690・幻影の背中
第690話となります。
よろしくお願いします。
王都から馬車で約2時間。
草原の街道に面した雑木林の近くで、僕らは馬車を降りた。
(ふぅ)
見れば、草原の彼方に王都ムーリアの白い城壁が見えていた。
これは初心者クエスト。
なるほど、これぐらいの距離ならば、お金のない初級冒険者でも徒歩で来ることが可能だろう。
うん、よく考えられている。
「ここか?」
リカンドラさんは、雑木林を見つめた。
僕は頷く。
「うん。ここに生えている『月雫の草』っていう薬草を集めるんだって」
「そうか」
「がんばろうね、リカンドラさん」
「あぁ、わかったよ」
僕の言葉に、彼は苦笑した。
そして、1人先に立って、雑木林の中へと入っていく。
最初、渋っていた割に、やる気はある様子。
(うんうん)
僕は、キルトさん、レイさんと笑い合って、すぐに赤毛の青年を追いかけた。
月雫の草。
それは、結構、一般的な薬草の1種らしい。
鎮痛・消炎作用があって、普通の風邪薬の原料となる他、のど飴、湿布なんかにもなるんだって。
(へぇ……)
雑木林を歩きながら、キルトさんからそんな話を教わった。
…………。
先頭を歩いているのは、リカンドラさんだ。
その後ろにキルトさん。
その次に、僕。
最後尾は、レイさんだ。
雑木林の中は、結構、起伏が激しくて、傾斜も強く、かなり歩き辛い環境だった。
平地がほとんどない。
キルトさん曰く、
「こういう厄介な土地に生えていて、採取が困難な薬草じゃからこそ、クエストとして依頼されるのじゃ」
だって。
うん、凄く納得だ。
ピラッ
歩きながら、僕は1枚の紙を広げる。
それは冒険者ギルドから渡された資料で、『月雫の草』の特徴などがイラスト付きで書かれているんだ。
ありがたいよね?
こういう手厚いサポートをしてくれるのが『冒険者ギルド』なんだ。
(ふむふむ)
周囲に生えている植物と比べるけれど、似たものは見当たらない。
ここには生えてないみたいだ。
(もっと奥かな?)
そう思いながら、足を踏み出して、
ズルッ
(わっ?)
足が傾斜に取られた。
そのまま斜面を滑り落ちそうになった瞬間、後ろのレイさんが素早く僕の手首をガシッと掴んでくれた。
あ、危ない……。
キルトさんに匹敵する膂力の持ち主である彼女は、簡単に僕を引き上げてくれた。
「大丈夫か?」
「う、うん、ありがとう、レイさん」
「何、構わない」
僕のお礼に、レイさんは大人の微笑みで応じた。
キルトさんも「大丈夫か、マール?」と心配してくれて、リカンドラさんも少し先で立ち止まっていてくれた。
リーダーなのに面目ない……。
「ごめんね、もう大丈夫」
「ふむ、そうか」
「問題ないなら先に進もうぜ。のんびりしてると日が暮れちまうからな」
「うん、そうだね」
リカンドラさんの言葉に、僕は頷いた。
彼も頷き、歩きだす。
キルトさんもあとに続く。
(しっかりしなきゃ)
僕も気合を入れ直す。
そして、レイさんと一緒に、2人の後ろを追うように足を踏み出した。
…………。
しばらく薬草を探して歩く。
リカンドラさん、キルトさんが先行して、体力のない僕と僕を気にしたレイさんが少し遅れてついて行く形だ。
僕以外の3人は『魔血の民』。
基礎の身体能力が違う。
だからどうしても、僕だけペースが遅れがちなんだよね。
(…………)
でも、今はちょうどいいかな?
リカンドラさん、キルトさんの2人とは距離が離れているのを確認して、
「ねぇ、レイさん」
「ん?」
「レイさんから見て、リカンドラさんの悩みはどう見えてるの?」
と、聞いた。
彼女は、少し驚いた顔だ。
数秒考えて、
「そう、だな。リドは焦っているのだと思う」
と答えた。
焦る?
