751・画家マールのアトリエ
第751話になります。
よろしくお願いします。
「ほう、これはなかなかいけるな」
「でしょ!」
手作りクッキーを食べたフレデリカさんは、少し目を丸くする。
作り手のソルティスは嬉しそうだ。
自分の日常を過ごす生活空間に、あのフレデリカさんがいる光景は本当に不思議なものだ。
まるで夢を見てる感覚。
(でも、現実だよね?)
パクッ
僕もクッキーを食べて、その美味しさで現実感も味わう。
そんなアルン神皇国の友人に、僕の奥さんが話しかける。
「それにしても、本来の外交の目的を離れて、このような場所にいて本当に良いのですか?」
(あ……)
それは、確かに。
キルトさんが許可をもらったそうだけど、大丈夫なのかな?
僕らの視線は、自然と彼女に集まる。
アルンの美女は苦笑した。
「ああ、問題ない。元々、私は戦うしか能がない人間だ。転移魔法陣に関する実務の方は、外務大臣と魔術研究所の所長に任せるしかない」
「…………」
「どちらかと言うと、私の役目は『飾り』なのだ」
「飾り、ですか」
「シュムリアとの友好の象徴、そのための血筋、役職、容姿、それらを私が持っていた――それだけの話だ」
「……なるほど」
イルティミナさんは、少し苦そうなものを食べた顔で頷いた。
(う~ん)
国同士の話し合いには、色々あるみたいだ。
僕には難しい話だけど、キルトさんには理解できるのか、フレデリカさんの話に困ったように笑っている。
ソルティスは、微妙な顔。
ポーちゃんは……うん、いつもの無表情だ。
僕は気を取り直して、
「そう言えば、ダルディオス将軍は元気?」
と、話題を変えてみた。
フレデリカさんは僕を見て、笑顔で頷いた。
「うむ、元気だ」
「そっか」
「ただ、最近は『後進の育成』に力を注いでいてな」
「うん」
「実は、今回のシュムリア王国行きには、父上も同行するという話もあったんだ」
「え、そうなの?」
「ああ、だが、父上は断られた」
「…………」
何で?
僕は理由がわからず、青い瞳で将軍の娘さんを見つめてしまう。
彼女は微笑み、
「父上は、自分が『古い時代の象徴』だと言っていた」
「…………」
「今回の転移魔法陣に関する話は『新しい時代の幕開け』だとも。だからこそ、自分のような老骨ではなく、若い者たちが行くべきだ、とな」
将軍さん……。
キルトさんは頷く。
「なるほど、将軍らしいの」
「ああ」
フレデリカさんも頷き、
「だが、本人はいたって元気だし『まだまだ若い者には負けん』と、修練場では若い騎士たちを叩きのめしているよ」
と、苦笑した。
(あはは)
そのパワフルな姿が想像できて、僕も笑ってしまった。
ソルティスは自分の作ったクッキーを1つかじり、
「モグモグ……来年、『転移魔法陣』が解放されたら、きっとダルディオス将軍にも気軽に会いに行けるようになるわね」
「あ……」
僕はハッとする。
すぐに「うん、そうだね!」と同意した。
もちろん簡単に会える立場の人じゃないけれど、でも、まるで手の届かない遠い場所ではなくなるのだ。
3人のお姉さんも、笑って頷く。
「それは楽しみですね」
「うむ、そうじゃな」
「その時は、私がまたアルンを案内しよう」
最後のフレデリカさんの言葉に、僕とソルティスは「うん」、「お願いするわ」と笑顔を返し、ポーちゃんもコクコクと頷いたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「ここが、マール殿のアトリエか」
室内を見回したフレデリカさんは、そう驚いたような声を漏らした。
(えへへ)
僕は、少し照れてしまう。
ここは我が家の2階にある、僕の絵を描く道具やこれまで描いた絵を保管している部屋だ。
ソルティスも一緒に暮らしていた頃は、ここは『マールの部屋』だったんだけど、今はイルティミナさんと2人暮らしとなり、僕らはいつも一緒の部屋で過ごしている。
なので、当時から描いた絵や道具を置いていたのもあって、この部屋はそのまま自然とアトリエになってしまったんだ。
キルトさん、ソルティス、ポーちゃんも滅多に入らない部屋なので、3人も興味深そうにしている。
階下での談笑中、フレデリカさんが僕の日々の暮らしに興味があったみたいなので、せっかくだから我が家の案内をすることにしたんだ。
それで、この部屋にもやって来た。
……いや、ま、家の持ち主はイルティミナさんなので、彼女が嫌がる部屋には案内しないけどね。
(でも、僕のアトリエぐらいは、ね?)
