689・赤印のクエスト
第689話になります。
よろしくお願いします。
キルトさんの部屋の前で、イルティミナさんは僕を強く抱きしめた。
ムギュッ
大きな胸の谷間に、僕の顔が挟まれる。
(んぐ……)
い、息ができない。
けど、幸せ。
そんな僕の茶色い髪を白い手で撫でながら、僕の奥さんは切なそうに言う。
「3日後、また迎えに来ます」
「うん」
「私にとって、マールは水です。どうか私が干からびてしまう前に、3日後、ちゃんと私にマール成分を与えてくださいね。約束ですよ?」
「う、うん、わかった。約束するよ」
よくわからないけど、僕は頷いた。
イルティミナさんも納得した顔で、僕の前髪を持ち上げて、おでこにキスしてくれる。
(ん……)
彼女の唇の感触が柔らかく、温かい。
僕は目を閉じて、その愛情を受け入れた。
青い目を開ける。
イルティミナさんは微笑んで、
「それでは、また。3日後の同じ時刻に、この場所で」
「うん」
「愛していますよ、マール」
まるで今生の別れのような雰囲気で、彼女は僕の頬を指で名残惜しそうに撫でると、建物の廊下を歩き去っていった。
僕は、それを見送る。
キルトさん、リカンドラさん、レイさんは、扉の内側からそんな僕らを見守っていた。
(……ん)
心の中で頬を叩く。
気持ちを切り替えた僕は、改めて3人を振り返った。
「お待たせ」
「……あぁ」
リカンドラさんは頷き、その鼻を指でかく。
「その……何つーか、悪いな。俺のために、あの女との時間を奪っちまって……」
「ううん」
僕は首を振った。
赤毛の青年を見つめて、笑う。
「僕もリカンドラさんの悩みを解決したいって思ってるし、きっとイルティミナさんもわかってくれる。だから大丈夫だよ」
「…………」
「…………」
リカンドラさん、レイさんは、僕の顔を見つめた。
キルトさんも長い銀髪を揺らして笑う。
ポン
背の高い彼の肩を軽く叩いて、
「マールはこういう奴じゃ」
「…………」
「まぁ、思うところはあるかもしれぬが、しばらく、こやつと共にいてみろ。きっと何かが見えてこよう」
「……あぁ」
リカンドラさんは頷いた。
レイさんは「感謝する、神狗の少年」と生真面目に頭を下げてくれた。
僕も「ううん」と笑った。
やがて、
「それで……これからどうするんだ?」
と、リカンドラさんが腰に手を当てて聞いてきた。
う、う~ん?
(どうしたらいいんだろうね?)
僕だってわからない。
でも、キルトさんが笑って、
「とりあえず、マール、そなたのやりたいようにやってみよ。何でも良い。それにわらわたちも従ってみよう」
と言った。
僕は戸惑いつつ、
「それでいいの?」
「うむ。元々、正解の行動など誰もわかりはしないのじゃ」
「…………」
「じゃから今は、そなたの好きにせよ。それで結果が出るか、出ないか、まずは試してみようではないか」
キルトさんは、あっけらかんとしている。
本当に、いいのかなぁ?
確かめるように、リカンドラさんを見る。
彼は肩を竦めた。
「何でもいいさ。この停滞した自分を吹き飛ばせるなら、何だってしてやるよ」
「…………」
その声と表情に、嘘はなさそうだ。
僕は頷いた。
少し考えて、
「それじゃあ、1度、ギルドの1階に降りて、何かクエストでも受けてみようか」
と提案した。
◇◇◇◇◇◇◇
3人と一緒に、1階フロアにやって来た。
冒険者も大勢いて、有名人のキルトさん、リカンドラさんの姿に少しざわめきが起こったけれど、話しかけられることはなかった。
みんな、遠慮してくれたのかな?
ただ、遠巻きにジロジロと見られていたけどね。
やがて、僕ら4人は、クエスト依頼書が貼られた掲示板の前へ。
リカンドラさん、レイさんは『黒鉄の指』と呼ばれる王国最大手の冒険者ギルドの所属冒険者だ。
他ギルドの掲示板は珍しいのか、
「ほぉん」
と、赤毛の彼は、物珍しそうに依頼書を覗き込んでいた。
レイさんは、落ち着いた大人の女性らしく、ただ静かにリカンドラさんの後ろから眺めている。
やがて、彼は振り返った。
「それで? どの依頼を受けるんだ?」
「うん、そうだね……」
僕も掲示板を見る。
僕の冒険者ランクは『銀印』だ。
リカンドラさんは『金印』だし、キルトさんは言うまでもなく、レイさんも『銀印』なので『銀印のクエスト』を受けるべきなのだろう。
(…………)
でも、それは何か違う気がした。
何だろうね……?
