089・白銀の精霊獣
第89話になります。
よろしくお願いします。
(なんで、戦わないといけないの!?)
僕がここに来たのは、戦うためじゃない。精霊と交信する方法を知るため……もっと言うなら、精霊と話をして、より仲良くなりたいと思ったからだ。
それなのに、
ジジジ……ッ
目の前にいる美しい『白銀の狼』は、僕を睨みつけ、殺気をぶつけてくる。
(どうしても?)
問いかけるように、その紅い瞳を見つめる。
「――――」
瞬間、僕の手は、反射的に『妖精の剣』を引き抜いた。
防衛本能。
考えるよりも先に、その剣を身体の前に置く――と同時に、衝撃が走った。
ガガァン
(うあっ!?)
気がついたら、僕は吹き飛ばされていた。
地面に落下し、ゴロゴロと転がる。
慌てて顔を上げると、僕がいた場所に、『白銀の狼』が立っていた。
ジジ……ッ
紅い瞳が、僕を冷たく見下ろす。
その右前足の爪には、『旅服』の千切れた布が絡まっていた。
(……あ)
自分を見下ろし、絶句する。
『妖精の剣』で防ごうとした攻撃は、けれど、防ぎきれずに直撃していたんだ。心臓の真上、妖精鉄の鎧に3本の深い爪跡が残っている。
もし、鎧がなかったら……?
「…………」
その想像に、背筋が震えた。
「マール!」
「くっ」
視界の奥で、イルティミナさんとキルトさんが、魔法陣の中に入ろうとして、そのたびに光の壁に阻まれている。苛立った表情のキルトさんは、ついに背負っていた雷の大剣を抜いた。
「ええい、このような障壁なぞ、断ち斬ってくれる!」
「……無理」
コロンチュードさんは、眠そうな声で言う。
キルトさんは、構わず、黒い大剣を振り上げる。
刀身から放電が始まり、
「だ、駄目!」
その途端、ソルティスが青ざめた顔で、鬼姫キルト・アマンデスの前に、両手を広げて立ち塞がった。
「な……そこをどけ、ソル!」
ブンブン
少女は、必死に首を振る。
「この中は、2つの世界を強引に交わらせた、高密度の空間なの! 結界を破ったら、中のエネルギーが弾けて、マールが吹き飛んじゃうわ!」
「な……っ!?」
「こうなったらもう、見守るしかないのよ……っ」
泣きそうな顔で、少女は訴えた。
イルティミナさんは、呆然と立ち尽くし、キルトさんは、唇を噛みしめる。そして、黄金の瞳は、鋭く『金印の魔学者』を睨みつけた。その首に、刀身の中で青い雷の散る大剣を押しつけ、
「貴様……マールに何かあったら、殺してやるぞ?」
「……あ、そ」
『金印の魔狩人』の殺意に、けれどコロンチュードさんは、眠そうな顔のまま、表情1つ変えなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
(……やるしか、ないんだね?)
僕は、立ち上がる。
ゆっくりと呼吸を整え、『妖精の剣』を正眼に構える。
ジジ……ッ
誇り高い『白銀の狼』は、僕が構えるまで待っていた。
向き合うだけで、凄まじい『圧』がある。
正直、勝てる気がしない。
それでも、生きることを諦めるわけには、いかなかった。
僕には、やるべきことがある。
やりたいこともある。
それら全てを諦めて、ここで、この命を終わらせるわけにはいかない。
「いくよ」
短く告げて、僕は踏み込んだ。
ヒュッ キィン
美しい妖精鉄の刃は、白銀の鉱石でできた狼の毛に弾かれ、白い火花を散らす。やはり、普通の剣技では、刃が通らない。
『白銀の狼』は、太い首を振った。
剣先が弾かれる――その勢いを利用して、僕は回転しながら、より威力を高めて前足を狙った。あっさりかわされる。体長3メートル、熊みたいな巨体なのに、驚くほど俊敏だ。
そして、巨体が着地した瞬間、
ドンッ
『白銀の狼』が大きく口を開けて、弾丸のように襲ってくる。太陽の光に、鋭い牙たちが煌めいた。
速い。
(――間に合え!)
