079・闇の胎動
第79話になります。
よろしくお願いします。
「え……? ちょっと待って……あれって……」
ソルティスが、震える声を出す。
でも、誰も答えない。
2人の美しい魔狩人は、声もなく、ただ瞳を見開いて、目の前にいる闇に染まったような子供の姿を凝視していた。
ガヤガヤ
港には、多くの人がいる。
だけど、誰も目の前にいる、恐ろしい災厄に気づかない。
痩せた男女と、黒い子供。
傍から見れば、ただの親子にしか見えなかった。
「なんじゃ、この魔力の量は……?」
「……ありえません」
今まで、多くの魔物を狩ってきた2人の魔狩人が、驚きの声を漏らしている。
(…………)
僕は、身体の自由が利かなかった。
ただ青色の眼球が縫いつけられたように、『闇の子』に向いている。
そばにいる男女は、何もしない。
ただ砂漠に吹く風に、黒いボロ布と汚れた髪を揺らしている。
そして、
『闇の子』は、赤く裂けた口の口角を引き上げて、
笑みを浮かべた。
(――――)
それを見た瞬間、僕の――いや、『マールの肉体』が反応した。
――殺せ!
アレを、今すぐに殺せ!
爆発するような激情に弾かれて、僕は獣のように走り、『闇の子』に向けて『妖精の剣』を抜刀しながら斬りつける。
「あぁあああっ!」
全身全霊、全力の1撃。
3人の驚いた気配も、無視して放つ。
ヒュッ ガシィン
「!?」
でも、横にいた男が無造作に手を伸ばして、その妖精鉄でできた半透明な刀身を受け止めた。
全力で押し、引く。
でも、万力に挟まれたように動かない。
(くそっ!)
くそくそくそっ!
『マールの肉体』が憤慨している。
すぐそこにいるのに、手を伸ばせば届く場所にいるのに、殺せない。
――『闇の子』は、笑っている。
虚無のような黒瞳で僕を見つめ、ずっと笑っている。
「どけえっ!」
叫び、左手の『白銀の手甲』で、男の顔面を殴った。
ビクともしない。
「おい……何やってるんだ、あれ?」
「え?」
「喧嘩か?」
気づいた周囲の人たちが、ざわめきだす。
(知ったことか!)
僕の目には、『闇の子』だけが映っている。
何度も殴っていると、痩せた男は気だるげに、その瞳で僕を見下ろして、剣を掴んでいない左腕をゆっくりと持ち上げた。あ……。
瞬間、わかった。
――殺される。
死の気配が、そこにはあった。
「――――」
硬直。
そして、止まった僕めがけて、左拳が霞むような速度で突き出され、
ザキュン
その手首が切断されて、死の左手は宙を舞った。
「――私のマールに、何をする?」
静かな怒りの声。
すぐ目の前で、翼のような白い槍の美しい刃が、月光に煌いている。
離れる男。
呆然とする僕を庇うようにして、イルティミナさんが、白い槍を構えて立っていた。
(あ……)
僕の自我が、ようやく戻ってくる。
「イ、イルティミナさん……」
「大丈夫です」
彼女は、一言だけ、そう告げた。
振り返らぬ背中で、美しい深緑色の髪がなびいている。
もう1人、前に出る。
「下がっておれ、マール」
キルトさんは、大剣を肩に担いで、正面にいる闇の勢力と対峙する。
グイッ
突然、腕を後ろに引っ張られた。
ソルティスだった。
「こっちに来て」
「…………」
彼女は、泣くのを我慢しているような顔で、僕を見ていた。
その小さな手が震えている。
「おい、人が斬られたぞ!?」
「け、警備隊を!」
港にいた人たちが、騒ぎ出す。
(ま、まずい!)
無抵抗な3人の親子に斬りかかり、その1人の手を斬ったのは、僕らの方だ。傍目には、僕らが完全に悪者だった。
「ちっ」
キルトさんが舌打ちする。
と、近くにいた砂漠の船乗りの男が、手首を斬られた男に近づく。
「おい、アンタ! すぐに治療を――」
「…………」
ペキッ
残った右手が、船乗りの首を掴み、あり得ない角度まで折り曲げた。
(……え?)
