ここまでの経緯を報告するのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
「――なるほど」
全てを聞き終えたイルティミナさんは、短く呟いた。
視線を地面に向ける。
そこには、僕が殺してしまった3人の男の死体があった。
真紅の瞳は、それを見つめる。
(…………)
判決を待つ被告人の気分で、僕は、彼女の次の言葉をジッと待った。
「仕方がありませんね」
「…………」
「いえ、むしろ私が、判断を間違えたのでしょう。マールの性格を考えれば、そばに置いて、私がずっと手綱を握っておくべきでした」
彼女は、大きく息を吐く。
(手綱って……なんか、本当に飼い犬みたい?)
無言の僕に、彼女はようやく、いつものように優しく笑ってくれた。
白い手が、僕の頭を撫でる。
「いずれにしても、先に辿り着いたのは貴方です。そのおかげで、この子は無事でした。ここまで、よく1人でがんばりましたね、マール」
「う、うん」
褒められた。
それが嬉しくて、僕もようやく笑った。
もし僕に尻尾があったら、左右に激しく振っていただろう。わんわん。
そして彼女は、ポーちゃんを見る。
(あ……)
すっかり忘れていた僕は、慌てて彼女に近づいた。
ポーちゃんは、僕が最初に彼女をかばった時の姿勢のまま、しゃがんでうつむいた姿勢のままだったんだ。
1歩も動いていない。
(だ、大丈夫かな?)
怖い人たちにさらわれて、揚句に目の前で、人が傷つき、必死だったとはいえ、僕は彼女の目の前で、人まで殺してしまった。普通の女の子であるポーちゃんには、辛すぎる体験だっただろう。
イルティミナさんが、彼女の前にしゃがむ。
「大丈夫ですか?」
「…………」
白い手が肩に触れると、ポーちゃんは、ゆっくりと顔を上げた。
(…………)
初めて、ポーちゃんの顔を見た。
平凡な、女の子だ。
西洋系の顔が多いこの異世界で、珍しく日本人みたいな東洋系の顔だった。もちろん、髪は、癖のあるフワフワした金髪だし、瞳は、水色なんだけど、造形の印象は、そう感じたんだ。
精神的ショックが大きかったのか、ポーちゃんは、なんだか透き通った表情だ。
まるで感情が見えない。
(なんだろう……この感じ?)
初めて会う彼女を見て、僕の中に、不思議な懐かしい感覚があった。
日本人っぽい顔だからかな?
よくわからない。
「ポーちゃん、ですね?」
「…………」
コクッ
イルティミナさんの問いに、細い首が頷く。
「よかった。私は、イルティミナ・ウォン。冒険者をしています。私たちは、貴方を保護するために来ました」
「…………」
「このまま、一緒に来てもらえますか?」
大きな水色の瞳が、イルティミナさんを真っ直ぐに見つめている。
とても澄んだ、綺麗な瞳だ。
コクッ
ポーちゃんは頷いて、イルティミナさんは、安心したように微笑んだ。
そのまま彼女を抱えようとして、
「おや? 怪我をしていますね」
イルティミナさんは、幼い少女の膝に気づいた。
(あ、転んだ時の……)
皮がめくれて、血が流れている。
とても痛そうだ。
イルティミナさんは、腰ベルトのポーチから『簡易治療キット』のような小さな袋を取り出す。
僕は少し考えて、
「あの、イルティミナさん? それ、僕にやらせてもらっていい?」
「え?」
驚くイルティミナさん。
でも、その『簡易治療キット』を僕に渡してくれる。
「ありがと」
僕は、消毒液だけ取り出して、膝の傷を洗った。
(砂みたいな汚れと、雑菌だけは、流しておいて……っと)
僕は、ポーちゃんに聞く。
「しみる?」
「…………(フルフル)」
首を横に振る。
柔らかそうな金髪が、軽やかに踊った。
(よかった)
僕は、安心して笑うと、魔力を制御しながら『妖精の剣』を空中に走らせる。
ヒヒュン
「この子の痛みを、どうか消し去って。――ヒーリオ」
空中にタナトス文字が光る。
腕輪の魔法石を緑色に輝かせながら、僕は、剣を持ったまま彼女の膝に触れた。
魔法石の光が、白い肌に吸い込まれる。
ポーちゃんの膝の傷口から、光が溢れて、ゆっくりと消えていく。やがて光が完全に消えると、そこには、傷1つない、子供の白く瑞々しい肌があるだけだった。
「お見事です」
イルティミナさんの感心した声。
ポーちゃんは、少しだけ水色の瞳を丸くして、傷のなくなった膝を、不思議そうに小さな指で触っていた。
(ふぅ)
魔力が減った脱力感が、襲ってくる。
でも、ポーちゃんの傷が治せたので、ちょっと心地好い脱力感だった。
「じゃあ、みんなの所に帰ろうか?」
「…………(コクッ)」
ポーちゃんは、頷いた。
イルティミナさんが、彼女の小さな身体を、お姫様のように抱き上げる。
なぜか僕の左腕も、一緒に持ち上がった。
(あれ?)