最速の技『柄打ち』をカウンターで、白銀の額に合わせる。
ガキィン
攻撃ではなく防御のため、柄頭を打ち込んだ反動を利用して、僕は弾かれるように後方へと跳躍していた。
着地と同時に、上段に剣を構える。
『白銀の狼』が突っ込んでくる――その動きに合わせて、剣を振り落とした。
ヒュコン
こちらに襲いかかった右前足を、カウンターで斬り飛ばす。
でも、その爪の先が、僕の頬を裂く。
鮮血が散った。
切断された白銀の足は、地面に落ちた瞬間、ガラスが砕けたように四散する。光を反射して、キラキラと輝いた。
その奥で、『白銀の狼』の切断面から、白銀の鉱石が溢れだす。
右前足は、再生した。
「…………」
頬から血を流したまま、僕は『妖精の剣』を正眼に構え直す。
ジジジ……ッ
獲物を狙う獣のように、『白銀の狼』は、僕を中心にして円を描くように、ゆっくりと動いた。僕の剣先も、常にそちらに向いている。
ドゥッ
再び『白銀の狼』が襲いかかってくる。
僕も、剣を振るった。
ギィン ガンッ ヒヒュン ガキィイン
持てる剣技を、全て駆使して、恐ろしい猛攻に抗った。
正面からぶつかり合えば、巨体の圧力に押し切られるので、必死に横に回り込み、生き残るために懸命に抗う。
力と速さ。
どちらも、向こうが上だった。
前にソルティスと戦った時と似ていて、それより、ずっと絶望的な状況だ。それでも、キルトさんの言葉を思い出して、僕はただ『剣技』だけを信じて、この手の剣を振り続ける。
ガッ ビシッ
何度も、身体が裂かれる。
鮮血が散る。
けれど、白銀の肉体も、少しは削れた。
煌めく破片が、宙に舞う。
(…………)
それを掴んで、ナイフ投げの大道芸人の動きを真似て、紅い右目を狙って投擲する。
あっさり回避され、太い尾で弾かれた。
でも、
(よけた?)
その動きに気づいた僕は、活路を得るために、剣で目を狙うことにする。
ヒュッ ヒュヒュン ガギィン
「!」
すぐに諦めた。
その狙いを見抜かれて、逆に攻撃を誘われ、太い3本の尾で反撃されたからだ。
高い知能。
恐ろしい洞察力。
どこにも、隙がない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸は、とっくに乱れていた。
キン ガィン キィン
白い火花が散り、金属の弾ける音が響く。
何度も。
何度も、何度も。
酸欠で視界は狭く、頼りにしている剣技の冴えも鈍ってきた。
――それでも、僕は生きている。
(…………)
何かが、おかしい。
戦いを続ける中で、不思議な違和感のようなものを覚えていた。
キィン
剣が弾かれる。
ドゴォン
がら空きになった胸を、巨大な後ろ足で蹴り飛ばされた。
小さな僕の身体は、簡単に宙を舞った。
地面に落下する。
「かはっ」
衝撃で、血を吐いた。
……でも、ほら? やっぱり生きている。
僕は、震える手足で、地面に刺した剣を支えに立ち上がった。
その間、『白銀の狼』は、追撃してこなかった。
怒りに燃える紅い双眸。
でも、その炎の奥に、別の美しい光が灯っているのに、ようやく気づいた。
(……あぁ、そうか)
唐突に、理解した。
この美しい精霊は、あのオーガや赤牙竜クラスの戦闘力を秘めている。それだけの力の持ち主を相手に、僕がここまで抗えるはずはない。いや、そもそも、最初の1撃の時点で、僕が殺されていないことがおかしいのだ。
つまり、『白銀の狼』には、別の目的があった。
(……僕を、試している)
自分の新しい主人として、相応しいのか、この僕自身の命を削りながら、確かめているのだ。
その試しに、不合格になった瞬間、僕は殺される――そういうことだ。
「……あはは」
つい笑ってしまった。
なんのことはない。
僕はもう、この美しい精霊と、ずっと会話をしていたのだ。
命をかけた真剣勝負。
相手の一挙手一投足に集中し、その心理を読もうとして、自分の全霊をかけて立ち向かう。それは、ただ言葉を交わすよりも、ずっと濃密で、隠すことのできない声の応酬だった。
(これが、精霊か……)
わかり難く、わかり易い……なんとも、面白い存在だ。
僕は、晴れ晴れとした気持ちで、
「わかった。――じゃあ、これで最後だ」
精霊に告げた。
僕には、もう気力も体力も、あまり残っていない。多くを語る余裕がなかった。
ゆっくりと『妖精の剣』を、上段に構える。
(これで、伝わるよね?)