僕らは、唖然とした。
船乗りの男の人が、桟橋に倒れる。
驚いた表情のまま、口から血を流して、死んでいた。
夜の砂漠に、冷たい風が吹く。
「き、きゃあああっ!?」
「うわぁああ!?」
港にいた人たちが悲鳴をあげて、一斉に逃げ出した。
荷揚げ中の荷物を放り捨て、そばにいる人とぶつかり合いながら、港から駆けていく。
僕らの周囲からは、あっという間に誰もいなくなった。
「貴様ら……」
こと切れた船乗りを見つめて、キルトさんが怒りの声を漏らす。
イルティミナさんは、無表情のままだ。
男は、落ちた左手を拾う。
ジュウウ……
傷口に押し当てると、左手が元に戻った。
痩せた女が、その横に立つ。
奥にいる『闇の子』は、ただ笑った顔で、僕らの様子を見つめていた。
「…………」
「…………」
金印と銀印の魔狩人は、呼吸を殺して、武器を構えた。
…………。
その場に凝縮した殺意が、物理的なまでの圧力を伴って、僕の心と身体を押さえつける。
動けない。
息が苦しい。
「……マ、マール」
ソルティスが声を震わせ、すがるように強く、僕の腕を掴む。
痛い。
でも、その痛みが、辛うじて僕を、この場に立たせている。
――始まりは、唐突だった。
「――鬼剣・雷光斬」
金印の魔狩人は、初手から全力の1撃を繰り出していた。
ヒュボッ
青い雷の大剣が振り下ろされ、痩せた女を襲う。
バヂィイン
女は、片手でそれを受け止めた。
(……はっ?)
足場となった桟橋が砕け、肉の焼ける音と臭いがする。
でも、それだけだ。
あのオーガを、赤牙竜ガドを倒したキルト・アマンデスの1撃が、あっさりと防がれた。
『――ア』
女が、そう口を開けた。
瞬間、キルトさんは大きく首を捻る。
ドゴォオン
その進路上にあった砂上船が、吹き飛ばされた。見えない衝撃波を、女の口は放っていた。
バキキ ズズゥン
巨大な砂上船が、崩壊しながら宙を飛び、暗い砂漠の海に落下する。
「鬼剣・雷光連斬!」
両足のスタンスを広げ、腰を落としたキルトさんが叫ぶ。
バヂヂィン
青い雷をまとう大剣が荒れ狂う。
女の細い腕は、表面を雷に焼かれながらも、その全てを受け止めていく。
その反動で桟橋は弾けていき、合間を縫った女の『見えざる衝撃波』をキルトさんはかわして、あるいは『雷光連斬』で斬り裂いて、近くの砂上船がまた吹き飛ばされていく。
(す、凄い……)
この世の物とは思えない戦いだ。
そして、その横では、『銀印の魔狩人』と『痩せた男』の静かな戦いが行われていた。
「…………」
『…………』
一見、2人は睨み合ったまま、何もしていないように見えた。
……見えただけだ。
シュン シシィン
構えたイルティミナさんの白い槍が、霞むようにブレている。そして、男の両腕も同様だ。時々、2人の全身が、半透明になったようにブレたりする。
そして、空気の斬り裂かれる音が、ずっと続いていた。
視認できないほどの、神速の攻防。
(なんなんだよ、これは……?)
戦いに参加できない。
少しは強くなったと思っていた僕は、あまりに弱くて、何もできなかった。
それはソルティスも同じだった。
魔法が使えない。
下手に介入すれば、戦いの均衡が崩れて、2人が殺される可能性がある。
だから、動けない。
金印と銀印の魔狩人が1対1で勝てない相手に、僕らは何もできない。
(……え?)