見たら、ポーちゃんの指が、僕の袖を摘まんでいた。僕とイルティミナさんは、目を丸くする。
水色の瞳が僕を見ている。
真っ直ぐな視線。
とても綺麗で、心の中まで見透かされるような瞳だと思った。
「え~と?」
「…………」
指は離れない。
(まぁ、いいか)
僕は強引に、袖から小さな指を外して、代わりに、その幼い手をしっかりと握ってあげた。
「こうしよう?」
「…………」
返事はない。
キュッ
でも、僕の手を握った小さな指に、少しだけ力が入った。
うん。
イルティミナさんは、僕ら2人の様子に、少し驚いた顔をして、でも、すぐに優しく笑ってくれた。
「では、行きましょう」
「うん」
「…………」
そうして僕らは、この血と暴力の支配する貧民街から、足早に立ち去るのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
「マール! イルナさん!」
「ポーちゃん!」
孤児院に戻ると、そこにはアスベルさんとリュタさんの姿があった。
2人と一緒に、孤児院の母デラさんと子供たちも、一斉に駆け寄ってきた。イルティミナさんが抱っこしていたポーちゃんを下ろすと、みんなに物凄い勢いで囲まれ、抱きつかれる。わぁ?
(ポーちゃん、大人気だ)
あの、ぼんやりした表情のまま、ポーちゃんは、みんなのされるがままになっている。
柔らかそうな髪もクシャクシャだ。
でも、無表情なのに、僕には、なんとなく嬉しそうな顔にも見えた。
気のせいかな?
「マール、お前、どこ行ってたんだ?」
「心配したのよ?」
アスベルさん、リュタさんが僕に言う。
2人とも、貧民街で何の成果もなく、1時間ほどで元の場所に戻ったらしい。でも、そこで待っているはずの僕の姿がなくて、とても焦ったそうだ。もしかしたらと孤児院に戻っても、やはり僕はいなくて、ギルドに応援を頼もうか、ちょうど悩んでいたところだったんだって。
(心配かけちゃったな)
反省しながら、僕は2人にも、事の経緯を説明した。
2人は呆れた。
「お前、無茶しすぎだ」
「本当よ」
後ろでは、イルティミナさんも『うんうん』と頷き、同意している。
「ごめん。でも、一刻の猶予もないと思ったから」
「だからって」
「なら、せめて、書き置きぐらいして欲しかったわ」
あ。
その発想はなかったな。
僕の表情に、2人は苦笑する。
「まぁ、なんにしても、無事でよかったよ」
「もしもマール君にまで、何かあったらって、私、責任感じちゃってたから」
ごめんなさい。
でも、2人は優しく笑って、
「それでも、ポーを無事に連れ帰ってくれたんだ。本当にありがとな」
「私たち、マール君には助けられてばかりね」
2人の手が、クシャクシャと僕の頭を撫でた。
わわ?
やがて、身体のふくよかなデラさんにも熱く抱擁され、いっぱい感謝の言葉を言われた。子供たちからも、ポーを助けてくれたお礼だと、よくわからない宝物をもらった。木の枝でできた玩具……多分、竜なのかな? とか、綺麗な丸い石とか。
(荷物が増えた……)
今日の買い出し分に、更に追加である。
でも、嫌じゃなかった。
ありがと、みんな。
そうして、僕らは孤児院をあとにすることにした。
アスベルさんとリュタさんは、もう少し滞在する予定らしいから、去るのは僕とイルティミナさんだけである。
「さようなら」
「それでは、失礼します」
手を振りながら、僕らは歩きだす。
孤児院の前で、見送りに来てくれたみんなも、手を振り返してくれた。子供たちは「またなー」「いつでも遊びに来てねー」と叫んでくれる。ちょっと嬉しい。
「…………」
子供たちの中には、ポーちゃんもいた。
何も言わず、手も振らず、ただジッと僕のことを、その水色の綺麗な瞳で見つめている。
なぜだろう?