果たして、『白銀の狼』は、その紅い双眸を輝かせ、全身の筋肉を膨張させながら、襲いかかる直前の低い姿勢をとった。
歓喜と殺意。
両方が、伝わってくる。
空気が変わる。
重く、静かに……沈んでいく。
(――――)
音が消えた、その世界で、白銀の輝きが流星のように煌めいた。
――妖精鉄の美しい刃を、振り落とす。
巨大な白銀の頭部に、半透明の刃が半分喰い込み――そこで止まった。
カウンターで合わせる剣の速さを、突進する速さが上回ったのだ。
理解。
そして、衝撃。
僕は、背中から、激しく地面に叩きつけられた。
「がはっ!」
圧縮された空気が解放される。
仰向けになった僕の上に、美しい『白銀の狼』が覆いかぶさった。
僕の両腕に、竜の手のような爪を突き刺して、地面ごと拘束する。あまりの痛みに、脳が白く焼けて、涙がこぼれた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
…………。
その紅い瞳には、失望があった。
僕は集中しながら、剣を握った右手首を、痛みを堪えて何度も動かす。
でも、爪は抜けない。
ジジジ……ッ
『白銀の狼』は、大きく口を開けた。
それが、僕の喉へと落ちてくる。
(…………)
今度こそ、本当に殺すつもりなのだと、わかった。
――お前は、相応しくない。
その紅い瞳が、雄弁に語っている。
鋭い牙が、僕の喉に触れた。
その喉を動かして、僕は、希望の光となる詠唱を口にした。
「輝き、貫け。――ライトゥム・ヴァードゥ」
右手首にある腕輪の魔法石が光を放ち、そこから、光り輝く魔法の鳥が姿を現した。右手の剣の先には、タナトス魔法文字が空中に描かれ、浮かんでいる。
ピィイイン
澄んだ鳴き声を響かせ、光鳥は、至近距離から『白銀の狼』の紅い右眼に飛び込む。
痛みというより驚きで、その巨体が仰け反った。
(――今だ)
ブチチッ
地面に刺さった爪で、肉を引き裂かれながら、右腕を抜く。
痛い。
視界が霞み、泣き叫びたくなるほどに。
でも、勝利のために、右手首を切断した女の人を、僕は知っている。
だから、
「あぁああああ!」
雄叫びを上げながら、僕は、地面の上で独楽のように半回転し、目の前で止まっている巨大な首めがけて、最後の一閃を放った。
ヒュコン
刃は、抵抗もなく抜けた。
無茶をした腕から、鮮血が噴き出す――その奥で、白銀の太い首がずれて、落ちた。
ガシャアアン
白銀の頭部が、顔のすぐ横の地面で砕ける。
煌めく破片が、とても美しい。
「……ん、はっ」
力の抜けた巨体を、両足で押し上げ、僕はようやく、その巨体の下から抜け出した。よろめきながら、左手で剣を杖代わりにして、身体を支え、立ち上がる。
足元には、うずくまったままの白銀の胴体がある。
「…………」
僕は、その物言わぬ背中に触れようとした。
でも、その寸前、首の切断面から、あの白銀の鉱石がボコボコと溢れだしてきた。唖然とする僕の前で、白銀でできた狼の頭部ができあがる。……嘘でしょ?
絶望を感じながら、
「――――」
それでも僕は、左腕1本で『妖精の剣』を構えた。
そんな僕の前に、美しい『白銀の狼』は、首を斬られたことなど感じさせぬ威厳で、誇り高く、そして雄々しく立っている。その紅い双眸は、けれど、穏やかな湖の水面のように静かで、真っ直ぐに僕を見ていた。
「…………」
ジジジ……ッ
その精霊は、傷だらけの僕の前へと、ゆっくり近づいてくる。
すぐ目の前で止まり、腰を落とす。
そして――その白銀の頭を、こちらに向けて垂れた。
この誇り高き精霊が。
僕に向かって、頭を下げていた。
下げられた額には、第3の目のような緑色の魔法石がある。僕は、その額に優しく触れた。
魔法石が、強い光を放つ。
反射的に、目を閉じた。
光の消えた気配に、ゆっくりとまぶたを開く。
(……あ)
そこに『白銀の狼』の姿はなく、目の前の地面には、あの『白銀の手甲』が転がっていた。
拾い上げ、右手が使えなかったので、口を使って、留め具のベルトをしめ、左腕に装備する。
ジジジ……ッ
精霊の気配の音がした。
「あは」
僕は、思わず笑っていた。
「マール!」
「大丈夫か!?」
「マ、マールぅ!」
振り向けば、魔法陣の光の壁が消えていて、3人がこちらに駆けてくる姿があった。
その奥には、金印の魔学者コロンチュード・レスタさんもいる。
彼女は、穏やかに笑った。
「……おめでと。……これで君は、その精霊の……新しいご主人様だよ」
僕は、苦笑する。
思っていたのとは、少し違ったけれど、確かに僕は精霊と対話をしていたのだ。
「ふぅぅ」
青い空を見上げる。
太陽の温もりが心地好く、そんな日の光を反射して、僕の左腕にある『白銀の手甲』は、とても美しい輝きを放った――。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日0時以降になります。よろしくお願いします。




