008・森を歩いて
第8話になります。
よろしくお願いします。
見張り台から礼拝堂へと戻る途中の螺旋階段で、イルティミナさんが僕を呼び止めた。
「マール、少しよろしいですか?」
「?」
振り返った僕に、彼女は言う。
「私は、これから『トグルの断崖』に戻ろうと思います」
(え?)
「あそこには、まだ私の槍があるはずなのです。そして、旅の荷物が入ったリュックも。それを回収しておきたいのです」
あぁ、なるほど。
この森の世界は、とても危険そうだ。
武器や道具を手にしておくのは、とても大事なことだと思った。
「うん、わかった」
僕は頷いた。
イルティミナさんは、胸元を手で押さえながら、僕を見つめる。
「少しの間、ここを離れますが、心配しないでください。荷物を回収したら、必ずここに戻ってきます」
「…………」
「ですから、どうか、安心して待っていてくださいね」
う~ん。
どうやら1人残される僕のことを、気遣ってくれているみたいだ。
(意外と、過保護なお姉さん、なんだね?)
心の中で苦笑してしまう。
「あのね、イルティミナさん」
「はい」
「そこまで、僕も一緒に行くつもりなんだけど」
「え?」
彼女は、呆気に取られた。
1人で塔にいても、何もやることがない。
それにイルティミナさんには、まだまだ聞きたいことがたくさんあった。できれば、そこまでの道中で話ができればと思ったんだ。
戸惑う彼女を、僕の青い瞳は、ジーッと見つめた。
「駄目?」
コクン
斜めに首をかしげる。
「――――」
イルティミナさんは息を呑んだ。
「だ、駄目ではありませんが」
「よかった」
安心して、僕は笑った。
それを見た途端、イルティミナさんは、慌てたように視線を外した。
豊かな胸元を押さえながら、なんだか、自分自身に戸惑ったような顔をしている。
(???)
はて、どうしたんだろう?
そんな変なお姉さんを、僕はキョトンと見つめてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
塔を出た僕ら2人は、『トグルの断崖』を目指して森を歩く。
実は、森を歩くというのは、結構、大変だ。
起伏はあるし、木の根は張り出しているし、柔らかな土や小石を踏めば、滑って転んでしまうこともある。
だというのに、
タッ タッ タッ
イルティミナさんは、長い髪をなびかせながら、まるで平坦な道を歩くように、森の中を一定のペースのまま進んでいた。
(……凄いね)
女の人にしては背が高くて、足が長いのもあるかもしれない。
でも、一番の理由は、『慣れているから』だと思った。
彼女は、自分のことを『冒険者』だと名乗っていた。きっと、こういう森の中を歩く機会も、たくさんあったんだろう。
颯爽と歩く姿は、とても格好よかった。
一方の僕は、
「……はぁ……はぁ」
杖も使っているというのに、前を歩く彼女に置いていかれそうになっていた。
息が切れる。
考えたら、僕がこの森を歩くのは、今日、3度目だ。
しかも2度目は、イルティミナさんを背負ってだった。
子供の体力では、限界だったのかもしれない。
(でも、自分から『ついていく』って言い出したんだし、がんばらないと……)
足手まといになるわけにはいかない。
そう思いながら、木々の中に消えそうなイルティミナさんの背中を、必死に追いかける。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息が苦しい。
酸欠になっているのか、視界が狭くなってきた。
ちゃんと歩けているのかも、わからない。
その時、前方を歩いていたイルティミナさんが、急に立ち止まった。
「…………」
真紅の瞳は、遅れている僕をジッと見つめている。
(あ……)
その視線で我に返った。
「ご、ごめんなさい」
謝った。
足手まといになりたくなかったのに、結局、その足を止めさせてしまった。
慌てて、震える足を急がせようとすると、
「すみません、マール。私は、少し疲れてしまいました」
と、彼女が言った。
(……え?)
思わず、その顔を見上げると、彼女は優しく笑っている。
「わがままを言って申し訳ありませんが、どうか、ここで休憩をさせてくださいますか?」
(…………)
その言葉の意味に気がついて、僕はもう、何も言えなくなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
森を抜けてきた風が、僕の髪を揺らしていく。
(あぁ……気持ちいい)
日陰となった木の下で、手頃な石に座っている僕は、その涼しさに目を細めた。
少し離れた場所には、優しい『嘘つき』さんが立っている。
彼女の視線は、ずっと森の方を向いていた。きっと危険がないか、周りを見張ってくれているんだ。
(…………)
長い髪を風になびかせ、森に立つ美女。
何か絵になる光景だ。
ついつい視線が吸い寄せられていると、それに気づいた彼女が、こちらを見た。
僕に、小さく微笑む。
その笑みに、ちょっとドキッとする。
(えっと……話を聞くには、ちょうどいいタイミングかな?)
そう思いながら、僕は口を開いた。
「あの、イルティミナさん。少し聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「聞きたいこと、ですか?」
不思議そうなイルティミナさん。
僕は頷いた。
「うん。その……イルティミナさんは、どうしてこの森に来たのかなって」
「……あぁ」
彼女は、納得したように声を漏らした。
「そういえば、まだ話していませんでしたね」
「うん」
「そうですね。ですが、その説明をする前に、まずマールは『魔狩人』という言葉を知っていますか?」
「ううん、知らない」
僕は正直に、首を横に振った。
イルティミナさんは頷き、僕を見つめながら教えてくれる。
「『魔狩人』とは、その名の通り『魔物を狩る人』のこと。冒険者の中でも、特に『魔物の討伐』を専門にしている者たちを指しています」
(……へぇ?)