ふと『闇の子』が歩きだした。
小さな右手には、紫色の光が――悪魔の魔力だという闇のオーラが輝いていた。
それが、激しい戦いを繰り広げるキルトさんの方へと向けられ、凄まじい剣戟を無視して近づいていく。
嫌な予感がした。
「キルトさん!」
「!」
気づいたキルトさんは、『闇の子』を狙った。
でも、狙った剣は全て、痩せた女の細腕が撃ち落としていく。そして、『闇の子』の小さな手が、一瞬だけ、キルトさんの右手の甲に触れた。
ギュオッ
小さな手の闇のオーラが、キルトさんの手に流れ込んだ。
手の表面に、タナトス魔法文字が浮かぶ。
(――――)
人を魔物に変える力。
その悪夢のような紫の輝きの文字たちは、キルトさんの手首の方へと広がり、侵食していく。
「ぬっ!?」
キルトさんも気づく。
気づいた瞬間、
バヂン
彼女は躊躇なく、右手を切り落とした。
「ぬぅうううん!」
そのままキルトさんの大剣は、女の細腕を弾き飛ばして、『闇の子』を襲った。
『っっ』
瞬間、女は身を挺して、『闇の子』を庇う。
雷の大剣が、女の細い肉体を焼きながら、砂漠へと吹き飛ばした。
『闇の子』は、さすがに驚いた顔をする。
真っ赤な血が、キルトさんの手首の傷から噴いている。
「キ、キルト……っ!」
ソルティスは、蒼白だ。
視界の隅で捉えたのか、イルティミナさんも表情は変わらぬものの、顔色が悪くなっている。
「ふん」
自身の返り血を頬に浴びたまま、キルトさんは、冷徹に『闇の子』を睨む。
彼を守る者は、もういない。
痩せた男の方は、イルティミナさんが懸命に足止めしている。
「これで終わりじゃ」
キルトさんは、大剣を振り上げた。
『闇の子』は、それを見上げて……そして、笑った。
その黒瞳が、紫色に妖しく光る。
(……ん?)
キルトさんが驚いた顔をする。
剣が止まった。
『闇の子』は、何もしていない。
だだ、そこにいる。
そして、キルトさんが何もしないから、『闇の子』はその場から離れるように歩きだした。
(え? なんで?)
困惑する僕の隣で、ソルティスも困惑した声を出した。
「え? 『闇の子』が消えた……?」
え?
そして、気づいた。
キルトさんとソルティスの視線が、『闇の子』から完全に外れている。
2人の目に、彼の姿は映っていない。
(あ……)
思い出した。
野盗に襲われた時、初めて『闇の子』を目撃した時にも、その姿は僕以外の誰にも見えていないようだった。
今も、同じだ。
『闇の子』が、僕の表情に気づく。
彼は悪戯っぽく笑って、口元に小さな人差し指を当ててみせた。
そして、その手に闇のオーラを輝かせ、またキルトさんに近づいていく。
(……ふざ、けるなっ!)
恐怖より怒りが上回る。
僕は、『妖精の剣』を握る手に力を込めて、奴に襲いかかろうとして、
「――――」
その瞬間、キルトさんが僕を見つけた。
そして、
「そこか」
ヒュッ
見えないはずの『闇の子』に、大剣を振るった。
バヂィイッ
『闇の子』の正面から、雷の大剣は直撃する。青い稲妻が弾けて、漆黒の子供の肉体が、激しく痙攣した。
え……?
(キルトさん、見えてるの!?)
僕は、思わず彼女を見上げて、
「その子から、目を離してはいけません、マール!」
「!?」
イルティミナさんの警告が飛ぶ。
彼女は、目の前の痩せた男と戦いながら、必死に叫んでいた。
「貴方には、見えているのでしょう、マール!? キルトはそれを察し、貴方の視線、そして剣気の集束先から、『闇の子』の位置を見極めているのです!」
「…………」
「今の貴方は、キルト・アマンデスの目なのですよ」
僕が、キルトさんの……。
(いや、それ以前に、そんなことってできるの!?)
