738・剣の頂きに近き2人
第738話になります。
よろしくお願いします。
「――任せよ」
不意に言葉を発して、キルトさんは前に出た。
1対1で戦う気だ。
王国最強の冒険者。
そして、世界最高の剣士と称される銀髪の美女の願いに、仲間である僕らは逆らえるはずもなかった。
彼女を信じる。
皆の共通の思いと視線が、彼女の背中に刺さる。
ギルダンテは動かなかった。
黒い剣を上段に構えたまま、ただ静かに1人前に出てきた人間を視界に映している。
でも、
(僕らのこともちゃんと見ている)
そう感じる。
キルトさん1人に注視するのではなく、その他の存在を、そして周囲の全てを把握している――そんな目の表情をしていた。
その時、音もなく、キルトさんも『雷の大剣』を上段に構えた。
ギン
その剣に、剣気が集束する。
まるで虚無のようなギルダンテに対して、キルトさんは殺意の塊だ。
触れれば火傷する、そんな熱がある。
対照的な最高峰の2人の剣士――それがどのように戦うのか、不謹慎ながら1人の剣士として胸が躍ってしまう。
次の瞬間だった。
「――鬼剣・雷光斬!」
ドン
咲き誇る赤い花弁を踏み散らし、キルトさんが大地を蹴った。
7メードはあった間合い。
それが瞬間にゼロになる、凄まじい脚力。
そして、彼女の手にしたタナトス魔法武具は青い放電を散らし、触れた全てを焼かんと輝いた。
例え剣同士がぶつかっても、放電がギルダンテの肉体を焼く。
負傷は免れない。
本来なら魔物に対して使うべき魔法武具の性能を、キルトさんは惜しげもなく、初手に、それも人間に対しての剣として放っていた。
ギルダンテは、無反応。
(――当たる)
僕は、そう錯覚した。
でも次の瞬間、コマ送りのように2人は鍔迫り合いを演じていた。
え……?
奴の剣が全く見えなかった。
いや、速さとかの問題ではない。
その剣の動きの起こりが全くなく、初速の動き出しが把握できなかったため、そう見えてしまうのだ。
(何だ、それ?)
まるで時間が跳んだみたい。
現実とは思えない。
それほどの技量。
そして、あろうことか僕の隣にいる現役の『金印の魔狩人』であるイルティミナさんも驚愕に目を見開いていた。
その美貌の顔色が悪い。
夫だからわかる。
その表情の意味は、目の前の相手が自分より上の技量だと理解した顔だ。
つまり、ギルダンテの実力は、彼女より格上。
彼女自身が、そう認めていた。
(……嘘でしょ?)
自身の妻の実力を信じている分、そんな彼女の判断が信じられなかった。
でも、それが現実だ。
そして、現実の目の前の光景についての話をしよう。
放たれた『鬼剣・雷光斬』を正面から受け止めたギルダンテの肉体は、けれど、その魔法の放電に焼かれることはなかった。
(……あ)
彼の剣だ。
その黒い剣の表面に、無数の人の顔のような紋様が浮かんでいた。
それは怨嗟の泣き顔だ。
そして、その紋様が嘆くように動くと、あろうことか『雷の大剣』の内側から輝いていた青い雷光が消えてしまう。
あれが……魔封じ?
実際に斬られたソルティスが口にしていた『魔法を無効化する剣』の力か。
(なるほど……凄い)
こうして目にして、深く理解する。
あれは、全てのタナトス魔法武具の天敵となる武器だ。
魔法の性能を封じることで、全ての戦いの土俵を『純粋な剣技のみの勝負』に持ち込んでしまう。
そして使い手は、伝説の剣豪である。
それはまさにギルダンテ・グロリアにとって最高の武器であり、僕ら魔法武具の使い手にとっては最悪の武器だった。
(それでも……)
それを理解しても、僕は思う。
それでも戦うのが、あのキルト・アマンデスならば、と。
実際、自分の魔法武具の力を封じられても、鍔迫り合いを演じるキルトさんに動揺した様子は全くなかった。
むしろ、魔封じの力を確認した、そんな風にも思える。
純粋な剣の戦い。
逆に彼女なら、その展開を歓迎しているのかもしれない。
キルトさんの黄金の瞳は、眼前にいる黒衣の男を見据えてギラギラと輝いていた。
一方で、ギルダンテの青い瞳は虚無のまま。
目の前の銀髪の美女を見ているようで、見ていないような視線の置き方だ。
クン
瞬間、奴の剣が揺れた。
「――――」
その表面をキルトさんの大剣が滑り落ち、体勢が崩れる。
あまりに滑らかな動き。
力を逃す動きの美しさは、逆に気持ち悪いほどに完璧な剣技だった。
あのキルト・アマンデスの姿勢を揺らがせるなんて、この世界でいったいどれほどの人間ができるのか?