「それじゃあ、イルティミナさんも?」
「はい。私も魔狩人です」
その美しい女の人は、凛とした表情で頷いた。
「そして、なぜ私がここに来たのか」
「…………」
「それは、この『アルドリア大森林』に出現した『赤牙竜ガド』の討伐依頼を受けたからになります」
(えっと……)
僕は、地面を指差した。
「アルドリア大森林って、ここのこと?」
「正確には、『トグルの断崖』の上の森を示していますね。ここは『アルドリア大森林・深層部』と呼ばれています」
(ふぅん……こっちは、深層部なんだ?)
「深層部は、未開の地です。より森が広大で迷い易く、かつ強力な魔物が生息すると言われています。冒険者が訪れることもあるのですが、生還率は1割を切っているそうです」
「…………」
ぼ、僕は、そんな恐ろしい場所に転生してたんだ……?
思わず、背筋が震えてしまった。
と、イルティミナさんの真紅の瞳が、巨大な崖の上の方を見つめた。
「しかし、上の森は違います。生息する魔物も、それほど強くはなく、近隣の街や村から猟師や木こりが訪れる、人々の生活を支える大事な資源の森となっているのです」
ふぅん?
「でも、そこに、あの赤い竜が現れた?」
「はい」
視線が、僕へと戻る。
「この地方の領主であるアダム・リードは、王都にある私たちの『冒険者ギルド・月光の風』に赤牙竜ガドの討伐依頼を出しました。そこで、依頼を受注した私たちが、この森を訪れたのですが……」
ん……?
「ちょっと待って。今、私『たち』って言った?」
「はい」
イルティミナさんは頷いた。
「私たちは、3人パーティーでした。リーダーであるキルト・アマンデス。私の妹であるソルティス・ウォン。その2人と共に、私は、この森を訪れました」
「…………」
「赤牙竜ガドを求めて、私たち3人は、森の中を歩きました。しかし、逆にガドの奇襲を受けて、その時に、私だけはぐれてしまったのです」
少しだけ辛そうな声だった。
「長雨のせいで、方角を見失い、発光信号弾も撃てず、私は森を彷徨いました」
「…………」
「しかし、そうしている内に、再び、赤牙竜ガドの襲撃に遭い、戦いとなりました。最後は致命傷を与えましたが、こちらも相打ちとなり、更に、その時の衝撃で、雨で緩んでいた『トグルの断崖』の地盤も崩れてしまって……」
(……そのイルティミナさんを、僕が見つけたんだ?)
なんとも壮絶な話だった。
思わず、まじまじと、この美しい魔狩人さんを見つめてしまう。
彼女は、言う。
「マールに出会えて、私は幸運でした」
「…………」
「貴方に助けてもらえなければ、私は、きっと死んでしまっていたでしょうから」
そう言って、僕を見つめながら、優しく微笑んだ。
……ちょっと照れ臭い。
(でも、幸運だったのは、僕も同じだよ)
森からの脱出方法がわからなくて絶望しかけていた時に、彼女のおかげで崖が崩れて、希望ができたんだ。
今だって、色んな知識を与えてもらい、そして何より、こうして孤独からも救われている。
(ありがとう、イルティミナさん)
心の中でお礼を言う。
そんな僕を、彼女はしばらく不思議そうに見ていたけれど、やがて、ふと頭上を見上げた。
「そろそろ正午ですね」
見ているのは、輝く太陽。
どうやら、その位置から時間がわかるみたいだ。
「そろそろ出発しましょう、マール」
「あ、うん」
僕は頷き、座っていた石から立ち上がる。
カクンッ
(!?)
と思ったら、膝に力が入らなくて、前に転びそうになった。
ポフッ
イルティミナさんの手が、素早く僕を受け止める。
「大丈夫ですか、マール?」
至近距離にあった美貌が、気遣わしげに訊ねてくる。
僕は、少し慌てて答えた。
「う、うん。ごめんなさい」
「いいえ」
彼女はにこりと笑うと、身体を離そうとした僕をヒョイとお姫様抱っこした。
(え……?)
「ち、ちょっと、イルティミナさん!?」
「すみません。ですがマールの足は、もう限界のようです。それに、このままだと、だいぶ遅くなってしまいますので」
いや、でも……!
恥ずかしさに降りようとする僕を抱えたまま、イルティミナさんは森の中を走りだした。
…………。
(え? 走り……っ!?)
その事実に驚愕する。
タッ トンッ タタンッ
周囲の景色が、素晴らしい速度で後方へと流れていく。
そして、気づいた。
彼女は最初から、僕のために、かなりペースを落としてくれていたのだということを。
……ずっと足手まといだった。
その事実を知れば、もはや抵抗する気も起きない。
(これが、冒険者……かぁ)
間近にある白い美貌を見つめて、僕は、ただただ、感嘆のため息をこぼすのみだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。