驚く僕に、金印の魔狩人は笑う。
「そういうことじゃ。マール、目を離すな?」
「う、うん!」
僕は大きく頷き、『闇の子』を睨む。
煙を吹きながら、奴は驚いたようにキルトさんを見ていた。
そして立ち上がると、ゆっくり回り込むようにして、闇のオーラの手をかざしながら近づこうとする。
「…………」
「ふむ、こちらか」
ヒュゴッ
キルトさんの大剣は、正確に『闇の子』を襲う。
バヂィイイン
闇のオーラを盾のようにして、『闇の子』は呆れたような顔で、それを防いだ。
吹き飛ばされ、離れた場所に羽毛のように着地する。
「…………」
「ふむ」
ゆっくりと、キルトさんはそちらを向いた。
『闇の子』は、苦笑する。
金印の魔狩人は、容赦なくとどめを刺そうと、そちらに歩きだした。
(――殺せる)
僕は、そう思った。
でも、その瞬間、『闇の子』の危機を察した男が、イルティミナさんに背を向けて、キルトさんに襲いかかった。
白い槍は、隙だらけの男の両腕を切断し、腹部に大穴を開ける。
だけど、足は止まらない。
「キルト!」
「ぬ」
キルトさんは、大剣の柄を握りしめる。
「――鬼神剣・絶斬」
左腕1本で、大剣は、下段から天高くに振り抜かれた。
リィン
放電されていた青い雷が、一筋の三日月になって、空間を走り抜ける。
痩せた男が、縦真っ二つに切断された。
足場の桟橋も、港も、斬れた。
その先にある砂漠と、進路上にあった岩山も斬られて、砂海に大きな傷跡を残し、そして崩壊した。
ズズゥン
三日月の走った道に、一瞬だけ、名残りのように青い雷が散る。
「…………」
「…………」
「…………」
僕も、イルティミナさんも、ソルティスも、あまりの凄まじさに動きが止まっていた。
今まで、1度も見たことのない威力。
金印の魔狩人キルト・アマンデスの放った最大奥義のような剣技だった。
男は絶命し、黒い煙となって散っていく。
キルトさんは、鋭い眼光でそれを見届け、大剣を引き戻す。
そして、
「……ちっ」
舌打ちして、夜空を見る。
(え? ……あ)
顔や身体を焼け爛れさせた痩せた女が、背中から蝙蝠のような翼を生やして、空を飛んでいた。
その両腕には、『闇の子』が宝物のように、優しく抱えられている。
しまった。
あの男は、命をかけて囮になったのだ。
(くそ、やられた)
夜空の闇に、2人の異形が溶けていく。
まんまと逃げられてしまった。
破壊された港で、僕ら4人は、為す術もなく、それを見送るしかなかった。
槍を手に、イルティミナさんが歩いてくる。
「すみません、キルト。私が男を逃したせいで」
「いや、よい」
キルトさんは、大きく息を吐く。
「こちらも限界であった。むしろ、逃げられて、助かったかもしれぬ」
そう笑う彼女の右手首から先は、なくなっていた。
血が、ボタボタと流れている。
(た、大変だ!)
ソルティスも慌てて、駆け寄る。
「す、すぐ治療するわ!」
「頼む」
キルトさんは、地面に座り込んだ。
その傷を見て、ソルティスは、不安げに口にする。
「もしかしたら……後遺症、残るかもよ?」
「構わぬ。――皆の命と比べたら、安い代償じゃ」
そう言って、キルトさんは、痛みを感じさせぬ笑みをこぼした。
本当に、なんて人だ。
この人がいなかったら、僕らは、この場で全滅していたかもしれない。
(ありがとう、キルトさん……)
唇を噛みしめる。
キルトさんは、そんな僕を見つめ、残った左手で僕の頭に触れた。
「そなたがいてくれて、助かった」
「……え?」
「その目がなくば、わらわもどうなっていたか、わからぬ。この2人も、の」
そう言って、姉妹を見る。
ソルティスは、回復魔法をキルトさんにかけながら、頷いた。
イルティミナさんも、微笑む。
「本当に……。貴方の存在は、いつも私を……私たちを守ってくれるのですね」
「……イルティミナさん」
なんだか、泣きたくなった。
ポンポン
キルトさんが、励ますように、頭を軽く叩いてくれる。
そして、その黄金の瞳が、夜空を見上げた。
「しかし、あれが『闇の子』か」
「…………」
「どうやら、思った以上に危険な存在のようじゃの。急ぎ、王都に戻り、ムンパに知らせねばならぬな」
険しい声。
イルティミナさんが頷き、僕を抱き寄せる。
それは、まるで不安を紛らわせるためのようで、その真紅の瞳は、かすかに伏せられる。
ソルティスは、キルトさんの顔を見る。
金印の魔狩人は、上空を睨んだまま、
「下手をすれば、アレは、シュムリア王国どころか……もはや世界規模の災厄じゃ」
低い声で呟いた。
――思いもよらぬ、『闇の子』との邂逅。
僕ら4人は、やがてキルトさんの治療を終えると、ゼン船長たちに無理をお願いして、その夜の内に、ケラ砂漠から王都ムーリアへの帰路に旅立ったのだった。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、明後日の金曜日0時以降になります。よろしくおねがいします。




