706・真夏の涼を
第706話になります。
よろしくお願いします。
「――あれは『海龍』の幼生体じゃ」
セントルーズの港に帰る船上で、キルトさんはそう僕らに教えてくれた。
海龍……?
それって、2年前、ドル大陸に行く時に、僕らの乗っている船を襲ってきたあの500メード以上はあるような巨大な海の魔物のこと……?
僕らは、そう驚いた。
キルトさんは「うむ」と頷く。
鬼姫様の説明によれば、海龍の生息域は、もっと海の深い場所だそうだ。
けれど、そこには大型の魔物もたくさんいる。
いくら海龍といえど、まだ幼生体の間は、その他の魔物に捕食されることが多く、だからこそ幼生体は、こうした浅い水深である程度成長するまで過ごすのだそうだ。
(へぇ……そうなんだ?)
面白い生態だね。
ちなみに、キルトさん曰く、
「先の奴は、恐らく、生後2~3年の稚魚みたいなものじゃの」
「…………」
12メードぐらいあったのに、稚魚……。
凄い生き物だ。
僕だけでなく、イルティミナさん、ソルティスの姉妹も何とも言えない顔になっている。
ポーちゃんだけは変わらない。
船の甲板で、キルトさんは潮風を受けながら、濡れた銀の前髪を後ろへとかき上げた。
陽光に髪が美しく反射する。
その美女は、吐息をこぼして、
「海中の遺跡で、あの塔の周辺だけ他の魔物がいなかったのも、あの『海龍の幼生体』のせいじゃな」
「そうなの?」
「うむ。アレが喰ったのじゃ」
「…………」
「あの塔は、奴の巣じゃ。迂闊に入り込んだ魔物は喰らわれる。そして、じゃからこそ、他の魔物もあの塔には近づかぬ。その結果じゃな」
「そう、なんだ……」
じゃあ、僕らは迂闊側だったんだね。
……うん。
「よく生きて帰れたね、僕ら」
「そうじゃな」
こぼれた呟きに、キルトさんは笑って、ポンポンと僕の頭を軽く叩いた。
あれだけ危険な目に遭ったのに、彼女はもういつも通りだ。
本当に豪胆。
さすが、鬼姫様だね。
でも、その姿は頼もしくて、僕は苦笑しちゃったよ。
イルティミナさんは『やれやれ』といった表情で吐息をこぼして、その真紅の瞳を妹へと向けた。
その妹の手には、2つの素材がある。
紐でまとめられた『光の昆布』と、ガラス小瓶に集められた『蒼白の花苔』だ。
彼女はそれを保存用の箱にしまっていた。
僕の奥さんは、
「何はともあれ、これでコロンチュードの依頼は果たせましたね」
「そうじゃな」
「ソルも、これで素材の量は足りますか?」
そう問いかけた。
ソルティスは「ん?」と濡れた紫色の髪を重そうに揺らして、姉を振り返る。
それから頷いた。
「えぇ、大丈夫。言われた量には足りてるわ。ふふっ、よかったわぁ」
「…………」
なんか、凄い上機嫌。
まぁ、敬愛する人からの頼みを叶えられたんだから、そりゃあ嬉しいか。
(…………)
でも、僕、食べられたんだよね、海龍に。
ギリギリ変身が間に合ったけど。
でも、1歩遅れてたら、死んでたんだよなぁ……。
そう思いながら、手元を見る。
キラッ
水滴をつけた虹色の球体が、太陽の光を美しく反射していた。
この子がいなければ、僕は……ううん、僕だけでなく、5人全員がどうなっていたかわからない。
(本当にありがとね?)