視線を巡らせていくと、赤色の掲示板――つまり初級の『赤印のクエスト』の依頼書が目に留まった。
(……ふむ)
ペリッ
僕は、その1枚を手に取った。
3人は驚いた顔をしていて、
「これにしよっか」
振り返った僕は、そう笑った。
リカンドラさんがバッと奪うように、その依頼書を手にして覗き込む。
「……薬草採取?」
「うん」
僕は頷く。
彼は「マジか……」と呻いた。
キルトさんは面白そうにあごを撫で、レイさんはいつも落ち着いた雰囲気なのに、今は何だか唖然とした様子だった。
リカンドラさんの赤い瞳が、僕を睨む。
「おい」
「ん?」
「俺は本気で強くなりたいんだ。なぜ、こんなクエストを受ける? せめて、討伐系だろう!?」
「う、う~ん?」
僕は返事に、少し悩んだ。
悩みながら、
「リカンドラさん、強くなりたくて、でも最近は、なかなか強くなれなくて悩んでるんだよね?」
「……あぁ」
「だったら、戦いから離れようよ」
「はぁ?」
「1度、何かを殺すことから離れよう?」
「…………」
彼は困惑したように、口を噤む。
キルトさんは感心した顔で、レイさんも『なるほど』といった様子だった。
僕の青い瞳は、彼を見つめた。
そして、言う。
「きっとリカンドラさんは現状を打破したくて、色々なことをしたと思うんだ」
「…………」
「でも、まだ打破できてないよね?」
「……あぁ」
「じゃあさ、今はリカンドラさんらしくないことをしてみようよ? その考え方や価値観、そういったものを忘れて、1度、違う方向から試してみない?」
彼は赤い目を丸くした。
そのまま、僕を凝視する。
僕も視線を逸らさず、赤毛の青年の眼差しを受け止めた。
彼は迷った顔だ。
やがて呻くように、
「だが、俺にも『金印』の立場ってものがあってだな……。さすがに薬草採取は……」
と、ブツブツ言う。
僕は、少し呆れた。
それから、
「リカンドラさん」
「おう」
「その立場とか考えてる思考が、もしかしたら、リカンドラさんが強くなるのを邪魔してる一因なのかもしれないよ?」
「!」
彼はハッとした。
僕は続ける。
「強くなりたいんでしょ? なら今は、余計なこと考えてないで、試せることをやろうよ」
「…………」
「ね?」
「……そう、だな」
リカンドラさんは渋々認め、頷いた。
そんな彼を、レイさんは「リド……」と驚いたように見つめた。
彼はため息をこぼす。
僕を見て、
「しかし、『金印』の立場を余計なこと……か。まさか、そんな風に言われるとは思わなかったぜ」
「……そう?」
僕は首をかしげた。
もしかしたら、イルティミナさん自身が『金印』にあまり固執してない姿を見てるからかもしれない。
あの人は、それより『僕』を優先してくれるから。
キルトさんは『金印』の立場を大事にしてたけど、それ以上に『仲間』を優先するような人だしね。
きっと、そんな2人の影響だろう。
と、そのキルトさん当人は、白い歯を見せて笑っていた。
「これが、マールじゃよ」
「…………」
「どうじゃ、リカンドラ? この者とおれば、なかなか良い刺激が得られると思わんか?」
「まぁ……多少は新鮮だな」
彼は苦笑した。
それから深く息を吐いて、顔をあげる。
「わかった。薬草採取、してみるか」
「うん」
僕も笑った。
レイさんは緑色の瞳を細めて、僕らを見つめ……そして、少しだけ安心したように微笑んだ。
その肩を、キルトさんが軽く叩く。
…………。
やがて、僕をリーダーに登録してクエストを受注した。
元金印に現役の金印、それに銀印が2人の豪華メンバーで、挑むのは『薬草採取』……受付を担当してくれたお姉さんは、何とも言えない顔をしていたよ。
(ま、たまにはいいよね?)
そう思いながら、手続きも完了。
僕は3人を振り返って、
「じゃあ、薬草集め、がんばりましょう!」
と、満面の笑顔で言ったんだ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
※次回更新は、来週の月曜日を予定しています。どうぞ、よろしくお願いします。
書籍マール1~3巻、発売中。
コミカライズマールも現在、第4話まで公開中です。
漫画のURLはこちら
https://firecross.jp/ebook/series/525
無料ですので、よかったらぜひ♪