と、思うのだ。
そのアトリエの壁には、これまでに描いた絵が何枚も飾られている。
半分が風景画。
これまで旅してきた景色が描かれていた。
もちろん、アルンの絵もある。
そして、飾られているもう半分は、イルティミナさんをモデルにした人物画だ。
色んな表情のイルティミナさんがいる。
そんな絵の中の僕の奥さんたちを眺めて、フレデリカさんは瞳を細めた。
「いい絵だな」
「…………」
「私も詳しくはないが、たまに宮廷画家の絵画を目にすることもある。だから感じるが、この全ての絵のモデルが描き手を信頼し、心を許しているのが良くわかる」
「…………。うん」
僕は頷いた。
隣のモデルの美女を見上げると、彼女も微笑んでくれた。
うん、絵とそっくりだ。
キルトさんは言う。
「これでもマールは、王国の大きな絵画コンテストで特別賞を受賞した腕じゃぞ」
「そうなのか!?」
この暴露に、フレデリカさんも驚いた様子だ。
(えへへ……)
僕は照れながら、頷いた。
アルンの美女は、どこか納得したように頷き、
「そうか……。だが、穏やかなマール殿にはよく似合う才能かもしれないな。冒険者を引退したら、画家を目指すのもどうだろう?」
「う~ん、どうかなぁ?」
「……嫌なのか?」
フレデリカさんに意外そうに聞かれる。
他の4人も僕を見ていた。
少し考えて、
「絵を描くのは好きだよ。でも、趣味だから好きなのかな……って」
「…………」
「冒険者の仕事がやりがいあるけど大変で、その息抜きで描いてるみたいなものだから。仕事にしたら息が抜けなくなって、今みたいには描けなくなるかもしれない」
「……なるほど」
「感覚の話だから、上手く説明できないんだけどさ」
「いや、わかる気がする。こちらも感覚的にだがな」
アルン神皇国のお姉さんは、そう頷いてくれた。
すると、その時、
ナデナデ
隣にいたイルティミナさんが、突然、僕の頭を白い手で撫でだした。
(ほへ?)
驚く僕に、
「その時は私が養ってあげますので、仕事にはせず、趣味のまま、マールはただ楽しんでください」
「…………」
あ、はい。
本気でそう笑ってくれる奥さんに、僕は嬉しいけど困ってしまった。
キルトさんは苦笑。
ソルティスは呆れ顔で、ポーちゃんは無表情。
肝心のフレデリカさんは、呆気に取られたように僕の奥さんの横顔を見つめていた。
コ、コホン
4人の視線が恥ずかしかったので、僕は咳払い。
それから、
「あ、そ、そうだ。実は、みんなの絵もあるんだよ。見てみる?」
と、提案してみた。
4人は驚いた顔。
僕は、保管用の棚からスケッチブックと何枚かの絵画を取り出した。
(んしょ……っと)
スケッチブックを開き、絵画を床に並べる。
皆が覗き込み、
「ふむ?」
「お、若い頃のアチシじゃん」
「ポーがいる」
「な……わ、私の絵もあるのか!?」
と、それぞれの反応を示した。
絵を描く時には、実際にモデルを見ながらだけじゃなく、想像で描いたりもするんだ。
それで描かれた4人の絵だ。
シュムリア王国の3人は、たまに僕の絵を見てるので慣れた反応だ。
でも、アルン神皇国のお姉さんは、僕の手で自分が描かれた絵を見るのは初めてだからか、少し恥ずかしそうだった。
僕は謝る。
「ごめんね、勝手に描いて。嫌だった?」
「い、いや。嫌ではない」
ブンブン
彼女は首を強く左右に振る。
それから、熱を抜くように息を吐き、
「ただ驚いただけだ」
「う、うん」
「それにしても……そうか。マール殿には、私はこう見えるのか」
「…………」
彼女はどこか熱っぽく呟き、自分の描かれた絵の表面に優しく触る。
凛とした軍人の彼女。
1人の女の人として、明るく笑う彼女。
眠ったように目を閉じる、女神のように静謐な彼女。
色々なフレデリカ・ダルディオスの絵だ。
その全てを、彼女は1枚1枚、噛み締めるように見つめては、優しく触れていった。
(…………)
気に入って……くれたのかな?
僕ら5人は、その様子を見守っていた。
やがて、僕の奥さんが、
「フレデリカ」
「ん?」
「もしよかったら、今日は泊っていきませんか?」
「え……?」
突然の提案に、彼女だけでなく僕ら全員が驚いた。
イルティミナさんは優しい表情で、
「狭い家ですが、どうでしょう?」
「……いいのか?」
「もちろんです。積もる話もあるでしょうし、マールも喜びます」
「…………」
「キルト、ソル、ポーもどうですか? たまには、貴方たちもこの家に泊っていってくださいな」
僕の奥さんは、そう3人にも問いかけた。
3人は顔を見合わせる。
チラッ
僕の方を見た。
僕は頷いて、
「うん、もう少し、みんなと過ごせたら嬉しいな」
と、正直に答えた。
イルティミナさんも僕を見て、微笑みながら頷いた。
僕は、フレデリカさんを見る。
「どうかな?」
「…………」
「…………」
「わかった。お言葉に甘えよう」
彼女は、まるで弟の我が儘を受け入れる姉のような顔で頷いた。
(やった)
僕も笑った。
キルトさんは片手を腰に当て、苦笑する。
「わかった。ならば、わらわも甘えるとしよう」
そう頷いた。
ソルティス、ポーちゃんも顔を見合わせ、頷き合う。
僕とイルティミナさんを見て、
「2人も泊まるなら、私らもそうするわ」
「ポーも同意する」
「うん」
「はい、そうしてください」
「ええ。――にしても、この家に泊まるのも久しぶりよねぇ。今夜は徹夜で飲み明かすわよ!」
グッ
少女は、そう拳を突き上げた。
真似っ子の幼女も、同じ格好である。
それに、僕らは笑う。
そうして今夜はフレデリカさんを含め、僕らは6人で、この家で一緒の時間を過ごすことになったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。