親指で表面を撫でる。
ヒィン
撫でた部分が波紋のように、虹色の光を広げた。
あはは、うん。
武具なんだけど、ペットみたいに可愛い感じだ。
その反応が嬉しくて、僕はもうしばらくの間、その神なる力を秘めた虹色の球体を撫でてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
港に戻ったら、報告とお礼をしに漁業ギルドのギルド長さんに会いに行った。
無事、素材があったこと。
また、そこは『海龍の幼生体』の巣だったこと。
ただ、自分たちは無事に帰れたけれど、やはり危険だと思うので、漁師の皆さんは近づかない方がいいと思うことなどを伝えた。
その報告に、ギルド長さんは驚いていた。
すぐに苦笑して、
「安心しろ。海龍を殺して素材をゲットするなんざ、アンタらぐらいしかできんよ」
「…………」
「っかし、本当、凄ぇんだなぁ、『金印の冒険者』の一団ってのは……」
そう感心したように見つめられてしまった。
なんか、くすぐったい……。
ギルト長さんは、今後も海中の遺跡群の近くでは素潜り漁などはしないように厳命する、と約束してくれた。
うん、その方が安心だ。
その言葉に、僕らも頷いた。
そうして僕ら5人は、漁業ギルドの建物をあとにした。
…………。
旅館に戻ったあとは疲れもあったので、その後、どこにも出かけずに1泊した。
ソルティスは、
「素材の鮮度が落ちちゃう!」
と心配して、すぐに帰りたがったけれど、王都までは10日かかるし「もう1日増えても、そう変わりませんよ」と姉に窘められていた。
まぁ、気持ちはわかるけどね……。
でも、このまま休息を取らずに帰るのは、正直、ちょっとしんどいよ。
究極神体モードの反動もある。
もし帰りの竜車の旅で、例えば、手強い魔物なんかに襲われたとしても、まともには戦えないかもしれない。
もちろん、キルトさん、イルティミナさんがいれば大丈夫とは思うけど……。
でも、できる限り、不安や危険は排除したいよね。
それに、
「焦らないで、万全の状態で確実に素材をコロンチュードさんに届ける方が大事じゃない?」
「……うむむ」
僕の言葉に、ソルティスは唸ってしまった。
ポムポム
相棒の幼女が、その肩を叩く。
コロンチュードさんの養女の声なき言葉もあって、焦る少女もようやく納得してくれたみたいだ。
そんな訳で、旅館に1泊。
その夜はイルティミナさんに「今日はよくがんばりましたね、マール」と褒められながら、疲れた身体をマッサージもしてもらえた。
うん、気持ちよかった……。
…………。
そして翌日、僕ら5人は竜車に乗って、海辺の街セントルーズを出発したんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
セントルーズの旅が終わってから、2週間が経った。
相変わらず、暑い日は続いている。
いつも人の多い王都の通りだけど、最近は、暑さのためかその人数が少なくなった気がする。
王国からも国民に、
『日中、無用な外出は控えるように。どうしても出る場合は、水分の携帯を忘れずに』
と、注意喚起が出る程だ。
いや、本当に暑い夏だよ……。
…………。
さて、そんなある日、あの2つの素材を使ったコロンチュードさんの研究成果が届いたということで、僕ら5人は恒例の『キルトさんの部屋』に集まった。
現在は、5人ともリビングに集合中だ。
その目の前のテーブル。
そこに、金属製の1つの缶が置いてあった。
イメージとしては、茶筒?
そんな容器だ。
蓋を開けると、中には、黒い粒々が入っていた。
(……何これ?)
僕は、唖然となった。
僕の奥さんと鬼姫様も怪訝な表情で、その黒い粉を見つめていた。
そして、それを持参した少女は、
「えっとね、これ、『ふりかけ』だって……」
と、言い難そうに告げた。
ふりかけ?
え……それって、あのご飯とかにかける、あのふりかけ?
そう聞くと、
「そう」
と、彼女は神妙に頷いた。
僕は、言葉もない。
あれだけの苦労と危険を冒して手に入れた2つの素材は、この『ふりかけ』になってしまったのか……。
キルトさんは頭痛がするのか、白い指で額を押さえてしまった。
イルティミナさんも唖然と金属の缶を見つめる。
何とも言えない空気が流れる中、空気を読まないポーちゃんが懐から封筒を取り出して、その中身の便箋を1枚、テーブルの中央に置いた。
便箋には、魔法陣が描かれていた。
ポウッ
先日同様、ホログラムみたいな生首エルフさんが登場した。
いつもの眠そうな顔。
その唇が動いて、
『やぁやぁ……みんな、元気か、な?』
と、ほんにゃり笑った。
(…………)
残念ながら、微妙に元気がないかもしれないです……。
記録映像なので、もちろん彼女に僕らの様子は見えず、生首エルフさんはそのまま言葉を続けた。
僕らは、それに耳を傾ける。
『今回はありがと、ね。おかげで、研究、完成した……よ』
「…………」
『そのふりかけは、ね? 【涼風の粉ふりかけ】って言って、暑気当たりの予防や治療ができる食用薬、なんだ』
食用薬?