彼女と離れるのが、ちょっと名残惜しい。
(もっと、一緒にいたかったな……)
そう思った。
彼女もそう思ってるんだろうな、と、不思議な確信もあった。
…………。
ポーちゃんが、僕を見ている。
僕も、ポーちゃんを見つめ返した。
「またね」
小さく呟く。
聞こえたはずないのに、彼女は、コクッと、かすかに頷いた。
それを見届けて、僕は前を向く。
ふと気づいたら、イルティミナさんが僕の横顔をずっと見ていた。
そして、
「……マールは、その……年下の方が好みなのでしょうか?」
「へ?」
驚く僕。
彼女は、少し慌てたように、
「い、いえ、なんでもないのです。忘れてください」
「…………」
長い髪に隠れた頬が、ちょっと赤い。
僕は、しばらく間を置いてから、
「……年上だよ」
ポツリと呟いた。
驚き、こちらを見るイルティミナさん。
僕は、恥ずかしくて前を向いたまま、無言で右手を差し出した。
「…………」
「…………」
イルティミナさんが、どこか安心したように、そして、嬉しそうに笑った。
いつものように、手を繋ぐ。
確かな温もり。
心も繋いだみたいな、優しい感覚。
お互いに少し赤くなりながら、僕ら2人は王都ムーリアの中を、我が家に向かって一緒に歩いていった。
◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、僕らはアルン神皇国へ行くために、冒険者ギルド『月光の風』に集まった。
全員、旅立ちの準備は、万端だ。
リーダーのキルトさんは、そんな僕ら3人を見回して、問う。
「皆、準備は良いの?」
「?」
姿を見れば、わかるはずなのに、そんなことを言う。
キルトさんは、重ねて言った。
「心の、じゃ」
あ。
彼女は、覚悟についてを聞いていた。
これから始まる過酷な旅。
それは、世界の命運をかけた『闇の子』との戦い、その始まりとなる旅なのだ。
僕は、深呼吸する。
「――うん」
彼女を見て、はっきりと答えた。
「はい」
「大丈夫よ」
イルティミナさんとソルティスの姉妹も、強い光を宿した瞳で返事をする。
キルトさんは、満足そうに頷いた。
「よし、では行くぞ」
そうして、僕らはギルドを出発する。
出発前に、ムンパさんやクオリナさんへの挨拶は、ちゃんと済ませた。もちろんムンパさん以外、クオリナさんも他の人たちも、旅の理由を知らない。
だから、特別な見送りも、何もない。
ただ、いつものクエストをこなしに行く時のように、歩きだす。
(…………)
しばらく歩いて、僕は、ふと振り返った。
白亜の塔のような冒険者ギルド『月光の風』が、少しずつ遠ざかる。
僕の所属するギルド。
この世界での初めての職業であり、居場所となった大きな家族のような拠点。
必ず、帰って来よう。
「いってきます」
小さく呟いて、僕は再び、前を向いた。
僕ら4人が向かったのは、乗合馬車の乗降場だった。
ここに、アルン神皇国までの旅の竜車を、シュムリア王国が用意してくれたという。
まだ薄暗い早朝だ。
王都ムーリアの乗降場とはいえ、今は、それほど人も多くない――はずなのに、1ヶ所だけ、人の輪ができている所がある。
(なんだろ?)
僕はキョトンとし、キルトさんは、ギルドにもらった地図を見ながら、
「竜車は、あそこじゃな」
と呟いた。
僕ら4人は、顔を見合わせ、集まった人々をかき分けて、そちらに近づいていく。
(うわ?)
抜けた先に、巨大な竜車があった。
全長10メートル。
高さも2階建てぐらいありそうで、もはや小さな家だった。
そんな客車を引くのは、鎧に包まれた4足竜たちだ。
縦に2頭、並んでいる。
どちらも5メートル級で、今までに見た竜車の竜たちの中で、一番大きかった。頑丈そうな鎧をつけているので、よりそう見えるのかもしれない。
客車も、金属の装甲に覆われている。
前に野盗に襲われた時みたいに、弓矢を撃ち込まれても、簡単に弾いてしまいそうだ。
僕らは、唖然とした。
「まさか、騎竜車を用意したのか?」
キルトさんが、呆けたように呟く。
(騎竜車?)