パッ
直後、キルトさんは回転しながら後方に跳ねた。
(あ……)
見れば、またいつの間にか、ギルダンテの剣が真横に振り抜かれた状態になっていた。
相変わらず、剣が見えない。
3メード離れ、キルトさんは着地する。
足元の赤い花弁が散る。
そして、空中にはキルトさんの美しい銀髪が数本、風に舞って流れていく。
(――嘘だ)
僕は目を瞠る。
たった数本の髪とはいえ、キルトさんが斬られていた。
僕は知っている。
彼女の回避能力は、ほんの数ミリという神業みたいな見切りだと。
髪の毛1本さえ、斬らせない。
そんな見切りができるキルトさんが髪を斬られたということは、目測を誤ったということ。
たった髪の毛の数本の誤差。
でも、もしそれが重要な血管などならば、その誤差で人は死ぬのだ。
その誤差を生み出すほどのギルダンテの技量。
あ……キルトさんが笑った。
獰猛な獣の笑みだ。
瞳の瞳孔が開き、銀の髪が逆立つように膨らんでいる。
(珍しい……)
剣の戦いに集中すればするほど、感情の発露はし難くなり、むしろ表情は消えていく。
でも、彼女は笑った。
楽しいから?
いや、違う。
それだけではなく、むしろ間近に触れていった死を悟り、その恐怖を打ち消すために自分を鼓舞するためのものだ。
あの、キルトさんが……だ。
(……あはは)
僕も心の中で笑うしかない。
この戦いはそれほどの、僕には手が届かない高みにあった。
その事実が嬉しくもあり、悔しくもある。
ただ1つ思うのは、見届けなければ……という使命感にも似た思いだ。
そして、願う。
(どうか、勝って……キルトさん!)
グッ
剣を握る両手に力がこもる。
きっとそれは、ここで見守る僕ら4人全員の思いだ。
果たして、それが通じたのか?
キルトさんは獰猛な笑みを鎮めると、次の瞬間、その長い銀髪をなびかせ再びギルダンテへと襲いかかった。
◇◇◇◇◇◇◇
夕暮れの赤い世界に、剣戟の音が響く。
2人の剣士の踏み散らす赤い花弁が舞い上がり、幻想的に空を流れていく。
それは、異様な戦いだった。
キルトさんの剣は、強靭な魔物の外皮や肉を斬り裂く圧倒的な破壊力を秘めていた。
同時に、人間とは比べ物にならない重量の魔物の攻撃を受け止めてしまえる凄まじい堅牢さも誇っていた。
彼女の剣は、質実剛健の正道だ。
だからこそ、
(ギルダンテの剣が……わからない)
彼の剣は、あまりに異常だ。
剣の速さは確かに凄いけれど、圧倒的という程ではない。速さだけなら、むしろイルティミナさんの攻撃の方が断然に速いだろう。
だけど、その出の気配が全くなかった。
殺意もなく、覇気もなく、けれど、気がついたら剣が振り抜かれた状態だ。
まるで時が抜け落ちたように……。
夢幻のような妖しい剣。
単純な剣の威力はキルトさんよりも確実に劣っているはずなのに、現実の結果はそれに比例しない。
(何なんだ、これは……?)
だから、僕は困惑する。
僕らの目の前では、あのキルトさんが劣勢に立たされていた。
キルトさんの斬撃は、けれど、ギルダンテの幽鬼のような動きで剣圧に押されるようにかわされてしまう。
そして気づけば、彼女の方が斬られている。
彼の方がかわしていたはずなのに、斬っている。
訳がわからない。
いや、わからないのではなく、僕が理解したくないだけだ。
ギルダンテの方が、キルトさんより強い……という事実を。
キルトさんとギルダンテ、2人の剣士は共に最高峰の剣技を修めた人物たちだと言えるだろう。
恐らく、そこに優劣はない。
でも、違いがある。
キルトさんが修めているのは対魔物特化の剣技であり、そのための巨大な武器だった。
対してギルダンテが修めているのは、対人間に特化した剣技であり、彼が振るうのも人を斬ることのみに特化して作られた剣だった。
対人用か、対魔物用か。
2人の違いは、それだけである。
そして、その小さな差が戦いの中で積み重ねられた結果、現在のキルトさんの劣勢を生み出していた。
つまり、対人戦ならギルダンテの方が強い。
それだけのことだ。
でも、その『それだけ』をキルトさん相手に現実できることがどれほど凄まじいことなのか。
かつて、キルトさんを剣で劣勢に追い込んだのは、復活した『古代タナトス魔法王』だけだ。
でもそれは、数多の剣技を自動で行う魔法の鎧を身に着けていたからこそであり、それは魔法技術によるものだった。
だからこそ、意味が違う。
生身の人間が。
ただの修練だけで得た剣技のみで、キルトさんを圧倒する。
これまで間近でキルトさんの強さを見ていたからこそ、その恐ろしさに僕は震えが止まらない。
ヒュッ
キルトさんの頬が浅く斬られた。
鮮血が舞う。
出のわからないギルダンテの剣は、闇の中から突如現れる剣に似ているだろう。
全てが奇襲。
キルトさんの超人的な動体視力と反射神経だからこそ、かわせている。
僕なら、1振りで絶命だ。
それぐらい相手の攻撃のタイミングが、その呼吸が、その意思がわからないというのは、剣士にとって恐ろしいものなんだ。
むしろ、ここまで粘れるキルトさんも、やはり異常だった。
(…………)
この異様さを感じているのは、僕だけじゃない。
僕の隣にいる王国の誇る『金印の魔狩人』のお姉さんも、信じられないものを目にしているといった表情だった。
ソルティスは、ただ茫然とキルトさんの劣勢を見ていた。
神龍の幼女ポーちゃんは、2人の人間たちが見せる戦いの様子を――彼らの到達した高みを静かに見続けていた。
全員が、ギルダンテ・グロリアという剣士の技に圧倒されていた。
恐らく、キルトさん自身もその1人だろう。
この世界には、これほどの実力がありながら無名な人物がいたというのか?