僕は目を丸くして、黒い粉のふりかけを見る。
生首エルフさんは言う。
『ほら……今年の夏、暑いでしょ? だから、王様に頼まれて作ってたんだ』
「!?」
『2つの素材を使って必要な成分の抽出と培養もできたし、一般の薬師でも作れるようにレシピもできたから……すぐ、王都のお店でも買えるようになると思う、よ』
「…………」
『これ、で、今年の夏、がんばって乗り越えてね? ……じゃあ、ね』
ほにゃ……と、笑う生首エルフさん。
不器用なウィンクをして、
シュウ
その生首の映像は、煙のように消えてしまった。
…………。
みんな、しばらく何も言えなかった。
まさか、コロンチュードさんが王様の命令で、王国民のための研究をしていたなんて、まるで知らなかったし想像もしていなかった。
僕は、ソルティスを見る。
気づいて、彼女はフルフルと首を左右に振った。
私も知らなかった、そんな顔。
うん、その表情を見る限り、それは嘘じゃないみたいだ。
……どうしよう?
そんな大事なことだと知らずに、僕ら、クエスト中に海水浴とかしちゃったよ。
キルトさんも渋い顔だ。
そんな中、イルティミナさんは「食用薬ですか……」と呟くと、白い指でその黒い粒々を摘まみ、口へと運んだ。
ペロッ
それを舐めて、
「ふむ……なるほど」
と呟く。
その様子を見守っていると、僕の奥さんは頷いた。
僕らを見て、
「皆、まだお昼を食べておりませんでしたね。今から作りたいと思うのですが、キルト、台所を貸して頂けますか?」
「ふむ、構わんが」
「ありがとうございます」
イルティミナさんは長く綺麗な髪を揺らしながら頭を下げ、それから『涼風の粉ふりかけ』の缶を手にして、ソファーから立ち上がった。
そのまま台所へ向かう。
……あ。
僕は慌てて「手伝おうか?」と聞いた。
すると、僕の奥さんは顔だけを振り返らせて微笑み、
「ありがとうございます、マール。ですが今回は、色々と試してみたいので、私1人でやらせてくださいますか?」
と、言われてしまった。
僕としては「う、うん」と頷くしかない。
彼女はもう1度、「ありがとうございます」と微笑み、今度こそ台所へと消えた。
そちらを何となく、4人で見つめてしまう。
やがて、台所の方から、イルティミナさんが調理をする音が聞こえ始めた。
何となく、僕らは一言も喋らず、待ち続けた。
…………。
やがて、1時間ほどして、僕らの前のテーブルには、いくつかの料理が並べられた。
白米、パスタ、ステーキ、サラダ。
どれも美味しそうで、けれど、その全ての上には黒胡椒のような黒い粒々――すなわち『涼風の粉ふりかけ』がかけられていた。
見た目的には、悪くない。
クンクン
(ふわぁ……)
いい匂い。
香りに敏感な僕は、その美味しそうな匂いにも魅了されてしまった。
僕の奥さんは、
「思ったよりも癖のないふりかけなので、どのような料理にも合いそうですね。とりあえず、ご賞味ください」
と、僕らに促した。
4人で顔を見合わせる。
それから、すぐに料理へとフォークを伸ばした。
パクッ モグモグ
ん……悪くない。
僕が食べたのは、前世日本人らしく白米とふりかけだ。
ふりかけは、香ばしさと少しカリカリした食感で塩味もあり、独特の風味もあって美味しかった。
うん、シンプルに美味しい。
キルトさんはパスタ、ソルティスはステーキ、ポーちゃんはサラダを食べているけど、その表情は『意外』と驚きつつも満足げだった。
イルティミナさんも、パスタを食べる。
モグモグ ゴクッ
咀嚼し、嚥下して、
「多少、海草独特の海の味わいがありますね。海鮮風の料理の味付けとして、もう少し活用できるかもしれませんが……まぁ、そこまで拘らなくても大丈夫でしょうか」
なんて、まるで料理研究家みたいな感想を呟いていた。