見上げる僕に、イルティミナさんが、まだ驚いている声で教えてくれる。
「騎士団の使う専用の竜車です。軍事用……要するに、戦争などで使用するための、特別な竜車なのですよ」
「戦争……」
それで、この頑丈そうな装甲なんだ。
「私、初めて見たわ……」
ソルティスが、口を半開きにして言う。
キルトさんが唸る。
「なるほど。シュムリア王家の本気度が、窺えるの」
そして、頼もしそうに笑った。
よく見たら、御者席に座っているのも、鎧を着た3名の騎士様だった。
彼らは、僕らの前に来て、敬礼する。
「お待ちしておりました、キルト・アマンデス様、イルティミナ・ウォン様、ソルティス・ウォン様、マール様。――すでに出発の準備は整っております」
「うむ、そうか」
キルトさんは、鷹揚に頷いた。
「では、すぐに発とう」
「はっ」
金印の魔狩人の声に、彼らは鋭く返事をし、すぐに御者席に戻った。
(…………)
ちょっと呆然。
そんな僕らの背中を、キルトさんの手がパンッと叩いた。
「ほれ、乗るぞ」
「あ、うん」
用意された木の階段を使って、巨大竜車に乗り込む。
(おぉ、広い!)
中は、8人ぐらい座れそうな座席と、固定されたテーブルがあった。
どれも、高級そうだ。
そして、仕切りの奥には、4つの寝台……え?
(この竜車、泊まれるの!?)
あまりの特別仕様に、驚きが止まらない。
ソルティスも、車内を見て、ポカ~ンとしてる。
イルティミナさんが苦笑して、
「ほら、2人とも? 荷物を下ろして、まずは座りましょう」
「あ、うん」
「そ、そうね」
僕らは、そそくさと言われた通りにして、座席に座った。
2人とも、なぜか姿勢が良くなってしまう。
年上の大人たちは、小さく笑った。
「ま、その内に慣れるであろう」
「そうですね」
…………。
慣れるのかなぁ?
ちょっと心配になってしまう僕だった。
そして、キルトさんは、御者席に声をかける。
「出してくれ」
「はっ」
返事があり、そして、巨大竜車の『騎竜車』が動きだす。
ガコン ゴトン
大きな車輪が回転し、車窓が動きだす。
集まっていた人々が「おぉ~」と歓声を上げるのが、聞こえてきた。
衝撃吸収機構が、市販の竜車よりも優れているのか、動きだしても驚くほどに振動が少ない。まるで雲に乗っているようだ。これは、ちょっと凄い。
大変な旅だとわかってる。
でも、竜車に関しては、少しだけ楽観してしまった。
(ちょっと、ワクワクしてきたよ)
イルティミナさんは、優しく笑って、そんな僕の頭を撫でる。
ソルティスは、興味深そうに車内を眺めていた。
キルトさんは、御者席の騎士さんに、また声をかける。
「アルン神皇国には、どのルートで入る?」
「北ルートです」
まだ若そうな騎士さんの1人が答えた。
「サバンの国境を越え、そのままオドロトス山岳地を抜けて、神帝都アスティリオへと向かう予定です。到着は、2ヶ月後を予定しています」
「…………。オドロトス山岳地を通るのか?」
一瞬、キルトさんの表情が曇った。
(ん?)
「はい」
「そうか、わかった」
頷いて、彼女は座席に座り直した。
大きく息を吐く。
僕は、首をかしげた。
「キルトさん、どうかした?」
「む?」
「いや、なんか、様子が変だったから」
彼女は、驚いた顔をする。
すぐに苦笑して、
「よく見ておるの」
「…………」
「何、少し懐かしい地名を聞いての」
懐かしい?
キルトさんは、窓の外を見ながら、どこか複雑そうに呟いた。
「15年近く前まで、わらわは、オドロトス山岳地で暮らしていた時期があったのじゃ」
「え?」
じゃあ、キルトさんの故郷?
(キルトさん、アルン出身だったんだ)
…………。
でも、なんだか、その表情には、郷愁と呼ぶにはあまりにも暗く、重く、濁ったような何かがあった。
僕ら3人の視線が集まる。
だけど、それ以上、キルトさんは何も言わなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
だから僕らも、それ以上は聞けなかった。
仕方がないので、僕らは黙って、自分たちの座席に座ったまま、窓の外を眺めた。
早朝の太陽が、東の空に顔を出す。
白い光が世界を染めていく。
その輝きに、虹色の城壁と美しい湖に建つ王城が煌めいて、遠ざかる僕らを見送ってくれていた。
(またね、ムーリア)
思いを込めて、心の中で呟く。
期待や不安、様々な感情を胸に秘めたまま、こうして僕ら4人は、シュムリア王国の王都ムーリアを出発し、新たな冒険の地、アルン神皇国へと旅立ったのだ――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次話から、ついにアルン神皇国への旅が始まります。新しい国でのマールたちの物語も、もしよかったら、どうか見守ってやってくださいね。
※次回更新は、明後日の水曜日0時以降になります。どうぞ、よろしくお願いします。