「リドは才能があり、この3年で本当に強くなった。だが、最近はその成長が鈍り、強くなるための壁に当たっているように見える」
「……うん」
「だが、それは普通のことだと私は思う」
「…………」
「強さの高みに上れば上るほど、壁も高くなる。それを越えるために時間がかかるのは当たり前だ。だが、リドには、その時間を許容する心の余裕がないんだ」
「それは、どうして?」
僕は、首をかしげた。
レイさんの緑色の瞳は、赤毛の青年の背中を見つめる。
そして、
「リドは、兄の幻影に囚われている」
と、答えたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「兄って……エルドラドさん?」
僕は驚いた。
かつて、その『金印』の戦士と仲間だった女性は、静かに頷いた。
その瞳を伏せて、
「リドは、エルの背中をずっと追っている」
「…………」
「幼い頃から、兄を敬愛していた。だからこそ、兄の代わりに『金印』となった今、その強さに早く追いつきたいのだろう。それが焦りとなっているんだ」
亡き兄への思い。
それが、リカンドラさんの『強さへの渇望』を生んでいる……?
少し考えて、
「エルドラドさんって、そんなに強かったの?」
と、僕は聞いた。
生前の彼に、僕は会ったことがない。
でも、キルトさんと若い時から切磋琢磨してきた同格の存在で、彼を知る多くの人がその強さを称賛していた。
いったい、どれほどの強さだったのか?
あのリカンドラさんが焦るほど……その強さが、僕には想像できない。
レイさんは微笑んだ。
少し悲しげに、
「エルは、本当に強い男だった」
「…………」
「だが、リドと比べて、そこまでの差はない。いや、むしろ、戦い方や個々の能力に差はあれど、今のリドが勝っている面も多々あるだろう」
「じゃあ……」
なぜ、リカンドラさんはそこまで……?
僕にはわからない。
その答えを、レイさんが告げた。
「リドが追っているのは、死者なのだ」
「…………」
「リドはずっと兄を追っていた。だからこそ、リドの中のエルは、常に彼の先に立っている。今のリドが追っているのは現実ではなく、幻影のエルなのだ」
「…………」
「死んでしまった以上、もはやその幻影は消えない。その認識は正せない」
彼女の声は硬い。
その瞳を強く閉じて、
「まるで逃げ水だ。その幻影には決して追いつけない。そして、リドは、その背中を永遠に追い続けている」
「…………」
僕は、咄嗟に何も言えなかった。
でも、
(そっか……)
心の中で深く納得していた。
リカンドラさんは、決して届かない幻影を追い求めているのだ。
癒えない渇き。
それが彼を苛んでいる。
まるで呪いのように……。
その状態が長く続けば、なるほど、心を病みそうになってしまうのも理解できる。
「…………」
僕は顔をあげる。
視線の先で、彼はキルトさんと何事かを話しながら、周辺の草木を確認していた。
その様子は、一見、普通だ。
だけど、その内側には、今にも溢れそうな渇望が満ちているのだろう。
その姿にレイさんも、
「……リド」
と、切なそうに名を呟いた。
彼の背中をしばらく眺めて、そして僕とレイさんは、赤毛の青年の方へと歩いていった。
◇◇◇◇◇◇◇
「りゃあっ!」
裂帛の気合を響かせ、リカンドラさんが左右の手に握った『紅白の短剣』を振るった。
ドヒュッ
こちらに跳びかかってきた角の生えた狼は、その短剣に頬と耳を斬られて、鮮血を散らしながら地面に落下し、斜面を転がり落ちていく。
僕は、彼に叫んだ。
「殺しちゃ駄目ですよ! 今日は殺生なしです!」
「わぁってるよ!」
彼は不満そうに、けれど、承知の声を返してくれた。
(うん)
今日の僕らの目的は『薬草採取』だ。
たくさんの『赤角狼』の群れに襲撃されたとしても、討伐する必要はない。
僕らの実力なら、充分、それが可能なんだ。
そして、いつもと違う行動を取ることが、もしかしたらリカンドラさんの心にもいい影響を与えるかもしれない。
そんな訳で、手傷を与えるだけで倒さずにいた。
…………。
リカンドラさんは「くそ、面倒臭ぇ!」と言いながら、黒いコートのような防護服をなびかせ走る。
その動きは、本当に早い。
まるで、黒い風だ。
足場の悪さも関係なく、赤角狼の間を駆け抜ければ、2つの短剣によって周囲に鮮血が散っていく。
(…………)
イルティミナさんとどっちが速いだろう?