僕は、料理を作ってくれた奥さんに言う。
「美味しいよ、イルティミナさん。ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
彼女は嬉しそうだ。
それから、
「ふりかけの影響か、食欲も増している気がします。それと、口当たりの良さとスパイスのせいか、涼しさも感じますね」
「言われてみれば、確かに……」
「はい。コロンチュードの言う通り、これは良い薬となりそうです。いえ、薬というよりは調味料ですね。きっと皆、薬と意識せず、食べられるのではないでしょうか?」
「うん、そうかも」
僕も同意した。
食用薬らしいけど、味は、本当にふりかけだ。
しかも、美味しい。
ソルティスは、あっという間にステーキを平らげて「さすが、コロンチュード様だわ!」と絶賛していた。
キルトさんは「むぅ」と唸る。
でも、パスタ料理は完食だ……素直にコロンチュードさんを褒めるのが嫌なだけみたいだね。
(キルトさんらしいや)
僕は内心、苦笑してしまう。
ポーちゃんはパリパリ、ポリポリと、黒い粒のかかったサラダを小動物みたいにずっと食べていた。
うん、こちらも満足そう。
これだけ美味しいなら、食欲増進もあって、暑気当たりの予防にはもってこいだ。
治療だって、これだけ食べ易ければ有効だろう。
そもそも、このふりかけだけで薬なのだから。
僕は呟く。
「コロンチュードさんって、やっぱり凄いね」
本当に尊敬だ。
僕の言葉に、4人も反応する。
「そうですね」
「……むぅ」
「当ったり前でしょう! 今更、何言ってんのよ?」
「…………」
イルティミナさんは微笑み、キルトさんは渋い顔、ソルティスは少し怒って、ポーちゃんは無言でグッと右手の親指を立ててきた。
それらに、僕も笑ってしまった。
そして、僕の奥さんは、ずっと渋い表情の美女を見る。
小さく微笑み、
「ところで、キルト? この涼風の粉ふりかけは、スパイスとしてお酒に入れても合いそうですが……お作りしましょうか?」
「む? ――うむ、もらおう」
「ふふっ、はい」
急に目を輝かせた銀髪の美女に、僕らは苦笑してしまう。
その後、イルティミナさんは、キルトさんのお酒だけでなく、僕らのためにスパイス風味のアイスミルクも用意してくれて、僕もそれを口にしてみた。
(ん……美味しい!)
蜂蜜と生姜の入ったミルクみたいな感じかな?
少し刺激がある。
でも、さっぱり。
飲み終わったら、心地好い清涼感がある感じなんだ。
うん、幸せ……。
コップを両手に持って、ほっこりしてしまった。
見たら、キルトさんもふりかけ入りのお酒を飲んで「うむ、悪くない」なんて笑っているし、ソルティスとポーちゃんも美味しそうに僕と同じミルクを飲んでいた。
そんな僕らに、
「ふふっ」
イルティミナさんは優しい表情で、自分のミルクをすする。
それから、ふと僕と目が合った。
お互いに微笑む。
そして、自分たちの木製のコップを、コツン……と軽くぶつけ合った。
…………。
暑い夏は続く。
窓の外には輝く太陽が照りつけて、けれど僕ら5人はいつものように笑い合い、一服の涼の味わいを楽しんだんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
これにてセントルーズ湾での物語も完結となりました。
最後までお読み頂き、本当に感謝です。
次回更新につきましては、少し間が空きまして、4月15日を予定しています。申し訳ありませんが、最近、執筆が追いつかず、どうかしばらくお待ち下さいね。
また、マールのコミカライズ第6話がコミックファイア様にて公開中です。
URLはこちら
https://firecross.jp/ebook/series/525
よかったら、こちらも楽しんで頂けましたら幸いです♪