そして、その実力を世間は認めていなかったというのか?
(――ふざけてる)
そのことに、僕は怒りさえ覚える。
この剣の境地に至るまでに、彼はいったいどれほどの艱難辛苦を味わっただろう。
彼の歩んだ剣の道を思うだけで恐ろしい。
今、その剣を目撃して、僕はその片鱗を感じただけでも怯えている。
辻斬りは許せない。
でも、1人の剣士として、ギルダンテの剣には敬意さえ覚えていた。
その時、
(あ……)
戦いの流れの中で、不意に2人の間合いが大きく離れた。
ゾクッ
肌が粟立った。
それは、圧倒的なキルト・アマンデスの間合い。
これまで何度となく彼女の戦いを見ていたからこそ、その間合いは彼女の実力を最大限に発揮できる距離だとわかった。
だから、恐れ入る。
キルトさんは劣勢の中、戦いの流れを操作した。
懸命に、必死に、そして、この間合いを生み出す流れを作り上げていたのだ。
いったい、何手前から?
いや、何十手前からこの展開を……?
経験豊富。
恐らく、魔物との命懸けの実戦を数多く潜り抜けてきた彼女だからこそできた芸当だろう。
それは、不殺の試合だけを重ねたギルダンテ・グロリアには、決してできない領域のものだった。
(さすが、キルトさん)
我が剣の師の凄さを、僕は何度、人生で思い知らされるのか?
キルトさんが大剣を振る。
横薙ぎの一閃。
恐ろしいほどに完璧で、美しい剣技だった。
ギルダンテはかわせない。
剣の軌道、タイミングを見て、そうわかる。
見ている誰もがわかるだろう――そう思わせるほどの剣だった。
そして、
キュパッ
ギルダンテの首が刎ね飛ばされた。
避ける間もない。
防ぐことも叶わない。
その予想通りに、キルトさんの剣はギルダンテの首に当たり、その肉と骨を断ち、その生命を奪っていた。
…………。
…………。
…………。
だから、理解できなかった。
ドプッ
「……何?」
首を失くしたギルダンテが振り下ろした黒い剣が、キルトさんの右肩から胸までを斬り裂いたことを。
キルトさん自身、驚いた表情だ。
僕だって、何が起きたかわからない。
イルティミナさんとソルティスの姉妹も、神龍の幼女も、恐らく僕と同じ混乱を起こしていただろう。
負傷を負ったキルトさんは、
カフッ
血を吐きながら、さすがというべき反射で、斬られた直後、後方に跳躍する。
でも、それが精一杯。
彼女は着地と同時に、地面に膝をついた。
パッと足元の赤い花が散る。
そしてその上に、キルトさんの裂かれた肩の傷口から大量の赤い血液が流れ落ちていった。
「キルトさん!」
1秒の空白、そして我に返った僕は、彼女の元に駆け寄った。
その行動に弾かれたように、他の3人も僕を追う。
キルトさんは生きていた。
重傷だ。
でも、反射的に身を引き、即死だけは避けたのかもしれない。
それともう1つ、すぐ後方に下がったことで、奴からの追撃を防げたことも重要だった。
だから、死ななかった。
鬼姫の勘なのか、まさに紙一重の生を掴み取っていた。
(でも……)
僕は顔をあげ、視線を向ける。
その先にいる黒衣の人物は、首がないままに、その手にある黒い剣を上段に構え直していた。
何だよ、それ?
死んでいるはずなのに、動いている。
不意に悟った。
その意味を理解して、僕の青い瞳は限界まで見開かれる。
震える声が、口からこぼれた。
「――まさか、不死人」
僕の言葉に、4人が目を見開く。
その動く身体の傍らで、真っ赤な花畑に堕ちた奴の頭部は、生気のない瞳で僕らを見つめていた。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、今週の金曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。