彼女も本当に速いけど、リカンドラさんの敏捷性はそれに負けないほどだった。
その一方で、
「むん」
ガキィン
全身鎧に大盾を構えたレイさんは、飛びかかる狼をその大盾で弾き返していた。
凄まじい膂力。
1歩も引かず、2体の狼をまとめて吹き飛ばす様は、あのキルト・アマンデスに優るとも劣らない力強さだった。
実に頼もしい重戦士だ。
……これでも、一時は日常生活も難しいと言われる大怪我を負っていたというのだから、恐れ入る。
それを思うと、彼女の本当の強さは、
(その忍耐強い精神力なのかな?)
とも感じるんだ。
そして、もう1人。
僕の知る中で最強の人物……すなわち、元金印のキルト・アマンデスは、その黒い大剣を軽々と振り回して、狼たちに手傷を負わせていた。
ボッ ビュン
風切り音が尋常じゃない。
大剣なのに、まるで短剣を振り回しているような速度だ。
挙句、魔物たちを皮1枚だけ傷つけるという圧倒的な技量まで見せつけて……うん、本当に何なんだろうね、この人?
「ぬん、はっ」
その表情は、意外と楽しげだ。
そんな3人の圧倒的な強さに、赤角狼の群れもようやく気づいたみたいだ。
『ウォオオン!』
1番大きな個体が吠えると、20体近い群れの狼たちは一斉に身を翻し、斜面に生えた樹々の奥へと消えていったんだ。
やがて、完全に気配も消える。
(ふぅ……)
やれやれだ。
僕らは、それぞれの武器をしまった。
チィン
僕も『妖精の剣』と『大地の剣』を鞘に納めて、息を吐く。
あ……言っておくけど、僕も2~3体の狼に手傷を負わせて、きちんと追い払っているからね?
決して何もしてなかった訳じゃないのです、うん。
3人の方を見れば、
「くそ……なんか、物足りねぇな」
と、リカンドラさん。
キルトさんは呆れ顔だ。
「そなたの頭には戦うことしかないのか? いかに殺さず、傷つけず、相手を征服するか、その方法をもう少し考えてみよ」
「…………」
「それがいかに単純に相手を倒すより難しく、より強さを必要とするか、それを学ぶが良いわ」
「ちっ……説教はごめんだぜ」
彼は降参するように、両手を広げる。
それから僕を見て、
「お前もよく、あんな雑魚共にも情けをかけるよな」
と言われてしまった。
えっと……。
「大切な人や物を守るためなら殺すけど、そうじゃないなら、別に殺す理由がないよ。むしろ、どうしてリカンドラさんは殺したいの?」
「あ……?」
彼は睨むように僕を見つめた。
それから、
ガリガリ
赤毛の髪をかいて、
「そうか……お前は俺みたいに、どうでもいいと相手を切り捨てることをしないんだな?」
「???」
「面倒な生き方をしてやがる」
「……そう?」
「あぁ、そういう奴は死に易いんだ。……俺の兄貴みたいにな」
「…………」
彼は「ちっ」と舌打ちして、軽く地面を蹴る。
キルトさんは何とも言えない顔で、レイさんは少し心配そうに彼を見ていた。
(…………)
僕は息を吐いた。
それから周囲を見回して、
「そろそろいい時間だし、1度ここで休憩して、みんなでお昼ご飯にしよっか?」
と、3人に提案したんだ。
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